SAPIO誌掲載のクリストファー・ヒル前六カ国協議アメリカ首席代表のインタビューの紹介の続きです。

 

 ヒル氏はここで初めてこの協議の不成功を認めています。

 

 まあ当然とはいえるでしょうが、当事者が改めて認めると、その重みは異なってきます。

 

 

 

 

 

 

古森「六カ国協議は二〇〇三年八月に始まり、あなたが二〇〇五年にアメリカの首席代表となったわけですが、その後、二〇〇八年十二月以来、中断の状態にあります。この協議はこれまで一体、どんな成果をあげたといえますか」

 

 ヒル「最も正直に答えるなら、まだそれを述べるのは尚早だということです。しかしいくつかの点を指摘したいです。まず第一には同協議が始まったときには北朝鮮はプルトニウムを生産していました。しかし同協議によってその生産を停止させ、そのために使われていた原子炉をも無力化することができたのは喜ばしことでした。しかしそれが真の目標ではない。目標はプルトニウムの生産を止めるだけでなく、すでに生産されたプルトニウムを回収することです。残念なことに、その目標は達成できていません。でもそれは六カ国協議の非ではない。北朝鮮と交渉することはそもそも難しいのに、二〇〇八年夏に金正日総書記が重い病気になったことがそれをさらに困難にしたのです。彼の病気が同協議の進展を阻む役割を明らかに果たしました」

 

 古森「そうですか」

 

 ヒル「第二には六カ国協議のプロセスが北東アジアに共同体の意識を強めたことが成果といえるかもしれません。こんご長期にわたる展開となるでしょうが、同協議によって二国間での懸案のいくつかに触れることができたのです。韓国と日本は同協議を通じて二国間の関係を改善することができました。日本は中国に対して同協議を通じて、二国間ではできないような話しあいをすることができたという事例もあります。だから同協議のプロセスは北東アジア地域の安定や強化に通じる諸課題に対応できたともいえます」

 

 古森「日中関係や日韓関係がこの協議のために改善されたというのですか」

 

ヒル「はい、日本と中国との間に対立案件が拡大し、二国間関係を良好に保てないという感じのときでも、ある部分のドアは六カ国協議を通じて開かれていた、ということです。日韓でも盧武鉉大統領時代、困難を抱えた期間、両国代表は同協議で対話を絶やさないでいられました。ただしこれらから同協議が成功だったと総括することはできません。各国間の関係について私たちは同協議を基礎に北東アジアの安全保障メカニズムを組織するというところまでの野心さえ抱いていました。しかしそのためのプロセスは前進しなかった。でも全体的には北東アジア地域は六カ国協議のために同協議の開始前よりは好ましい状態になったといえるでしょう」

 

古森「しかし六カ国協議では北朝鮮の核兵器開発のためのプルトニウムだけを議論し、もう一つの核爆弾の製造原料となる高濃縮ウランを取り上げませんでしたね」

 

ヒル「はい。北朝鮮は六カ国協議の過程ではウランの存在を否定していたのです」

 

古森「でもいまでは公然と認めています」

 

ヒル「北朝鮮は交渉中には否定しながら、最近になってウランの軍事使用を認めるようになりました。ウランに関する疑問は解決していません。新たな問題が浮かんできたわけです。だからこんごの交渉のテーブルにはウランも乗せられるべきです。北朝鮮はいまはウラン利用の核武装の試みも認めたのだから、同協議中に他の五カ国に対し、それを否定していたことを、きちんと釈明する責務があります」

 (つづく)