東條英機といえば、日本の近代史の中ではもっぱら悪役扱いされてきました。しかしその「悪役」というのも戦争の勝者側の論理を一方的に受け入れる前提からでしょう。もし日本がアメリカなどに対し戦争行為を働いたこと自体が「悪」ならば、その非は東條英機という一個人に帰せられないことは明白です。日本国民全体が結束して、その戦争を進めたのだといえるからです。

 

 しかしそうした歴史の解釈はともかくとして、東京裁判でA級戦犯として処刑された東條英機がどう死を迎えたのか。その内面に迫る書が東條英機の孫の東條由布子氏と現代史を研究する学者の福冨健一氏の共著として、出版されました。

 

 『東條英機の中の仏教と神道』(人はいかにして死を受け入れるのか)という書です。

 

 この書は東條英機が仏教と神道の教えをいかに心に刻み、迫りくる死に面したかを東條家の資料などを基に多角的に描いています。日本人の生死に織り込まれた仏教と神道の分析でもあります。

 

 

この書には以下のような記述が出ています。

 

「ドイツ人の『戦犯』は生に執着し、日本人はなぜ凛々しく死んだのか!?」

 

「死を待つ独房の中で初めて悟った人生の意義。巣鴨拘置所で激しく懊悩し、到達した境地とは!?」 

 

「ゆったりとして穏やかな日本人の心の底流には、仏教の教えが静かに流れ、水、空気、太陽、木々の芽吹き、自然現象など、すべてに感謝して祈る神道の心が、日本人の精神を大きく包み込んでいるような気がしてなりません。この本のテーマのように、日本人には仏教と神道の心が知らず知らずのうちに調和よく混在しているのかもしれません」 

 

 東條英機という特別な歴史上の人物の死を通じて、日本の仏教や神道を改めて考察する興味ある書だといえます。