■自国の利害と打算
飛行機のタラップを降りたとたん、仰天した。フィデル・カストロ首相が目の前に立っていたのだ。手を伸ばせば届きそうな3、4メートルの至近距離だった。戦闘服に戦闘帽、おなじみの黒く長いアゴヒゲが目立つ。意外と小柄なのだが、上半身が不自然なほど大きくみえる。後で防弾チョッキのためだと知った。キューバのハバナ空港だった。
1979年9月、私は非同盟運動の第6回首脳会議の報道のためにハバナを訪れた。メキシコ市からの飛行機では隣席にキューバで政治訓練を受けるというメキシコ共産党の若い女性党員がいて、中南米での革命の大義をたっぷりと聞かされた。
飛行機には同首脳会議に出るアフリカ諸国代表らも乗っていて、会議の議長役のカストロ首相が空港まで出迎えたのだった。首相は機内から降りてくる乗客の群れにすたすたと歩み寄り、知った顔をみつけて握手をし、抱擁をする。ボディーガード数人が周囲にさりげなく立つ。
非同盟とは文字どおり、東西冷戦のなか米国とソ連いずれの軍事同盟にも属さない諸国の集まりだった。61年にインドのネール首相、ユーゴスラビアのチトー大統領、エジプトのナセル大統領ら第三世界の首脳が中心となり、旗揚げした。東西陣営の緊張緩和を説き、植民地解放を訴えた。米ソ対立で硬直化した世界に柔らかな新風を呼んだ。日本でも日米同盟に相対する非同盟の概念は当時の社会党などの非武装中立のスローガンにも合致し、それなりに人気を集めた。
非同盟の首脳会議は3年に1度、創設から18年目のハバナでの会議は第6回だった。同会議には合計94カ国の代表が参加し、うち54人が国家元首クラスだった。だが会議の内容はどの軍事ブロックにも属さないという非同盟の精神からは遠く離れていた。
「われわれ非同盟諸国はソ連との間に兄弟的なきずなを保っている。一方、ヤンキー帝国主義は非同盟主義の意義を傷つけてきた」
カストロ首相は開会の場で1時間半も演説して、ソ連との連帯を訴え、米中両国を激しく非難した。ベトナム、ラオス、エチオピアなどの親ソ連諸国が同調した。
なにしろカストロ首相はソ連からの巨額の援助と引き換えに「栄光あるソ連の要請とあれば、世界のどこにでもキューバ兵士を派遣する」と明言しているのだ。現実にキューバはアンゴラ、エチオピア、コンゴ、ニカラグア、ボリビアなどの諸国にまで軍隊を送り、ソ連の傭兵(ようへい)として共産側勢力のために戦っていた。
私が駐在していたワシントンでも、米国政府はこの首脳会議前には非同盟のソ連密着への動きに警鐘を発していた。会議の場での親ソ派の政治工作は露骨だった。昼夜ぶっ通しで続く会議ではまず、カストロ首相が議長の特権を利用して親ソ国代表の演説を午後や夕方の正常な時間に集中させる。逆に中立や反ソ連、米国や中国に同情的な国の代表の演説は深夜や未明となる。
キューバ当局はとくにソ連と対立し、親ソ派のベトナムに侵攻した中国には厳しかった。米中国交樹立でワシントンに初赴任し、この会議の取材にきた新華社通信の支局長に記者証をあえて出さないという子供じみた嫌がらせまでするのには驚いた。そして会議では中国に支援されたカンボジアのポル・ポト政権を非同盟から追放することに全力をあげた。
ちなみにポル・ポト政権はこの会議に最高幹部のキュー・サムファン氏を送りこんでいた。同氏がハバナ市郊外の宿舎で開いた小規模の記者会見で、私が「ジェノサイド(大虐殺)」について質問すると、彼の頬(ほお)が一瞬、紅潮したのをよく覚えている。
カストロ首相ら親ソ派は会議の最終宣言に「社会主義国との協力」を明記し、非同盟運動全体をソ連と結びつけようと試みた。この試みに正面から反対したのがユーゴのチトー大統領だった。
87歳の巨躯(きょく)の同大統領はインド、インドネシア、エジプトなど多数の国家代表との協議を繰り返し、非同盟運動を本来の中立、穏健な立場に保つことを主張した。その結果、親ソ派の野望はほぼ抑えられた。
だがこの会議全体を通じて明示されたのは、自国の利害や打算で動く「非同盟」諸国のぎらぎらした姿だった。非同盟の立場自体が同盟よりも道義的に高い位置にあるという日本の一部の議論も、神話にすぎないと感じさせられたのだった。(ワシントン駐在編集特別委員 古森義久)
[etoki]1979年9月、キューバの首都ハバナで開かれた非同盟運動の第6回首脳会議の一場面。会議が定刻通り始まらず、議長役のカストロ首相(中央右)も腕時計に目をやった(AP)[etoki]
[etoki]1979年8月、首脳会議に出席するためハバナに到着したユーゴスラビアのチトー大統領(左)とともに、儀仗(ぎじょう)兵を閲兵するカストロ首相(AP)[etoki]
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コメント
コメント一覧 (9)
>私が「ジェノサイド(大虐殺)」について質問すると、彼の頬(ほお)が一瞬、紅潮したのをよく覚えている。
この部分、映像で見たかったです。
今に至るも様々な影響があるっていうのは、素直にすごいといえるものでしょう。
カストロ首相と周囲の状況がよくわかりますね。
カストロ詣でに行くメキシコ共産党員のエピソードは
おもしろいですね。
キューバとメキシコ共産党にはきな臭い過去がありますね。
メキシコに住むトロツキーを暗殺したラモン・メルカデルは
キューバで英雄として亡くなっています。
カストロ首相には、ゲバラには負けますが、左翼的カリスマがあるのは確かでしょう。だからこそ、世界中の左翼活動家(日本の元大臣も)を引き寄せているのでしょう。
アルゼンチンのカリスマ、マラドーナもカストロ首相の支持者で、
キューバ訪問を繰り返しています。
カストロ首相の影響力はカリスマ性だけでなく、彼がスペイン語を話すことも大きいと思います。ロシア語は影響力が限られますが、
スペイン語は本国スペイン、および中南米全般に通用します。スペイン語を話す革命家カストロによって、中南米の左翼基盤は固められたと思います。対抗する米国は、言語が英語のため、中南米での活動にはハンディがあります。
>「われわれ非同盟諸国はソ連との間に兄弟的なきずなを保っている。一方、ヤンキー帝国主義は非同盟主義の意義を傷つけてきた」
この頃がキューバ、ユーゴなどのソ連圏共産主義陣営の絶頂期だったのでしょうか。そこに中国やその子分のカンボジアのポルポト政権の排除抗争があったのですね。まるで、非同盟と言いながら、共産国の内輪もめのような集まりですね。当時は共産主義は世界でまともな体制と見られていたのですね。(マルクス・レーニン理論の壮大さと欺瞞性は天才的なものがあります)
こういう非同盟諸国を賛美していたのが日本の社会党やら左翼、進歩的と言われた知識人だったのですから、今から見ればなんという暗愚な時代だったというしかありません。
この当時はまだ共産主義は人類の解放や平等の実現という幻想が世界で大手を振っており、一方アメリカは左翼から帝国主義という烙印を押されていたのですね。
しかし、少しでも見る目があれば、共産国は一握りの革命エリートと称する輩が無知とされる大衆を独裁的に指導し、大衆は一方的に服従するものとされていたのでした。それは大衆は権力側に意見を言うこともできず、政治に参加することもできないということですね。
つまり、一人一人の基本的人権を大切にするという考えからは、まさしく対極であり、個人は革命エリートの単なる歯車・道具、奴隷なのですね。要は人間一人一人の人格と権利を大切にしているかどうかの基準で見れば十分です。共産国を甘やかさずハッキリと人権侵害国と定義付けるべきです。
その共産エリートはと言えば独裁権力に胡坐をかき、特権を独占し、人々を恐怖の元に支配し、戦争に駆り立てるのですから最悪の事態です。マルクスは共産主義社会は最も発達した資本主義社会から出現するという夢想を主張していましたが、実際は未開で教育レベルの低い国にしか出現しないことは、考えてみれば当り前のことでした。
さすがに今も共産主義を表だって賛美する者はいなくなりましたが、心深く、共産独裁権力にシンパシーを持ついわゆる「進歩派」「革新」知識人が今も闊歩しています。そして彼らは手を変え品を変え、日本を貶め社会の進路を狂わせようとしているのが実に腹立たしいところです。
自分の頭の中では鮮明な映像が残っているくらいに、鮮やかな記憶です。
そう多くある種類の記憶ではありませんが。
このキューバ体験以後、私自身は非同盟運動をとくに高く評価する気持ちはすっかり減りました。
初めまして。
ラテン・アメリカにはずいぶんお詳しいようですね。
カリスマ性という点ではカストロ首相は稀有の人物といえるのでしょうね。
ユーゴスラビアは王政時代、また統一前の時代も含め、ロシアとその対抗勢力(たとえばオーストリアなど)には散々な目にあわされてきましたもんね。
チトー氏らの最初に提唱した「非同盟主義」はそのあたりへの憎しみが源流のような気もします。
ところが古森さんのご覧になった現実のハバナ会議では、「アメリカびいきもしないがロシアびいきもしない」という定義が崩壊しており、主催国代表のカストロ氏を推進役に「ロシアびいき丸出し」に傾いていたと。
ところで、カストロ氏のカリスマ性の話題が他の方のコメントに出ていましたね。
たまたまチトー氏という「曲者」がいたためにカストロ氏の思うままにはなりませんでしたが、この人物がもしいなければ、ソ連一辺倒ではない参加国が次々と去り、「非同盟会議」は一気に「ソ連シンパの集い」を自認しだしたのだろうと思います。
いずれにせよ、当時の私の、「非同盟会議」に対する印象は「なんだかんだといいながら、結局「非同盟」という名前の同盟だろう?」というものでした。