朝日新聞の9月18日朝刊に若宮啓文主筆が書いた奇妙な記事についての論評を続けます。

 

 論題は尖閣諸島問題です。

 この記事はコラムのようですが、社説にも等しい主張ふうになっています。

 その全体の見出しは「日中最大の危機 外交尽くせ」「尖閣と反日」となっています。

 

 では以下はその原文の第二番目に当たる部分の紹介です。

 

 私の基本の疑問は若宮氏がなぜ中国側の主張ばかりを後生大事に日本人の読者に向けて伝えるのか、という点にあります。

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「歴史への恨みなお」 

 

「(前略)暴力の恐怖をともなう中国の現状はひときわ深刻だ。日系の百貨店などが次々に襲われ、経済の打撃も計り知れない。

 

 理解を超える暴動の背景に中国社会の 抱える大きな矛盾や愛国教育があるのは疑いない。経済や軍事力の急伸長で民族感情は高ぶり、一方の日本では停滞する経済に加えて政治が混迷をくり返す。 『日本、なにするものぞ』の空気にモヤモヤした日常の不満が結びつき、中国政府も抑えがきかないのだろう。政権交代期の難しさもある。

 

 見すごせないのは『日清戦争で奪われた島を取り戻せ』といった論評が中国メディアに目立ち始めたことだ。韓国における『独島』と同様、過去の歴史に対する消えない恨みが、いま領土問題の形で表れている(つづく)」

 

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 さて上記は長文のコラム記事の冒頭から4分の1を過ぎたあたりです。若宮氏の中国での反日デモに対する認識を書いているわけです。

 

 この部分の若宮氏の記述には少なくとも3点の大きな欠陥があります。

 この欠陥は過失か故意か、後者であれば、この文章全体が意図的な日本の世論への目くらましということになります。

 

 さて第一の欠陥です。

 この文章では今回の反日デモや暴動が中国政府の扇動や指導で実施されたという事実がまったく無視されています。各都市での反日デモの警備にあたる警官たちが実は集会や破壊行為まで仕切っていたという現実は同じ朝日新聞の報道でもいやというほど伝えられています。現に反日デモの停止を当局が命令したら、すぐ止まったではありませんか。

 

 進出の日本企業が多い大連市ではふしぎなことに反日の活動はなかった。それはなぜか。実情を同じ朝日新聞の記者が現地から書いています。

理由は当局が止めたからでした。このように中国の「反日デモ」は共産党当局が水道の蛇口をひねるように、コントロールしているのです。ときどき反日の矛先が共産党政権に向きそうになったりすると、蛇口はぴたりと閉められます。

 

 しかし若宮氏はこの反日があたかもまったくの民衆からの自然発生の現象であるかのように報じています。

 

 第二の欠陥はなにか。

 若宮氏はこの反日の暴動の無法性の非難や暴力性への糾弾をまったく述べていません。日本側が受けた被害や打撃への同情の念も示していません。

 

 今回の反日行動は中国当局がONのボタンを押したからこそ起きたのです。一度、当局がOKとなれば、人民レベルでは日本はいつも悪者ですから、反日の行動はすぐにスタートします。

 

 しかし当局が最初からその反日デモを抑えようと決定していれば、絶対に抑えられたはずです。中国の独裁メカニズムとその効率のよさをちょっとでも知る人間ならば、すぐわかる真実です。

 

 中国当局は領土問題という外交案件に対し中国領土内の日本の企業などに実害を及ぼす暴力を自国民にふるわせたのです。こんな無法こそ、まず厳格に非難されるべきです。それが若宮氏の一文にはまったくなく、日本側の被害者に光を当てることもしません。暴力を叩き、その排除の主張こそ、社会の公器たる新聞のまず最大優先の責務のはずです。

 

 それなのに若宮氏はやたらと中国側の「社会の矛盾」などに同情的な言及をして、中国側の暴力への奇妙な理解をみせるのです。

 

 第三の欠陥はなんでしょう。

 それは中国側の「歴史カード」の悪用です。

 

 若宮氏は尖閣問題に「日清戦争で奪われた」という歴史を持ち出してきます。記述としては中国側がそう主張していることの紹介ですが、結果として中国の主張の好意的な代弁だといえます。「抗日戦争」という用語も使っています。尖閣を日本がいま保持するのは、日清戦争や抗日戦争のためだとする中国側のプロパガンダの繰り返しです。それらの戦争は悪だったのだから、日本には尖閣保有の歴史的な資格がない、というわけです。

 

 領有権紛争に歴史がからむこと自体はそう不自然ではないでしょう。しかし中国が尖閣の主権の根拠に歴史を使うのならば、日本も同じ歴史を使って、尖閣の領有を証することもできます。日本にも尖閣の領有を証明するための歴史的な事実があります。「歴史カード」です。

 

 しかし若宮氏はここでは中国側の「歴史カード」を振り回すだけなのです。

日本側の「反省」や「謝罪」を狙ってのことでしょうか。、

 

 若宮主筆の一文にはこれほどおかしな諸点が多いのです。

 

(つづく)