「大震災と日米同盟」という題の私の講演記録の続きです。

 

 米軍の支援について語っています。

 

 この米軍の支援が最初は日本側にほとんど報道されなかったのは、なぜなのか。

 

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そんな状況のときに起きた日本の大震災でした。

 

 この稀にみる巨大な自然災害にアメリカはどう反応したのか。

 まずこの天災の規模の大きさ、犠牲者の数の多さへのショックです。世界でも最も豊かな部類の、インフラなどの整備の最も進んだ、いわゆる先進国の日本での数千人単位の死者というのは、アメリカからしても、信じられないほどの異様な事態です。気をつけて物言いをせねばなりませんが、バングラデシュやアルバニアというインフラの遅れた国での死亡者多数という天災とは受け止め方が違います。日本での大地震、津波、そして原子力発電所の破壊、とくに放射能の漏れは原発の拡張的な建設を本格的に再開し始めたアメリカにとっても、重大な関心事です。アメリカのマスコミは、日本の大災害を最大限の重大ニュースとして連日連夜、大きく、そして詳しく報道し、、論評し続けました。

 

 アメリカ側の反応は全体として日本への強い連帯を感じさせる、実に心温まる内容でした。アメリカで暮らし、働く私たち日本人のだれもがそのアメリカの官民の善意と同情に満ちた日本への支援や激励には感動させられた、といっても決して過言ではないでしょう。その実態を客観的に日本側に知らせることは、アメリカに滞在する日本人の責務であるかのようにさえ感じます。アメリカにはそれなりの意図があるのだ、というようなシニカルな見方も、もちろんできるでしょうが、現地での見聞では少なくとも私は、そうした斜めに構える受け止め方をとるべきだという材料にはまったくぶつかりませんでした。そのアメリカの対応をいくつかの領域にまとめてお話しします。

 

 まず第一はアメリカの軍や政府を主体とする日本への物理的な救援活動です。米軍は沖縄を含む在日米軍や第七艦隊を総動員して「トモダチ作戦」という救援、支援の活動を展開したことは、すでにご存知のとおりです。米軍は大震災からわずか1週間ほどの間に、合計2万数千人もの陸海空軍の将兵を日本救援活動に投入しました。海軍では原子力空母の「ロナルド・レーガン」を主体に合計20隻以上が三陸沖などに出動しました。ヘリコプターや水陸両用車両を動員して、日本側の避難地点合計90ヶ所近くに人道支援物資300トン以上を送りこみました。海兵隊では沖縄駐留の第31海兵隊機動展開部隊がヘリ約20機、水陸両用車両約150台を投入し、震災から10日ほどの3月22日一日だけで医薬品約8000箱、毛布2300枚を送りこみました。空軍も輸送機を動員し、被災地に必要な発電機、ポンプなどの大型機材をピストン輸送し、一日平均200トン以上の貨物を運びました。陸軍では約500人が支援活動に参加し、被災者たちに毛布を数千枚単位で提供しています。ちなみに毛布について述べるならば、アメリカ全体では寄贈が2万5千枚、さきほど申しあげたように沖縄駐留海兵隊だけで一日に2300枚、一方、中国が国全体として毛布合計2000枚ほどを寄贈したという報道をみました。毛布の数のこのコントラストは米中両国の支援の規模比較としては象徴的です。

 

 仙台空港に米軍の工兵隊がパラシュートで降下して、寸断され、水びたしの滑走路を一日で復旧させたという話も広く伝えられました。しかしその他の米軍の小部隊が多数の被災地で孤立した病院や集落にヘリコプターで種々の支援を提供した話は米軍側では報告されても、日本側のメディアで報じられることは少なかったようです。米軍のこうした救援活動には国防総省は即座にまず3500万ドルほどの緊急予算を組んでいます。しかし、このトモダチ作戦はその巨大な規模と敏速さにもかかわらず、アメリカ側も当初はきわめて地味な発表しかせず、日本側ではあまり報道されませんでした。

 アメリカ側が自国の状況をも踏まえて最も懸念した福島原発の放射能漏れに対してはアメリカ政府の原子力専門家50人ほどを日本側にスピーディに送りこみました。原子力規制委員会から10人ほど、エネルギー省からは40人ほどだったそうです。こうしたアメリカの軍や政府の大模で敏速な支援はやはり日米同盟の堅固な機能を感じさせました。同盟相手だからこそ軍隊を自由に動員しての支援活動だったといえます。(つづく)