2007年01月

安倍首相が9日からヨーロッパ各国の歴訪に出発します。
訪問先はイギリス、フランス、ドイツ、ベルギー各国に加えて、とくに注目されるのは北大西洋条約機構(NATO)本部です。
なぜなら日本の首相はこれまでだれも米欧諸国の集団的な軍事同盟であるNATOの本部を訪れたことはないからです。折からNATOは欧州・北米以外の域外諸国との連携のドアを大きく開けるにいたりました。中央アジアや中国のからむ安全保障案件では日本やオーストラリアとも手に手をとろう、という発想です。

しかしこのNATOは強烈な軍事同盟であると同時に、民主主義、自由、人権、法の統治などの基本的価値観を共有するからこその連合体です。長い東西冷戦でも共産党独裁のソ連・東欧諸国と対決するにあたり、NATOは自由民主主義の共通項と基盤とを常に標榜してきました。

そのNATO本部を外交面で普遍的価値観を強調する安倍首相が日本の首相としては初めて訪れるということには、深い含蓄や、戦略的な狙いさえも感じさせられます。NATOだけでなく、イギリス、フランスなど民主主義や自由という価値観の体現では長い伝統や実績を誇る西欧諸国で、安倍首相がどのようなアピールをするか、注視されるところです。

しかしNATOへの安倍首相のアプローチに関して懸念されるのは、NATO加盟各国と日本との安全保障面での国家構造的な差異が期せずしてクローズアップされ、日本の安保面での異端が改めて提起される可能性です。NATOは集団的同盟、つまり各国の集団的自衛権が共通のきずなであり、束ねの組織です。日本はそれとは対照的に集団的自衛権の行使をみずからに禁じています。NATO加盟各国はみな普通の軍隊を保持しています。自国のため、あるいは自国を含む集団的同盟のために、その軍事力を使うことへの十重二十重の制約もありません。一方、日本は軍隊ではない自衛隊の物理的な力の行使には、日本の自衛のためでも、日本人の生命、日本人の財産の保護のためでも、あるいは同盟国のアメリカとの共同行動のためでも、とにかく異様なほどの禁止のハードルを設けています。こうしたNATOと日本との安全保障面での断層が安倍首相のNATO訪問では問題にならないですむでしょうか。

安倍政権誕生から3カ月余り、内政に関しての批判はいろいろ絶えないとはいえ、外交面では政敵からも非難はないようです。中国や韓国への訪問、そしてアメリカとの連携の強化など、安倍首相の外交面での動向はいまのところうまくいっているようにみえます。
しかしその安倍外交に関して、きわめて新しく重要な要素なのに日本国内ではまだあまり注視されていない部分があるようです。それは安倍首相が日本の外交の展開に際して、民主主義や自由という日本自体が信奉する基本的な価値観を重視し、外交政策そのものにその価値観を主要要因として盛り込んでいこうとする姿勢です。
価値観外交とは相手国との対立や摩擦をも恐れずに、自国の信ずる価値観を対外政策の支えとして打ち出す外交のことだといえましょう。価値観が異なる国が相手となる際には、自国の価値観を表面に出せば、当然、ミゾが明白となります。それでもあえて価値観を強調する、というのです。
そんな安倍首相の価値観外交が明白となったのは、昨年11月のハノイでのAPEC(アジア太平洋経済協力会議)での首脳会談が最初でした。
そのハノイの会議の取材に出かけた私が安倍外交について書いた一文を以下に紹介します。雑誌VOICEに巻頭言として掲載された報告の抜粋です。


日本の外交も、もしかすると本当に変わるのかな、と感じさせられた。もちろんまだ予断はできない。だがまちがいなく新しい風が吹いたようなのだった。

 ベトナムの首都ハノイで感じたことである。二〇〇六年十一月中旬、APEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議に関連して安倍晋三首相の一連の言明を聞いてだった。

 安倍首相にとってはこのAPEC首脳会議への参加が多国間の国際舞台への初登場となった。首相はAPEC会議に加わるだけでなく、アメリカや中国の首脳らとの二国間会談も活発にこなした。私もふだんの在勤の地のワシントンからハノイへ出かけ、この会議での安倍首相やブッシュ大統領の動きを報道した。

 首相は主催国ベトナムの側からはハイライトを浴びせられた。地元の新聞やテレビで大々的に紹介される度合いが他の首脳たちより高くみえた。ベトナムにとってますます重要性を増す日本の新しいリーダーへの自然な注視だろう。

 さて安倍首相の言動で目立ったのは、戦後の日本が信奉し、定着させた民主主義や自由という基本的な価値観の明確な強調だった。ブッシュ大統領との日米首脳会談では首相の方から冒頭に近い部分で「日本とアメリカは自由、民主主義、基本的人権、法の支配など共通の価値に立脚した同盟関係を保持しており、その同盟をより一層、強化したい」と述べたというのだ。

 当然のことではある。だが日本の首相がアメリカの大統領がまだまったく触れていないうちに、「共通の価値観」を同盟の基礎として始めに指摘することは、珍しい。比重のおき方、熱のこめ方はこれまでに例がないといえる。

 安倍首相はしかもこの日米首脳会談の直後、同じAPECの全体会議開幕の直前に開かれた日米韓三国首脳会談でも冒頭でこの三国を結束させる要因として「自由、民主主義、基本的人権、法の支配」を強調したというのだ。民主主義の価値観とはおよそ縁遠い北朝鮮に寛容となっている韓国の鉉大統領には痛いところを衝く発言だといえる。

 APEC加盟の二十一の国家、地域の首脳が錯綜した合従連衡をみせるなかで安倍首相はアメリカとオーストラリアの両首脳ととくに緊密な歩調をとった。民主主義という共通の価値に基づく有志連合である。偽造品や海賊版を追放するための知的財産権保護ではこの民主三国が結束して、中国の難色を抑え、APECとしての指針を策定することに成功した。

 ハノイでの安倍首相のこうした軌跡から感じられたのは、こんごの日本の外交政策で民主主義の価値観をくっきりと打ち出していこうとする姿勢である。民主主義や自由、人権という価値観を他国との関係を決める政策ファクターにするという構えでもあろう。

民主主義の価値を共有する相手であれば、政策の共通項も増えて、友好や協調の度合いも自然に高まる。逆であれば、距離が遠くなる。つまりは自国の価値観が外交の内容や質を変えていくことにもつながる。

 民主主義や自由、人権というのはいまの世界では普遍的な価値観である。世界でもっとも広く受け入れられた価値なのだ。戦後の日本はその民主主義をもっとも堅固に、もっとも着実に実行し、定着させてきたといえる。その実績は世界に向けて、凛として告げてしかるべきだ。

だがこれまでは日本の外交は自国の民主主義その他の価値観の表明をむしろ抑えることが多かった。相手国と基本的な価値観を共有するか否かは、日本外交の推進にはほとんど反映されなかった。「全方位外交」とか「等距離外交」、「橋渡し外交」、あるいは「国連中心主義」というような呼称に象徴されるように、日本とどれほど価値観の異なる相手でも、自国の価値観はあえて表明はせずに、ひたすら相手との調和を求める姿勢がとられた。自国と他国の拠って立つ価値の基盤が相反すれば、往々にして「足して二で割る」方式が暗黙のうちにとられた。

もちろん主権国家の外交はその国の基本的な価値観だけで動かすことはできない。国家や国民にとって、損か得かで判断される実利も当然、考慮されねばならない。だがそれでも国民の大多数が生き方の拠りどころとする価値観が国家としての外部への言動に政策としてまったく表現されなくてよいはずがない。そうした自国の価値観を外交にインプットすれば、日本と民主主義を共有するアメリカと、一党独裁の中国と、正三角形になるなどという認識は絶対に生まれてこないこととなる。

安倍首相のAPECでの一連の言動は確かに外交へのそのような価値観の注入を思わせたのだった。

そんな感覚はハノイの亜熱帯のさんさんたる陽光の下、さわやかな風を覚えるようだった。ただの一瞬、吹いただけの風ではないことを期待するところである。

         

 

 

 

 

 

                  


↑このページのトップヘ