TPP推進論を島田晴雄氏が正面から説いています。

 

【正論】千葉商科大学学長・島田晴雄 増税の次はTPPで成長実現だ


 

 

 

 最近、伊藤憲一氏が主宰する日本国際フォーラムの勉強会で、韓国の自由貿易協定(FTA)政策について韓国経済研究院長、崔炳鎰博士の話を聴く機会が あった。韓国はこれまでもシンガポール、チリなどとFTAを結んでいたが、米国や欧州連合(EU)とのFTAの発効をはじめ、中国との交渉入りなど極めて 積極的に自由貿易協定戦略を展開している。環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加問題で手間取る日本としては、韓国がなぜ国際自由貿易戦略で“ブレー ク”しているのか知りたいところだ。

 

 ≪韓国は金融危機でFTAに舵≫

 崔博士によると、転機は1997年の金融危機を踏まえた金大中大統領の決断だったという。資金流出が止まらない危機の中で、金大統領は世界市場で国家の 信用を回復する手がかりとして主要な国々と自由貿易協定を結ぶ“新思想”を打ち出した。実現への道のりは険しかった。農業部門の反対など政治的ハードルは 高かったが、可能性のある国々と粘り強く交渉が続けられ、10年前後してようやくシンガポール、チリなどと一連の協定が成立した。

 

 2003年、後継の盧武鉉政権は担当大臣も新設して、戦略的に日米など大国との自由貿易協定をめざした。日本との協定は実現しなかったが、韓国は今や、 世界市場の61%を占める経済圏とFTAを結ぶことになり、貿易依存度の高い国ならではの経済的メリットがあるほか、国内競争が刺激されて経済効率が高ま り、国際政治上のプレゼンスが高まるなどの利点も意識されているという。

 

 農業部門の反対に、韓国政府は農家の所得補償や転業支援など手厚い政治コストを負担しても、自由貿易戦略を追求しないことの代償の方がいかに大きいか を、ロードマップを示して国民に説き続けた。大国とも小国とも協定を実現して、今や、どの国とも交渉する自信と用意があるという。

 

 ≪日本も存亡の淵から反転を≫

 韓国のこの経験は、国家存亡の危機に何とか活路を見いだすべく必死の決意で大戦略を構想し、それを懸命の努力で一歩一歩実現してきた国家のリーダーシッ プの貴重な教訓を示している。韓国は大統領制だからできる、議院内閣制の日本では望むべくもないという議論もあるかもしれない。

 

 だが、韓国の“IMF危機”ほど急激ではないかもしれないが、日本の近年の状況は、タイタニックのように巨船が静かに傾いて沈みつつある様相を呈してい る。20年近くもデフレが続くのは明らかに深刻な病状であり、国際的地位の低下は歴然としている。首相の政治生命が1年もないという国家の欠陥が政治制度 のせいなら、制度を変えればよいではないか。制度も法律も国民のためにあるのであり、私たちは制度や法律のために生きているのではない。

 

 韓国ほど貿易依存度は高くないが、国際交易は日本の生命線だ。野田佳彦首相は昨年11月に、「TPP参加のための協議に入る」と言明した後、積極的な意思表明はない。日本の動きを見ていたカナダやメキシコがむしろ先行し、日本は取り残される状況だ。

 

 関税と貿易に関する一般協定(GATT)東京ラウンド交渉を手がけた岡本行夫氏は、国際協定は創設メンバーとして参加するのが鉄則だと言う。遅れて加わ ると情報もなく既定条件をのまされるのがオチだからだ。交渉は人間がすることなので、相手を知り信頼関係を築くまで時間がかかる。やろうと思ったら国際交 渉は政府の専管事項だから、一日も早く交渉を進め条約案を国会の承認にかけるべきだ、と岡本氏は言う。

 

 ≪農業も医療も競争と改革必要≫

 野田首相の今の最優先事項は消費税引き上げであり、その一事でも大政局になりそうな不穏な空気の下で、その火中にTPP問題を投げ込むわけにはいかない ということかもしれない。首相の心労と苦労には同情せざるを得ないが、最前線で戦う首相の背後で、TPPを含め次や、その次の改革戦略を構築している強力 な参謀機能があるのかどうかが心配だ。

 

 あるなら、自由貿易や投資促進は国内経済構造の効率化、強化になるという韓国当局者の認識を引き合いに出すまでもなく、農業や医療など市場開放や自由貿 易に反対する部門こそ、規制と保護の代わりに開放的な競争と改革を導入すれば、将来の日本の戦略的な成長部門になれるという展望をしっかり描いてほしいと 思う。

 

 米作農家の大半は零細兼業で高齢化している。減反と保護をやめて、彼らが農地を大規模農業者に貸し地代収入を得、健康、環境、観光農業など非産業農業で生き甲斐を見いだせるようになれば、産業農業は生産性が飛躍的に高まって輸出農業にさえなれる。

 

 医療は情報化の遅れが競争力と質の劣化を招いている。情報化と情報開示を徹底すれば効率と質は大きく高まるはずだ。TPPに参加してこそ、その恩恵を輸出拡大で享受できる。正念場に立つ野田政権は次の戦略も準備し、改革の信念を貫いてもらいたい。(しまだ はるお)