■急変した対日安保政策
日米同盟の長い歴史でもカーター政権の最後の年、1980年は画期的な曲がり角となった。米国の対日安保政策が大きく変わったのである。直接の原因はソ連のアフガニスタン侵攻だった。その背景にはカーター大統領の対ソ連政策の誤りがあった。
カーター大統領が79年6月に私たち日本人記者団と会見したときは、同盟国としての日本の防衛のあり方にはっきりと満足を表明していた。
「私は防衛費をGNP(国民総生産)1%以内に留めるという日本の政策は賢明だと思います。1%の枠内でも増額はできます。日本の防衛にはそれで十分でしょう」
カーター大統領が「Wise」(賢明)という言葉を南部なまりで母音を引き伸ばして発音したことまで、私はよく覚えていた。ところがそのわずか半年余り後、カーター政権は大統領をはじめとして、正面から日本の防衛費の大幅な増額を迫るようになったのだ。
同政権のブラウン国防長官は80年1月14日の東京での大平正芳首相との会談で、日本の「防衛努力の拡大」を求めた。翌月には国務省が一方的に「米国政府は日本が今後、着実かつ顕著に防衛費を増額することを期待する」という声明を発表した。日本の防衛政策の現状への明らかな不満の表明である。安保政策の劇的な変化でもあった。
79年12月27日、ソ連は電撃的に戦車を含む大部隊を空輸までして、アフガニスタンの首都カブールに攻めこんだ。アフガニスタンのアミン大統領は「米国のスパイ」と断じられ、処刑された。ソ連は部隊を増強し、アフガン全土の制圧をめざした。完全な軍事侵略だった。
長い東西冷戦でもソ連軍が東欧を飛び出して、非同盟の旗印を掲げるアフガニスタンのような国を軍事力で全面支配する例はなかった。ヤルタ体制の否定でもあった。米国は同盟諸国とともに軍事面での強固な対抗策を取ることを迫られたのだ。
ちなみに日本の「防衛費はGNP1%以下」という政策は、76年の三木武夫内閣の閣議で決められた。普通の国家の防衛規模は安全保障の状況で決められるはずだが、まず対GNP比からという発想は憲法第9条に始まる戦後日本の異端な軍事忌避の産物だった。
カーター政権は日本の防衛費の増額を迫るようになっても、公式にはGNPの何パーセントまでとは語らなかった。日本の主権を軽視するような要求となることを懸念したのだろう。だが私が接触していた国防総省や議会の対日安保政策関係者たちは、非公式ながら率直に1%以上の支出を求めていた。
カーター大統領はソ連のアフガン侵攻に虚を突かれた形で、「私のソ連認識は根本から変わった」と告白した。それまでのソ連観がまちがっていたことの自認だった。
米国がベトナム後遺症に病む期間に選ばれたカーター大統領は対外的なパワーの発揮を嫌った。在韓米地上軍の撤退案もその例証だった。就任後にはすぐ米国が長い年月、管理権を握ってきたパナマ運河を放棄する政策を「返還条約」として打ち出した。軍縮を推進し、自国の軍備も一方的に削減する姿勢をみせた。
カーター大統領はとくに冷戦の相手のソ連に対しては、徹底して友好的で協調的な態度を示した。こちらが善意をみせれば、相手も善意で応じるだろうというリベラル融和外交の典型だった。
中米のニカラグアで親米政権がソ連に支援された左翼の革命勢力に打倒されそうになっても、なにもしなかった。アフリカでもソ連がキューバ軍にエチオピアを支援させ、米国寄りのソマリアを攻撃させても、米国は動かなかった。アンゴラ、モザンビーク、スーダンという諸国が左翼政権に支配され、ソ連の勢力圏に吸収されていった。
カーター善意外交は明らかにソ連を増長させた。ナイーブな友好姿勢が危険な拡張を招いていた。
ソ連としてはアフガン全面侵攻という大ギャンブルに踏み切っても、米国はなにもしないと計算しての一大軍事行動だったといえよう。だがさすがのカーター政権も現実のグローバルな軍事脅威に目覚めたのだった。
以後の日米同盟では日本の防衛費の「着実かつ顕著な増加」という言葉がキーワードとなっていった。(ワシントン駐在編集特別委員 古森義久)
コメント
コメント一覧 (11)
結局、外交において「善意」なる曖昧な定義の元に遂行すれば
誤ったメッセージを相手に伝えることになる、現代の実例ですが、
現政権も過去の政権もこのことを理解してくれない。
しかし、防衛費を3%にすれば日本の産業はV字回復でしょう。
>徹底して友好的で協調的な態度を示した。こちらが善意をみせれば、相手も善意で応じるだろうというリベラル融和外交の典型だった。
これはカーター政権の考え方ですが、実にどこかの国に似ていますね。
アメリカは一度痛い目に会えば、きちんと分析し今後の糧にしていますが、日本の場合はそれがありませんね。
前エントリーにも関連して、菅談話の件も、事情が分かってくれば、すべて韓国政府の要請に従った愚かな行動のようです。韓国政府は日本の弱腰、お人よし(良く言えば善意)を国内政治に利用しているだけなのですね。そして李承晩大統領以来の反日政策で公式的な反日気分は、もう消そうとしても消しようもありません。反日により日本の譲歩を引き出し、国内を宥和するというのはもはや「中毒」になっているのでしょう。ですから、いくらでも強いものが出てくることでしょう。
翻り、我が国政府のだらしなさ、つまり失敗してもそれを教訓として生かせないことは何ということでしょう。この淵源を考察すると、やはり65年前の敗戦に行きつくような気がします。否、敗戦そのものより東京裁判により日本が道義的道徳的に一方的に断罪された内容が固定化されていることのようです。そして戦争の実際を知った年代が交代していくとその固定化がますますひどくなると言う訳です。
そして講和が済んでも何時までも利用しようと考える国が周りにあるということです。アメリカでさえ、原爆投下問題などもあり東京裁判の不道義性には口を閉ざしたままです。戦争に完全な善悪などありませんし、日本にも当然正当性のある理由があるのです。政治の事なかれ主義は本当にやめてほしいものです。
1965年の日韓条約の時は、日本政府は朝鮮併合を否定せず、補償という言葉も使わず協力金という名の援助をしています。時には朝鮮にいいこともしたという久保田発言などで紛糾していますが論点の中心は守っています。
歴史問題での政治の態度は、歴史家の態度とは異なります。政治家は現在の国民と先人すべてを代表するもので一知半解の個人見解を述べることは決してしてはならないのです。まして相手国の要請に基づき発言するなどもっての他です。
また、当時は弱肉強食の帝国主義と植民地主義の時代です。現在の正義の価値観から過去を断罪することは決してできるものではありません。もしそれでも発言の必要があれば「遺憾でした」の一言しかないのではないでしょうか。
イギリスが97年に香港から去る時、確か「このように民主化し反省した香港を作ったことに誇りに思う」のような発言をしたと思います。弁解の余地のないアヘン戦争を謝罪した訳でもなく、侵略発言など全くなかったと思います。それで中国共産党から何ら反発もありません。
さて、アメリカではベトナム後遺症から立ち直るためにはリベラルによる国内宥和時期が必要だっとと思われます。しかし、カーター政権時代の一連の負の出来事によりいち早く立ち直りました。カーター政権の後を受けたレーガン政権では完全に教訓を体現し、ついにベルリンの壁崩壊にまで持っていきました。
学ぶアメリカ、学べない日本の差は、東京裁判の執行人と被告の差のような気がしてなりません。しかし理不尽な東京裁判の判決結果は国内的には法律制定、国際的にも講和条約やサ条約11条の協議ですべて解決しています。それでもまだ色々と文句をつける国は実は道義のない国であり別の政治的理由があるということです。国内では菅氏、仙石氏や福島瑞穂氏などのような人が今だいますが、彼らも所詮政治的、実利的に利用していると考えるべきでしょう。
×民主化し反省した香港
○民主化し繁栄した香港
アフガニスタン侵攻がソ連邦の崩壊を早めた、というよりもソ連邦の崩壊を先延ばしするためにアフガニスタン侵攻を断行したが、アメリカの間接的反撃で泥沼に嵌った(過去にも英国がカブール侵攻に失敗して二度も敗退し、現在はアメリカが出口の見えない掃討作戦で苦しんでいる)ことが、中央アジア諸国の独立につながった。
日本がそそくさとアメリカに追随して、パキスタンやアフガニスタンへ自衛隊を派遣しないで海上給油に留めたのは、賢明だった。
その海上給油も止めて、現在のパキスタンの洪水救援活動に自衛隊を派遣したのも賢明だ。
憲法解釈まで見直さなければならなかったイラクへの自衛隊派遣は、日本は往き過ぎだったが、お陰で(一人の民間人青年の犠牲と数人の民間人の献身のみで済んだ割には)そこそこの経済的恩恵を蒙った。
自衛隊のイラク派兵は、自衛隊派遣の総費用とマクロ経済的利益の収支で、日本は儲かったのだろうか?
リーマンショック前までならトントンだろうが、その後のことを含めると明らかにマイナスだ。
現代では、戦争では一時的な経済効果で潤うが、ひとたび戦争が終われば、元の木阿弥だ。
初めまして。
日本の現政権に外交に関する「政策」というのがあるのでしょうか。
カーター自身も「学んだ」といえる気がします。
ただし遅すぎたわけです。
軍事ということを避ければ、平和になるという錯誤ですね。
経済だけで人間のあり方が左右されるというのも、さらに危険な錯誤です。
日本はアメリカの軍事力の庇護に下にありながら、その軍事力の効用を否定するような態度をとって、なにか崇高なような気分になってきたといえます。もっとも現在もそうした錯誤の連中はしたり顔で「戦争の経済効果」なんて無意味な言葉を使ってますが。
故に「GNPの何パーセントは是か非か」なんて議論は無意味な限りで、まず「日本の安全保障の質と量が如何にあるべきか」の議論、次に「その達成には幾ら必要か」の見積りであるべきで、その後にやっと高い安いの議論が来る筈。必要量を真摯に考えることなく「GNPの何パーセント」なんてのは「婚約指輪は年収の何パーセント」と同じく御祝儀の感覚です。その時代から馬鹿だったんですかね日本の政治家は。
ちなみに私達の「軍隊」は、経験を積む機会があれば積極的に出すべきです。実地体験はカネだけでは買えない。必ずしも実戦でなくても良い。混乱し緊迫した状況で沈着冷静な判断力や胆力を鍛えて欲しい。経済効果とか費用対効果を気にするべきではないと思いますね。
有名ですが、流石のカーター元大統領もソ連のやり方
には肝を冷やした事でしょうね。一方、日本のサヨクは現実逃避と。
こんな現実逃避なサヨクが政権を握っているのですから
たまったもんじゃないですね!!
アメリカからすれば、アメリカの軍事力がなければ、ヒトラーが全世界を制し、いまごろはヒトラーの子どもたちが世界を支配している、ということでしょうね。オバマ大統領が「正義の戦争があるのだ」という演説で強調した点の一つです。
現実逃避はなお続く、ということでしょうか。