さあ、挑戦的な考察と意見がアメリカ側から流されました。

 

 いまの日本で天災の犠牲者や被災者を悼んで、被害を受けていない人たちが、種々の行事をキャンセルし、行動を抑制し、いわば喪に服すことの是非論です。

 

 どの文化の規範からみても、喪に服すという概念が重視されることは確かでしょう。問題はその程度、範囲、内容です。

 

 ニューヨーク・タイムズの記者たちは、日本のいまの「自粛」が日本経済の復興を妨げるという可能性を指摘し、「自粛」が過剰になっているのではないか、という疑問を提起しました。

 

 いまの自粛が過多であるというような意見としては大阪の橋下知事の言葉が引用されています。

 

 さあこの命題、いまの日本国民はいきなり「けしからん」と怒らずに、考え、論じてみる価値があるように思えます。

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 「日本は自粛の脅迫観念に襲われた」

〔ワシントン=古森義久〕

 

 米国の大手紙ニューヨーク・タイムズは28日付で「津波後の日本は自粛という新たな強迫観念に襲われた」という見出しの記事で、日本国民の多くが地震や津波の犠牲者への弔意から日常の活動を縮小するようになり国民経済への悪影響が懸念される、と報道した。

 

 東京発の同記事はいまの日本では「地震、津波、原発で何十万という国民が被害を受けたことから被災地以外でも少しでもぜいたくにみえる活動はすべて非難されるようになった」と伝え、日本国民のすべての層が生活面での「自粛」をするようになったと報じた。

 

 同記事はこの自粛がまず電力の節約という形をとり、日本国民が「電灯、エレベーター、暖房、トイレ座席の暖房まで停めるようになったが、その自粛は電気の領域をはるかに越えた」として、安売りカメラ店の客案内の音声やカラオケ店への出入り、櫻の花見、高校野球の応援、東京都知事選の候補の音声などまでが自粛され、大幅にトーンダウンしたと伝えた。

 

 しかし同記事は日本のこの自粛が過剰になっていることを示唆しながら、企業や学校の行事のキャンセルは日本の経済全体の60%に及ぶ消費支出を大幅に減らし、「もともと停滞していた日本経済に浸食効果をもたらし、倒産を急増させるだろう」と述べている。論拠としては大阪府の橋下徹知事の「自粛の過剰は日本経済を傷つける」という言葉が紹介されている。

 

同記事はこの自粛を「国民的な強迫観念」と呼び、「東京都民にとっての自粛は被災地の人びととの連帯を示し、自粛をする側をなにかよいことをしているという気分にさせる安易な方法だが、当人たちは実際にどんな効果を発揮するかはあまり考えていないようだ」とも論評した。

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