アメリカ映画「エンペラー」についてです。
この映画に彩りを添えるのは、アメリカ軍人と日本女性の恋愛です。
日本ビジネスプレス「国際激流と日本」からです。
原文は以下のリンクです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37396
国際激流と日本
アメリカ映画が描いた昭和天皇
「エンペラー」を見て実感した日米関係の成熟
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ただし同元帥としては天皇を被告として追及すれば、日本側は一斉に抵抗し、戦争がまた始まることになると判断する。だから、できればなんとか天皇を 有罪扱いにはしたくない、と考えている。フェラーズ准将の必死の調査もその方向を目指して、天皇が開戦の決定には直接には関わっていなかったことを証する 事実関係をなんとか見つけようとする。
このへんまでは歴史上の事実に沿った展開ではあるが、そこに明らかにフィクションのラブストーリーが大きくからんでくるために、映画全体が人間的 な感じを強くする。米国側の要人も日本側の要人もみな実在の人物たちばかりを並べているとはいえ、映画の直接の原作は小説である。
その小説が描き出すフェラーズ准将の恋は一途な純愛なのだ。フェラーズ氏が日米開戦のずっと前に米国の大学で知り合った日本人女性を、廃墟のようになった戦後の日本で探そうとするのである。
日本人女性は戦前の米国への留学生で、若きフェラーズ氏と恋仲になる。女性は戦争前に日本に帰るが、彼が日本を訪れ、再会する。だが日米両国の対 決が2人を引き離し、戦争が起きる。そして占領下の日本では、フェラーズ准将は天皇の戦争責任について調査する大任務を引き受けると同時に、かつての恋人 の行方を必死で探すのである。
映画では、戦争行為自体については日本を攻撃するだけでなく、欧米諸国のアジア植民地支配や米国の日本への無差別爆撃に対する批判的な言葉も述べ られる。日本側の要人が「もし他国の領土を武力で奪うことが犯罪ならば、欧米諸国はみな日本よりもずっと先にその罪を犯してきた」などと語るのだ。
米軍の1945年3月の東京大爆撃の模様も詳しく描かれ、戦後の日本側要人がその爆撃を非難するという場面もある。そしてなによりも、日本側の登場人物たちが天皇をはじめとしてみな人間らしくまともに描かれていた。
(つづく)
コメント
コメント一覧 (8)
>日本と米国が恩讐を乗り越えて本当に友好的な同盟国同士になったようだと・・
先の日米戦争は、本当に人種、文明、宗教、歴史、言語を超え、お互い偏見もある中でも真っ正面からの壮絶な戦いであったからこそ、相手の力を認め、敬意も払い、戦後の和解も進んで行ったのだとつくづく思います。日本はアメリカの底力を認め、アメリカも異文明の日本がただものでないことを認識したのだと思います。
その後の日本占領統治において、「廃墟のようになった戦後の日本」で日本人が一度の暴動やテロも起こさず、ヤミはあっても誇りを持って整然と行動したことにも再認識を強く感じたのではないでしょうか。それは一昨年の東日本大地震でも世界に感銘を与えたのと同じ心性が続いていることで再び世界に示しました。
そして、その中心にやはり天皇陛下がおられ、自らマッカーサーの前ですべての罪を自らがかぶる覚悟を述べられ、国民への寛大な措置を要請したことには驚きの気持ちがあったことでしょう。実際は天皇陛下の戦争への関与は敗戦の受諾を指示したことだけだったのです。その後、天皇陛下は全国津々浦々に行幸に出られ、暴動が起こるだろうというGHQの予想に反して大歓迎を受けたことにも驚愕したのでした。
やがて、朝鮮戦争が始まり、マッカーサーも日本の兵站基地としての重要性と戦前の日本の大陸方面でやってきたことの意味をやっと理解したのでしょう。それがマッカーサーが解任された後の米上院での「日本が戦争に突入したのは、自国の安全保障のためであった」という東京裁判と正反対の証言に現われたようです。
日本の主要都市すべてがほぼ完全に廃墟になったにも関わらず、10年足らずで復興し、ついに19年目には東京オリンピックを開催できるほどになったのです。本当にこれほどの復興への力を日本が持っていることには、世界を再び驚愕させたことは想像に難くありません。
ところで、2020年には東日本大震災と福島原発事故から10年の節目でもあり、再び日本の復興の姿を示し、環境問題の最先端を行くオリンピックの開催を是非やってほしいものです。それがまた災害と戦乱に苦しむ世界の希望にもなるのです。オリンピックは東京という都市の開催ですが、世界地図的に見れば東京と福島の距離などわずかなものです。
この映画が「日本側に甘すぎる」という評が出るぐらい日本側の心情にも立った内容だそうですが、アメリカも本当に懐の深い国なのですね。我々もアメリカ人となら分かり合えるのだと思わせますね。これに対して、中国共産党や韓国など中華圏三国は年を経るほどに反日の度合いをエスカレートさせるのですから、改めて全く逆だと思わせますね。
私もこの種の対象に接するとき、日本人であることを意識しすぎるぐらいの傾向があると自認しているのですが、それでもなお、なにか心温まる気分でこの映画を見終わりました。
『併合』の名が示すとおり、緒戦の日本軍の勝利に熱狂し、日本軍への志願に殺到した朝鮮人。
共に、自国の歴史を正直に語れば、現在の政府のウソがばれてしまいます。
真実を描けなければ、人を感動させる物語も作れません。
せいぜい国威発揚の虚構を生み出すのが限界です。
その意味で中国北朝鮮はもちろん、韓国も自由民主国家ではありえない訳ですよね。
そして、そういった真実を描き出しかねない芸術や文化というのは政治的に危険なものとして国家が統制せざるをえないのです。
この3国家に芸術文化が育たないのには理由があるんですよね。
(支配者があれこれ口を出して、表現にタブーを設け、それを犯した表現者には命の危険すらある国々では文化が生まれようがありません。)
日本が正面切って戦ったアメリカ、イギリス、フランス、オランダ、オーストラリアがそういった国々ではなかったことに感謝したいと思います。
どの国に於いても、戦争の『正義』なんていかがわしいものですが、そんなものに頼らなくとも歴史を語れる日がきっと来る、と確信できる材料にこの映画はなってくれそうですね。
中国で普遍的な魅力のある芸術や文化がなぜ育たないのか、私も北京の2年間の居住で十二分にわかりました。
To 古森義久さん
> josh-88 さん
>
>中国で普遍的な魅力のある芸術や文化がなぜ育たないのか、
中国の大学や学界で、
中国の思想(共産主義思想も含む)、も含めて「世界の思想」や「日本の思想」
を比較検討する研究の「人々」は共産党中国国家によって認められていないんでしょーね、きっと。
それで、地下に潜って、研究している人はいるかもしれない。
ドストエフスキーに「地下生活者の手記」という本があるが、
評論家の小林秀雄は、これを高く評価していましたね。
共産党独裁のほかに、模倣の風習が独特の文化の発想を妨げていると思いました。自分で創作するより他人の魅力ある創作を真似すればよい、という傾向です。その話を中国人の有名な音楽家から直接に聞きました。
> ドストエフスキーに「地下生活者の手記」という本が
<訂正>
ドストエフスキーに「死の家の記録」という本が