2007年05月

慰安婦の実態はどうだったのか。

1942年(昭和17年)5月、ビルマ中部のマンダレー近く、イギリスの植民地支配層が避暑地としてきたメイミョーという町での出来事です。ビルマの英印軍と戦う日本軍はラングーンを同年3月に攻略し、5月はじめには要衝マンダレーをも占拠しました。そしてメイミョーにも兵を進めたわけです。

このメイミョーにもさっそく慰安所が開かれました。その模様を女性たちの言動をも含めて、当時、軍属だった読売新聞記者がくわしく描写しています。その報告はさきに紹介した「秘録 大東亜戦史ビルマ篇」(富士書苑 昭和28年刊)に記載されています。この本では戦争中に従軍記者や軍人、軍属だった報道関係者たちが終戦後8年ほどの時点でそれぞれの体験を書いています。

今回のルポの筆者はそれが書かれた時点の1953年には読売新聞記事審査部主査だった若林政夫氏です。若林氏は開戦前も読売新聞記者だったのですが、軍に軍属として徴用され、「ビルマ方面軍司令部宣伝班」に配属されました。そしてビルマ各地で活動したわけです。

ここで紹介する報告は若林氏の「イラワジ戦記」という文章の一部です。若林氏はこの書にその他にも「山脈遥けく」「ペンと兵隊」など数々の迫真のルポを載せています。

なお繰り返しますが、若林氏のビルマ戦線報告でも、あちこちに慰安婦に関する記述が出てきますが、従軍慰安婦という言葉は一回も出てきません。

この「秘録 大東亜戦史」という書は戦後の大ベストセラーともなったそうです。そのなかでは単に「ビルマ篇」に限らず、多数の箇所で「慰安婦」についての記述や描写が出てきます。慰安婦という存在は当時の日本国内で十二分に知られ、その日本を「戦争犯罪」で懲罰した諸外国も当然、知っていたでしょう。しかしその戦時の「慰安婦」の存在に対し、だれも糾弾はしなかった。なんの事後の懲罰も加えようとはしなかった。(明らかに日本軍の基本方針にも違反したごく一部の例は戦争犯罪として裁かれましたが)。
本当に「20万人女性の性的奴隷化」というような非道な所業なら、その時点で、つまり昭和28年ごろに、なぜ非難や糾弾が起きなかったのでしょうか。


さあ、以下がその慰安婦報告です。


  若林政夫著「イラワジ戦記」から
  
  将校慰安所風景
 


 翌くる日、社の連中がうちのメイミョー支局をみると僕を引張り出して、慰安歓迎会とか称して、大いに盛宴を張ってくれた。

「若さんはビルマではまだだろう」

「そうだ!忘れていた。行こう」

 悪友たちは何かボソボソ話合っていた。

 僕はそういうほうは至ってカンが悪いし、それにだいぶきこし召してトラヤァのトラなので何だかわからぬままに、メイドたちのいと叮重な見送りをうけながら、ガリという馬車に乗せられた。二、三町も行ったと思ったら降された。

 バー、カフェー、キャバレーでもない、クラブだろう。ハアハアンと思ったが素知らぬ振りをしていた。

 これは何かのクラブのあとだろう。僕が半年もビルマを彷徨つき歩いているうちに、もうこんなものまでできていた。いや、これが必要なのだろう。

「どうです、ちょっとしたものでしょう」

「ウン、本牧だネエ」

 そこは将校用の慰安所だった。

 ホールがあって、妖しげなレコードが鳴っていた。ビールはまだなかったものの、お酒はあった。女の子たちはイブニングではない、ワンピースを一着におよび、なかなか元気がよかった。

 あっち、こっちのテーブルではさかんに嬌声があがっていた。

「コラッ!早く女を出さんか」

 と、わめきたてている年輩の大尉殿、踊れぬ女の子を無理に引張り出して、ひとりでステップを踏んで悦に入っている若い少尉、ひとかたまりになってタグをまいている連中、相当な御繁昌だった。

 

  健康という名の女たち

 

 ホールの横手を入ると階上、階下に別れて小奇麗な部屋が並んでいた。部屋のドアーの脇にそれぞれの源氏名を書いた名札が出ていた、“健康良子”“健康春子”どれもこれも“健康”の二字がついていたのにはおかしくもあったが、人を食っていやがある、と腹がたった。

 僕は“健康富子”さんの部屋に入った。

 安もののカーテンを距てて、左手にベッドがあって小さいテーブルと椅子が二つそのベッドの脇にあった。大きな室をいくつかに割ったのだろう、両側は真新しいチークの板壁だった。

「平壌のカフェーにいたの」

 まずい顔だちではない。言葉も案外訛りが少なかった。

「仁川から船でネ、昭南にあがって・・・・・・」

 彼女は此処に来るまでの、いやこれまでの苦しかったことでも急に思出したのか、くびをかしげてもの憂く考え込んでしまった。

「あんた、兵隊でないねエ」

「ウン、まあ兵隊みたいなものサ」

 傍に奇る彼女の身体から、すっかり忘れていたむせかえるような女臭が、安物の香水に混って、つよく僕の官能を刺激した。

「きのうも髪のながい人、来たよ」

 どんな人と、きこうとして、僕は慌てて、口をつぐんだ。知ってもしょうがないことだし、それが戦線での僕らの仁義だからだ。

 そんなことがあった翌日から僕は猛烈な発熱で、すっかり参ってしまった。別に猪を食った覚えもないのに、ビルマの関税であるデングにやられてしまったのだ。

 所詮、メイミョーは英人が安いビルマ人やインド人の労働力を使って、贅をこらしてつくりあげた、植民地支配者たちの憩いの場所なのだ。

 それにしても、この第二期作戦が、英軍が豪語した水浸し戦術も免れ、こうも早く予期以上の戦果を納めて、雨期前にいちおう終ったのは、ビルマ人の徹底した協力ぶりと、班長御自慢の対敵宣伝を主とした謀略宣伝とが蔭の力となって一役買ったことは確かだ。

 英国の悪政への反感が日本軍へのビルマ人の協力となったのだから、これは考えようによっては、反英軍なら日本軍でなくともこの協力を得たかも知れなかったのだ

日本での憲法論議での高まりでは、「アメリカン・ファクター」が無視できないことは何回かこの場でも説明してきました。アメリカでは伝統的に民主党リベラル系が日本の憲法改正には難色をみせてきました。
ではなぜ、そうだったのか。
このへんの考察を自分の体験から改めて以下に書いてみました。

なお日本の憲法論議に対するアメリカの態度については別なところ(日経BPSAFETYコラム)でも私は書いているので、ご参照ください。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/i/49/


以下は本日の古森ブログへの新規エントリーです。

米国リベラル派は日本の改憲になぜ反対なのか。

 

すでに他のエントリーでも触れたように、アメリカでは日本の憲法改正という可能性に対して、1990年ごろまでは反対の方が多かったという感じでした。とくに日本研究学者の間にその傾向が強かったといえます。日本研究者の大多数は政治信条としては民主党的リベラルです。なぜアメリカのリベラルが伝統的に日本の改憲に難色を示し、保守派が賛成できたのか。この点の説明は別の機会に譲ります。

 

とにかく1990年ごろまでの時点でみれば、アメリカでも「日本の憲法改正は戦前の価値観の復活や、日米安保を破棄しての日本の自主防衛への道へとつながる」という種類の改憲反対論が多かったのです。日本の左翼の主張と酷似していました。とくに知日派の間でそうでした。その典型はエドウィン・ライシャワー元駐日大使でした。改憲についての意見を問う私の質問に対し「日本の振り子は激しく揺れすぎるかもしれませんね」と答えたのです。日本は軍国主義から民主主義へ、西洋拒否から西洋礼賛へ、その変容ぶりがあまりに急激であり、いまは民主主義、国際主義でも、またいつ急に全体主義、国粋主義にもどってしまうかわからない、という示唆でした。

 

この種の認識は当時、アメリカ側の多数の識者の間に残っていたのです。もう一つの体験を紹介します。

1991年6月、日米協会の全米代表による会合がワシントンでシンポジウムの形で開かれ、ハネウェル社の元会長で日米賢人会議(そうなんです、こういう名称の会議があったのです)のメンバーなどを歴任したエドソン・スペンサー氏が基調演説をしました。スペンサー氏はその3カ月前に終わった湾岸戦争を回顧して語りました。

「日本の貢献がいろいろ論議されましたが、良識あるアメリカ人は日本の物理的貢献は決して望まなかったでしょう」

つまり日本は多国籍軍の資金を提供するだけでよい、人員の派遣など物理的な寄与はいっさいしないことで正解だった、というのです。だがアメリカ一般では日本に対し「多くの諸国の若者たちが命を賭けて戦ったのに、日本人は汗も血も流さなかった」という非難が強かったのです。私は思わず、手をあげて、スペンサー氏に質問しました。

「バングラデシュやチェコスロバキアという貧しい国、小さな国、しかも平和主義的な国までが兵員を送っているのに、なぜ大国の日本が同じことをしてはいけないのですか」

スペンサー氏は一瞬、ためらうような表情をみせながらも、答えました。

「私たちは過去の歴史を覚えているからです」

これはまさに本音だと感じました。日本が戦争をし、他国に軍隊を進めた「過去の歴史」を「良識あるアメリカ人」は覚えている、というのです。だから日本だけは他の普通の国が実行する平和維持の多国籍軍にも加わってはならない、というのです。

こうした認識ははっきり「日本不信」と呼べると思いました。民主主義、平和主義を標榜する現在の日本も、いったん普通の国なみの安全保障の権利を保持するようになると、侵略的、軍国主義的なコースに歩を進める危険がある、という懸念なのです。そんな危険を防ぐには日本に現行の憲法を保持させて、安全保障面での世界の「例外」として封じこめておくことが最善だ--という回答が必然的に出てくるわけです。

 

さてこうしたアメリカの「良識」が日米協会の全体会合という場で堂々と述べられてから16年、この2007年4月下旬の安倍首相訪米の直前には民主党リベラル派のバラク・オバマ上院議員が上院本会議で演説し、安倍首相の「普通の国」を目指す努力への絶大な支援を送りました。アメリカも変わったのだ、ということでしょう。

 

慰安婦問題で日本を糾弾する動きの背後には、中国系の反日団体がうごめいていることは、このサイトでも伝えてきました。
「世界抗日戦争史実維護連合会」(抗日連合会)という団体です。マイク・ホンダ議員の選挙区に本部をおく、グローバルな組織で、中国当局とも密接な連携を保っています。
この抗日連合会は古くからホンダ議員と手に手をとって、歴史や戦争の過去を口実に日本を攻撃する活動を続けてきました。ホンダ議員には選挙資金を集中的に寄付しています。
その抗日連合会ではアメリカでの日本叩きの決議案の推進には表面には出ず、韓国系の団体のその役割を担わせてきました。中国系組織は背後に隠れてきたわけです。
ところがカナダでは、韓国系組織が不十分のせいか、
この抗日連合会のカナダ支部が全面に出ての活動を展開しているのです。この事実は慰安婦問題なる案件での中国の大きな役割を立証する材料として重要です。
やはり中国や中国系組織が慰安婦問題での日本攻撃には動いているのです。

しかしカナダでのその試みを挫折したようです。下院の外交委員会は慰安婦決議を小委員会に差し戻してしまったのです。

そして23日、奇しくもアメリカ議会では下院外交委員会がその慰安婦決議を先送りする措置をとったのです。
ホンダ議員ら決議案推進派は「決議案は5月末までには採決する」と語ってきました。しかしもう5月末までの採択の見通しはゼロに近くなったのです。

さあ、慰安婦問題、どこへいくのか。
じっくりと、みすえましょう。

以下にカナダ議会とアメリカ議会でのそれぞれの動きについての産経新聞記事を掲げておきます。


慰安婦決議案、カナダ下院は差し戻し再調査

中国系団体が推進

 【ワシントン=古森義久】カナダ議会下院の外交委員会は傘下の小委員会が可決した日本の慰安婦問題での非難決議案をこのほど同小委員会に差し戻した。外交委員会ではこの決議案に改めて反対論が出たが、カナダ議会での決議の推進には、米国では水面下に隠れた形の中国系反日団体が表面に出て動いている点が注視される。

  カナダ議会下院外交委員会のスタッフが18日、産経新聞に語ったところによると、同委員会は10日の審議で、日本の慰安婦問題で日本に対し謝罪表明と被害者への賠償を求める決議案を傘下の国際人権小委員会に差し戻し、さらに研究を要求することを決定した。

 中国系カナダ人のオリビア・チャウ議員(野党の新民主党)らが提案した同決議案はカナダ政府が日本に対し慰安婦問題での謝罪を求めることを要求していた。同案を最初に審議した同国際人権小委員会では3月27日に採決をし、4対3で可決した。その結果、同案は上部の外交委員会に回されたが、与党の「カナダ保守党」らの議員から「日本の内政への干渉になる」とか「日本の首相はすでに謝罪している」という反対が出て、同外交委員会の5月10日の討議では同決議案を国際人権小委員会に差し戻し、「さらなる調査を求める」ことが決まった。今後、廃案となるか、復活してくるかは不明だとされている。

 カナダでこの決議案を推進して下院の各議員へのロビー工作などを展開している最大組織は「カナダALPHA」(第二次世界大戦アジア史保存カナダ連合)で、米国カリフォルニア州クパナティノに本部を置く「世界抗日戦争史実維護連合会」のカナダ支部。同連合会は在米中国人を中心に結成され、中国の政府や共産党との連携も密接に保ってきた。日本の戦争に関する過去の行動を一貫して糾弾し、戦後の対日講和条約での日本による賠償をも認めない点で「反日」と特徴づけられる。

 同連合会は米国議会に同様の慰安婦問題糾弾での決議案を提出したマイク・ホンダ議員に対し、幹部数人の名前で多額の政治献金を続けてきただけでなく、同議員が州議会議員時代から日本を歴史問題で非難する決議案を出した際に、その草案作成にもかかわってきた。

 世界抗日戦争史実維護連合会は米国内では慰安婦問題に関して表面にはほとんど出ず、韓国系団体がより多く活動しているが、カナダでは同連合会の支部だという中国系カナダ人たちが表面に出て、公然と議会への圧力などをかけている。

(2007/05/24 02:02)


慰安婦決議案採、6月以降に決先送り 米下院

 【ワシントン=有元隆志】米下院外交委員会に提出されていた慰安婦問題に関する対日非難決議案の採決は、6月以降に先送りされることが22日、決まった。月末にメモリアルデー(戦没者追悼の日)の休会があるためだ。決議案提案者のホンダ議員(民主党)らは5月中の採決を目指す構えをみせていたが、ラントス委員長(民主党)らは4月下旬の安倍晋三首相の訪米もあり、「日本との関係に配慮した」(議会関係者)結果、先送りを決めたものとみられる。
 23日の同委員会では、休会を控え各種決議案を処理する予定だが、慰安婦問題の決議案は含まれていなかった。
 採決には、対テロ戦争での韓国の努力に謝意を表する決議案や、石油資源確保のためダルフール紛争スーダンに肩入れする中国に対し、虐殺の防止に向けてスーダンへの影響力行使を求める決議案が含まれている。
 慰安婦決議案の処理にあたっては、採決実施の判断基準となる共同提案議員の届け出が100人を上回っており、6月に採決される可能性も残っている。
 安倍首相は訪米の際、ペロシ下院議長やラントス委員長と会談し、「慰安婦の方々に心から同情しているし、そういう状況に置かれていたことに対して申し訳ないという思いだ」と語った。
 民主党のイノウエ上院議員も「(決議案は)不必要なだけでなく、日本との関係に悪影響を及ぼす」として、採決見送りを求める書簡をラントス委員長らに送るなどの働きかけをしている。

(2007.5.24)
 

 

慰安婦の実態はどうだったのか。

1945年4月、敗色の濃い日本軍の統治下にあったビルマの首都ラングーンで朝日新聞記者出身の日本軍人が朝鮮出身の若い慰安婦たちとの遭遇を生き生きと伝えている記録を紹介します。
月がパゴダをこうこうと照らす晴れた夜、若い将校たちが慰安婦たちに声をかけられたときの情景です。
なんともいえないペーソスのなかに人間らしいぬくもりや哀れみが漂う描写です。
書いた人は朝日新聞記者から軍人となり、ビルマ方面軍司令部の報道部員だった沢山勇三中尉、戦後は朝日新聞にもどっています。

このルポは「白旗をかかげて」と題されています。紹介するのはその一部です。

沢山中尉はビルマ方面軍の降伏使節の一員として、それまで敵だったイギリス軍黒猫旅団の指揮官らに投降の交渉のため、面会に出かけていった、その体験を書いています。そのなかで投降の4カ月前のラングーンでの一夜の光景を回想しています。

このルポは「秘録 大東亜戦史ビルマ篇」(富士書苑 昭和28年刊)に記載されています。この本では終戦から8年ほどの時点で戦争中に従軍記者だった人たちがそれぞれの体験を書いています。
沢山氏はこのルポを書いた時点では「朝日新聞整理部次長」という肩書きでした。
なおこのビルマ篇のあちこちに慰安婦に関する記述が出てきますが、従軍慰安婦という言葉は一回も出てきません。

ラングーンの月夜に日本軍将校と言葉を交わす朝鮮女性の慰安婦たちの描写からは「性的奴隷」というイメージは伝わってきません。


「月と慰安婦たち」

 (沢山勇三著の「白旗をかかげて」から)

 珍らしく雨雲が途切れて、月が顔を見せた。ジャングルの葉ごしに見るビルマの月――月に感傷を托すには、われわれの感情線は固渇しすぎていたがそれでも、その月は私に四月前のラングーン撤退前夜を偲ばせた。

 その晩も珍らしく晴れて月がシュエダゴン・パゴダの黄金色の尖端を照らしていた。青い青い月だった。私とも一人大尉は、コンクリートの人道に腰を下して、アスファルトの車道に長々と足を投げ出していた。

向かいあって、四、五人の朝鮮出身の慰安婦がしゃがみ込んでいた。はじめ慰安婦たちは、我々に泊まってゆけとしつこくすすめたのである。「お金なんかどうでもいいんだよ。淋しいから泊っていきなさい」と彼女らは言った。

明日、軍司令部が撤退するというのに、彼女らは何も知らないのである。ただ何か異様な雰囲気だけは感じていたことに間違いはない。客がさっぱりなかった。そこへ夜ふけて将校がふたり現れたのである。金は要らないから泊っていけ。淋しいというのだ。

 私の方がどれだけ淋しかったか知れない。慰安所に隣り合って、日本映画社と日本映画配給社の両支局があった。映配の方には、沢山の映画のフィルムがあった。英軍に見付けられて利用されるといけないという報道部長の考えで、これを処分することを支局長に命令してあったが、これを確認するために、われわれ二人が夜中近くになって行ったのだった。フィルムは壕の中へ投げこんで水浸しにしてあった。そして両支局ともさっぱりと片付けてあった。まずこれでよし――そして帰りがけの駄賃の彼女らとの雑談であった。

「タダでもいいよ、朝まで遊んでいきなさい」

 私の前にいた二十歳にもなるまいと思われる娘はとうとうそんなにまで言った。太股までむき出しにしたシュミーズ一枚の恰好で、時々蚊をぴしゃぴしゃと叩きつけていたっけ――

 あの時、危いから早くラングーンを逃出すようになぜ話してやらなかったか――私はジャングルの月に向って自問自答して見た。そうだ。あのころまでは、私はまだ軍人だった。軍紀がこわかった。――これから俺は人間に返る。――

アメリカの二大政党制の特徴はもう日本でもさんざんに伝えられ、語られてきました。
対外政策でも共和党、民主党ではかなり異なることも周知のどおりです。しかしその一方、両党がここだけは共通の歩調で厳守するという基本領域もあります。

では日本に対する政策、中国などを含めてのアジアに対する政策、これは共和党、民主党ではどこがどれほど違うのか。日本としては当然、気になるところです。

共和党の現ブッシュ大統領は対日政策に関しては、日本にとってきわめて好ましい実績を重ねてきたといえるでしょう。
ブッシュ政権の新政策の下に日米同盟は強化され、中国の軍拡や威嚇に対しても、きちんとした日米共同の抑止の対応策がかなりの程度、とれるようになりました。
北朝鮮に関しても、いまでこそ微妙な日米の足取りの乱れがみられるとはいえ、そもそも金正日が日本国民拉致を認めたのは、ブッシュ政権が北朝鮮を正面から「悪の枢軸」と断定し、安保や経済で弱い立場に追い込んだからこそでした。
金正日総書記はアメリカに圧力を受けて、日本からの援助を得ようと、小泉政権の一部にあった日朝国交正常化への望みを利用しようとしたのでしょう。もしアメリカがクリントン政権時代のように、北への融和を続けていれば、日本への北の態度も以前と同じ、突き放しだったはずです。

さて、アメリカではいま早くも2008年11月の大統領選挙に向けての前哨戦が熱気を帯び始めました。共和、民主両党とも主要な候補が出そろいつつあります。
もし民主党が勝てば、アメリカの大統領は8年ぶりにまた民主党にもどるわけですが、いまの共和党政権とはどう異なるのか。日本にとってどんな変化を意味するのか。

このへんを考えた私のレポートを紹介します。
雑誌「SAPIO」の最近号に出た論文を短縮した内容です。



民主党主導議会が暗示する民主党大統領下での日米「冷めた同盟」

 アメリカで民主党が政権をとった場合、対日政策はどう変わるか。その結果、日米関係にはどんな変動が起きるのか――

このシミュレーション的な命題を考えていると、まずいま起きている、どうしても不吉な兆しといえる現象に思いあたる。そう、例の慰安婦問題である。

六十年以上も前に終わった戦争の時代の特殊な環境のなかで起きた軍隊での売春という特異な活動だけを摘出して、現代の環境におき、現代の倫理規準で糾弾する。しかも直接の関与がほとんどなかったアメリカという国

の議会が日本という重要な同盟相手であるはずの主権国家に向かって、反省せよ、謝罪せよ、賠償も考えよ、と命令する。その命令口調には、同盟国の日本との安全保障関係への悪影響、などという危険性への意識や懸念はツユほどもうかがわれない――

こんな実態がいわゆる従軍慰安婦に関する日本糾弾の決議案なのだ。

この決議案を推進する主役は民主党リベラル派のマイク・ホンダ下院議員である。ホンダ議員は初めて下院議員となった二〇〇一年からこれまで合計四回も同じ趣旨の決議案を提出してきた。だが過去三回はこの慰安婦問題決議案はいずれも廃案となってきた。多数派の共和党の議会執行部が日米関係全体の重要性などに配慮して、この決議案を本会議での審議に回すようなことは決して許さなかったからだ。

 

ホンダ議員が慰安婦決議の提出四回目にして初めて、採択への見通しを強めるにいたったのは、ひとえに民主党が共和党に替わって議会の多数派となり、民主党有力議員たちが下院の議事運営の実権を握るようになったからなのである。

「この慰安婦決議案をあまり強くプッシュすると日本側にも反発を招き、日米安保関係に悪影響を及ぼす懸念があると思うが――」

ホンダ議員は二月十五日の下院外交委員会公聴会の開催直前に記者会見にのぞんだ際、アメリカ人記者からこんな質問を受けた。

「そんなことはバカげた話だ」

ホンダ議員はむっとしたような語調でぶっきらぼうに答えた。そして「日米同盟はあくまで堅固であり、慰安婦問題のようなテーマで同盟の基盤は揺るがない」とつけ加えた。この反応にうかがわれるのは明らかに安全保障や同盟関係の軽視の傾向だった。

安倍政権の反発にもかかわらず、下院に出ている日本非難の慰安婦決議案が本会議で採択されてしまった場合、その決議案の「日本軍による若い女性の強制的徴用」を正面から否定してきた安倍首相にとって、横面を叩かれるような屈辱となろう。アメリカへの不信、とくに民主党側への懐疑や憤激はきっと長い間、消えないだろう。日本側の最高リーダーのその種の反感は対米安保関係にも必ずネガティブな影響を及ぼすことだろう。 

立法府の議会はもちろん行政府のホワイトハウスとは異なるが、その立法府での共和党から民主党へ、という多数派の逆転は日本へもすぐに影響を及ぼし始めた、といえるのだ。

 

では二〇〇九年一月に、もし民主党の大統領が就任したら日米関係はどうなるか。

民主党と共和党との間にいくら対外政策の違いがあるとはいえ、日本との同盟関係の保持という基本は変わらないといえる。つまり安全保障面で条約を保ち、アメリカは日本の有事にその防衛にあたるという誓約と引き換えに、日本国内に米軍の基地を保ち、部隊を駐留させて、日本の防衛だけでなく中国や朝鮮半島での紛争の抑止から東南アジア、インド洋方面に向けての安全保障の役割を担うという方針は党派の差を問わず、戦後の長い年月、アメリカ歴代政権にとっての主要政策の一つだった。

だから民主党の大統領が登場しても、日米安保破棄などという事態はまず起きないとみるのが現実的である。問題は濃淡となる。程度の違いといってもよい。

民主党が共和党にくらべて、対外政策では同盟や軍事を重視する度合いが低い、という点はいろいろな場で指摘されるが、いまの民主党主導の議会でその相違を明示する実例とされるのが、下院に民主党主導で出された「アルメニア人虐殺でのトルコ非難」の決議案である。

この決議案は一月末に下院に提出された。一九一五年から数年間に起きた「アルメニア人虐殺」でのトルコの責任を非難し、その非難をアメリカのこんごの対トルコ政策に反映させるという趣旨である。慰安婦決議案と同様、非拘束だった。この決議案が民主党アダム・シフ議員というカリフォルニア州選出の民主党リベラル派によって提出された点も、慰安婦決議と同じだった。

アルメニア人虐殺とはオスマン帝国時代のトルコにより帝国領内少数民族のアルメニア人約百五十万が虐殺されたとされる事件である。欧米の歴史学者の間でも「トルコによるジェノサイド(事前に計画された集団虐殺)」とされ、今回の決議案でもその用語が使われた。

しかしトルコの歴代政府も国民多数派も集団虐殺とは認めず、同決議案に激しく反対する。トルコ現政権はアブドラ・ギュル外相を二月にワシントンに送り、米側の政府や議会に対し同決議案が非拘束とはいえ、採択された場合、トルコ国内の反米感情が燃え上がり、政府としても自国内のインジルリッキ基地などの米軍による使用を禁止あるいは制限すると警告した。

米軍にとってイラクでの軍事作戦やこんごのイランとの軍事対決ではトルコの基地使用を含む軍事協力が不可欠のため、ブッシュ政権や議会共和党勢力はこの決議案への反対を表明するにいたった。しかし下院で多数派を占める民主党側はナンシー・ペロシ議長までが同決議案に賛意を表している。

アメリカ国内では約百四十万とされるアルメニア系米人が団結し、民主党議員に圧力をかけて、虐殺を非難し、トルコの責任を問う決議案をここ二十年ほど一年おきに提出してきた。だがこれまでは議会では共和党多数派に反対され、採択にはすべて失敗してきた。それが昨年の中間選挙で下院ではペロシ議員ら民主党のリベラル人権派が指導権を握ったため、初めて採択の見通しが強くなったのだ。決議採択がアメリカとトルコの同盟関係に危機をもたらし、ブッシュ政権の対イラク政策の大きな障害となる危険が指摘されるようになった。議会でさえ、共和党から民主党へと多数派の座が替わると、これだけの変化が生まれてくるのだ。このへんの構図はいまの慰安婦決議案の土壌とまったく同じなのである。

 

日米両国間では民主党のビル・クリントン氏が大統領になってからの一九九三年以降、日本からはやや距離をおいて、中国に接近するという印象が強かった。とくにクリントン大統領が日本を飛び越えて、中国だけを十一日間も訪問したことは「民主党政権の日本離れ、中国寄り」という読みを日本側に生んだ。

だが必ずしも民主党が親中志向と断ずることもできない。いまの議会で下院の民主党のナンシー・ペロシ議長、トム・ラントス外交委員長らはいずれも中国の人権弾圧を激しく非難してきた。その点ではむしろ反中のレッテルさえ貼られてきた。

 しかしこうした民主党政治家たちに共通するのは共和党とくらべた場合、みな軍事や安保、そして軍事的な結びつきである同盟をやや軽視する傾向がある点である。

この点では同じクリントン政権時代、ウォルター・モンデール駐日大使がニューヨーク・タイムズのインタビューに答えて、もし日本の尖閣諸島が第三国の軍事攻撃を受けた場合、米軍にはその防衛の義務はない、と言明したことが象徴的だった。日米安保条約はアメリカが「日本国の施政の下にある領域」への軍事攻撃には日本と共同で対処する義務があることを明記している。尖閣諸島も中国が領有権を主張しているとはいえ、日本の施政下にある。

 共和党の現ブッシュ政権は二〇〇一年に登場するとすぐにアメリカにとっての尖閣諸島の防衛責務を確認し、民主党との違いを際立たせた。ブッシュ政権は対テロ戦争でもイラク平定作戦でも、日本の安保面での役割拡大を期待し、そのための手段として日本側の集団的自衛権の行使禁止の解除や憲法第九条の改正をも、積極的に賛成し、うながすほどである。この点、民主党は日本が安保面で「普通の国」になることにも、まだ難色を示しがちなのだ。

 歴代共和党政権で国防総省高官だったジェッド・バビン氏らは近未来小説『ショーダウン』(対決)のなかで、二〇〇九年一月にホワイトハウス入りした民主党の女性大統領が中国の大軍が尖閣諸島への攻撃態勢をとっても「中国を刺激したくない」として日米安保条約を発動させることを渋る――というシュミレーションを描いた。日本にとってはあってならない破局のシナリオだが、こうした設定にこそ共和、民主両党の対日本、対アジアの安保政策の相違が表れているといえるようだ。

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