安倍首相の靖国神社参拝をメディアがどう報じたか。

 

朝日新聞の報道や論評を点検する論文を書きました。

 

月刊誌WILLの最新号2014年3月号に掲載されました。

 

冒頭部分をこのブログで紹介します。

 

 

 

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安倍靖国参拝をゆがめた朝日新聞(仮題)

 

 

 「アメリカいいなり もうやめよう」

 安倍晋三首相の靖国神社参拝に反対する日本国内での種々のキャンペーン、とくに朝日新聞の紙面を眺めていて、つい想起し、苦笑させられたのは、日本共産党のこの選挙ポスターの文句だった。

 

 朝日新聞と日本共産党の主張は日本の安全保障政策について共通点が多い。つい最近の特定秘密保護法案に対しても「この法ができれば戦前の弾圧に戻る」式のプロパガンダも瓜二つだった。日米同盟を堅固にするような措置、たとえば日米共同のミサイル防衛や、さらには一連の在日米軍の基地問題でも両者は歩調が合っている。アメリカが期待するような政策にはいずれも反対なのである。だから朝日新聞の年来のスタンスにも、この「アメリカいいなり もうやめよう」という基調は顕著だといえよう。

 

 だが今回はその逆転が起きた。ふだんはアメリカの「いいなり」に反対する朝日新聞も、共産党も、こんどの首相靖国参拝ではアメリカ政府の主張を錦の御旗かのように掲げて、安倍首相に「アメリカいいなり」になることを求めているのだから、笑ってしまう。「アメリカいいなり」を、こと靖国参拝については「もうやめた」首相をほめてしかるべきではないのか。

 

 2013年12月26日の安倍首相の靖国神社参拝は内外に大きな波紋を広げた。

 

本来、一国の政治指導者が自分の国家や国民を守るための戦いで命を落とした先人の霊を悼むという行為自体はごく自然である。世界の各国をみても、国家の元首や政府の長が自国の戦死者を正面から追悼することは、当然すぎて、むしろなされねばならない不可欠の慣行だとさえいえよう。

 

 しかしわが日本では自国領土内での人間の心にかかわる、その慣習の実行を外国の、しかも無宗教、無信仰のイデオロギーを掲げる政党や政権の高圧的な要求に従って、止めてしまおうという声が少なくないのである。

 

一国の政府の長の言動はたとえ国内ででも、対外的な意味を持つことは当然である。だが首相の靖国参拝を「日本の軍国主義復活」と断じるような、外国からのまったくの無根拠の言いがかりに反論もせず、従うことの不条理さはあまりに明白だといえよう。

 

そんな理不尽な服従を日本の首相に押しつけようとする朝日新聞などのプロパガンダの虚構や歪曲をこの稿で指摘したい。

 

新聞やテレビというニュースメディアは当然ながら公共性が強い。幅広い国民の各層に直接にメッセージを送るというだけでも公共性は生まれる。「社会の木鐸」というのも決して死語ではなかろう。

 

公共性には当然、責任が伴う。とくにテレビの場合、国家の認可を受けての事業である。NHKは法律により国の保護や支援を得ている。だから国民すべての層に平等に通信すべき最低限の公共性はなおさら強く求められる。

 

そうした公共性を持つ大ニュースメディアが国民すべてに影響を及ぼし、すべてが関心を抱く公共の課題について、多様な意見のなかの特定な一種だけを拡大し、礼賛し、賛美し、他の意見を縮小し、誹謗し、悪魔化し、さらには無視までするとなれば、公共性の違反であり、放棄となろう。

 

新聞でもテレビでもニュースとしての出来事を客観的に伝えるべき報道と、その出来事に媒体自身の解釈や意見を述べる評論と、二つの別個な機能はあるだろう。その後者の機能として新聞やテレビが自分自身の意見を述べることは不適切ではない。

 

だが議論の分かれる重大案件でメディアがその持てる報道と評論の機能の両方をいっしょくたにして、一方の議論だけを絶対の正義だとし、他方を邪悪として流し続けるとなれば、公共性の放棄である。靖国問題での一部メディアの対応には明らかにそんな傾向が目立った。その典型例は安倍首相の靖国参拝への朝日新聞の態度だった。

 

首相の靖国参拝にはとにかくなにがなんでも反対というスタンスで、「客観報道」も「中立性」もかなぐり捨てた偏向報道を展開するという点では朝日新聞に限らず、毎日新聞、東京新聞なども同様だったという。だがここでは問題の核心をわかりやすく提示するために朝日新聞に焦点をしぼることとした。

 

 その点検の対象は安倍首相が参拝をした昨年12月26日からこの1月15日ごろまでの朝日新聞の夕刊、朝刊の紙面である。そこに載ったニュース、評論、コラム、寄稿、インタビューなど(この区分が明確でないのが朝日新聞の偏向の特徴のひとつでもあるが)を読み、その記述や取り上げ方と私の知る範囲での現実との比較を基礎とした。朝日新聞が無視や軽視した事実や悪魔化した実態と、その一方、極端に礼賛した対象、いかにも現実のように提示した虚構などを指摘することに努めた。

 

 まず首相の靖国参拝の国際的な意味づけから始めよう。その意味づけの最大特徴となった構造的な偏向である。

 

 朝日新聞がくどいほど繰り返し強調したのは安倍首相の靖国参拝で「日本が世界で孤立した」とする主張だった。12月28日朝刊のコラムの天声人語ではその総括という形で「首相の靖国神社参拝は日本を世界から孤立させつつある」と断じていた。同じ朝刊の別の面でも「強行参拝、孤立招く」という大見出しを掲げ、この参拝一つで日本が全世界で嫌われて、孤立してしまう、という絵図を必死で描こうとしていた。

 

 その虚構の絵図の材料には中国と韓国両国政府の激しい非難声明、そしてアメリカのオバマ政権の「失望」声明が最大の根拠として使われる。ロシア外務省の声明やEU(欧州連合)の報道官の声明もその「日本の孤立」の補強材料となる。

 

 だがこの孤立の絵図で決定的に欠けたのはアジア諸国の反応である。中国と韓国は確かにアジアだ。だが日本の安倍政権が日本らしいことをすればなんでも反対という基本の姿勢は他のアジア諸国からはあまりにかけ離れている。むしろ一貫した日本敵視という点では中韓はアジアで孤立した例外なのだ。

 

 こうした点に関連して顕著な朝日新聞の偏向報道の第一の特徴はアジア諸国の反応を取り上げていないことである。安倍参拝への国際的な意味づけでも、アジアの反応の描写でも、中韓両国以外の反応はまったく取り上げなかった。

(以下 略)