2007年06月

アメリカ下院外交委員会が6月26日に可決した慰安婦問題での日本糾弾決議案はなぜこの時期に審議され、採択されたのか。まだ本会議での取り扱いが残っているとはいえ、この時点で全体の構図の再確認をしておくことが必要でしょう。
「この時期の採択は日本側有志が6月14日のワシントン・ポストに意見広告を載せたからだ」などという根拠のない憶測が朝日新聞などに堂々と書かれています。英語でいえば、wishful thinking とでもいえましょうか。
決議案がこの時期に表決に付されたのは、もちろん複合の要因がありますが、最大の力は在米中国系反日団体による激しいロビー工作です。そのことを証する報道を私は産経新聞で紹介しました。例の「世界抗日戦争史実維護連合会」という組織がトム・ラントス外交委員長、ナンシー・ペロシ下院議長らカリフォルニア選出の民主党下院議員に「アジア系有権者の票と資金」を武器として、「脅し」ともいえる圧力をコンスタントにかけ続けてきたことの成果が今回の表決だといえます。

これら中国系団体は日本が戦争の歴史について、なにか新たな言動をとったから非難をぶつけてくるというのではありません。常にこの種の問題で日本を叩いていること自体が目的なのです。マイク・ホンダ議員はそのための「手段」なのです。

朝日新聞も共同通信もNHKも、この中国系団体の役割にはまったく触れることがありません。「抗日連合会」がニューヨーク・タイムズへの意見広告などで、堂々とその名前を表面に出しても、「中国系」については一切、無視です。それを認めると、自分たちがこれまで提示してきた慰安婦問題に関する「構図」の虚構性が証されてしまうから、なのでしょうか。少なくとも中国系団体がからんでいることを報じるのが客観報道の基礎だと思うのですが。

以下はラントス議員が「抗日連合会」から脅されていた事実の経緯を報じた記事です。6月28日の産経新聞に掲載されました。
なおそのあとに、私が引用し、紹介した英文記事の原文を載せました。

産経新聞6月28日付

「慰安婦決議案 米下院委が可決 中国系反日団体が圧力」 .  AdSpace 

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 【ワシントン=古森義久】米下院外交委員会(トム・ラントス委員長)が26日、慰安婦問題に関する対日非難決議案を可決したが、この動きの背後では中国系反日団体がラントス委員長に激しい圧力をかけ、敏速に採決の動きをとらなければ次回の選挙で別の候補を支援するという政治的脅しがあったことが報じられている。

 この情報はカリフォルニア州中部のニュースを報じる地方通信社「ベイ・シティ・ニューズ」(本社・サンフランシスコ)の6月14日発報道として流され、地元の新聞数紙に掲載された。

 

委員長に「対抗馬」示唆

 

 同報道によると、歴史問題で日本を一貫して非難している在米中国系団体「世界抗日戦争史実維護連合会」(以下、抗日連合会と略)の幹部たちは、他の在米中国系組織幹部とともに同州クパナティノの中国料理店で集会を開き、マイク・ホンダ議員らが下院に提出した慰安婦決議案の可決促進を協議した。抗日連合会のイグナシアス・ディン副会長(中国系米人)が語ったところでは、同幹部連は下院のナンシー・ペロシ議長とラントス委員長が(慰安婦決議案の採決推進に関して)言い逃げをしているとの見解を明示した。とくにラントス委員長は人権擁護派の評判にもかかわらず「同決議案支持へのわれわれの訴えに応じず、有権者とアジア系米人社会への軽侮を示している」と主張したという。

 このディン氏の発言はちょうどラントス委員長らが日系長老のダニエル・イノウエ上院議員から同決議案を審議しないよう要請され、さらに訪米した安倍晋三首相と会談して、同首相から慰安婦問題について「申し訳ない」という言明を得て、同決議案への取り組みをソフトにしたようにみえた時期と一致する。

 しかし「ベイ・シティ・ニューズ」の報道によると、抗日連合会の幹部らは民主、共和両党議員への政治献金者であり、このままではラントス委員長らに献金目的にのみ利用され、実際の行動では放置されるという懸念を表明した。そしてディン氏らは「選挙区の33%がアジア系住民であるラントス委員長が同氏らと意思疎通できないならば、もう新しい議員の選出の時期となるだろう」と告げた。ディン氏らはこの「脅し」をラントス委員長のカリフォルニア第12区の人口動態の数字と過去の投票結果で裏づけ、2008年の下院選挙では自分たち自身の候補をラントス委員長への対抗馬として立てることを示唆した。

 ディン氏は「ラントス事務所の私たちに対する最近の扱いにはまったく当惑している。すでに対抗候補として十分に資格のあるアジア系米人女性を含む数人を考慮している」と語ったという。

 在外中国系住民により1994年に設立された抗日連合会はホンダ議員の選挙区に本部をおき、中国政府とも密接なきずなを持ち、戦争や歴史に関して日本を一貫して非難してきたほか、2005年には日本の国連安保理常任理事国入りへの反対署名を4200万人分集めたと発表している。ディン氏ら幹部は1990年代からホンダ氏と連携して日本非難の決議案の作成や提出にかかわり、政治資金も集中的に提供してきた。

 ラントス委員長の事務所ではこのディン氏らの動きについての報道に対し26日、「もう実際の事態展開で事情は変わった」と述べた。

 

 

 以下は上記の記事の素材となったアメリカ側通信社報道の英語の原文です。

CUPERTINO (Bay City News Service) — A group of Asian Americans were calling on the community and elected officials on June 8 to help lobby the Japanese government into an apology for the forced prostitution it forced on Asian women before and during World War II.

Members of the Global Alliance for Preserving the History of World War II in Asia, the Chinese Americans for Democracy in Taiwan and others met in a Chinese restaurant June 8 to encourage support for House Resolution 121, introduced by Rep. Mike Honda (D-San Jose).

The resolution urges the government of Japan to acknowledge, apologize and accept the historical responsibility for the Japanese Imperial Armed Forces’ coercion of young women into sexual slavery.

"This is a human rights issue, this is a women’s rights issue," Barry Chang said. "This is the right thing to do."

The Japanese government has not yet made a formal apology, although it has acknowledged the situation, according to Chang.

Some group members said that House Speaker Nancy Pelosi (D-San Francisco) and Congressman Tom Lantos (D-San Mateo/San Francisco) have been giving them the runaround, according to Ignatius Ding, executive vice president of the Global Alliance for Preserving the History of World War II in Asia.

The group alleges that Lantos, who has a strong reputation in human rights, is showing disrespect to voters and to the Asian American community for not responding to their calls for support for H.R. 121

Members of the group, several of whom are donors to the Democratic and Republican parties, expressed concern that they are used for fundraising purposes but when it comes to action they are left out.

The resolution currently has 129 co-sponsors but requires 218 to ensure passage. Ding said he does not understand how a morally correct resolution with no financial strings or political agenda can be put so easily aside.

The resolution also has 9,000 churches across the United States in support, according to Ding.

Chang and Ding also suggested that if Lantos, who represents a district that is 33 percent Asian American, can’t communicate with them, then perhaps it’s time for new representation.

The group backed their threat with demographic numbers from the 12th California District and election results that they feel lend support for putting up their own candidate to run against Lantos in the 2008 election.

Ding said he is "totally puzzled" by the treatment they have received from Lantos’ office. "He has been good to us, until recently," Ding said.

Ding said the groups have several candidates in mind, including one well-qualified Asian American woman, who he declined to name.

アメリカ下院に出された慰安婦問題での日本糾弾の決議案は6月26日に下院外交委員会で採決されることになりました。現状ではまず確実に可決されるでしょう。その後、下院本会議に回されるわけですが、そこでの展開はまだよくはわかりません。

実は同種の慰安婦決議案は昨年9月にも下院外交委員会(当時の名称は国際関係委員会)で採択されています。だから今回の採択もそれ自体はとくに新しいことではありません。昨年は委員会から本会議に回された決議案は本会議では審理されず、廃案となりました。今回はどうなるか、まだ不透明です。

さて決議案の内容ですが、周知のように慰安婦は「性的奴隷」と評されています。英語だとsex slaves です。
しかしアメリカ人の歴史学者アール・キンモンス博士は「日本の慰安婦を奴隷と描写することは不適切」と断言して、その理由を明確にあげています。

キンモンス氏は日本の近現代史を専門とし、ウィスコンシン大学で博士号を取得し、コーネル大学やシェフィールド大学(イギリス)で教えてきたベテラン歴史学者です。

そのキンモンス氏が最近のアメリカのインターネット論壇
NBR JAPAN FORUMに書いた一文で、日本の第二次大戦中の慰安婦を奴隷と同じ扱いをするのは不適切、不正確だと主張しています。なぜなら慰安婦は奴隷の要件にあてはまらない特徴が多々あるからだ、というわけです。この場合の奴隷は大西洋をまたいでイギリスとアメリカの間で取引され、主としてアメリカ国内に存在した奴隷を指す、としています。

キンモンス氏は慰安婦が奴隷ではない、奴隷とは異なる特徴として以下の10点を列挙しています。

(1)not permanent----終身ではない。つまり奴隷は終身であるのに、慰安婦は終身ではない、ということです。

(2)not heritable....相続性がない。つまり奴隷はその持ち主の子孫にまで相続されたが、慰安婦はそんなことはない、ということです。

(3)not race based....人種に基づかない。つまり奴隷は黒人という特定の人種の区分に基づいていたが、慰安婦はそんなことはない、ということです。

(4)no religious backing for the system...制度を支える宗教的土台がない。つまり奴隷制度はキリスト教の教えの延長で正当化された部分があったけれども、慰安婦にはその種の宗教的なからみはまったくない、ということです。

(5)no asset value....資産価値がない。つまり奴隷は持ち主の財産、資産として扱われたが、慰安婦はそんなことはなかった、ということです。

(6)no market based trading....市場取引がない。つまり奴隷は市場で取引されたが、慰安婦はそんなことはなかった、ということです。

(7) no civil legal or institutional structure to return and/or penalize those who left....離脱した人間を懲罰、あるいは帰還させるための法的、制度的な仕組みがない。つまり奴隷制度では逃亡した人間を捕まえ、戻し、罰する法的、制度的な仕組みが存在したが、慰安婦にはそんなことはなかった、ということです。

(8)wages promised, and at least in the early stages,actually paid....賃金を約束され、少なくとも当初の段階では実際にそれが払われていた。つまり奴隷は賃金が約束されず、払われることもなかったのに対し、慰安婦は支払いを受けていた、ということです。

(9)gender specific....特定の性別。つまり奴隷には男女の区別はなかったが、慰安婦は女性だけだった、ということです。

(10)social mobility....社会的可動性。つまり奴隷は奴隷以外にはなれなかったのに対し、慰安婦は条件や勤務ぶり次第で慰安所の経営者などにもなれた、ということです。

以上のような相違をあげたキンモンス氏は「だから慰安婦を奴隷と呼ぶことは不適切だ」と述べています。

この点だけをみても決議案の内容のずさんさがわかるというものです。

日本憲法を起草したチャールズ・ケイディス大佐のインタビュー記録の紹介を続けます。
今回の分では憲法第9条にこめたアメリカ側の真の狙いが日本を国家として永久に武装解除のままに抑えつけておこうとしたことだった事実がごく率直に明かされています。

また日本側にこのGHQ版の日本憲法を受け入れさせるために、「脅し」があったことも、率直かつ詳細に語られています。

では以下がケイディス会見の続き、第8回分です。


 

古森 ではケイディス さん、あなた自身の考えでは、憲法第九条の目的というのは、なんだったのでしょう。アメリカ側は第九条の規定を作ることで、一体なにを成しとげようとしたのでしょうか。

 

ケイディス 日本を永久に武装解除されたままにおくことです。ただ自国保存の権利は保有しておく。言いかえれば、日本は防衛用の兵器類以外は、決してなにも持たない、ということです。ひとつの例として、GHQは、憲法草案が内々に承認された後、日本の国会に提出される前に、海上警備隊(後の海上保安庁)をつくることを提案したといういきさつがあります。海上警備隊は小型海軍、あるいは海軍の一部ですが、われわれはそれが憲法の規定に違反するとは考えませんでした。

 

古森 憲法にまったくふれない、自衛の範囲内という解釈ですね。

 

ケイディス 私たちの念頭に(禁止の対象として)まずあったのは、攻撃用兵器でした。これはいまアメリカがサウジアラビアに売ろうとしている兵器の問題にも、いくらか似ています。アメリカはイスラエルに対しては、攻撃用兵器と防衛用兵器の区別は簡単にできる、といつも述べる。サウジアラビアに売却しようとするのは攻撃用兵器ではないから心配はいらない。早期警戒システムとかその他の航空機類はイスラエルの都市を爆撃するような装備はしていない、というようなことです。とにかく当時の日本に関しては、国際紛争解決の手段としての戦争を放棄させ、武装解除のままにしておく、というのが目的でした。

 

古森 しかし戦争の放棄というアイディア自体は当時すでに全然、新しいものではなかったですね。

 

ケイディス はい、パリ不戦条約の中にすでにありました。一方的な戦争放棄の宣言です。国連憲章の一部もそれをうたっています。

 

古森 さてここで一九四六年二月十三日の、あの有名な会合についてお尋ねしたいと思います。ホイットニー准将やあなたをはじめとするGHQの代表四人と、吉田茂外相をはじめとする日本政府代表四人が外務大臣公邸で顔を合わせた会談です。その時の出席者のひとり白洲次郎外相秘書官が後に述べているところでは、この会談の様子を伝えるアメリカ側の記録は必ずしも正しくない、とのことです。この会談でGHQの憲法草案が初めて日本側に示され、日本側はそれを了承したとされているけれども、実は日本側はここでこうした憲法草案が出されることを事前に知っていた、その内容もかなり見当がついていた、だから驚くことはなにもなかった、というのです。この証言をあなたは正しいと認めますか。

 

ケイディス さあ、しかし日本側出席者はすくなくともとても驚いたような行動をとりましたね。(笑い)この会談後、すぐに私たちアメリカ側出席者は会談の進行状況に関するくわしい覚書を書きました。おもにハッシーが中心となって書いたのですが、もちろんアメリカ側出席者すべてがその書く作業に加わりました。その覚書の重要ポイントのひとつは、吉田、白洲がいかに驚いたかの描写でした。

 

古森 その会談の途中で、ホイットニー准将が、“原子力エネルギーの起す暖”とかいう表現の、原子爆弾を遠まわしにさす言葉を使って、日本側に憲法草案を受けいれさせるよう圧力をかけたと伝えられていますが、これは正確ですか。

 

ケイディス 私たちは憲法草案を日本側に読ませるため、一時、会談の部屋を離れました。その時、それはあくまで草案であり、“これが憲法だ。全面的に受け入れるか、退くか二つにひとつだ”などと言っているのではないということは、日本側に明確に伝えられていました。われわれの草案は確かに、松本氏(国務相)が考えていたこととは、全然、波長が違う。しかしあくまで草案であり、全面受け入れか拒否かという二者択一を迫っていたのではない。この草案に対して日本側からコメントを求めたい、というのが私たちの本来の考えだったのです。

 ということでホイットニー将軍が日本側に“この草案をあなた方に渡して、われわれは一時退席する。あなた方だけでそれをよく読んで討議してもらいたい。われわれは外で待つから、じっくり時間をかけてほしい。われわれは庭で待っている”と言ったのです。私の覚えているところでは、ホイットニー将軍はさらに、“これは基本的な原則を述べたものであり、具体的細部までを決めてしまったわけではない”と述べたと思います。そしてわれわれが庭に出ている時、たまたまその庭園の上をかなりの低空で、B29爆撃機が大きな爆音をあげながら通過していったのです。それは美しい、太陽の光に満ちた日でした。その後、日本側とまた顔を合わせた時、ホイットニー准将が“われわれはあなた方の庭園を楽しみ、あなた方の原子力エネルギーの暖につかっていました”という意味の言葉を述べたのです。

 

古森 その言葉の裏には特別に意図する効果があったようですね。

 

ケイディス さあ、私は彼がさっと思いついたままのことを言っただけだと思いますね。(笑い)なにか特別に含むことがあったとは思いません。

 

古森 原子力エネルギーに関して広島とか長崎とか、そんなことが胸の中にあったのではないでしょうか。

 

ケイディス いいえ、いいえ・・・・・・しかしこの点についてはその後、いろいろな人が大きな問題としてとりあげ、私にも何度も質問してきました。ホイットニー将軍は単にそんな言葉をなにげなく口に出した・・・・・・そう、彼はその日、かなりの病気でした。私は彼がその会談に行かない方がよいと思うくらいの病気で、三十九度ほどの熱があったのです。流行性感冒にかかって、その日、会談に行く直前まで寝ていたのです。でも将軍はその会談を延期はしたくないと考えていた。もし延期をすれば、日本側はきっとその延期になにか特別な動機があると考えたでしょう。将軍の感冒も、外交上の口実だと考えたでしょう。だからホイットニー将軍はそういう事態を避けるためにもぜひ会談に出ようとした。そんな無理をすると肺炎になりかねないと、私は将軍に警告したのだけれど、彼は出席すると言いはりました。だから会合でも彼は気分がすぐれず、調子が極めて悪かった。そんな時に雰囲気をよくするため、彼はなにか軽い言葉でも述べようとして、例の発言をしてしまったのでしょう。将軍自身、冗談のつもりだったはずです。けれども日本側はものすごく真剣でした。憲法草案に対して思いつめた様子となり、白洲氏の言うのとは違って、驚ききっていたので、将軍のその言葉をおかしいものだとは、まったくとらなかったのです。しかしその言葉は脅迫や威圧ではありません。

 それとは別にホイットニー将軍はその会合で日本側に脅しをかけています。あなたも多分、知っているでしょう。将軍は“もしあなた方(日本政府代表)がこの憲法草案を、即座に、われわれと協議せずに、また日本側としての提案もしないで拒否するならば、マッカーサー司令官は今度の日本の選挙で、その草案を直接、日本国民に示し、国民投票によって国民が憲法改正について日本政府に賛成するか、GHQに同意するかを問うことになる”と述べたのです。これがその会談での唯一の威圧でした。しかしその威圧でもなお、ホイットニー将軍は“日本国民に最終的には決定をゆだねよう。もし国民が日本政府に賛意を表すれば、もうこのGHQ草案を固執することはしない。しかしもし国民が日本政府に賛成しなければ、憲法問題はそれで決着しGHQ案が通ることになる。けれどもその前にあなた方にこの草案を検討してもらい、コメントを得たいのです”ということをも、日本政府代表に説明しました。

 そのころはですね、たとえばマッカーサー元帥は貴族院の廃止は決めたけれども、参議院をつくることはまだ考えていなかった。けれども日本側から参議院をつくることの提案が出てきたのです。華族制度にしてもそうです。われわれは本来、華族の称号とか特権というのはこんごあらたには与えない、しかしいますでにあるものは本人が生存する限りそのままにしておく、という方針でした。たとえば幣原男爵の華族としてのタイトルは本人が亡くなるまでは、そのまま認めるわけです。ところが日本側が華族制度を一切なくしてしまうべきだ、と提案してきたのです。参議院設立も同様に日本側独自のアイディアです。ホイットニー将軍がその会談で日本側の意見を求めたことには、こうした背景があったのです。憲法草案についても、それにかかわりを持った日本人たちの間から合計三十にものぼる提案が出てきたのを、私たちは記録したことがあります。ただし憲法については日本側はもっと多くの提案や修正要求をすることができたのに、そうはしませんでした。

(つづく)

 

日本の憲法を起草したチャールズ・ケイディス大佐のインタビュー記録の紹介を続けます。
今回の部分ではケイディス氏はまた一段とショッキングな告白をしています。
一つは憲法第9条の究極部分ともされる「交戦権」について、それが現実になにを意味するのか、知らなかった、というのです。交戦権とは単に戦争をする権利ではなく、戦争に付随して、関連諸国がとれる行動全般の権利をも意味していただろうが、正確にはわからないまま、それを記した、というのです。
第二には、そんなよくわからないまま書いた「交戦権」の禁止については、もし日本側から削除を求められたら、削除していた、という告白でした。
日本国憲法の誕生はこんなふうだったのです。

では以下はケイディス会見の続きです。

古森 それでは“その他の戦力はこれを保持しない”という部分は、どうでしょう。ここをもし日本側が削除して欲しいと言ってきたとしたら、どうしましたか。

 

ケイディス さあ・・・・・・私が反対はしなかっただろうといったのは、“交戦権”の部分なのです。“交戦権”というのが一体、なにを意味するのか、私はよくわからなかったからです。しかし、“戦力”については、いま思うにやはりその削除には反対したでしょうね。“陸海空軍その他の戦力”という場合の“戦力”というのは防衛用ではなく攻撃用の兵器、兵力を多分意味したからです。もし“戦力”というのをとってしまうと、日本は防衛、攻撃両方の兵力を持てる、ということを意味してしまったでしょう。となると私は非常に懸念したでしょうね。日本側とその削除について話し合いはしたかも知れないが、私としては同意できなかったと思います。ホイットニー、あるいはマッカーサーという上官にその決定をゆだねたでしょうね。とくに“陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない”という部分を全部けずってしまったら、日本は攻撃用の軍隊を持てることになるから、私はそんな事態を極めて恐れました。

 

古森 しかし“その他の戦力”という部分だけを削っても、“陸海空軍はこれを保持しない”という箇所だけははっきり生きていれば、やはり効果は同じだったのではないでしょうか。

 

ケイディス うーん、まあそう言えるのかも知れませんね。“戦力”という箇所だけに限っての削除なら、考えたかも知れない。しかし全体の文章の削除は問題外です。

 

古森 もう一度、繰り返しますが、“国の交戦権はこれを認めない”という部分は、もし日本側から削除の求めがあったなら、あなたはまったく反対しなかった、というわけですね。それは“交戦権”というのはさほど意味がない、重要ではない、と考えたからですか。

 

ケイディス 反対はしなかった、というのはそのとおりです。私は交戦権ということが理解できなかった。交戦状態にある時のさまざまな権利、というのがなんなのか、知らなかった。正直なところいまでもわからないのです。(笑い)交戦権というものがあることは知っています。が、それが一体なにを指すのかがわからないのです。だから当時、“ここでわれわれが取りあげているのは一体なんなのか、交戦権とはなんなのか”ということを問いつめるべきでした。いまだったらきっとブレイクモア氏かだれかによく聞いてみるでしょう。

 

古森 ブレイクモア氏?

 

ケイディス BLAKEMOREです。彼は日本在住の代表的なアメリカ人弁護士で、日本の弁護士会のメンバーでもあるはずです。私は彼のような人物に頼んで、交戦権について、もしそれに関する規定を憲法から削ったら、どんな権利がなくなることになるのか、法律解釈の覚書を作ってもらうのがよかったと思います。しかし実際には私は、それ(交戦権を認めない)がホイットニー将軍がくれたノートに書かれてあったので、ただそのまま憲法草案に挿入したのです。

 

古森 ここで基礎的なことをはっきりさせておきたいのですが、THE RIGHT OF BELLIGERENCYというのは、さきに日本の法律用語で“交戦権”というようなものが存在して、その概念を取り入れるために、アメリカがそれを英語に翻訳した、というようなことでは、あくまでもないのですね。

 

ケイディス はい。英語のTHE RIGHT OF BELLIGERENCYというのがさきに存在したのです。そのことは前から知っていた。ただそれが具体的になにを意味するのか、私は確かではなかったのです。しかし日本側にはこの交戦権ということについて研究した法律家たちがたくさんいるはずです。その後、憲法制定についての(日米の)会議が何回かあって私は金森国務相と長谷川氏(翻訳官)と話し合ったけれども、交戦権とはなにを意味するのかについては、だれも質問を提起しませんでした。だから私は自分自身、それがなにを意味するのか知らなかったのだけれど、日本側の人たちはきっと知っているに違いないと推察したのです。

 

古森 交戦権とは単に、主権国家が自国防衛のため、あるいは他国への攻撃のために、戦争を宣言する、戦闘状態に入るという権利を意味するのではないでしょうか。

 

ケイディス よくわかりませんが、私はもっとそれ以上のことを意味するのだと思います。たとえば相手国さらに第三国の港を封鎖する権利なども含むかも知れない。とにかく当時だれもこの点を質問しなかったのです。

 

古森 少し言い方を変えて質問したいのですが、では、あなたの解釈では、他のどの国も交戦権というのは持っているわけですか。

 

ケイディス もしその国が交戦状態に入れば交戦権を持つことになるでしょう。私が思うに、当時、意図されたのはもし日本が戦闘状態に入ることがあっても、それは自国の純粋な防衛のためにのみ戦闘をしているのだから、交戦権は必要ではない、ということかも知れません。その交戦権がなにを意味するにしても、です。

 

古森 江藤淳教授、現行憲法の成立事情についての研究者としていま日本でも有数の学者であり、ケイディスさんも会われたことがあると思いますが、その江藤教授は、もしある国が交戦権を持たないということであれば、それはその国の主権そのものの制限である、と説いています。これは、すべての主権国家は交戦権を持っている、という前提に立っているわけですが。

 

ケイディス はあ・・・・・・

 

古森 江藤教授の考えでは、だから日本は完全な意味での主権国家ではない、ということになります。

 

ケイディス なるほど。もしその考えが正しいとすれば、日本は主権国家としての基本権利のひとつを、みずから進んで放棄した、ということになりますね。攻撃性を持つ軍備をそなえることも、同様に主権国家としての権利のひとつだと思いますね。(その点でも、日本は主権国家としての権利をみずから放棄していることになるのではないか、という意味である)

 

古森 ああそうですか。しかしいずれにせよ、当時のあなた自身の判断では、この交戦権に関する部分は、さほど重要ではなかった、ということですね。

ケイディス そうです。

 

古森 新憲法の基本的な構成要素では、まったくなかったという考えですね。

 

ケイディス そのとおりです。もしその“交戦権を認めない”という箇所を削除しても、日本はなお、国際紛争の解決手段として戦争を放棄している。自衛以外のためには軍隊を持たないということになっている。だから私は当時、交戦権の規定はあなたの言うように、“さほど重要”とは思わなかったのです。

 

古森 ああ、そうですか。

 

ケイディス しかしいずれにしても、当時、この点をだれも問いただすということがなかったのです。

(つづく)

 

 

 

 

社会主義とはなんなのか。共産主義とはなにが同じで、なにが違うのか。
わかっているようで、意外とわからないテーマです。

このテーマを歴史的かつ国際政治的に解明した書『民主社会主義への200年』(一藝社刊)が出ました。いまの世界の思想を理解するにはきわめて有益な書だと思い、ここで取り上げることにしました。
副題は『フランス革命からポスト冷戦まで』。

著者は日本での社会主義研究の権威、関嘉彦氏です。
関氏は2006年5月に93歳で亡くなりました。都立大学の教授から民社党の結党にもかかわり、民社党選出の参議院議員をも務めました。

関氏は河合栄次郎門下のりべラリストで、自由民主主義への信奉という立場からマルクス・レーニン主義の全体主義の教えには批判的でした。その一方、複数政党性を認める民主社会主義にも理解を示していました。

東西冷戦中、日本の知識人の多くが米国とソ連のイデオロギー面での対立を「資本主義」と「社会主義」と評したのに対し、関氏は「自由民主主義」と「共産主義」と評しました。
前者の区分はソ連自身が使っていた表現であり、後者が非共産圏の国際基準でした。

その関氏がマルクス主義をも含めての社会主義一般が欧州でどう発展し、共産主義が民主社会主義とどう分かれ、どう対立し、どう敵視しあうようになったかを詳述した『社会主義の歴史』(ⅠとⅡの上下二冊)を世に出したのは1980年代でした。私も記者としてイデオロギー問題に触れる記事を書く際、この名著を参考にさせてもらったことは数え切れないほとありました。

今回の書はその『社会主義の歴史』の復刻版ですが、末尾にはソ連の共産主義体制が崩壊していったことの分析も加えられています。

関先生のお弟子さんだった和田修一氏(現在、平成国際大学法学部准教授)が長年にわたり編集や加筆の努力を重ね、出版を実現させた成果です。

これからも手元において、使わせてもらうつもりです。

下に本のカバーの写真を載せてみました。
操作が下手で、みにくくなり、申し訳ありません。



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