日本の憲法が日本という主権国家の要件をいかに奪い、安全保障面での自己不信をいかに表示してきたか。

 

 そしてその結果、自分自身の手足や心までを縛りつけることになってきたか。

 

 その報告を続けます。

 

 日本ビジネスプレス「国際激流と日本」からです。

 原文へのリンクは以下です。

 

 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36830

国際激流と日本

なぜ「憲法が日本を亡ぼす」のか

ようやく国際的な現実に追いついてきた憲法改正議論

                     =======

 軍事力は、使わずに保つだけでも効用が大きい。もし特定の利権や領土などを獲得するために日本への侵略や攻撃を考える国があれば、当然、その実行に 踏み切った場合のコストを事前に考える。日本側から反撃を受け、大きな被害を受けることが確実ならば、日本への攻撃を再考するだろう。それが抑止の効用で ある。

 

 一方、日本が日頃から一切の軍事力も持たず、攻撃を受けても反撃はしないことが確実ならば、日本から何かを奪おうとする国は、軍事攻撃の可能性をほのめかして、威圧すれば、目的を達せられるのだ。

 

 軍事衝突を避ける絶対確実な方法は、相手の要求に応じることである。降伏してしまえば、戦争が起きるはずはない。

 

 こうした日本の制約は、世界でも異端の自縄自縛と言えよう。純粋な自衛のためだけといっても、現実の紛争ではその定義は難しい。外国の軍隊が明ら かに日本の尖閣諸島に軍事攻撃をかけてくる準備をしていても、その所在が日本領のちょっとでも外であれば、日本側は普通の自衛のためでも、予防のためで も、軍事行動は取れないのだ。

 

 憲法第9条は、そもそも日本が自国の領土や国民の生命を守る当然の権利を規定していない。自衛の権利さえきちんと認めていない。そのための日本軍 や国軍の存在を認めていないのだ。「外敵から自国を守る」という責務を負わない、あるいはその責務を曖昧にしたままの国家は、国際的な現実からすれば主権 国家の名に値しないだろう。

日米同盟の強化への障害となる「集団的自衛権」行使禁止

 日本憲法のこの特異性は、同盟相手の米国からも公然と指摘されるようになった。具体的には「集団的自衛権の行使禁止」への批判である。

 

 集団的自衛権とは、自国の安全や利害のために他国とともに自衛の軍事行動を取る権利を指す。同盟相手の米国との共同防衛行動、あるいは国連の平和 維持活動での他国の軍隊との共同防衛行動の権利である。国連も憲章でその権利の存在を明確にしている。世界のどの国も固有の権利として保有するし、自由に 行使もできることになっている。

 

 ところがいまの日本は集団的自衛権は「保有はするが、行使はできない」とされている。憲法第9条の規定や精神を考えれば、「行使はできない」というのだ。

 

 その結果、日本の自衛隊は日本領海の1キロ外で日本防衛のために活動する米海軍艦艇が第三国の攻撃を受けても、支援はできない。北朝鮮が実弾ミサ イルを日本の方向に発射しても、その標的が日本だと確定できない限り、ミサイル防衛で撃ち落としてはならない。日本上空をかすめて、明らかに米国領土に飛 んでいくミサイルを阻止してはならないのだ。阻止すれば集団的自衛権の行使になるからだ。

(つづく)