2007年01月

私が通うジョージタウン大学内のワシントン柔道クラブは新しいシーズンを迎え、いまかつてないほどの盛況です。厳冬のなかでも60人、70人もが加わり、道場に熱気を盛り上げています。

アメリカ人だけでなく、多様な国や地域の出身の多様な男女たちが「ハジメ!」「レイ!」という日本語で大外刈や体落という日本発祥の技をかけあう光景に、ついまた「日本からの対外発信」とか「日本の価値観の表明」というような言葉を連想させられました。安倍首相が施政方針演説で強調したのも、そうした「対外発信」や「価値観の表明」でした。

ジョージタウン大学は1月から新学期が始まり、新しい大学生たち20人ほどがこの柔道クラブに入ってきました。大学の外からの参加者も増えました。
カナダ人で世界銀行に勤務するマイクはすでに柔道を何年も続けてきた茶帯、テコン道2段のアメリカ人青年マシューは、柔道は初めてとはいえ、基礎体力が強そうです。師範役はアメリカ人弁護士のタッド・ノルス5段、ジョージタウン大学医学部で救急医療を専門とするアメリカ人女医のキャサリンも小学生の息子と娘を連れて練習にきています。フランス人とベトナム人の両親を持つクロイは11歳の小柄な少女ですが、柔道が大好きだと言い、大きな黒帯の男性たちにもためらわずに稽古を挑みます。

もちろん柔道はとっくに日本の独占物ではなくなり、全世界180数カ国で練習や試合が行われています。世界最大の柔道人口を抱えるのは日本ではなく、フランスで、60万とも70万ともいわれています。
私自身、ジョージタウン大学・ワシントン柔道クラブで練習や指導をするたびに、完全に日本で生まれ育った事物でこれほど全世界に広まった実例は他にあるだろうか、といぶかります。日本とは無縁の諸外国の男女にこれほどアピールする柔道の魅力とはなんなのか、と考える次第です。

朝日新聞が1月25日朝刊で愛国心に関する自社実施の世論調査結果を発表しました。
その結果は「愛国心がある」と答えた人が全体の78%、そのうち「大いにある」が20%、「ある程度」が58%だったそうです。愛国心を否定的に論じてきた朝日新聞としては意外な、あるいはあまり好ましくない結果かもしれません。

しかしこの世論調査報道記事で奇妙なのは、「愛国心『ある』が78%」という主見出しの脇に「うち88%、過去『反省必要』」という見出しを立てていることです。そして記事の本文も冒頭は以下の記述となっています。

「国民の8割が自分に愛国心が『ある』と思い、そのうちの9割は先の戦争で日本がアジア諸国におこなった侵略や植民地支配を『反省する必要がある』と考えていることが、朝日新聞社の世論調査(面接)で分かった。歴史問題をめぐり、中国と韓国と日本の摩擦が取りざたされるが、日本人の多くは、愛国心をもちつつ、日本の過去の歴史も冷静に見つめているといえそうだ」

この見出しの立て方と本文の書き出しはいかにも朝日新聞的な偏狭な自己正当化「木に竹を接ぐ」手法のように思えます。愛国心についての調査ならば、国民が愛国心をどの程度まで感じているかが主題であり、その愛国心を学校で教えるべきか否かとか、日本人はもっと愛国心を強く持つべきか否か、さらには「愛国」の一つのバロメーターといえる「外国の軍隊が攻めてきたら、戦うか否か、という種類の質問への回答がどうなのかが関心の対象となるでしょう。

ところが朝日新聞は愛国心とは直接の関係の薄い「過去への反省」を愛国心と対等な扱いでプレーアップして、「日本国民は愛国心は強いが、過去への反省も強い」として、後者の「過去への反省」にむしろ重点をおくような報道ぶりなのです。
愛国心はいまの自国への国民の思いであり、そのことと自国の過去の特定の時期や行動をどうみるかとは関係はありません。前者はいまの心情の表明、後者は過去の解釈です。しかし朝日はその両者をセットにして、愛国心の高まりの実態を薄めようと努めているようです。愛国心が強いか弱いかは過去を反省するか否かとは因果関係はありません。いまの日本をこよなく愛する日本人が過去の日本の「侵略」を強く反省してもなんのふしぎもありません。両者は相互に矛盾する心情ではありません。朝日新聞がいかにも矛盾するかのように伝えてきただけなのです。

この世論調査の欠陥の一つは「過去の反省」についての質問の語句です。質問は「日本が過去におこなったアジア諸国への侵略や植民地支配に対し、日本国民はどう向き合うべきだと思いますか」となっています。日本の過去の行動が「侵略」と「植民地支配」と決まっているならば、それに対し反省するというのは当然です。他の選択はないでしょう。
ただし日本の行動をすべて「侵略と植民地支配」と断じてよいのかどうかは疑問です。さらに「反省」なら普通の人間は自分の過去についても常に大なり小なりしています。これが「謝罪」となるとまた別です。朝日のこれまでの論調ならば、ここでの語句は「謝罪」とした方が自然です。

さて現在の愛国心と過去の反省について朝日新聞の同世論調査に関する解説記事は次のように書いています。

「愛国心の必要性を強調する保守の論者の間には、日本が起こした過去の戦争は間違っていなかったとしてアジアへの戦争責任を否定する見方があります」

でもちょっと待ってほしいですね。「愛国心→侵略と植民地支配の否定」というのは、「保守の論者」よりも朝日新聞の年来の主張ではないですか。だから愛国心は好ましくない、という主張を年来、続けてきたのではないですか。

自社の調査で愛国心を認める日本国民が圧倒的に多いという結果が出たことは、やはり朝日新聞にとっては困るのでしょうね。だからその調査結果の事実を不自然に「過去への反省」に結びつけて、焦点をそらすーーーこの世論調査報道についての私の解釈の総括はこんなところです。

アメリカの政治への関心が高まっているようです。そのなかでも新しい民主党多数の議会の動向は日本側にとってもとくに気になるところです。
前回のコメントでは新議会の対日姿勢について報告しました。では中国に対する姿勢はどうでしょうか。
ここにアメリカ新議会の対中姿勢、対中認識に関して興味ある語録があります。女性で初めて下院議長となったナンシー・ペロシ女史の中国に対する種々のコメントです。
私はこのテーマについてこれまで産経新聞本紙その他で報道してきましたが、改めて詳細を以下に紹介します。

一月はじめに幕を開けたアメリカの第百十会期新議会では年来、中国を激しく糾弾し、「反中」とさえみなされてきた民主党議員たちが大きな役割を演じることになった。この事実は日本のマスコミではほとんど報じられていない。

その筆頭は下院議長となったナンシー・ペロシ議員である。

中国糾弾ということではペロシ議員のこれまでの言動は下院全体でも突出してきた。サンフランシスコを選挙区とするペロシ議員はそもそも自由や人権の擁護を信条とする超リベラル派であるうえに、選挙区内には全米でも最大規模のチャイナ・タウンを抱えている。この中国街には台湾系や香港系も含めて中国共産党の独裁態勢を批判する中華系住民が多い。

「胡錦濤は中国住民とチベット住民の自由、民主主義、宗教上の表現を残酷に粉砕した政権のリーダーである。そんな指導者が米国民の税金による赤い絨毯や二十一発の礼砲での大歓迎をブッシュ大統領から受けるのだ」

「この胡政権はイランや北朝鮮を含む国際的安全保障を脅かす諸国に軍事技術を提供するのだ。しかも台湾に軍事攻撃の脅しをかけ、政治や宗教の信条を表明する中国民を拷問にかけ、ダライラマの肖像画を持参するチベット住民を逮捕するのだ」

以上はペロシ議員がつい二〇〇六年四月、ロサンゼルス・タイムズに寄稿した一文の記述である。胡錦濤国家主席がワシントンを訪れ、ブッシュ大統領と会談する直前に、当時、民主党の下院院内総務だったペロシ議員は中国をこのように激しく非難し、ブッシュ政権の対中政策をも「苛酷な独裁政権に寛容すぎる」として糾弾したのだった。

一九八七年に下院に初当選したベロシ議員は八九年の天安門事件以後、中国糾弾を鮮明にするようになった。中国共産党による民主派弾圧を厳しく批判して、中国民主活動家たちが天安門広場に作った「自由の女神」のレプリカを自分の議員事務所に堂々と飾って、中国当局への抗議の意思を表明した。

九一年九月に中国を訪問したペロシ議員は天安門広場で中国の民主化を呼びかける政治スローガンを記した横断幕を掲げて、警官に阻止された。中国当局は同議員の言動を「反中の茶番」と断じて、公式に非難した。ペロシ議員は以来、中国政府首脳を指して「北京の殺戮者たち」という表現までを使うようになった。

ペロシ議員はさらに九二年に時の先代ブッシュ大統領が中国の当時の李鵬首相と会談した際には「米国大統領がなぜ殺戮者と握手するのか」と糾弾した。同議員は自分と同じ民主党のクリントン大統領に対してさえ、九七年十月の江沢民国家主席(当時)をホワイトハウスに招いての国賓ディナーに抗議して、「国無しディナー」を催し、「ブッシュ大統領は独裁者を甘やかせたが、クリントン大統領は独裁者の宣伝に努めた」と批判した。

ペロシ議員はそのうえに中国非難を単に人権の領域に留めず、中国の世界貿易機関(WTO)加盟や北京オリンピック開催にも強い反対を表明し、議会での投票でもその反対を体現してきた。要するに米国議会全体でももっとも過激な反中派と目されてきたのだ。

ペロシ議員は前述の昨年四月の寄稿論文では、中国による大量破壊兵器のパキスタンや北朝鮮への拡散、人民元レートの操作、貿易の不公正慣行などを非難し、ブッシュ政権の対中政策を「宥和的すぎる」と断じていた。ブッシュ政権が対中政策のキーワードの一つとする「ステークホルダー(利害保有者)」という用語をも「単なる楽観的な考え」と一蹴したほどだった。

こうした厳しい対中言辞の実績を持つペロシ議員が下院議長になるという見通しは中国側にも懸念を生んだ。北京の中国側の米国専門家たちやワシントンの中国大使館の館員らはペロシ議員が年来の反中姿勢を新議会での議事運営に反映させるという展望への警告をしきりに表明するようにもなった。

ただしペロシ議員は昨年十一月の中間選挙で民主党が進出し、下院議長に選ばれることが確実となってからは、中国を糾弾する言葉をとくに発していない。しかし同議員の補佐官は米国大手紙記者に対し「ペロシ議員は議長になっても中国の人権や自由への弾圧に対する見解は変えはしないだろう。だから下院本会議での審議法案の選択では議長として中国に対して強硬な法案を優先させるかもしれない」と語っている。

 

 ただしペロシ議員は中国非難をブッシュ政権への攻撃にも使ってきた。議会での多数党だった共和党を攻撃する手段に中国を使うという側面があったのだ。その野党側議員たちが議会での多数政党となると、立場はかなり異なってくる。ただ攻撃のための攻撃として、中国批判を展開することは難しくなるだろう。だからこれまでの激烈な中国非難の言辞も、レトリック過剰を差し引いて、受けとめる必要もあるようだ。

 だがなおそれでも、中国に対して年来、これほどの厳しい批判を浴びせてきた民主党有力議員が下院の議長という要職に就いたのである。民主党多数の新議会が中国にことさら甘くなったり、中国に踊らされるようなことにはならず、むしろ人権や経済という領域では中国をこれまで以上に強く、激しく、批判していく見通しが強いといえるのだ。

 

 

アメリカの新議会が1月はじめ、幕を開けました。
民主党が久しぶりで多数を占める議会です。
この議会は日本にとってなにを意味するのか。
議員たちの日本への態度はどうか、知識はどうか。
親日議員はだれか、反日議員はだれか。
いずれも日本側でよく提起される疑問です。
この点について報告したいと思います。
雑誌SAPIOの最近号に私が書いた記事からの抜粋です。

アメリカの新議会のスタートとともに、「議会や政府では親日派が減って、反日派が増えるのでは?」という観測が日本側のあちこちで語られるようになった。議会のメンバーのこれまでの日本や日米関係に対する姿勢が全体として「反」方向に変わるだろう、という予測でもある。結論を先にいえば、こうした観測はやや皮相かつ短絡だといえよう。

 まずアメリカの議員の色わけをするにあたっての「親日」「反日」という区分が誤解を招きやすい。とくに「親日」という言葉には、アメリカ政治の現実からやや離れた思いこみがにじんでいる。極端な表現をすれば、アメリカの議会にも、政府にも、親日派というのは存在しない。親日というのは、普通の意味で日本に対し好意を抱いている、あるいは日本が好き、ということだろう。

親日議員というと、その政治言動も日本への好意や好感情に基づいて展開する政治家のイメージがわいてくる。だが残念ながら、そういう議員はアメリカ連邦議会にはいない。単に日本が好きだから、議会での立法活動もそれに合わせるというのでは、アメリカの議員としては失格である。

 その一方、日本を大切に扱い、日本との同盟を重視することが自国の国益に資すると考え、その考えに合わせた言動をとるアメリカ議員は存在する。そうした議員の活動を表面だけでみれば、親日と映るかもしれない。だがそれら議員の思考としては、あくまでの自国の国益が最優先の指針なのだ。

 同時に知日派の議員も存在する。日本に在住したことがある。留学したことがある。あるいは学術研究の対象としたことがある。そういう経験から日本についての知識や理解が豊かな議員たちである。だが単純な意味での親日議員がいないとの同様に、知日派だからいつも日本にとって好ましい政治の選択をするわけではない。

 

 こんな前提条件を強調したうえで、アメリカ新議会を改めてみまわすと、まず「親日派」が後退したように感じる最大の理由は、一九九八年から下院議長だった共和党のデニス・ハスタート議員が議長ポストを降りることであるのに気づく。ハスタート議員は一九七〇年代に日本の大阪に在住し、英語を教えた体験があり、それ以来、日本には親しみを示すことが多かった。たとえば二〇〇三年に北朝鮮に肉親を拉致された横田早紀江さんら「家族会」の一行がワシントンを訪問して、ハスタート議長を訪れたとき、同議長が「よくいらっしゃいました」などと、日本語で挨拶をしたという話は広く知られている。

 ハスタート氏が下院議長として法案の審議や公聴会の開催のプロセスで日本を重視し、対日同盟を堅持する姿勢を保ってきたことも事実である。同氏が議長から一議員になったことは、日本を重視するパワーも減るということだろう。

 しかし上下両院にはなお日本との関係を大切にする議員は少なくない。共和党にそうした議員が多いのは、共和党のブッシュ政権がそうした日本重視政策をとっているからだといえよう。上院共和党サム・ブラウンバック議員も、とくに拉致問題で日本への同情や理解を長年、示してきた。公聴会や記者会見にのぞむ姿勢も日本の人道上の苦痛に十二分に配慮するという構えだった。同議員は日米関係全般をも重視し、日本をいつも前向きの表現で語っている。なおブラウンバック議員は二〇〇八年の大統領選挙への出馬の意欲をもちらつかせている。

ハスタート、ブラウンバック両議員のような共和党保守派の政治家たちは、みな日米同盟をきわめて重視する。同じように安全保障政策から入ってきて、日米同盟堅持の重要性のために日本を大切にすべきだという立場を鮮明にするのは、共和党上院議員のジョン・マケイン氏である。同議員は二〇〇八年の大統領選挙での共和党側の最有力候補とされる。

民主党側でも日米同盟保持という点ではコンセンサスに近い支持がある。日本をよく知っており、日本について語ることの多い政治家といえば、上院のジェイ・ロックフェラー議員である。一九八〇年代から九〇年代にかけての貿易問題では日本を非難することも多かったが、安保面では一貫して対日同盟の紅葉を説いてきた。こうした面での上下両院議員たちの対日観について、議会調査局のベテラン専門官のラリー・ニクシュ氏は次のように語った。

「いまの議会には議員の賛否両論を激しく分けるような切迫した日本関連の摩擦案件がない。だから議員たちの間でも『親日』か、『反日』か、というような単純なレッテル区分はつけがたい。一九八〇年代の日米貿易不均衡、日本のFSX(次期主力戦闘機)問題などがその実例だった。日米貿易摩擦では日本の製品やマネーのアメリカへの流入に対し、日本を非難して、その規制にあたるか、あるいは日本市場の閉鎖性を非難して、懲罰的な措置をとるか、それとも安保面での日本の重要性を考慮して、そうした反日政策を自制すべきかどうか、である。だがいまは議員たちの意見が明確に二分されるという日本関連のケースはない」

日米貿易摩擦のころでも、アメリカ側の議員たちは地元選挙区が日本との貿易競争で被害を受けた鉄鋼企業とか自動車産業を抱えていれば、積極果敢に日本非難を表明していた。

日本の経済進出のために雇用が脅かされるという米側の労働組合も伝統的に民主党支持である。だから労組に日本非難が強ければ、その労組に支持された民主党議員たちは「反日」の立場をとるわけだ。

 だがこの種の摩擦がほとんどない現在、民主党議員たちの「反日」も大幅に薄まったといえる。好例は民主党の大ベテランのダニエル・イノウエ上院議員である。イノウエ議員は日系米人であるにもかかわらず、貿易摩擦で米側一般に日本非難の風潮が強かった時期は、単に日本に冷たいだけでなく、積極的に日本の「不公正貿易」などの糾弾の先頭にも立った。日本の市場閉鎖性などへの激しい非難をむしろ他の米側議員よりも早く、強く表明することが多かった。

 ところが最近ではイノウエ議員は日本大使館との交流にも快く応じ、日米関係の緊密化のために、多様な領域で日本への建設的な提言さえするようになった。九〇年代後半まではまったくそうした対日姿勢はうかがわれなかったのである。

 最近のイノウエ議員とは対照的に、同じ日系米人の議員でありながら、いまの議会では珍しく、はっきり「反日」と呼べるような言動をとるのは下院民主党リベラルのマイク・ホンダ議員である。同議員は日本の「従軍慰安婦」への賠償要求や第二次大戦中の米人元捕虜の強制労働への補償要求など、日本の政府や大手企業を相手取っての訴訟をプッシュする法案や決議案を次々に出してきた。選挙区のカリフォルニア州サンノゼ地区には中国系住民が多く、そこからの圧力で日本非難の動きへと走っているようだ。

一方、共和党でありながら日本関連のケースで唐突に、あるいは散発的に日本を糾弾してきたヘンリー・ハイド下院国際関係委員長の軌跡もおもしろい。ハイド議員は共和党保守派であり、日本との安全保障関係の強化にも積極的なのだが、小泉純一郎前首相の靖国神社参拝には控えめながら、留保をつけた。なるべくなら参拝しないほうがよい、という意見だった。この一点だけで即「反日」と断ずるのは不正確だが、八十二歳のハイド氏が第二次世界大戦で日本軍と戦った体験があることも大きな要因のようだった。

 しかしハイド議員は今期でもう引退となった。上下両院の議員の間で日本軍との戦歴ありという人は数年前までなら二十人をも数えたが、いまではこのハイド氏を最後に対日戦争従軍体験者は両院から完全に姿を消すことになるという。

 下院国際関係委員会で日本の首相の靖国参拝をさらに激しく非難したのは民主党リベラルのトム・ラントス議員である。いま七十八歳の同議員はハンガリー生まれのユダヤ系で、アメリカ議会全体でただ一人のホロコースト生き残りである。十代の少年のころ、ナチス・ドイツの強制収容所に入れられ、脱出して一命を取りとめた経歴を有する。

 ラントス議員の靖国非難だけをみれば、日本に対し冷たく厳しいともうけとれるが、人権擁護派の同議員は中国の独裁政権に対してはさらに強硬な非難を明示する。そして日本との同盟関係には無条件の支持を表明するのだ。アメリカの議員の「親日」、「反日」という直線的な色分けが難しいことの例証がここにもある。

 (終わり)

 


安倍首相がNATO本部を訪れました。日本の首相の初めてのNATO訪問です。
この訪問の意義やジレンマについて産経新聞1月13日付のコラム「緯度経度」に以下のようなことを書きました。

緯度経度

 

 安倍晋三首相は十二日、日本の首相としては初めて北大西洋条約機構(NATO)本部を訪れた。日本の安全保障への取り組みに国際的カラーを強め、対外政策に普遍的な価値観を濃くするという点で戦後の日本外交でも歴史的な転換となりうる訪問だといえよう。だが安倍首相にとっては同時に日本の安全保障の異端の自縛を再考させられるというジレンマを実感する機会ともなってしかるべきだろう。

 日本のNATO接近というと、日本が安保面で欧州に近寄り、従来の対米同盟を希薄にする動きかのように受け取る向きもある。しかし集団的軍事同盟としてのNATOの中核はあくまで米国である。長い東西冷戦の歳月、西欧諸国の運命を超大国の米国のそれと連結させ、米国の強大な軍事力でソ連の軍事脅威を抑止したのがNATOの本質だった。米国が軍事面の主役だというその構造はいまも変わらない。  

 だからワシントンでも日本のNATOへの接近は日米同盟を立体的に強化する動きとして歓迎され、注視されていた。先代ブッシュ政権の国防総省高官として対NATO政策を担当したブルース・ワインロッド氏も本紙への寄稿で日本のNATOとの協力関係樹立を日本の国際安全保障への関与の拡大と対米同盟の側面での強化という二つの観点から歓迎していた。

同氏によれば、日本はNATOが進める国際テロの抑止や大量破壊兵器拡散の防止、さらにはミサイル防衛戦略を参考にできるうえ、中国などからの安全保障上のチャレンジを欧州諸国に明示し、同調を得ることができる。一方、米国も中国の軍拡のような懸念対象への現実的な取り組みをNATOの欧州諸国に訴える際、日本とNATOとの新たなきずなを効果的に使えるようになる、ともいうのだ。

安倍首相の今回のNATO本部訪問はもちろん接触の始まりであり、安保面での実質的な協力はまだまだ先の課題である。しかし首相が民主主義や自由という基本的価値観をNATOに向かっても確認しあうことの意義は大きい。戦後の日本が体現してきた自由や民主、人権という価値観は首相が就任以来、対外的に一貫して強調する安倍外交の最大特徴の一つである。

同時にこれら価値観こそNATOが発足以来、共産党独裁の旧ソ連などの脅威に対し一貫して掲げてきた精神的支柱だった。いまも民主主義の保持と拡大はNATOの政治的な存在理由とされる。守るべき価値を明確にしてこそ安全保障の目的や形態が決まるという基本である。この点でもNATOとの協力は安倍首相が目指す「普通の民主主義国家」の安全保障には合致するようだ。

だが軍事同盟としてのNATOの物理的支柱をみると、日本との断層を感じざるをえない。NATOの軍事面の基本は集団的自衛である。いかなる加盟国に対する外部からの武力攻撃も全加盟国に対する攻撃とみなし、組織全体が集団となって反撃するという集団的自衛権の行使メカニズムそのものなのだ。この集団自衛の態勢こそがソ連の強大な軍事脅威や侵攻意図を抑えてきた。冷戦中、もし西ドイツがソ連・東欧軍の攻撃を受ければ、その攻撃は米国への攻撃ともみなされ、NATO全体が反撃するという態勢が築かれてきたわけだ。戦争ができる態勢を集団で築いておくことこそが戦争を防ぐという抑止政策であり、その効用はみごとに立証された。

一方、日本ではなお集団的自衛権は保有はするが行使はできないという奇妙な自縄自縛が続いている。NATOの本質を概念として否定する一国平和主義の異端である。現在のNATOはさらに欧州メンバー各国がアフガニスタンにも部隊を送り、国際治安支援部隊(ISAF)を結成し、戦闘地域での活動をも含めて平和の維持に努めている。これまた海外でのいかなる戦闘のかかわりをも禁じる日本の「平和主義」とは天と地の差の現実であり、思考である。

安倍首相は今回のNATO訪問でこうした日本との落差や背反を突きつけられることこそないが、単にNATOの実績と現状をみるだけでも、日本の安保面での特殊性や例外性の支障を実感する好機であろう。首相にとっては防衛庁が防衛省となるだけのことに「軍の暴走」とか「満洲への侵略」というおどろおどろした扇情スローガンを打ち上げ、まじめな安全保障努力を阻もうとする朝日新聞的な反防衛プロパガンダの論破をさらに容易にする実体験となることをも期待したい。NATOこそ「普通の民主主義国家」群が自衛のために集団の軍事態勢を築くことの実利と大義を実証してきたからである。(古森義久)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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