さあ、挑戦的な考察と意見がアメリカ側から流されました。
いまの日本で天災の犠牲者や被災者を悼んで、被害を受けていない人たちが、種々の行事をキャンセルし、行動を抑制し、いわば喪に服すことの是非論です。
どの文化の規範からみても、喪に服すという概念が重視されることは確かでしょう。問題はその程度、範囲、内容です。
ニューヨーク・タイムズの記者たちは、日本のいまの「自粛」が日本経済の復興を妨げるという可能性を指摘し、「自粛」が過剰になっているのではないか、という疑問を提起しました。
いまの自粛が過多であるというような意見としては大阪の橋下知事の言葉が引用されています。
さあこの命題、いまの日本国民はいきなり「けしからん」と怒らずに、考え、論じてみる価値があるように思えます。
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「日本は自粛の脅迫観念に襲われた」
〔ワシントン=古森義久〕
米国の大手紙ニューヨーク・タイムズは28日付で「津波後の日本は自粛という新たな強迫観念に襲われた」という見出しの記事で、日本国民の多くが地震や津波の犠牲者への弔意から日常の活動を縮小するようになり国民経済への悪影響が懸念される、と報道した。
東京発の同記事はいまの日本では「地震、津波、原発で何十万という国民が被害を受けたことから被災地以外でも少しでもぜいたくにみえる活動はすべて非難されるようになった」と伝え、日本国民のすべての層が生活面での「自粛」をするようになったと報じた。
同記事はこの自粛がまず電力の節約という形をとり、日本国民が「電灯、エレベーター、暖房、トイレ座席の暖房まで停めるようになったが、その自粛は電気の領域をはるかに越えた」として、安売りカメラ店の客案内の音声やカラオケ店への出入り、櫻の花見、高校野球の応援、東京都知事選の候補の音声などまでが自粛され、大幅にトーンダウンしたと伝えた。
しかし同記事は日本のこの自粛が過剰になっていることを示唆しながら、企業や学校の行事のキャンセルは日本の経済全体の60%に及ぶ消費支出を大幅に減らし、「もともと停滞していた日本経済に浸食効果をもたらし、倒産を急増させるだろう」と述べている。論拠としては大阪府の橋下徹知事の「自粛の過剰は日本経済を傷つける」という言葉が紹介されている。
同記事はこの自粛を「国民的な強迫観念」と呼び、「東京都民にとっての自粛は被災地の人びととの連帯を示し、自粛をする側をなにかよいことをしているという気分にさせる安易な方法だが、当人たちは実際にどんな効果を発揮するかはあまり考えていないようだ」とも論評した。
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コメント
コメント一覧 (54)
もう三週間たったんですね。まだ三週間なのか。
あと三年もこうだと確かにきついかも。三か月後はどうでしょうか。
ただ、パチンコ店の駐車場はやはり一杯ですよ。音楽は控え気味です。店主にも客にもたぶんショックな犠牲者数ですから。
NYの被災現場でも大勢の人が来て泣いているのをTVで見て、どこも一緒なんだなと思いました。
喪が明ければ、タイムズの記者がたにも鎚音が聞こえますよ。
阪神淡路大震災のとき、罹災した神戸の友人が、交通手段が海路しかなく、JRや阪急阪神が復旧するまで船で通勤していました。その男がいうには神戸から大阪へ来ると違和感がある。25㎞もはなれていないの別世界のような感じがするとぼやいていました。
しかし、被災地が気の毒だからといっておなじようにシュンとしていれば、関西全体が、日本全体がそれこそ駄目になってしまうじゃないか、明日は我が身と思って今まで以上にがんばらねばというと、そういわれればそうだなと気を取り直していました。
会社の従業員も自発的に会社のトラックを貸してくれれば、休日や時間外に救援物資の輸送を手伝いたいといってきたので、燃料と経費は会社が負担すると言うことにしてOKしました。一段落したころ、関係機関から感謝状を戴きました。
こんどの大災害でも、各人それぞれ自分が出来ることはやり、それ以外は普段通り仕事や生活をつづけることに異論はないし、また、ふつうの日本人はそうしています。
うほ、どうもです(笑)。
例えが悪いけど、葬式が死者の為というよりは、残された者が生きていく上での儀式である様に、自粛とかは自己満足の一種だと思います。被災していない自分の後ろめたさを緩和する儀式に過ぎない。死者の分まで笑い、被災者の分までカネを使うべきです。被災地でも祭りやイベントを興して、参加する元気のある人には参加して貰った方がいいと思います。
また、年棒や月給で暮らしている人はいいけど、日銭や歩合で暮らしている人もいます。一年の内の特定時期の需要で営んでいる人もいる。そういう人を二次被災者にしてはいけません。
夜に稼ぐ飲食店などは、客が少なくて存続の危機ではないですか。帰路の確保の不安もあり、とりあえず家路につく人が多いです。
飲食店は、単価の期待できる夜に客が居なくては困ります。節約しなくても良いものまで節約しては、回るお金が無くなります。
自粛も行き過ぎれば委縮です。
未曾有の災害が日本を襲った。未曾有の被災者が被災地にあふれ、原発は深刻な事態に至っている現在進行形の災害が起きている。
この状態を脱し、再建を成し遂げる事が今この国に課せられた最大の課題でなければならない。
しかるにこの国の政府は、首相が危機だ危機だ戦後最大の危機だと国民に対し連呼し、政府がその危機に対して何の有効な対応が取れない。あげくのはてに、日本はこれまで幾多の危機を乗り越えてきた、みなさん頑張ってくださいと言うだけだ。政府としての強い意志が全く見えない。
多くの外国人が日本を脱出した。日本人ですら「疎開」を始める現象が出ている。自粛ではない、不安なのでなないか。政府が責任を持ってこの国を救うとは思えないのではないか。
一見無駄なような自粛から湧き上がるような
エネルギーが生まれてくるのです.
経済規模の縮小に繋げるかは工夫次第と考えます。
生活文化の方は誰でも参加できるのですから、二年位は不便に耐え、工夫を愉しんでみても良いかも知れません。私はエアコンの修理手配を面倒がって二年間エアコン無しの夏冬を耐え忍んだことがあるので平気ですなw
原発は所詮日本で採れない資源に頼るものですし、現存をすぐ止める必要はないですが、これを機会と捉えて、新たな発電の道を探ってみたいですね。
アカ新聞には言わせておけばいい。被災者のことを考え、共に復興するために、一定期間あってしかるべきだと思います。
花見のドンチャン酔っぱらいは見たくない…
これからの復活のバネにするために、気持ちを一つにするときだと思います。
時間の経過が最大の要因でしょうね。
ただその長さのどのへんで区分をするのか、です。
精神の問題となると、区分は不可能に近いでしょうが、経済効率という観点からだと、ある程度、科学的な判断基準が得られるのではないでしょうか。消費抑制が経済全体にどのような影響を与えるか、です。
公正を期すために述べるならば、この記事を書いた二人の記者はいずれも被災地を訪れてはいるようです。
白か黒かではなく、濃淡の問題でしょうね。
ただし経済効率という基準を持ち出された場合の日本伝統派の冷静な反論も聞きたいところです。
ニューヨーク・タイムズのリベラル偏向、とくに日本の安全保障政策や歴史認識に対する超偏向(日本が普通の国になろうとする努力を危険な軍国主義志向扱いするのです)に対しては私も批判の論評を何度も書いてきました。
しかし今回の記事は実は文中で日本側の識者たちの言をも多数、紹介して、自粛の過多のマイナス面に光を当てている点、日本側でも議論のテーマにしてよいのだろう、と思いました。
自粛しすぎると、二次被災者になっちゃうよ、ということですか。
記事の主眼は節電という次元を越えた領域での自粛のことのようです。
でもご指摘の点の明記は重要ですね。
自粛も行き過ぎれば、萎縮。
ごく自然な記述ですね。
でもいまそういうと、日本国民ではないように非難される傾向がもしあればーー全体としては、ないように思えますがーー好ましくないです。
ニューヨークタイムスは日本の同胞(パチンコ業界)への非難が困る?からかな。
心配しなくても大丈夫、
時が経てばスイッチ切り替わります。
それより全く自粛しなかったP業界、
やっぱ異民族、変ですよ。
東京は、東北出身の方や先祖が移ってきた方々が多いですから、関東で自粛ムードというのも理解できる話です。
経済が悪くなるというのは、大災害なわけですから、そうなるので普通で、自粛と関係あるのかないのか分かりません。
自粛とは無関係に円安が進行しています。ここんとこは死んだふりのほうがいいのかもしれません。
サッカー選手の三浦和良は、「とても明るく生きていける状況じゃない。でも、何か明るい材料がなくちゃ生きていけない」と自粛するのではなく、サッカーで明るさを提供すべく、「全力で、必死に、真剣に」プレーすると言っています。チャリティゲームにのぞむと言っています。
http://www.nikkei.com/sports/column/article/g=96958A9C9381969AE0E6E2E2828DE0E6E2E1E0E2E3E3EBE5E29FE2E2;df=2;p=9694E3E0E2E6E0E2E3E2EAEAE2E2
また、おちみちおは、自粛しないことがはたして「不謹慎」なのか、震災数日後にブログで考えていました。
http://ameblo.jp/ochimasato/entry-10830934123.html
個人的には彼らの意見に大賛成です。喪に服すことはもちろん重要、必要ですが、日本は日本だけで生きているわけではありません。節電の問題や福島原発が落ち着かいないこともありますが、これからの日本のためにも、不必要にいつまでも「地震」を理由に喪に服すのは賛成しません。
古森さんや我々の習性からして、人為での区分は難しいかもしれませんね。それこそ神のみぞ知ると言いますか....
ただ、経済は生き物でしょうから、血液が回らないと傷の治りを遅くしてしまうとの御指摘はその通りだろうと思います。
神意に委ねざるを得ないとは言っても、カズが一矢報いた昨晩のサッカーのように、会場に募金箱を用意してゲームするといった工夫を、一杯飲み屋のおばちゃんにも、バーのマダムにもお願いしたい気分です。「おあいその一割は、日本赤十字か産経さんに寄付させてもらいますよ」と。
「総理の一日」を見ても、10日までは連夜のように夫人同伴で高級寿司店・高級焼き肉店で英気を養っておられたのに、このところは引き籠っておられるようで気掛かりです。一割は朝日の募金コーナーに回るとなれば、視察する元気がもりもりとまた湧いてくるでしょう。
タクシーなども料金の一割が日本赤十字などに回るとなれば、乗車率が上がって、差し引きプラスにな…そうなるといいのですが
ボランティア担当補佐官には「前ソーリ、前ソーリ」とお小遣いの寄付を迫って貰いたいです。今回はピーナッツではないですが、ケーキ一個1500万円の計算で、4ケーキとか。
補佐官の腕なら、前代表にも沖縄はじめあちこちで仕込んだ土地を少し処分してもらえるかもしれません。
<成田の軍港化を許さない> <ベトナム戦争反対>と、募金を呼び掛けた友人らは60年代でさえ「一日で百万集まった」とか言ってました。今回は総計恐らく数百億円の寄付が寄せられるでしょう。
尤も復興には百兆単位のカネが要りそうだとか。何らかの方向がきちんと打ち出される時が、神意の退場期なのでしょうね。
ワシントンでも桜がほころびかけていることでしょう。
原発事故による電力使用ピークの低減は別として自粛することに合理的な利点は何もないと思うし、偽善の匂いすらするのですが。。。
萎縮する国民とその顔色をうかがう産業界だが、ハッキリいってしょうがないってか、そうなって当然と認識すべきだよ。
水の買い占めだって、本来なら政府は
「国民のみなさん、これまでの渇水対策を思い出してください。取水制限、断水の際はどうだったか。たとえ広域に及んでも、緊急時の水については、わが国には万全の備えがあります」
と言い切ればいいだけのハナシだ。じっさい、インフラもあるし何度も広域で断水してんだから。それを
「買い占めないでください」「ペットボトルを増産します」by 枝野
なんてな世の中を知らないガクセー丸出しのバカやってんだから、国民がパニックになって当然なんだよ。物資にせよ、輸送にせよ、事故対応にせよ、そうだった。少なくない国民は、量的な水の需給に不安を持ってんじゃなくて、政府のデタラメ対応のために引き起こされるパニックに不安を持ってるんだよ。
現政権の交換を考えないと、この先、阪神の二の舞になる!
愚かな政府のために、また自殺者が続出しちまうって!
前回は冷酷、今回は無能ってだけで、このままじゃ神戸と同じ結果を招きかねねェんだよ!
大枠での消費経済を停滞させることのマイナス面について何も米国の新聞に言われなくとも日本人には分っていることであり、余計なお世話というものでしょう。
また、日本経済をどんどん活発に動かさないと米国経済にマイナスだとストレートに言ってはどうでしょうか。
ニューヨークタイムズという偏向記事を書く歴史のある新聞の記事には、しっかり英文でクレームを出しておくべきでしょう。
憤りはごもっともです。
ただしこの記事は日本人の橋下知事ら、「過剰自粛反対論者」の意見をかなりの数、引用しているところがまったくの外人の勝手な見解ともいえないようです。
米国は多民族「多国籍」国家と言え、個人主義色の強い国でも有ります。
(勿論、徹底した自由主義と自己責任社会と言うことも示しています。)
一方、日本は少民族国家であり、国民の大半は原住民であり
一定数の価値観が共有されている国であり、在日外国人に
対してもその価値観が強く影響していると言えます。
所謂日本人は災害に依る大量死に対して楽観的に考えることが
できない民族性を持っているのでしょう。特に「死=穢れ」
と考える日本神道の思想影響が大きいと。
他人の死を他人事だと割り切れないのが日本人です。
だから「自粛」という現象が長く起きると。
(昭和天皇の崩御の時も自粛現象が起きました。)
当然彼らはラマダンという一種の断食行を儀式として敢行します。
勿論、ラマダンは苦行の側面がある上に、飲食ビジネス活動を
停止させ、人々の苛立ちを誘い、経済活動を著しく低下させる
マイナス面もあります。然し、それでもイスラム教徒たちは
決してラマダンの教えや習慣を止めないでしょう。
イスラム教徒は何故ラマダンを敢行するのか?そこには
イスラム教の教えの一つ「貧しい人々などに対する考え」が
有るからだと思われ、決して理屈では無いと思われます。
イスラム教徒は経済効率と引き換えにはラマダンを止める
ことはできません。日本人の「自粛」も似たような理由でしょう。
これは「国家」「国民」の一種の個性で有ります。
日本人の自粛ムードについて考えていて、ふと「村八分」のことが頭をよぎりました。なぜ八分なのか。十分ではないのか。
ずっと昔に読んだので間違っているのかもしれませんが、仲間外れをするにしても、全部つまはじきにするのではなく、「死」と「水害」は別、つまり、家族が死んだり災害にあったりという「悲しみ」は、いかなる時も共有すというのが日本の地域社会の基本だったようです。
記事を書かれた記者さんは被災地に行かれたようですが、本震に続く余震の息が詰まるような怖さはご存じない。テロに立ち向かったアメリカの方々は立派だと思いますが、今現在の日本と同等には語れないと思います。
日本人であるならば弁えるべきものもあります。
日本人を知らない海外の方々が日本を心配してくれる気持ちも分かりますが,心配しなくても日本人は立ち上がるときを弁えています。
但し,同じ日本人とは思えない民主党や菅政権。大企業の社長や重役たち。さらには多くのマスコミが日本人の心を既に失っている可能性は高いです。
本当の日本人であれば四十九日を終えた後にやるべき事も弁えているはずです。
自粛自粛と
なぜ?自分のことだけを考える?自分の事ばかりを考える?
福島や仙台そして岩手の人々を招待してあげろよ。
一緒に花火見たり桜見たりしながらおいしい物一杯食わせて慰労してやれよ。
元気を付けてやれよ。励まして応援してやれよ。
なぜ?こんな簡単な事が分からない?
少なくとも被害を受けていない県や政令指定都市は併せて30以上はあるはず。
春夏秋冬と四季の折々に,これら30以上の県や政令指定都市が3千人ずつでも被災民を各市町村自治体のイベントに招待して共に苦しみを分かち合いながらも,共に復興の決意を新たにし誓い合い励まし合うことは財政的にも可能なはず。
そうであったこそ一つの国家としての統合がより強固なものになるのです。
さざれ石の精神を今こそ日本人は思い出さなければいけません。
確かに今の自粛はやり過ぎな感じは否めないですね。
でも自粛の振り子もようやく少し戻りつつあるような気がします。
暫くすると、反対側に振れて活況になるのではないでしょうか。
日本のテレビCMも震災直後は公共広告ばかりになりましたが、
最近は徐々に他のCMが増えつつあるようです。
四十九日が過ぎる頃には残された人々も心を整理しなければなりません。
きっとその頃に、電力供給の枠の中でも今の心の空白を埋め戻すように
徐々に元気を取り戻していくのだろうと思います。
>hhondaさん
>
>うほ、どうもです(笑)。
>例えが悪いけど、葬式が死者の為というよりは、残された者が生きていく上での儀式である様に、自粛とかは自己満足の一種だと思います。被災していない自分の後ろめたさを緩和する儀式に過ぎない。死者の分まで笑い、被災者の分までカネを使うべきです。被災地でも祭りやイベントを興して、参加する元気のある人には参加して貰った方がいいと思います。
>
>また、年棒や月給で暮らしている人はいいけど、日銭や歩合で暮らしている人もいます。一年の内の特定時期の需要で営んでいる人もいる。そういう人を二次被災者にしてはいけません。
ーーー
独創的な発想です。
『被災地』と『非被災地』に分ければいい。
『被災地』には物資も人も電気も無い。
だから動けないんだ。自粛してる訳じゃない。
西日本の電気は周波数違いで使えないし。
『非被災地』は普通以上に経済活動を進めればいい。
復興特需ぐらいの気合いでやればいい。
ちなみに関東ももちろん東京も『被災地』です。
テロと天災とでは対応を同じ次元では語れないというのは、そのとおりでしょうね。
東京が被災地だとすると、非被災地との区分が難しくなりませんか。
あついは大船渡市と東京都を同じ被災地とするわけにもいかないでしょうし。
揚げ足取りではありません。
素朴な疑問です。
連鎖倒産・連鎖失業が広がるでしょう。
都知事が花見をするな、といったとのことですが、私は反対ですね。
今こそ命ある者は、花を見て何かを感じなければならない。
家族や仕事仲間との絆を確かめねばならない。
バカ騒ぎしてんじゃないよ、と言う言い方なら賛成ですが。
石川遼クンが、今年の賞金は全て寄付するといったとか。
何もそこまですることはないですが、若さゆえでしょう。
そこがうらやましいし、感動します。
彼は喪に服すことで貢献するのではなく、
仕事をすることにより貢献しようとしています。
直接の被害者でなければ、私はそうすべきだと思います。
甘党は萩の月で、辛党は東北の酒と笹かまで・・・
某かの力がある人なら、今は東北に仕事を振る配慮を。
本来は政府は「小さい政府」であるべきですが、
今は国家的危機なので、あくまでも期間限定で、
復興消費税のようなものを1~2%程度付加し、
消費こそが復興につながる仕組みをつくるのも手ですね。
逆に安心して消費することができて、
日本の風土に合う仕組みかもしれません。
更新ありがとうございます。私も以前からNYTの反日的編集方針には辟易しています(科学欄は素晴らしいのですが)。古森様の意図は十分理解した上で、最初に申し上げるならば、不敬NYTにその様なことを言われる筋合いは無い、と言う事でしょう。NYTの真意は「うだうだしていないで、さっさとアメリカ製品を買い(復興事業にも参加させろ)、アメリカへの部品を調達し、TPPへの参加を表明しろ」と言う事だけでしょう。
さてNYTの批判はさて置き、過剰な自粛が経済的にマイナスなのは明らかです。ただ、今はまだ日本人には「喪」の時期なのです。現在進行形です。しかしその中でも、しっかりと復活への胎動が始まっているのも確かです。橋下知事の過剰自粛反対論しかり、藤井聡 京都大学大学院工学研究科教授の参議院予算委員会公聴会での答弁にある「日本復興計画」しかりです。人の感情・性格はそれぞれ故に、まだ悲しみのただ中にいる多くの国民の中にも、次を見据えて気合いを入れ直している人々もどんどん増えて来ると思います。この多様性が素晴らしい。
日本国民が「喪」から「供養」へと移行できた時点で復活の叫びが響き渡るのではないでしょうか。石原都知事は花見の自粛を要請した訳ではなく花見の気分になれないと言ったのです。至極真っ当な感想です。しかし私個人としては、猪瀬さんにでも是非とも知事を花見に誘って頂きたい。当然「バカなことを言うな」と知事に言われるでしょうが、「供養膳を用意してあります。知事には強靭な精神を持って率先して供養の先頭に立って頂きたい」と説得すれば如何でしょうか?期せずして犠牲になられた同胞のための花見はきっと心打つものがあるはずです。是非とも桜の下で、日本の復活・復興を祈り誓って頂きたい。
古森様はさんざんNYTに反論を書かれているそうですが、在アメリカ大使館・総領事館の反撃が生温い気がするのは、私だけでしょうか?NYTの悪名高いピューリツア賞夫婦受賞ジャーナリスト(夫人は中国人)クリストフ記者が、「 中国による尖閣諸島の領有権主張には揺るぎない歴史的根拠がある」とのコラムをこの1月に書いた時も、「佐藤悟外務報道官名の反論文が27日付同紙に掲載された」と産経が報じていたので原文を当たってみると、何の事は無い、単に日本の歴史認識を短文にまとめているだけで、非常にお行儀がよろしい。反論するなら、せめてもう少し突っ込んだ、相手の主張を明確に否定する史実を明示し、クリストフ記者が「揺るぎない歴史的根拠」としているものが、明白な捏造である事を示すべきです。更に言えば、中国政府が根拠としているもの全てに付いて、Q&A方式で、分かりやすく論破する表でも作って配信するべきです(韓国に対する竹島の主張に付いても同様です)。なぜこんな素人でも思い付く事もやらないのでしょうか?
クリストフ記者のコラムにはコメントを付けられる様になっており多数のコメントが文字通り世界中から寄せられていますが、大半が中国系と思われる中国擁護の内容です。中には台湾で英語教師をされている方の様に、日本の主張を代弁されている意見もありますが、少数です。 在アメリカ大使館・総領事館の職員はまめに日本の主張を繰り返しコメント欄に書き込む様な事をどうして広報の一環として日課としないのでしょうか?忙しいのかも知れませんが、日本の国益を守るために必要なのはこうした地道な活動だと思うのですが、如何でしょうか。現状は、声の大きい中国や韓国の主張が世界中で大きな顔をしています。嘘八百を並べているにも関わらずです。
喪に服すことは重要ですけれど、生産的な活動をいちはやくフルに復活させることも、同様に大切だと思います。生産によって国も社会も人間も成り立っているわけですから。
日本の在米外交官がアメリカの大手メディアに反論をするためには、外務省の本省の許可が必要です。あるいは首相官邸の意向までが、大きな要素となります。出先の外交官の一存ではできません。
本国政府がどんな対外発信を求めているかによります。
自民党でも小泉、安倍、麻生各政権のころはわりに明確な発信メッセージがありました。
この点も「政治主導」の内容が大きく発信を左右するのです。
菅政権が対外発信を積極果敢にすると思いますか。
現地の日本人外交官も日本の司令塔で動くのです。
>あついは大船渡市と東京都を同じ被災地とするわけにもいかないでしょうし。
このようなコメントを頂くことがとてもショックです。
申し訳有りませんが、この先、議論が全くかみ合いそうにないので
特に何もコメントせず失礼します。
お騒がせしました。
私は日野市住民ですが「東京が被災地」ってのは呆然ですね。
自粛による不景気を除けば、日常はほぼ変わりなく続いています。
電力不足のことならば「奇禍」と捉えず「奇貨」と捉えたいですね。東京は電力不足下で如何に工夫して繁栄を続けていけるかの壮大な実験場だと思っています。将来的に絶対プラスになります。
>今は国家的危機なので、あくまでも期間限定で、
>復興消費税のようなものを1~2%程度付加し、
>消費こそが復興につながる仕組みをつくるのも手ですね。
ビッグ・フロント大前先生もそんな事を言っていますが、素直に考えると、消費税を付加すると、さらに消費が落ちるんではないでしょうか。。。公共性の薄い電気料金を値上げして、その分を復興に回す方が良いのではないかと。工場なんか難しいですけど。
>王マイゴッドさん
>ビッグ・フロント大前先生もそんな事を言っていますが、素直に考えると、消費税を付加すると、さらに消費が落ちるんではないでしょうか。。。公共性の薄い電気料金を値上げして、その分を復興に回す方が良いのではないかと。工場なんか難しいですけど。
私の言わんとしたところは、消費税を上げるべしということではなくて、
こういうときに自粛してしまう国民性ならば、
上げたら逆に、一助になれば、と考えて、
消費してくれるようになるかもね、
という感想です。
ところで今日の夕刊を見ていたら、政府は復興のために、
所得税も法人税も消費税も増税するようなことを考えているようですね。
経済と言うのはめぐりめぐる金のことですから、
だから減税が経済を活発にし税収が増えたり、
増税が経済活動を縮小させ税収が減り失業が増えたりします。
だからといって必ずそうなるわけでもないので、
綿密なシミュレーションをして結局どうなのかを判断しなければならないのですが、
この政権ではそんな考えは何も無く、
日本経済をおとしめることしか出来ないのではないか、
と危惧してしまいますね。
国民の気持ちしだいですからね。
私は小泉氏を高く評価していますが、彼なら例え消費増税しても、
これで東北を復興するのだ、みな遠慮せずどんどん消費してくれ、
そしてこの国難を乗り切ろうと訴え、国民を鼓舞すれば、
本当に日本は正のスパイラルに乗り、
復活していくと思いますよ。
菅にはそれがないですね。
どんな形でも増税は逆効果の可能性が高いと思います。
私は増税よりも明確に「復興国債」を興した方が良いと思いますね。
今回の復興支援にしか使用しないことを前提とする国債(まぁ誤魔化しようはあるんだろうけどね)。利率がかなり低い国債、しかしながら、引受けると氏名や会社名が残る国債(まぁどっかの Web+データベースシステムに入れとくだけですが)。
心意気で名誉を購う実は相当生臭いモンで、買わないと逆圧力が掛かりかねない問題を孕んでますが、結構有効だと思いますね。
>現地の日本人外交官も日本の司令塔で動くのです。
丁寧な解説をありがとうございました。こうなるとすぐさま衆議院の解散に持ち込んで、非民主政権を作り新体制で復興作業に当たると言うのがベストかも知れませんね。管政権は存在していても決断はしないは、邪魔はするはで、少なくとも選挙をやっても今まで以上に復興が遅れる事は無いでしょうから。
粉雪が舞う被災地を、祈りをささげながら歩く僧侶=4日午前、岩手県山田町
http://www.47news.jp/photo/170726.php
http://www.47news.jp/photo/images/TR2011040400056.jpg
2.大地震が起こり
3.大津波が襲い
4.原発が複数過酷事故で放射能を撒き散らし
5.円安津波が日本全体を覆いつくそうとしている。
今回はこれまでとは違う。全く違う。
日本人は放射能と共存して生きていかなければいけない。
そういう時代に入った。
そういう時代に入ったからこそ下記のような事実がとても重要なのだ。
<寺失い法衣なくても…被災僧侶、再起の読経>
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20110405-OYT1T00600.htm
> 津波によって寺を失い、住職の父親と後継ぎの長男の行方が分からないながらも、家族を失った被災者のために再起した僧侶がいる。
> 「少しでも、被災者の心を癒やすことができれば」と、避難所暮らしをしながら読経を続けている。
> 室町時代に創建された曹洞宗の寺院で、町の中で最も古い寺の一つとされる。海岸から約500メートルと海に近いが、1960年のチリ地震津波でも被害はなく、津波の避難場所になっていた。
今回の大震災でもお年寄りら約100人が避難。大萱生さんは裏山へ逃げるよう呼び掛けたが、足腰の弱いお年寄りら約30人は境内や本堂に座り込んでいた。
> 地震から約30分後、「津波だ」。裏山に避難していた長男の寛海ひろうみさん(19)が、慌てて駆け降りて来るのが見えた。その直後に庫裏の壁から黒い水が噴き出してきた。濁流は本堂やお年寄りらをあっという間にのみ込んだ。
> 生き残りはしたが、本堂は炎に包まれ、鉄骨だけの無残な姿になった。
> 幼なじみで檀家だった50歳代の男性が避難所を訪ねてきた。両親を失っていた。「法衣や数珠がなくても構わない。お前に葬儀をやってほしいんだ」。そう言われ、目が覚めた。今こそ、被災者のために働かなければならない。落ち込んでいた自分を恥じた。
> その後、散り散りになっていた檀家の人たちから連絡が入るようになり、火葬場に出掛けたり、遺族宅に出向いたりして読経を続けている。
核爆発が起きたのと同等の被害が地震と津波で起きている。
そして放射能。。。。
The Day After (1983) Part 10
http://www.youtube.com/watch?v=Ut1YesGQaUI#t=05m45s
でも負けないように頑張っている人たちもいる。