私の著書の書評が出ました。

 

 拓殖大学日本文化研究所の「新日本学」という雑誌です。

 評者は福井県立大学の島田洋一教授です。

 以下、その内容を紹介します。

 

 

いつまでもアメリカが守ってくれると思うなよ (幻冬舎新書)

 

 

拓殖大学日本文化研究所の季刊『新日本学』(遠藤浩一責任編集)平成25年秋(第30)号が出た。いつもながら、興味深い討議録や論文が並んでいる。

 私も書評を1本寄稿した。下に引いておく。

 

 

 

書評:古森義久『いつまでもアメリカが守ってくれると思うなよ』(幻冬舎新書、2013年)

島田洋一(福井県立大学教授)

 

ワシントンで通算30年近い取材歴を有する国際ジャーナリスト古森義久氏のオバマ政権論である。

米国の、特に保守政治家が誇りを持って口にする言葉に「アメリカ例外主義」(American exceptionalism)がある。古森氏の解説に聞こう。

「この概念は、アメリカ合衆国は全世界でも、独特の責任や使命や魅力を持ち、実際にそれを果たしてきた特別の国家だとする考え方である。……世界に向けて自国の建国の理念である民主主義と自由とを広めていく例外的な国だというのである。例外的なリーダーシップを発揮する国だという意味でもある」。

この概念の由来にはもちろん、移民が一定の理念のもと団結し、イギリスからの独立を戦い取ったという「建国のユニークさ」も関係する。アメリカは「丘の上の輝く町だ」と衒いなく標榜し、「力を通じた平和」を掲げて、国民に自信の回復を促した政治家にロナルド・レーガン大統領がある。

もっとも例外主義は、「アメリカの価値観に疑問を覚える側には鼻持ちのならない傲慢な宣言だろう」。反米勢力にとって、ブッシュイラク戦争はこの発想の危険を示す典型例に他ならない。

アメリカがいわば「普通の国」である方が、世界にとってもアメリカ人にとってもよい、という気分ないしイデオロギーを体現する存在がオバマ大統領と言えよう。

それは意識的な「内向き志向」でもある。例えば台頭する中国に対しオバマ政権は当初、謙虚に協調を呼び掛ける「けなげなほどにへりくだった姿勢」を取っていた。

さすがに自省し、米軍の「アジアへの旋回」を打ち出したものの、それから1年半、「2013年春の時点では、この政策はスローガンだけに終わっている。具体的な措置が何も取られていないのだ」と古森氏は剔抉する。

米保守派はオバマを社会主義者と厳しく批判する。実際、所得再分配の強化(結果の平等)を正義と見なす発想がオバマには顕著である。政府による市場介入にも積極的だ。

レーガン革命の成果を掘り崩そうとするこうした「超リベラル革命」に保守派の反発は強く、「今のアメリカは激烈な分極に向かっている」と古森氏は言う。

ところで、米保守派のオバマ批判は余り日本に伝わらない。アメリカ主流メディアの著しいリベラル偏向に加え、日本側に米メディアへの「美しき誤解」があるためだ。

古森氏はニクソンを辞任に追いやったウォーターゲート事件を取り上げ、「この事件の報道も標的が共和党の大統領だったからこそメディアの側で勢いがついたと言える。現に歴代政権を見ても、民主党大統領に対し大手メディアが執拗な調査報道を展開して、不正を暴くという事例はまずないのである」と指摘する。

次の指摘も重要だ。

「私 自身も経験があるが、日本のマスコミによるワシントンからのアメリカ政治の報道はニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、CBS、CNNという大手 メディアの報道や論評に依存することが多い。赴任して間もない体験の少ない日本人記者ほどその傾向が強くなる。その結果、オバマ大統領に批判的な報道や論評に触れることがきわめて少なくなるわけだ」。

古森氏自身は、草の根保守に強い影響力を持つトークラジオなどに注目し、紹介を続けてきた人である。本書でも、舌鋒鋭くオバマ民主党を叩きまくる草分け的存在のラッシュ・リンボーや新星クリス・プラントへの言及がある。

ち なみにトークラジオの隆盛はレーガンの規制緩和(特定の立場からの一方的語りを容認)がもたらした。消えゆくメディアと見られていたAMラジオが息を吹き 返したのも、保守派ホストがリベラル派を圧倒するに至ったのも自由競争の結果である。それ自体が、レーガン革命を象徴する現象と言える(トークラジオは日 本でも聴け、私も愛聴している)。

なお「軍事への消極性や忌避」を指摘されるオバマも、海軍特殊部隊によるパキスタン領内での(パキスタン政府に無断での)オサマ・ビンラディン殺害作戦などを実行した。日本では考えられないことだろう。本書は優れた外国論の常として、そうしたわが国の課題も数々明らかにしてくれる。