2007年02月

 アカデミー賞の余波が消えないうちに掲載しておきたいと思った一項です。

 クリント・イーストウッド監督、渡辺謙主演の映画「硫黄島からの手紙」は残念ながら、アカデミー賞の作品賞、監督賞などを取れませんでした。香港映画からストーリーをそっくり借りた映画が一番、多くの賞を取ったというのも、なんとなくすっきりしませんでした。
 しかし日本軍将兵、いや日本人全般をいかにも人間らしく描いたアメリカの戦争映画「硫黄島からの手紙」がアカデミー賞の最終候補にまで残ったことは、いろいろな面で意味があると思います。ハリウッドがみた日本人のイメージの重要な変化ということでもあります。ハリウッドの目は往々にしてアメリカ社会全体の目を映し出すことも多いといえます(そうでない場合も多々ありますが)

この点に関して、おもしろい評論が出て、それを伝えた2月27日付産経新聞の私の記事を以下に紹介します。
おりからアメリカ議会での「慰安婦」非難の決議案審議などとはコントラストを描く傾向だといえます。


米国社会の対日観 「人間性」配慮育つ 


.  【ワシントン=古森義久】米国で知名度の高い政治評論家のジョージ・ウィル氏は25日付のワシントン・ポストなどへの寄稿論文でクリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」が日本軍将兵を人間らしく描いたことは米国映画の歴史でも珍しく、米国社会で戦争での敵だった日本側への人間レベルでの配慮が育ってきた証拠だとして歓迎した。この論調は「慰安婦」問題で現在の日本を一方的に糾弾する米国議会の一部の動きとは対照的だといえる。

「硫黄島からの手紙」米政治評論家が歓迎」

 「硫黄島の共感の教訓」と題されたウィル氏の同論文はアカデミー賞候補ともなった「硫黄島からの手紙」を題材に日本との戦争の歴史に対する米側一般の思考や認識の変化を論じている。

 同論文は、第二次大戦では米国は東京大空襲で一気に日本側の民間人8万3000人を殺し、広島への原爆投下では一瞬にして8万人を殺したように、日本人一般への人道上の配慮はまったくなく、米側では日本民族全体の絶滅さえ提案されていた、と述べている。同論文によると、米欧で制作された英語使用の映画では第二次大戦に関する作品は合計600以上を数えるが、そのうち「日本軍将兵の人間性」を少しでも認めたのは「戦場にかける橋」(1957年)など4本に過ぎないという。

 同論文はしかし、「硫黄島からの手紙」が今回、アカデミー賞の作品賞などの最終候補作に選ばれたことは米側で社会一般に「社会の文明や道義的な憤慨の成果として敵(日本側)の将兵の苦境にも共感を示すようになった」ことの表れだ、と述べている。

 そのうえで同論文は映画の主人公の栗林忠道中将が山本五十六元帥と並んで日本軍有数の知米派だったことや硫黄島で発見された日本軍将兵の手紙の数々はみな死を覚悟し、「その哀感は彼らの人間性を示していた」と書き、「日本軍は確かに野蛮な行為を働いたが、野蛮な司令官の下での一般兵士の有罪性を測ることは難しい」と日本側兵士への同情を示した。

 ウィル氏のこのコラム論文は冒頭で19世紀の米西戦争でスペインの軍艦を沈めた米艦の艦長が部下に「哀れな敵が死につつあるのを喜ぶな」と述べた言葉を紹介し、末尾でいまの米国社会がこの艦長の「繊細さ」に近づきつつある、と称賛した。

 戦争での残虐行為などを相互の行動ととらえて、ともに人間性を認識しあおうというウィル氏の議論は、いま米国議会の下院に提出されている「慰安婦」非難決議案に示される日本への一方的糾弾とは対照的に異なるといえる。

これまで取り上げてきた「慰安婦」問題の根底にある課題は、結局は日本という国のあり方だと思います。日本という国家が存在する以上、その国家の存立や利害や名誉を守るという基本の概念はふつうの日本国民ならばみな意識しているでしょう。その基盤には「国」→「守る」→「安全保障」という思考と現実があるわけです。
この思考と現実はアメリカでも中国でも韓国でも、自明の理と受け止められていますが、日本ではなぜかそれを拒めとか、目をつぶれと叫ぶ勢力が存在します。いわゆる無抵抗平和主義、国家否定主義という戦後の左翼思想の残滓を必死で保とうとする勢力です。そのシンボルはやはり朝日新聞でしょうね。
この点では日本の新聞では最大の部数を誇る読売新聞は明らかに朝日とは一線を画しています。基本的なスタンスの違いです。読売新聞の国家観、安保観というのは、靖国神社参拝への唐突な猛反対でこのところ訳がわからなくなった感じがありました。読売のドンの渡辺恒雄氏の強力な主張で靖国に関しては朝日と同じ論調に変貌してしまったのです。しかし本体はなかなかその変貌には付いていかないようでした。その証拠に読売新聞の社説はここ1年ほど、首相の靖国参拝への反対の主張を明確に打ち出すことはきわめて少なく、その一方、アメリカ議会での「慰安婦」非難決議案に対しては激烈な批判の主張を述べています。また日本の安全保障政策に関しても朝日新聞とは天と地ほど異なる、従来の読売らしい論調を変えていません。朝日がやはり少数派だということの例証かも知れませんね。
このへんの朝日と読売の違いを書いた私の一文を紹介したいと思います。
月刊誌VOICEの最近号の巻頭言に書いた文章の抜粋です。

二〇〇七年の冒頭には防衛庁がやっと他国並みの「省」へと格上げされた。国家にとって安全保障という国自体を守る重大な責務を政府の各機関のなかでも一人前ではない「庁」という低い位置におき、内閣府に頼る形をとらねば自前の予算さえも求められない旧来の状態が異常だった。

 集団的自衛権を保有はしても行使できないという状態も、日米同盟での米軍との協力を阻む。国連平和維持活動での他国の部隊との連携をも不可能にする。主権国家の安全保障では全世界でも例のない異常な制約である。戦後の日本がみずからに課してきた自縄自縛のタガであり、普通の民主主義国家になるためには、解除せねばならないくびきであろう。

 だが日本がこうして国際社会での他の国並みの措置をとることをあたかも軍国主義を復活させるかのように描いて反対する勢力が日本国内にも存在する。その代表が朝日新聞だといえる。同紙一月九日のコラム「天声人語」は「今日、防衛庁が防衛省になる。長く『庁』だったことには、軍が暴走した昭和の一時代への深い反省が込められていたはずだ」と書いた。防衛省が生まれると、とたんに「軍の暴走」が始まるかのような表現である。

 朝日新聞元旦の社説も安倍政権が防衛省、集団的自衛権、憲法第九条などに関して「戦後レジームからの脱却」に努めることへの反対の主張を展開していた。具体的には以下のように述べていた。

 「軍事に極めて抑制的なことを『普通でない』と嘆いたり、恥ずかしいと思ったりする必要はない」

 「『軍事より経済』で成功した戦後日本である。いま『やっぱり日本も軍事だ』となれば、世界にその風潮を助長してしまうだけだ。北朝鮮のような国に対して『日本を見ろ』と言えることこそ、いま一番大事なことである」

 この朝日新聞社説のレトリックには明白なゆがめや論理の欠陥がある。

第一に、いまの日本が取り組んでいるのは自国の安全保障なのだが、この社説はそれをすべて「軍事」と呼び、おどろおどろした印象を前面に出している。自国を守ることの効率を高める努力をいかにも他国を攻める野望であるかのように描くのだ。

第二に、「軍事より経済」という表現で安保と経済とを二者択一、つまり一方を立てれば、他方を立てられない背反のように描くが、これも虚構である。安保と経済とは両立できない概念ではなく、両方があってこそ国家がきちんと機能するのだ。

第三に、同社説は「『軍事より経済』で成功した戦後日本」と強調するが、日本が同盟国の米国の「軍事」に依存してきた事実はまったく無視している。日本は安保面では同盟によって米国と一体となり、軍事の保護を受けてきた。安倍政権はいまその同盟の強化にも努めるが、朝日新聞はそれにも反対する。

第四に、社説は「『日本も軍事だ』となれば、世界にその風潮を助長してしまう」と述べるが、日本がこれまで軍事面での制約を保ってきても、北朝鮮も中国も軍拡を進めてきた事実を無視している。「日本を見ろ」と言える状態を戦後、ずっと続けてきたのに、北朝鮮による日本人拉致や核武装が起きたではないか。

そしてなによりも重要な第五の点として、同社説は日本がいま安保面で前向きな措置を取り、「普通の民主主義国家」を目指すことになった最大の動因といえる日本周辺の安全保障環境の険悪化になにも触れていない。日本は自国に対する軍事脅威が強まったからこそ、安全保障面での前向きな措置をとり、普通の国家並みの防衛メカニズムを築こうとするにいたったのだ、といえる。

だが朝日新聞はこの現実の因果関係をまったく無視して、日本の防衛省は現在の脅威への対処よりも、過去の軍国主義や侵略の復帰を目指すかのように描くのである。

この点、読売新聞の社説は対照的だった。一月四日の社説は冒頭で次のように述べていたのだ。

「北朝鮮の『核』の深刻な脅威の下で、日本の安全保障環境は今、戦後最悪の状況にある。中国の軍事大国化も加わり、安保環境はさらに悪化するだろう」

「万一の事態も想定し、日本の平和と安全を守る万全の備えの構築を怠ってはなるまい」

こうした認識は現実の事態にきわめて合致した「普通の国家」の感覚であろう。同社説は「『北』の核の脅威を排除せよ」「深化すべき日米同盟」という見出しだった。同盟国のアメリカが示す認識や主張でもある。この読売の社説は朝日新聞の主張の偏りをことさら実感させる論旨だったともいえよう。(終わり)

 

 

アメリカ議会の下院に提出されている日本軍の「従軍慰安婦」問題でいまの日本の政府や国民に謝罪を求める決議案を「愚かだから、やめろ」と非難する論文がアメリカのシンクタンクの所長により発表されました。アメリカ側にもこの理不尽な決議案の理不尽さを理解する識者たちが存在するということの例証です。
その論文の内容を2月24日付の産経新聞に掲載された私の記事で紹介します。

[ワシントン=古森義久]

米国の議会の活動を研究する民間機関の代表が下院に提出されたいわゆる従軍慰安婦問題で日本政府に謝罪を求める決議案に対し、米国の傲慢さを示すばかげた試みであり、そもそも米国側に日本政府を断罪する管轄権はないとして、同決議案の趣旨と提案者の議員を批判する論文を20日、発表した。

1977年に設立されて以来、草の根の保守主義運動と結びついて連邦議会の動向を研究しているシンクタンクの「自由議会財団」のマリオン・ハリソン所長は同日、同財団のウェブサイトに「愚かさは議会の責務か」と題する論文を発表し、議会下院にカリフォルニア州選出のマイク・ホンダ議員が中心となって提出した「日本軍が第二次大戦中、若い女性を性的奴隷へと強制したことに対し現在の日本政府がそれを認め、謝り、歴史的な責任を受け入れることを求める」とする決議案を「宣伝を狙った米国の傲慢さの無意味な示威だ」と批判した。

同論文は同決議案がばかげている理由として(1)米国の政府も議会も日本政府への管轄権を持っていない(2)日米関係への悪影響(3)米国議会は税制、移民、ミサイル防衛、社会福祉など、その管轄下の取り組むべき重要課題があまりに多い(4)同趣旨の決議案は議会の前会期に失敗している(5)日本の首相が2001年に慰安婦問題で謝罪の書簡を出しているーなどという諸点をあげた。

同論文は背景として「人類2000年以上の歴史で政府や軍隊は数え切れないほどの悪事を働いてきたが、そのうちの特定のいくつかだけを取り出して糾弾することは他の悪事の重みを軽くするという危険につながる」と述べる一方、日本のいわゆる慰安婦も悪事だったとはいえ、「その計画を実際に進めた当事者たちはいまもう生存していない」と論評した。同論文はまた「憲法上の議会の役割は自国のための立法措置であり、上下両院いずれも外国の主権国家に対して歴史上のミスを公式にどう償うかについて意見を押しつける立場にはない」と主張し、さらに「だれも祖先の間違った行動に対して責任をとらされることはない。そうした責任を求めての謝罪要求は愚かであり、とくに友好的な外国の政府に向かって歴史上のミスに関しての謝罪方法を教えるというのは愚かを越えている」と述べた。

同論文はまた同決議案を提出したホンダ議員について「外交問題での体験がなく、軍務に服したこともない」などと批判した。

筆者のハリソン氏は1960年ごろからワシントンを拠点として活動してきたベテラン弁護士で、議会ウォッチも過去通算30年ほど、続けてきた。

なお下院外交委員会のアジア太平洋小委員会は日本非難のこの慰安婦問題決議を審議するための公聴会を2月15日に開いた。(以上終わり)

以下に英語の原文を紹介します。

Is Foolishness a Duty of Congressω 


By Marion Edwyn Harrison, Esq.
Febuary 15, 2007

Everyone who has read a modicum of history doubtless recognizes that over the recorded two-plus millennia human beings organized as governments, military or other commanding forces have committed vast numbers of massive, often unspeakable, moral offenses. To enumerate a few is to risk minimizing numerous others. There immediately come to mind some of those more recent and quite massive - e.g., certainly without limitation, the Holocaust, the Stalinist massacres of even greater millions of other innocents, the erratic and ongoing massacres and forced starvation in several African countries, and, of course, through all recorded history, various forms of slavery.

For a reason exemplified two paragraphs hence, it is not surprising that the President of Russia recently has been quoted as having criticized the United States for what one might term our foreign-policy, military and economic unilateralism. To which particulars, if any, that critique may be valid is another matter. The point for immediate applicability is that growing numbers of people around the world, some of them responsible people, perceive such to be true. Perception at times becomes a form of reality or at least a source of nuisance or discord.

One of the many crimes committed in the 20th Century was the Japanese program, referred to in English as the providing of (mostly Korean, some Chinese, Indonesian, Filipina) “Comfort Women” to provide sexual relations with Japanese soldiers. Presumably nobody is alive who sponsored this program. The United States, of course, had no role in it and until on or about VJ Day had no way to stop what little remained of it.

We now see a publicity-seeking, if (benefit of the doubt) perhaps well intentioned, Member of Congress who has introduced, and is promoting, House Resolution 121, 110th Congress (“H Res 121"), to attempt to admonish the Japanese Government to acknowledge, and apologize for, the Comfort Women program - a meaningless manifestation of the American alleged arrogance about which so many foreigners already are complaining. (The fact that the Member is of Japanese ancestry is irrelevant. He is American. All Americans are of some non-American ancestry - even Native Americans, formerly known as Indians, whose ancestors migrated from the Near East.)

H Res 121 is ridiculous for a variety of reasons. Some of them, without limitation and not necessarily in prioritized order: (1) Our United States Government has no jurisdiction over the Japanese Government. (2) Adverse affect upon American - Japanese relations. (3) Congress is, or should be, overwhelmed with issues within its jurisdiction (e.g., spending of taxpayers’ money out of control; unlawful immigration out of control; no effective missile defense system; Social Security headed for bankruptcy; delay and defeat in confirmation of Federal judges; so on). (4) A similar resolution failed in the 109th Congress. (5) In 2001 the Japanese Prime Minister published a letter of apology.

Perhaps not surprisingly, the H Res 121 sponsor has no experience in foreign affairs and never served in the military. His two years in the Peace Corps may manifest some altruism but hardly amount to expertise.

Fortunately H Res 121 probably will not be enacted. More important, however, is the underlying fact that the Constitutional role of Congress is to legislate, and of the Senate also to advise and consent to nominations and to ratify treaties, neither House to pontificate with resolutions of opinion or of advice to foreign sovereignties as to how publicly to atone for historical mistakes.

The number of ancestors of each of us doubles in each generation. None of us can be responsible for the misconduct of ancestors. All such resolutions of apology at best are foolish; when they tell friendly foreign governments how to apologize for historical error they are more than foolish.

Marion Edwyn Harrison is President of, and Counsel to, the Free Congress Foundation. He served four years as an American Bar Association Governor, ten in its House of Delegates, was a Section Chairman, etc.

 




 

アメリカ下院外交委員会のアジア太平洋小委員会は予定どおり2月15日に旧日本軍のいわゆる「慰安婦」問題で日本を非難する公聴会を開きました。証人の選び方がまずきわめて不公正で、日本側の立場を説明する人はゼロでした。この公聴会の主目的はすでに下院に出されている「慰安婦問題でいまの日本政府に認知と謝罪を求める」という決議案を審議することとされていました。

この公聴会は議員側の出席はまばらでした。当初でも数人、大部分はこの問題を執拗に追及する民主党マイク・ホンダ議員と、議長役のサモア選出のエニ・ファレオマバエンガ代議員の二人だけでした。ちなみにファレオマバエンガ氏(民主党)は小委員長とはなりましたが、本会議で投票する権利を持たない、文字通りの代議員です。

しかしこの公聴会で日本側にとっての清涼剤だったのは、カリフォルニア州選出の共和党有力議員のデーナ・ローラバッカー氏がこの決議案への反対を表明したことでした。
ローラバッカー議員は公聴会冒頭の発言で慰安婦となった女性への同情を表明しながらも、いまアメリカ議会がこの問題で日本政府を糾弾することは理不尽であり、しかも決議案の内容には事実に反する記述が多々あると指摘しました。

ローラバッカー議員の発言のポイントの要約は以下のとおりです。
▽決議案は日本に謝罪を求めているが、日本は首相以下、何回もすでに謝罪をしてきた。慰安婦問題では1994年以来、多数の日本の首相が明確に遺憾の意や謝罪の意を表明してきた。決議案の記述は正確ではない。
▽決議案は日本の教科書が慰安婦問題を無視あるいは軽視していると書いているが、日本の教科書はすべて日本の戦争行動を批判的に取り上げ、その大多数は慰安婦問題にも触れている。
▽いわゆる「日本の戦争関連行動に関する謝罪」という問題はすでに完全に、満足のいく形で解決されている。
▽世界のどの国も過去において犯罪を冒してきた。日本だけではない。アメリカも国家として犯罪を冒してきたが、それほど謝罪はしていない。
▽すでに糾弾され、その糾弾を受け入れた日本をいままた糾弾することは、現代の日本国民を二世代前の日本人がしたことによって、不当に懲罰しようとするに等しい。
▽現在の日本はアメリカの同盟国として、また他の自由主義諸国とともに、国際社会では礼節や人道主義を推進する主要な存在である。
▽すでに何度も謝った相手に、また謝罪を求め、叩くようなことはしてはならない。

以下にローラバッカー議員の発言のすべてを英語のまま紹介します。長いですが、同議員が実際に述べたとおりの記録です。

Rep. Dana Rohrabacher

February 15, 2007

Opening Statement

House Subcommittee on Asia, the Pacific and the Global Environment

Hearing on the Comfort Women Resolution, H. Res. 122

 

 

Thank you very much, Mr. Chairman.  Today, we are addressing a subject that is very painful, especially to the families and those for comfort women who will be providing testimony for us today.  To each of those brave women, I extend my thanks for participating today and to help Americans understand the suffering that took place during this time during the Second World War and my most sincere, my most sincere sympathy for the pain and the suffering and the agony that these individuals have had to suffer.  As everyone knows, during World War II, Japan forced many thousands of innocent women from other countries in Asia to perform sexual services for the Japanese military.  The victims, known by the euphemism “comfort women” were not only raped many times but also mistreated and murdered.  Many died and all of them suffered greatly.  George Santayana said that “those who cannot remember the past are certainly condemned to repeat it”, so thus it is fitting for this subcommittee to set the factual record straight about this tragic history, one which would help the world to avoid repeating any such actions.  This, in and of itself, setting the record straight, is a worthy goal.  However, I have grave doubts about the wisdom and even the morality of going any further and adopting resolutions like H. Res. 121, which is before us today and I will explain why.  H. Resolution 121 demands that Japan apologize, but Mr. Chairman, Japan has already apologized many, many times, which is exactly what they should have done.  They should have apologized and they did.  The central thrust of H. Resolution 121 is to demand, and I quote, “Japan should formally acknowledge, apologize and accept historical responsibility in a clear and unequivocal manner”.  But the most compelling point in our discussion should be that Japan has in fact done exactly what the resolution demands.  Japan has apologized many times and has done so in clear and strong terms and that raises questions about this resolution.  In 1994, for example, the Japanese prime minister stated the following: “On the issue of wartime comfort women, which seriously stained the honor and dignity of many women, I would like to take this opportunity to once again express my profound and sincere remorse and apologies.”  Of course, this is not the whole story.  A line of Japanese prime ministers, many Japanese prime ministers since 1994 have issued very similar statements.  The current Prime Minister Abe, for example, has confirmed the policy of his predecessors and I would like to submit for the record a copy of the text of Prime Minister Koizumi’s letter to comfort women so that Prime Minister Koizumi stated very clearly, “As Prime Minister of Japan, I thus extend anew my most sincere apologies and remorse to all the women who underwent immeasurable and painful experiences and suffered incurable physical and psychological wounds as comfort women.  We must not evade the weight of the past nor should we evade our responsibilities for the future.”  That is a prime minister of Japan and the words, “As Prime Minister of Japan” are key here.  That was meaning he was apologizing for the Japanese people.  It was an official apology by the Prime Minister of Japan exercising his official capacity.  Japan has a parliamentary system, it also has a Prime Minister who is a member of the Diet.  In addition, the Diet has issued numerous statem4ents accepting responsibilities for Japan’s actions during the Second World War.  Mr. Chairman, this issue of an apology has been fully and satisfactorily addressed.  Yes, it is important for us to set the record straight for history, exactly how diabolical and horrible these activities were by the Japanese during the Second World War.  But we must be accurate in what we are saying in terms of the Japanese position of today.  For example, another part of H. 121 which I find to be misleading is the fact that it talks about Japanese textbooks downplaying the comfort women tragedy.  Well, as in the United States, textbooks in Japan are chosen by local not central government authorities.  A panel of experts in Japan has identified 18 history books that are used by the Japanese high school students.  Of those 18, 16 address the comfort women matter and all 18 describe the suffering of peoples in neighboring countries during the Second World War.  Well, Japan’s responsibility for those countries and this horrible crime is great.  But so is its regret.  And in 16 of those 18 books that are used in the high schools, they address the comfort women issue and those 16 books represent between 93 and 95% of all of Japan’s high school history texts.  It seems to me that, yes, we want to make sure that history is recorded accurately, but we want to make sure that we are not saying that the current Japanese people and government have not acknowledged those wrong deeds.  Every country in the world has committed crimes, not just the Japanese.  Every country in the world—and Mr. Chairman, I might note that you have repeatedly called to our attention some of the crimes the United States government has committed by error or intentionally over the years and I have heard you in many hearings call into question horrible things that our government has done.  So, this isn’t a question of is Japan any dirtier than the rest of us in terms of having made mistakes.  And the fact is that they have acknowledged those dirty deeds.  IN some cases, I will have to say the United States has been less apologetic about some of the crimes that we have committed and we have in the past.  Finally let me note, Mr. Chairman, that we have to make sure that what we do in condemning the past and that which has already been condemned and he have demanded that of Japan that we are not unfairly suggesting that the Japanese of today must in some way be punished for what their two generations of Japanese ago did.  That is not the way to create more harmony in this world.  So, accept accountability, it is really important.  Setting the record straight is really important.  You are right.  We must set a humane and decent standard.  But let me just say that it is my reading of the world today that the Japanese, in alliance with the United states and other Western powers, is a major force for decency and humane standards today.  It wasn’t that way sixty and 100 years ago, but today Japan is pivotal to the Western democracies fight to have these human rights standards that are so important for civilization.  So let us not beat someone after they have apologized.  Let’s make sure that we acknowledge and thank them for being open with us on those issues to the degree that they have.  Now, if I am wrong, I am willing to listen and to hear, but I have got the quotes from the prime ministers, we have got people we have talked to, the Japanese, they all suggest that we are so sorry about these things and apologize profusely, et cetera and it seems to me that we should be setting the record straight but not blaming the current generation of Japanese.  Thank you, Mr. Chairman.

アメリカ議会下院国際関係委員会が日本のいわゆる「従軍慰安婦」問題に関して、日本政府に謝罪を求めるという趣旨の公聴会を2月15日に開く予定です。
予定される証人はみな反日勢力の代表です。日本の立場を主張する証人も、中立の立場の証人も、いまのところ予定されていません。
そもそもこの問題をなぜアメリカの議会がいま取り上げる権限があるのか。アメリカの政府も裁判所もみな、もう解決ずみとみなす案件なのです。日本側としてはそもそもこの公聴会を主導する民主党のマイク・ホンダ議員が述べるような「セックス奴隷」とか「日本軍が20万人の女性を強制徴用」の事実がないことを主張すべきでしょう。

日本からでもホンダ議員にメッセージを送ることは簡単です。人種や国籍を問わず、弱者の言い分はきちんと聞く方針を標榜するリベラル派の政治家ですから、日本側の見解もきっと真剣に受け止めてくれることでしょう。ただしメッセージは英語でないと効果がありません。
ホンダ議員の連絡情報を以下に書きます。

Rep. Mike Honda
(国民の選良ですから、敬意を表して以下の呼びかけがベターです)
Honorable Mike Honda

email:mike.honda@mail.house.gov

fax:202-225-2699(Washington)
      408-558-8086(California)

なおこの種の第二次大戦にからむ賠償問題は対日講話条約にともなう取り決めにより当事国の政府間ですでに解決済みというのが国際条約上の合意です。
そうした点についてアメリカの最高裁がすでに示した見解について私は産経新聞に昨年3月、長い記事を書きました。

その記事を以下に紹介します。



 
【緯度経度】ワシントン・古森義久 米国での慰安婦訴訟の教訓
2006年03月18日 産経新聞 東京朝刊 国際面


 慰安婦問題といえば、最近でもなおNHKの番組や朝日新聞の報道をめぐって、論議が絶えないが、米国内でこの問題で日本を非難する勢力にとって大きな後退となる最終判決がこのほど出された。米国の司法や行政の良識を思わせる適切な判決だったのだが、ここにいたるまでの五年以上の原告側の執拗(しつよう)な動きからは日本側にとっての多くの教訓もうかがわれる。

 米連邦最高裁判所は第二次大戦中に日本軍の「従軍慰安婦」にさせられたと主張する中国や韓国の女性計十五人が日本政府を相手どって米国内で起こしていた損害賠償請求などの集団訴訟に対し、二月二十一日、却下の判決を下した。この判決は米国内でのこの案件に関する司法の最終判断となった。もう慰安婦問題に関して日本側に賠償や謝罪を求める訴えは米国内では起こせないことを意味する点でその意義は大きい。

 この訴えは最初は二〇〇〇年九月に首都ワシントンの連邦地方裁判所で起こされた。米国では国際法違反に対する訴訟は地域や時代にかかわらず受けつけるシステムがある一方、外国の主権国家については「外国主権者免責法」により、その行動を米国司法機関が裁くことはできないとしている。ところが同法には外国の国家の行動でも商業活動は例外だとする規定がある。元慰安婦を支援する側は慰安婦を使った活動には商業的要素もあったとして、この例外規定の小さな穴をついて、日本政府への訴えを起こしたのだった。

 日本政府は当然ながらこの種の賠償問題はサンフランシスコ対日講和条約での国家間の合意で解決ずみだとして裁判所には訴えの却下を求めた。ワシントン連邦地裁は二〇〇一年十月、日本側の主張を認めた形で原告の訴えを却下した。原告側はすぐに上訴した。だがワシントン高裁でも二〇〇三年六月に却下され、原告側は最高裁に上告したところ、最高裁は二〇〇四年七月に高裁へと差し戻した。ちょうどこの時期に最高裁が第二次大戦中、ナチスに財産を奪われたと主張するオーストリア女性の訴えを認め、オーストリア政府に不利な判決を下したため、日本政府を訴えた慰安婦ケースも類似点ありとして再審扱いとしたのだった。

 だが、ワシントン高裁の再審理でも日本政府に有利な判断がまた出て、原告は二〇〇五年十一月にまた最高裁に再審を求めた。その結果、最高裁が最終的に決めた判断が却下だったのだ。

 六年近くもこの訴訟を一貫して、しかもきわめて粘り強く進めた組織の中核は「ワシントン慰安婦問題連合Inc」という団体だった。在米の韓国人や中国人から成り、中国政府関連機関とも連携する政治団体である。Incという語が示すように資金面では会社のような性格の組織でもあるという。

 この「ワシントン慰安婦問題連合Inc」は実は二〇〇〇年十二月に東京で開かれた「女性国際戦犯法廷」にも深くかかわっていた。この「法廷」は模擬裁判で慰安婦問題を主に扱い、日本の天皇らを被告にして、その模擬裁判を伝えたNHK番組が日本国内で大きな論議の原因となった。「慰安婦問題連合」はまた、その少し前には中国系米人ジャーナリスト、アイリス・チャン氏著の欠陥本、「レイプ・オブ・南京」の宣伝や販売を活発に支援した。

 この種の組織は日本の戦争での「侵略」や「残虐行為」を一貫して誇張して伝え、日本の賠償や謝罪の実績を認めずに非難を続ける点では間違いなく反日団体といえる。その種の団体が日本を攻撃するときによく使う手段が米国での訴訟やプロパガンダであり、その典型が今回の慰安婦問題訴訟だった。米国での日本糾弾は超大国の米国が国際世論の場に近いことや、日本側が同盟国の米国での判断やイメージを最も気にかけることを熟知したうえでの戦術だろう。日本の弱点を突くわけである。

 だから「慰安婦問題連合」は日ごろワシントン地域で慰安婦についてのセミナーや写真展示、講演会などを頻繁に開いている。最高裁の最終判決が出るつい四日前も下院議員会館で慰安婦だったという女性たちを記者会見させ、「日本は非を認めていない」と非難させた。

 だが米国の司法は最高裁での却下という結論を打ち出した。行政府のブッシュ政権も一貫して「日本の賠償は対日講和条約ですべて解決ずみ」という立場を裁判の過程でも示した。

 しかし立法府である米国議会は「慰安婦問題連合」などの果敢なロビー工作を受けて、慰安婦問題ではまだ日本を非難する決議案をたびたび出している。その種の工作の持続性、粘り強さは今回の訴訟での軌跡がよく示している。日本側も米国という舞台でのこの種の争いの重要性を十二分に意識して、果敢に反撃すべきだろう。反撃すればそれなりの成果も得られる。今回の最高裁の判決はそんな教訓を与えてくれるようである。 




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