安倍首相の施政方針演説を通じての日本という国家についての考察です。

 

このテーマはこのエントリーで終わりです。

 

 

日本ビジネスプレス「国際激流と日本」からです。

 

 原文へのリンクは以下です。

 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39796

国際激流と日本

大事な部分がなぜ抜かされたのか?
安倍首相が引用したケネディ大統領演説

                        

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 しかし現実の世界では、国際秩序や国際社会を構成する最高水準の単位は常に主権国家である。世界のどの人間を見ても、国家の一員ではない人は存在 しない。「世界市民」などという曖昧な規定は、まず特定国家のメンバーであってこそ成立し得るのだ。いまの世界のどの人間集団も国家の枠組みの中にあるこ とを忘れてはならない。

 

 ただし民主主義であれば、国家は国民、つまり人間集団を守るために存在する。安倍首相が今回の演説で指摘した「自由、民主主義、人権、法の支配」 に拠って立つ国家ならば、それは国民によって作られ、選ばれる政治統治機構である。国家自体は決して悪でも抑圧機構でもないのだ。

 

 集団を守り、束ねるために、ある程度の強制力を持つことは国家の要件である。だが、その枠組みは国民の意思によってどうにでも変えられる。国民が築いて、動かすのが国家なのだ。

 

 ただし中国のように民主主義が存在しなければ独裁国家となり、それこそ国民の意思を反映せずに、国民を弾圧する側にも回る。だから国家にとって、民主主義か否かが致命的な分水嶺となる。

 

 戦後の日本が、現在も含めて完全に民主主義国家であることは明白である。それなのに国内の一部勢力は、日本を「国」や「国家」として見なすだけで 即座に悪者扱いしてきた。国家や政府のすることは「すべて悪」であるかのような虚構の絵図を描いてきた。そのためにはいまある国家を暴力的に倒すことをさ えも煽ってきたのである。

 

 安倍晋三氏が挑戦するのも、そうした日本の戦後の歪みだと言えよう。そうした大きな観点から眺めると、今回の施政方針演説でのケネディ演説引用は、安倍氏の政治姿勢の後退とも受け取れかねないのである。

(終わり)