日本の大災害救済へのアメリカの支援を改めてまとめてみました。
日本ビジネスプレスの私の連載コラム「国際激流と日本」のレポートの転載です。
第一回分はアメリカでも最高水準の捜索救助隊が被害も最も激しかった地区のひとつ、大船渡市で活動して、帰ってきたときの模様です。
なお原文へのリンクは以下です。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5754
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深夜の午前3時だというのに、数百人もの家族が広大なホールをぎっしりと埋めつくしていた。ホールは熱気にあふれ、こんな時間なのに子供たちがにぎやかに声をあげ、駆け回っている。
ワシントン近郊のバージニア州フェアファックス郡の救急センターである。みんなが、日本の大船渡市での捜索活動を終えて戻ってくる捜索救助隊の帰りを待ち受けていた。3月20日の未明である。
全米でも有名な「フェアファックス郡捜索救助隊」74人は、東日本大震災に襲われて大被害を受けた岩手県大船渡市に送られていた。日本政府から米国政府への要請を受けて、地震と津波の発生から3日後の3月14日には、もう現地入りしていた。
フェアファックス郡捜索救助隊は、瓦礫や土砂の下に埋もれた被災者を探知するエキスパートたちである。瓦礫を除去する強力なクレーンから、特殊なハイテクの各種センサー、捜索犬までを装備し、救助の専門家に、医師や科学者までを含めた一隊だった。
ミッションは埋もれた被災者の捜索と救助
三沢米軍基地から特別軍用機で近くのダレス空港まで飛んできた救助隊の一行は、まもなくバス2台で救急センターに到着した。作業服にブーツのままの、たくましい男女たちだが、みなやはり疲れて見える。
待ち受けた家族からは、大きな歓迎の声が起きた。しかし、一行は家族との再会も後回しにして会議室に入り、総括の報告会に臨んだ。
ロバート・ゾルドス隊長が、「今回は行方不明の被災者を発見することはできなかったが、生存者の確認や被災者への物資供与で成果があった。みなよくやってくれた」と結んだ。
後で同隊長に個別に話を聞くと、もう少し詳しく説明してくれた。
「大船渡では津波で人間がみな流されてしまったため、市街地に埋もれた人間を見つけるという、本隊が最も得意とする作業は、残念ながら成功しなかった。
だが現地には4日間滞在し、被災地をいくつもの区画に分けて、各区画にもう人間が絶対にいないことを確認していく作業で貢献ができた。今回の津波の惨禍は、これまでの多くの任務と比べ、対処が最も難しかった」
(つづく)
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コメント
コメント一覧 (5)
速攻で救助に来てくれたのならと思いますね。
勿論彼らが遅れたのでは無くて当時の政権が彼らの到着を遅らせた
のですが(怒り)
逆にいえば彼らの能力を以てしても救助の数が上がらなかった事は
如何に今回の震災が言語を絶するような規模で有ったかを物語る
ものですな。津波の分が阪神大震災の数倍とも言えるほどの
犠牲者や被害を出したとも言えますから(合掌)
津波が無かったのが不幸中の幸いとは阪神大震災被災者の
共通の認識の様です。そう言わざるを得ないほどの今回の
大震災の凄ましさです。
お疲れになったことでしょう。
心から感謝いたします。ゆっくり疲れをお取りください。
(合掌)
貴コメントを読んで、はっとしました。
フェアファックス郡捜索救助隊は当時もすでに世界最高レベルの捜索救助隊として機能していました。
当時の日本の政権がOKすれば、多くの人命が救われていたかも知れませんね。
私自身も彼らに何度もお礼を述べたけれども、まだまだ謝意としては不十分だと感じました。藤崎大使は彼らの全員に個別に礼状を出したいと、ちらりともらしていました。
沖に流された数人を救った他はほとんど救えず
どの国の救援隊もTSUNAMIの壮絶なパワーに
絶望を覚えたようですね。
それはそれですが
やはり、来ていただいた方や国々には
領土問題を持ち出した一部の国を除いては
素直に感謝したいです。