アメリカを訪れた中国の習近平国家副主席はそれなりに注目を集めましたが、迎える米側では熱気はどこにもみられませんでした。

 

 実務的な外交訪問としては、一定の目的を果たしたといえましょうか。

 

 そのへんの実際を産経新聞の高畑昭男記者がうまく書いています。

 

 高畑氏がさらに強調したのは、この習近平氏、2年ほど前に小沢一郎氏のごり押しで天皇陛下とのご会見を強引に実現させた当事者だったことです。忘れてはならない記録です。慣例を破ってのわりこみ会見とあって、なんとも嫌な後味を残したものです。

http://megiya.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/12/16/akihito_xi_ping.jpg

 

                          ======

【明日へのフォーカス】論説副委員長・高畑昭男 「友」と呼ばれなかった習氏


 

 中国の次期最高指導者と目される習近平国家副主席の「米外交デビュー」が終わった。

 

 その習近平氏が数少ない訪米演説の中で、「友人を評価する真の基準は言葉でなく、行動だ」というジョージ・ワシントン初代米大統領の格言を引用したのが目を引いた。

 

 訪米3日目の15日、ビジネス関連の友好団体が首都ワシントンで主催した昼食会での演説だ。「重要政策演説」と銘打った割には約15分と短く、中国側報道などによると、米国に「一つの中国」政策を守り、台湾やチベットなどの「核心的利益」の尊重を行動で示すよう求めた。

 

 従来の中国の主張と比べて「スタイルは違っても中身は同じ」と評した米メディアもあったが、「互いの利益を尊重しなければ、信頼は築けず、両国関係も危うい」と警告する文脈で冒頭の格言が使われた。

 

 習氏にすれば、「中国の友人でいたければ、中台問題やチベットの人権問題などに口をはさむな」といいたくて、初代大統領の格言を持ち出したのかもしれない。

 

 しかし、興味深いことは、米側に「友人」として習氏に向き合う動きがなかったことだ。演説を報じた米主要メディアでも、この格言にまで触れた記事は見当たらなかった。

 

 習氏はオバマ大統領らとの会談や国務省で開かれた歓迎昼食会での公式発言でも「友人」を連発した。これに比べ、政権側ではクリントン国務長官が「米中間の友情」に言及したのを除き、習氏に親しく「友人」と呼びかけた人はいなかった。

 

 習氏が引用した格言は、いうまでもなく互いに「友人同士」でなければ成立しない。だが今の米政界は大統領選という熱い「政治の季節」のさなかにある。オバマ氏に限らず、中国やその次期最高指導者を「友人」と呼ぶのは政治的自殺行為に等しいという事情もあっただろう。

 

 平たくいえば、習氏が「友人」や「友情」をテコに米国に外交的圧力を加えたくとも、米政府、米政界には習氏を「友人」と呼ぶ基盤は存在しない。そんな「片思いの現実」が今回の訪米で見えたように思う。

 

 オバマ氏は中国を「戦略的パートナー」とし、ともに「21世紀を形成する関係」と位置づけて「前向きで協力的で包括的な関係」を目指す戦略・経済対話を重ねてきた。

 

 しかし、そのことと、例えば日米同盟のような「同盟・友好」の関係とはおのずから違う。東日本大震災時の日米共同作戦がごく自然に「トモダチ作戦」と命名され、両国民を勇気づけたこととは対照的だ。

 

 ちなみに、ワシントン初代大統領には「自らの評判を大切にしたければ、良質の友を持つべし。悪い仲間と組むよりは孤独のほうがましだ」という格言もある。今の中国に対する米国の政治感覚は、こちらのほうがずっと近いのではないか。

 

 習氏といえば、日本では芳しからぬ記憶がある。鳩山由紀夫政権下の平成21年12月に訪日した際、小沢一郎・民主党幹事長(当時)がルールを無視して天皇陛下との特例会見を実現させたことだ。与党の権勢をかさに着たごり押しは友人を増やすどころか、正反対の結果を生んだ。

 

 中国にも「己に如(し)かざる者を友とするなかれ」(自分よりひどい人物を友にするな)という「論語」の格言がある。真の友人を選ぶのは難しい。生兵法で米国の格言を使う前に、習氏は孔子に学ぶべきだったかもしれない。