新しい本の紹介です。
1970年代から80年まで外務次官や駐米大使を務めた東郷文彦氏の伝記ですが、その中心は日本への米軍核持ち込みについての「密約」と東郷氏がどう取り組んだか、となっています。
おもしろい本です。
著者は日本経済新聞の特別編集委員の伊奈久喜記者です。
ユニークで鋭い論評で知られる伊奈記者のコラム記事などは、このブログでも何回か紹介してきました。
本書では私がライシャワー元駐日大使にインタビューして得た「ライシャワー核持ち込み発言」も出てきます。この発言で明らかにされた「密約」への対処が東郷氏の主要任務だった時期もある、というのです。
同書に以下の記述がありました。
「ライシャワーは1981年5月9日、ボストン郊外ベルモントの私邸で『毎日新聞』の古森義久記者のインタビューに応えた。5月18日付『毎日新聞』一面トップ記事の冒頭部分を引用する(以下、略)」
東郷文彦氏は私が海外特派員として初めて南ベトナムのサイゴンに赴任したとき、南ベトナム駐在の日本大使でした。そしてその後、ワシントンに最初に赴任したときにも、東郷氏は駐米大使でした。しかし私は新米特派員だったこともあり、同氏と直接に接触したことはほとんどありませんでした。日本外務省とはそのころあまり接することがなかったという背景もありました。
しかし伊奈氏はこの東郷氏の外交官としての軌跡をとてもおもしろく描いています。
コメント
コメント一覧 (6)
伊奈氏は、政治部出身のワシントン特派員経験者の中では、政局的視点でなく国家的視点から日本外交や日米関係を深く論評できる数少ない「外交記者」だと思います。
核密約を含む沖縄返還交渉を検証するにあたり、最近は若泉敬氏の動きが注目され、著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』を原作としたドラマまで制作されました。たしかに、若泉氏のスリリングな非公式外交は物凄くドラマチックですが、沖縄返還交渉の一方的な側面のような印象がありました。
やはり、公式外交の責任者だった東郷氏の動きも検証することにより、沖縄返還交渉の全貌がはっきりすると思います。
まさに的を射たご指摘だと思います。
伊奈氏への評価、そして、沖縄返還の歴史的な考察について、です。
吉田茂から、岸信介、池田勇人そして佐藤栄作と
戦前の「日本精神」を保持していた「有能な官僚」が、保守本流の政治家の下に於いて、日本國家の為に、身命を賭して働く。
幕末で云えば、これぞ「忠臣」といえる。
「日本國家の為に働く」忠臣、という日本の伝統なのだ。
「安保改定、沖縄返還交渉」を実現する事、行動する事、これが平和という事だ。
為に、佐藤栄作は「ノーベル平和賞」を戴いた。
今時の、「反戦平和という怠惰な空想的空疎なスローガン」とは全く次元が違う。
沖縄の人たちも当時は明確に日本国への再帰属を欲していたという事実は、いま多様な光彩を放つようです。
昨夜、戦時およびその前後の外交官、重光葵の伝記を読み終えた所です。
さっそく今度は戦後、日米同盟下の外交官について読んでみようと思います。
私は、プロパガンダでも何でもなく、第二次大戦は大東亜戦争であり、
植民地として搾取されるアジアの解放戦争であったと思っていますが、
その大義を実態として世界に知らしめた重光の功績に打たれました。
だからこそ、戦争に勝ったといえども連合国は、
引き続き植民地として隷属化させる大義など持てる訳はなく、
建前だけの開放ではもはや目覚めたアジアを収めることなどできず、
各国の独立と自治を認めていかざるを得なかったのだと確信しています。
そして戦後、日本は米国とともに自由民主主義陣営として共産独裁と戦い、
しかも勝利したことは歴史の必然でもあり誇るべき歴史だといえるでしょう。
大東亜戦争に勝るとも劣らない日本の輝かしい大義ある歴史であった。
私は真の問題は冷戦後の日本にあると考えています。
冷戦時、国内であってもミギとヒダリは戦っていたが、
冷戦後は勝ったミギは戦争をやめたが、ヒダリはやめなかった。
これが冷戦という、武力では戦わない戦争の不正常な終わり方だった。
共産サヨクのデマゴーグにより、慰安婦だお詫びだ謝罪だのと、
ペコペコとバラマキでお茶を濁すばかりでごまかし続け、
アジアの独裁弾圧体制を終結させることができず、
内実として冷戦を終結させられなかった。
そのツケを今払わされているのでしょう。
言葉の政治利用、つまりプロパガンダやデマゴーグが左翼はきわめて上手ですね。反左翼、非左翼も見習うべきです。