ロンドン五輪もいよいよフル回転です。

 

スポーツ自体は政治とは無関係、そして個人と個人の競い合いとはいえ、参加者はすべてどこかの国の一員です。自国を背負って晴れの舞台に登場するわけです。勝者のために演奏されるその国の国歌、そして掲揚される国旗をみても、オリンピックはこの世界での国家という存在を改めて鮮明にします。

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ところがこの現実を必死に否定しようと試みる勢力の一角が朝日新聞です。

 

「個人が背負う『看板』はもはや国家ではなく、国境のないグローバル社会なのだ」

 

こんな記述はそれを書いた朝日新聞記者の願望あるいは妄想にすぎません。

オリンピックで個人が背負っているのは国家です。観衆もおそらくそんな妄想の持ち主を除いては、みな自国の選手を応援しています。国家という区分は厳存するわけです。

 

日本に足を置く個人なり、団体が国家を否定すれば、まずその否定の対象となるのは日本国です。日本という国家の否定の意図が浮かび上がります。朝日新聞のオリンピック利用の反国家キャンペーンはそんなことを感じさせます。そして不思議なことに、中国の実情を報じたり、論じる際はそんな国家否定の傾向は決してみせません。

 

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さあ、このへんをどう読むか。

 

ともあれ、ロンドン五輪に戻って、国家否定のそんな試みをみごとに論破した一文が今朝の産経新聞に出ているので、紹介します。

 

【朝刊 1面】


【くにのあとさき】東京特派員・湯浅博 それでも五輪が大好きだ


 

 五輪の開会式を見るたびに、4年ごとに国力が変わる「大国の興亡」や、政権崩壊による「小国の盛衰」を感じることがある。

 

 2008年北京五輪は、これでもかという絢爛(けんらん)豪華な歴史絵巻だったが、ロンドンは「自然回帰」を織り込んで爽快だ。五輪を演出する大国の技は、出ずるを制する知恵なのか。次はメダル獲得数で、運動量と知恵で国力を競うことになる。

 

 途上国や分断国家の盛衰もさまざまだ。リビアは独裁者カダフィを追い出して11カ月が過ぎた。柔道男子66キロ級のクイサ(23)は「心からスポーツを 楽しめる国になった」とメディアに答えた。リビアだけでなく「アラブの春」を迎えたチュニジア、エジプト、そしてシリアの選手たちの戦いぶりが気にかか る。彼らは国家の盛衰をまともに受けて、資金不足と練習不足をどう補うのか。

 

 「五輪が国境をなくす」と考える人々を、今回もロンドンは裏切ることになるだろう。南北融和の象徴である韓国と北朝鮮の合同行進は、途切れたままで五輪 の効用も利かなかった。「平和の祭典」とはいえ、テロ対策として地対空ミサイルの配備や戦闘機の待機など、武力の支援なしには開催もできない。

 

 外国人コーチを招いたり、外国企業をスポンサーとする傾向をもって、「五輪参加の選手が背負う“看板”は国家でなく、国境のないグローバル社会だ」などというきれい事は成り立たない。

 

 2000年のシドニー五輪の開会式でも、インドネシアから分離直後の東ティモールから参加した選手が印象に残っている。ボクシングのラモス選手で、インドネシア国旗の呪縛から解放されても、この時はまだ、国旗の使用は許されない。開会式には五輪旗を掲げて行進した。

 

 すでに30歳のボクサーは、反撃もできずに1回戦で敗北した。それでもラモス選手は「独立した国と人々に感謝したい」と満足そうだった。五輪に参加できたことで、彼は改めて祖国愛を確認していた。

 

 このときも、「国家から解き放たれて」と妙な論評があった。ラモス選手が五輪旗を掲げていたことや、オーストラリアのフリーマン選手が部族の「アボリジニ旗」でウイニングランしたことを指している。

 

 だが事実は、ラモス選手の五輪旗は、まだ国連暫定統治下で国旗を許されなかったからだ。フリーマン選手は部族の旗を掲げたが、同時にオーストラリア国旗も持っていた。彼らはむしろ、国家にも部族にもこだわっていたのだ。

 

 それを無理に、「スポーツが国家から解放されていく」と書くとは腹黒い了見である。なんとしても、脱国家と結びつけたいらしい。

 

 今回の「なでしこジャパン」の対カナダ戦でも、テレビ解説者が「90分のナショナリズム」と表現した。試合時間が計90分かかるところから、その間の熱狂を捉えた。

 

 五輪で日の丸が振られると、「健全なナショナリズム」と表現する心理と共通しているように思える。政治家の靖国神社参拝や国旗国歌の尊重を「偏狭なナショナリズム」と批判するための差別化である。

 

 そんな偏狭なメガネで見ずに、国別の大運動会として楽しめばよいではないか。五輪は矛盾と悩みを抱えつつも、新たなパワーとドラマを生みだしてきた。そんな五輪の祭典が日本人は大好きなのだ。

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