こんな話を記事にしました。
【外信コラム】ポトマック通信 大外刈りの猛者
2012年09月26日 産経新聞 東京朝刊 国際面
私の通う「ジョージタウン大学・ワシントン柔道クラブ」では数少ない日本人メンバーだった高橋晋也氏が、米国人たちの仲間に惜しまれて去っていった。三 菱重工の社員でワシントン地区の系列企業に出向していた高橋氏は2年ほど前に外交官の前田雄大氏に連れられて入門してきた。
ただし高橋氏はすでに当クラブの常連だった前田氏が黒帯だったのに、まったくの初心者だった。成人の日本人が外国で柔道を初めて習うのは珍しく、当クラブでは10年ほど前にその後に仙台市長となる梅原克彦氏がいたくらいだった。
高橋氏はこの2年、毎週1、2回、練習に通い、実に熱心に柔道に励み、そしてめきめき強くなった。まだ20代の後半で身長185センチ、東大野球部の投手 だったという体力も大きかった。技の方は当クラブの師範の宮崎剛八段が熱心に教えた大外刈りが専門という豪快な柔道だった。
午後9時半の練習終了後に「会社にもどって仕事だ」などと、よく語っていた高橋氏は日本への転勤で去る。送別会は米国人の男女に囲まれ、ピザと飲み物だけとはいえ、盛大だった。
「ここの柔道は明るく楽しく、本当にいつもさわやかでした。普通なら会えない外国の種々の職業人との交流も有益でした」
高橋氏はそんな別れの言葉を述べるのだった。(古森義久)
ただし高橋氏はすでに当クラブの常連だった前田氏が黒帯だったのに、まったくの初心者だった。成人の日本人が外国で柔道を初めて習うのは珍しく、当クラブでは10年ほど前にその後に仙台市長となる梅原克彦氏がいたくらいだった。
高橋氏はこの2年、毎週1、2回、練習に通い、実に熱心に柔道に励み、そしてめきめき強くなった。まだ20代の後半で身長185センチ、東大野球部の投手 だったという体力も大きかった。技の方は当クラブの師範の宮崎剛八段が熱心に教えた大外刈りが専門という豪快な柔道だった。
午後9時半の練習終了後に「会社にもどって仕事だ」などと、よく語っていた高橋氏は日本への転勤で去る。送別会は米国人の男女に囲まれ、ピザと飲み物だけとはいえ、盛大だった。
「ここの柔道は明るく楽しく、本当にいつもさわやかでした。普通なら会えない外国の種々の職業人との交流も有益でした」
高橋氏はそんな別れの言葉を述べるのだった。(古森義久)
コメント
コメント一覧 (3)
運動部のなかでも とくに野球部の連中は運動神経がよいのが多く 大学の野球部出身ならなおさらです。上達もはやいでしょう。最もタフでパワーがあるのはラグビー部出身者で 柔道というより実戦のケンカむきです。
私の叔父(故人)に 講道館の4段で早大ラグビー出身者がいましたが 若い頃は銀座あたりでヤクザや進駐軍相手にかなり暴れていたそうです。
オーバーすぎるというのはご指摘のとおりです。
実はこの写真はワシントン柔道クラブのウェブサイトからコピーした一枚で、大外刈りらしき左の技を見せているのは、記事中の高橋晋也氏ではないのです。
技(というより基本の動き)をみせているのは最近まで当クラブのコーチ役としてきていた拓殖大学柔道部OBの阿知波秀和氏です。
阿知波氏は子供のころから柔道をしていた本格派で、確か3段です。
当地の大学院を終えて、いまは日本の一流企業に就職しています。
失礼しました。