日本のナショナリズムについての私の意見発表です。

 

 第二回目です。

 

 アメリカの日本研究学者たちを前にしての英語でのスピーチでした。

 

 

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全体としてみると、この愛国心もナショナリズムも、きちんと定義づけられた言葉の構成要因はみな文句なしにポジティブ、つまり前向きで あるのに、日本に対してナショナリズムという用語が使われたときは、ネガティブ、つまり後ろ向きで、負のニュアンスをにじませるような意図が感じられま す。これは奇妙なことです。

 

ナショナリズムという言葉がなぜ日本に対して使われるときには、ネガティブになるのか。

 

それは日本への適用の場合、よく『民族的ナショナリズム』と称される排他的意識や優越感という現象がことさら指摘されるからなのかもしれません。

 

そしてまたナショナリズムの概念はその国のパワーを対外的に投射するためや、影響力を拡大するための戦略の目的として国民の感情を煽り立てる際に、政治的に利用されることも、ときどきあります。国内のトラブルから国民一般の目をそらすためにも利用されることがあります。

 

ナショナリズムはまた国内の団結を強めたり、特定の政権への忠誠を強めたりするためにも、人工的に創り出されることもあります。この種の目的に使われるナショナリズムは『政治的ナショナリズム』とか『政治的に濃縮されたナショナリズム』と呼ぶこともできるでしょう。

 

しかし全体としては、現代のナショナリズムを構成する要因のほとんどは、全世界では一般的に受容され、しかも肯定されているといえます。たとえば自分の国への愛や、その国の国民であることへの誇りの表現をみてみましょう。

 

世界の圧倒的多数の諸国では、自国への愛情の表現は受け容れられ、むしろ奨励されているといえます。しかし日本ではそうではないのです。

 

戦後の日本のもっとも顕著な特徴の一つは、ナショナリズムの拒否であり、国家意識の希薄化です。この傾向を『日本の反ナショナリズム』と呼ぶこともできましょう。その傾向に関して、まず具体的にみえる部分から眺めてみましょう。

 

日本は自国の国旗が公共の場に掲げられている数では、国民一人あたりの国旗数で測れば、おそらく全世界で最少でしょう。現代の日本国民 の大多数は祝賀の機会でもなお自宅に国旗を掲げることを避けるといえます。特定の公立学校教員組合のメンバーが多い学校の教師たちも、卒業式や入学式での 国旗の掲揚になお抵抗をみせます。それどころか教師たちの多くは生徒たちに国旗への敬意を表さないことを積極的に教えてきたのです。

 

日本国民の多くが国歌に対して同じような態度をみせます。戦後の公立学校の教員たちは国歌斉唱を伝統的に拒み、自分たちの生徒にも歌わ ないよう奨励してきました。戦後教育を受けた最初の世代に近い私自身も小学校では国旗や国歌に尊敬の意を表明しないことを教わった記憶があります。

 

戦後の早い時期にはアメリカのように自国の旗に忠誠を誓うことなど、まったく考えられませんでした。現在でもなおそれは変わっていませ ん。私自身の個人的体験を再び語るならば、アメリカにきてアメリカの学校の生徒たちが星条旗に忠誠を誓っている光景を初めてみたとき、衝撃を受けたもので した。

 

私は当時、二十二歳、まったく初めてのアメリカ訪問で、西海岸のシアトルのワシントン大学に留学した際でした。

 

私の日米両国間のギャップに派生する同様の衝撃は、何十年ものつい最近、十九歳の日系アメリカ人少女の物語によって再現されました。実 際にはこの少女は『I am 日本人』という二〇〇六年に封切りされた日本映画に登場する人物なのです。この映画はフィクションとはいえ、実際の人間たち の体験をモザイクのように組み合わせた内容なので、興味深かったのです。

 

この映画は衆議院議員に当選し、文部次官に任命されたこともある人気の高い映画スターの森田健作氏によって制作されました。私はたままた最近、成田からワシントンへと飛ぶ飛行機内でこの映画をみて、意外なほど明快で新鮮な内容に驚かされました。

 

まったくの偶然ではありますが、この映画の主人公の若い女性も前述の私の留学先シアトルで生まれ、育ったという設定でした。この女性は 日本の大学に留学するのですが、周囲の日本人の級友たちは日本の国旗にも、国歌にも、まったく敬意を表さないのです。彼女は仰天し、ショックを受け、当惑 し、怒り、そして級友たちに向かって、「一体なぜ、なぜ、なぜ、なのよ」と叫ぶのです。

 

映画のメッセージは、アメリカ人からみての日本の若者たちの『国家 意識』の顕著な欠如を示すことにあるようです。

 

もちろん一国のナショナリズムの広がりの度合いを、単にその国の国民たちが国旗や国歌にどのように面するかだけをみて判断することはで きません。

 

しかしそれはみることは一般的傾向を測る指針にはなるでしょう。この点について、いまの日本では『国家意識』や『民族アイデンティティー』の広 範な不在を示す世論調査や学術研究など証拠類は豊富に存在します。

(つづく)