拉致問題に関しての注目すべき集まりが開かれます。
「救う会」などからの発表です。
北朝鮮に拉致された日本国民がなお生きているとみるにたる十二分の根拠があるということを焦点としたセミナーです。
(横田めぐみさん)
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★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2011.11.30)12/10国際セミナー「拉致被害者はなぜ生きていると言えるのか」 開催 家族会・救う会・拉致議連は、12月10日(土)東京・都市センターホテルで、「拉致被害者はなぜ生きていると言えるのか」をテーマに国際セミナーを開催します。 以下はその概要です。 ■12/10国際セミナー「拉致被害者はなぜ生きていると言えるのか」開催 ◆国際セミナー概要 家族会・救う会は今年、「生きているのになぜ助けられない!」というスローガンで活動してきましたが、その根拠となる「なぜ生きていると言えるのか」をテーマに、下記により拉致議連とともに国際セミナーを開催し、西岡力救う会会長等専門家が報告します。 また、韓国では今年、韓国人拉致被害者申淑子(シン・スクチャ)さんが、「統営(トンヨン)の娘」として、日本における横田めぐみさんのようなシンボルとして関心が急浮上し、韓国民に北朝鮮の本質を正確に伝える新たなきっかけになるだろうと言われています。併せて朝鮮戦争時の拉致問題、戦後の拉致問題も大きく報道されました。 この国際セミナーでは、申淑子さんの夫の呉吉男(オ・ギルナム)さんと共に救出運動を行っている金美英(キム・ミヨン)前韓東大学教授を招聘します。 なお、呉吉男さんは経済学を専攻する学者(博士)で、ドイツ留学中の1985年に北朝鮮にだまされて家族とともに北朝鮮に入国しました。しかし、1986年に、ドイツで韓国人を拉致するよう指令された時、妻の申淑子さんは、「私たちはこうなってしまったが、他人を巻き込んではならない」と、拉致された夫が拉致に加担させられることに反対し、夫だけでも脱出させようとしました。呉吉男氏は北朝鮮から西ドイツに入国する途中、コペンハーゲンで工作員を振り切っ て脱出しました。後に、北朝鮮の燿徳(ヨドク)収容所から脱北した人が、申淑子さんと二人の娘を見たと証言しています。 また、脱北者で、元北朝鮮統一戦線部の幹部の張哲賢(チャン・チョルヒョン)氏を招聘します。北朝鮮の工作機関の内情について最も詳しく知る脱北者です。2002年9月の日朝首脳会談前に、金正日が拉致を行った工作機関等の幹部を集め、それぞれ何人拉致したか等を聞き取り対応を協議しています。同氏は、その時北朝鮮がどのような協議を行ったかにも詳しい人です。 以上 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ ■野田首相にメール・葉書を 首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。 下記をクリックして、ご意見を送ってください。 [PC]https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html [携帯]https://www.kantei.go.jp/k/iken/im/goiken_ssl.html?guid=ON 葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 野田佳彦殿 ■救う会全国協議会ニュース 発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp 担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp) 〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905 カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会 みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
コメント
コメント一覧 (3)
>後に、北朝鮮の燿徳(ヨドク)収容所から脱北した人が、申淑子さんと二人の娘を見たと証言しています。
そうなると分かっていてもつらい話です。私だったら逃げたかどうか。
>妻の申淑子さんは、「私たちはこうなってしまったが、他人を巻き込んではならない」と
凛としておられる方です。今の日本には「女子」と称する正体不明の、甘えることしか能のなさそうな女どもしかいないようです。
確かに「もし自分だったら、どうしたか」という自問は答えをみつけるのが難しいですね。
でもこうした形にせよ、北朝鮮による拉致という事態が話題になることはプラスだと思います。
追記
上で私だったら逃げたかどうかと書きましたが、これはその男性を非難する意味は全くありません。誰かを不幸にするのはよくないと判断なさった点は立派だと思います。
私なら、誰か他人と家族の犠牲を秤にかければ、家族のほうを選ぶかもしれません。北朝鮮への拉致を手伝ったとしても、拉致されたその人は生きているわけですから。
しかし、それにもかかわらず逃亡と投獄を選ばれたということは、規範や道徳に従い守るという、我々日本人が失ったものをお持ちだということでしょう。