2007年08月

慰安婦問題もアメリカ下院が日本糾弾の決議を採択し、日本当局はその不拘束声明を事実上、無視して、いわゆる慰安婦問題も当面は自然解消という感じです。
日本のマスコミもほとんどがもう後追いはしないという姿勢のように思われます。

なおこの慰安婦決議案を推進した真の主役である中国系組織については私が日経BPの連載コラムで改めて書いています。日本のマスコミの大多数が取り上げないこの主役の存在はきわめて重要です。下記のリンクで読めます。
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/55/

さて、そんな慰安婦問題のフォローアップの過程で、朝日新聞が8月11日の朝刊に掲載した寄稿論文には関心をひかれました。「慰安婦問題」「まず彼女らの名誉回復を」という見出しの長文の論文です。筆者は山梨学院大教授の小菅信子氏、国際関係論と近現代史が専攻の学者だとされています。

この論文の内容にはびっくりしました。「途方もない」という言葉が浮かびました。
日本は自国の過去の行動に対する濡れ衣的な事実無根の糾弾に対しても「事実誤認」だと反論してはならない、というのです。しかも日本の慰安婦は「あらゆる戦時性暴力の国際的なシンボル」だから日本がその加害者の代表として全世界に謝れ、というのです。

その主要部分を紹介し、コメントしていきます。
ちなみにこの論文の筆者の小菅氏は私はまったく存じ上げません。それなりの学術の実績を残された方なのでしょうが、私的な事柄は一切、排して、同氏が公的な場で発表した今回の主張だけを取り上げます。

まず小菅論文の核心部分は次のとおりです。

<<今回の決議に対しては、まずは米議会あるいは国際社会の「事実誤認」をただすことを急務と説く主張もある。慰安婦には心から同情するが、慰安婦問題には日本が一方的に濡れ衣を着せられている部分があるから、まずは正確な歴史認識をとの主張だ。
 しかしながら、たとえ反発や非難を招いても、言うべきことは言わなければならないという心情を優先させてしまうことは賢明ではない。
 われわれがまず留意すべきなのは、慰安婦は、今日、従来の歴史研究の対象の域を超えた存在でもあるという点だ。いまや彼女は歴史上なされたあらゆる戦時性暴力の国際的なシンボルである。踏みにじられた人間の尊厳と権利とを回復することが我々の生きる時代の使命であるから、慰安婦問題は、女性の名誉と人権の回復の問題そのものとして国際社会で認識されているのだ。>>

さあ、よく読めば読むほど、途方もない、恐るべき主張であると感じさせられます。
筆者はアメリカ議会の決議には「事実誤認」があることを否定はしていせん。しかしその誤認を正そうとしてはならない、と説くのです。その理由は「慰安婦問題は従来の歴史研究の対象の域を超えた」からであり、「慰安婦は歴史上なされたあらゆる戦時性暴力の国際的シンボル」だから、だというのです。

まず慰安婦問題がもう歴史研究の対象ではない、などとは、一体、なにを根拠に誰が決めたのでしょう。日本という国家が過去に「軍や政府が女性を組織的に強制徴用して、性的奴隷にした」という非難に対し、「もう歴史研究の対象ではないから、事実誤認を正そうとしてはならない」と、この論文の筆者は述べるのです。

同じ理屈を使えば、南京事件も、米人捕虜問題も、731部隊も、たとえ「日本軍は100万人の中国民間人を一気に虐殺した」などと言明されても、もうみな「事実誤認を正してはならない」ということになりかねません。
そもそも過去の出来事が現在に持ち得る意味を考える際に、その歴史上の出来事の「事実誤認を正してはならない」というのは、近現代史を専門とする学者の立場たりうるのでしょうか。

さらにこの論文の看過できない最も重大な主張は「慰安婦が歴史上なされたあらゆる戦時性某暴力の国際的なシンボル」だと断じる点です。
この理屈に従うと、日本の慰安婦はいまダルフールでスーダン政府や中国の直接、間接の支援を得てなされる大量虐殺のなかの集団レイプのシンボルでもあるわけです。
ソ連軍将兵が旧満州で日本人婦女を傍若無人に強姦したことも、日本の慰安婦問題が象徴しており、日本がいま謝罪をする理由の一つになる、というわけです。米軍が占領下の日本で実行させた軍隊用の組織的セックス奉仕も、同じ米軍がベトナムで行った売春買春の行為も、そして韓国軍がベトナムで実行したセックス徴用も、みな日本の慰安婦問題に総括されることになります。
そして、その慰安婦に対しての加害者とされる日本国が「歴史上なされたあらゆる戦時性暴力」に対し、責任を感じ、謝罪をするべきだ、という理屈になってしまいます。
いまの日本の政府や国民が慰安婦について謝るだけでなく、日本人女性を強姦したソ連軍将兵にとってかわって、その日本女性たちに謝る、ひいては、ダルフールでいま強姦されている現地女性たちにも日本国が謝る、という病的な理屈になってしまいます。

日本は「歴史上なされたあらゆる戦時性暴力」に責任を負わねばならないほど、邪悪な、劣等な、特殊な国なのでしょうか。

「途方もない」と冒頭に書いたのは、以上の理由によります。

さらに小菅氏は安倍首相に対し、「日本軍の関与を認めた河野談話の継承を内外に示すことである」という対応を勧告しています。
しかしアメリカ議会は慰安婦問題では「河野談話の保持では不十分」だという立場から出発して、日本糾弾を打ち上げているのです。マイク・ホンダ議員は河野談話での日本の謝罪では真の謝罪になっていないとか、公式の首相の謝罪ではないと断じています。河野談話ではダメなのです。この点にも「慰安婦問題」の邪悪性がひそんでいます。

ちなみに小菅氏はホンダ議員が決議採択の直後に最初に謝意を表明した在米中国系団体「世界抗日戦争史実維護連合会」が果たした役割をどう考えているのでしょうか。この抗日連合会が日本の国連安保理常任理事国入りへの反対運動を中国当局と連携してグローバルに展開し、4200万人の反対署名を集めたと宣言していることを、どう位置づけるのでしょうか。

朝日新聞は今回の慰安婦決議案の提出から採択までのプロセスの報道で、これほど歴然としている中国系団体への言及をまったくしていません。

さあ、しばらく中断していた憲法問題にもどります。
日本国憲法を起草した米国陸軍大佐チャールズ・ケイディス氏とのインタビュー記録の紹介です。
この部分ではケイディス氏はなお憲法第9条がどうして生まれたのか、そのミステリーについていろいろ語っています。そして半分冗談ながら、第9条はアメリカの立場からすれば、賢明ではなかった、と語っています。
以下がその記録です。なおこのケイディス会見の記録の紹介は次回で最終回とします。

古森 幣原氏が天皇の考えをマッカーサー元帥に伝えたことが考えられる、ということですね。

ケイディス 幣原氏はその回顧録の中で、天皇の神格化否定の詔勅をつくる過程では、天皇とともにその作成にあたった、と述べているそうです。彼が天皇と話す機会を持っていたことは明白です。私は幣原氏に追放令の関連で、数回会ったことがあります。追放によって彼の「進歩党」のメンバーはほぼすべて国会から排除されることになったから、彼は追放令にはもちろん猛烈に反対していました。
 しかし幣原氏はいつも率直で、フェアーだった。だから私は彼が好きだった。彼の率直さを考えると、彼の息子さんが言っていることも、きっと真実なのだ、と思えてきます。が、となるとマッカーサー元帥がその回顧録の中で、本当のことを言っていないということになる。元帥は幣原氏がやってきて、戦争放棄のアイディアを提案した、と述べているからです。が、幣原氏にさらに別の人物、たとえば天皇、あるいは別の人が、そうしたアイディアを与えたかも知れないのです。

古森 しかしマッカーサー元帥自身がその戦争放棄を発案した、という説を否定できる理由もあなたは別になにも持っていないわけですね。

ケイディス そのとおりです。私の受けとった黄色い紙(マッカーサー・ノート)が、もし彼自身の筆跡であれば、その戦争放棄も多分、彼自身の発案だったと思います。しかしその紙を私は持っていないのです。

古森 あなたには要するにそれ以上はわからない、ということですね。

ケイディス その紙を持っていれば筆跡を判定もできたのですが。またホイットニー将軍にノートの発案者がだれか尋ねてもよかったのだけれど、そんなことをしたらきっと生意気な奴だと思われたでしょう。所詮は私は一大佐であり、命令されたことをただ実行するのが義務だったのです。

古森 第九条の起草者としてあなたは、いまの日本の自衛隊が、厳密には憲法違反だと思いますか。

ケイディス さあ、それは日本の最高裁判所が決める問題ですね。

古森 日本の最高裁の答えは「ノー」です。自衛隊は違憲ではない、ということです。

ケイディス であれば私はもちろんその最高裁の判断に同意しますが、いずれにせよこれは日本の国内問題です。

古森 第九条を起草したこと自体、いまふりかえってなにか感じることはありますか。たとえば戦争放棄とか再軍備禁止のお陰で、日本の経済の繁栄が容易になった、結果的に日本にとってプラスになりすぎたくらいだ、という評価もあります。

ケイディス 第九条が日本にもたらしたことを考えてみて下さい。アメリカのように巨額の資金を軍備に費やすかわりに、日本は経済努力に専念できた。いまの栄える日本を見て下さい。そして日本に対し防衛面でもっと努力をするべきだという圧力がかかるたびに、この第九条は日本にとって完璧な言い訳となる。極東の軍事力を十分に保つために、日本はもっと貢献(負担)すべきだ、アメリカはもう独力ではそれができない、という要請があるたびに、日本はぐるりとふり返って、“みて下さい。私たちは憲法の規定によりそうしたことはできないのです”と反論することができる。
 だから第九条はアメリカの対日外交の手をしばる効果をはたしている。それも日本の立場からみれば一向かまわない。なぜならアメリカはソ連が日本に向けて進撃し、日本を占領するような事態を決して座視しないことを、日本はよく知っているからです。

古森 アメリカの立場からみたらどうですか。

ケイディス あまり賢明なやり方ではないですね。(笑い)

古森 しかしこれまでのお話で、憲法づくりのかなりの部分がはっきりとしてきました。

ケイディス いや、あまり役に立てなくて申し訳ありません。当時の資料をもっと保存しておけばよかったのです。そうすればもっとくわしく確実なことが話せたのです。しかし外務大臣公邸での、あの会談の日のことは、とくに鮮明に覚えています。頭の中にその光景をいますぐ再現することができます。
 思えばそれは非常にドラマチックな瞬間でした。ホイットニー将軍はその会談について後で私にこんなことを告げました。これは将軍自身、自分の本の中にも書いていることです。GHQの憲法草案を日本側がただちにしりぞけた場合には、アメリカ側はそれを国民投票にかけるぞ、とホイットニー将軍が、その会議で日本側に迫ったわけですが、同将軍はマッカーサー司令官からそういうことを言え、というような命令など一切、受けていなかったというのです。ホイットニー将軍の独断で、そういう言葉を述べたのだ、というのです。
 総司令部に帰ってからホイットニー将軍は、マッカーサー元帥にその旨を事後報告しました。“国民投票にはかって、もし国民がGHQの憲法に反対すれば、もうこの新憲法の話はなかったことにしてもよい、とまで日本側に私の独断で告げたのは、とても過激な方法でした。もしマッカーサー司令官がそれに反対ならば、私はいますぐ幣原首相を訪れ、会談で述べた国民投票の件は自分の独断であり、マッカーサー司令官の考えではないから取り消す、と伝えるつもりです”と。
 しかしマッカーサー元帥はこれに対し“それはとてもいい考えだ。私がそれを考えつかず、貴官(ホイットニー将軍のこと)がそれを思いついたというのは、むしろ残念である。”と述べたそうです。

 しかしホイットニー将軍がそんな威圧的な言葉を、独断で述べたのも、もしかしたらその日、高熱があったからかもしれませんね。(笑い)

古森 そうですね。熱がなければ将軍はそれほど短気にはならなかったかも知れない。

ケイディス ホイットニー将軍が“原子力エネルギー・・・・・・”と言ったのも、私は彼が病気だったせいだ、と思います。そもそも私はその日、帝国ホテルに彼を迎えに行った時、彼は病気でまだ寝ていたので、会議に行くのをやめるよう説得したのです。彼は顔面が紅潮して熱っぽく、汗をとてもかいていた。とてもひどい様子だった。彼は無理すると肺炎にでもなりかねないと、私は思ったので、“病気なのだからやめましょう。日本側にはちゃんと説明できます”と言ったのです。
 しかし将軍は“いやそんなことをすると日本側は私の病気などは口実で、なにかほかに理由があって会談を延期したのだ、と思うに違いない”と答えました。

古森 それにしても“原子力エネルギーの暖”という表現がどこから出てきたのか、私にはよくわかりません。

ケイディス B29爆撃機のせいだと思います。その時、B29がちょうど着陸したばかりで、低空で飛んでいたからです。

古森 原子爆弾を投下したのが、B29だからということですか。

ケイディス そうだと思います。ホイットニー将軍がいったいどんな考えから、そんなことを口にしたのか

私にはわかりません。その時、私もへんな表現だなといぶかったくらいです。しかしそれを口にした時、将軍は笑っていたから、きっと冗談を言っているのだろう、と私は思ったのです。でも日本側はそんな種類のユーモアを解するようなムードにはなかったのです。(笑い)

古森 結局、憲法起草全体を通じて、最大のミステリーは、第九条のアイディアを一体、誰が最初に考えついたか、というわけですね。

ケイディス しかし、たとえそれがだれであってもどんな相違があるでしょうか。だれが発案したかということは、その内容がよいか悪いかに、どんな相違を与えるでしょうか。

古森 少なくとも歴史家にとっては、大きな相違があるでしょうね。日本国民にとってもいくらかの相違はあるのではないでしょうか。

ケイディス もちろんもしそれが外国人、アメリカ人による発案だとすれば、それが日本人である場合とはかなり違ってくるでしょうね。もし日本人のアイディアであるということになれば、第九条を改正することが、より困難になるでしょうね。

古森 そうです。だから日本では第九条の発案者がだれかは、非常に非常に政治的な問題なのです。

ケイディス しかしなぜでしょうか。芦田氏が第九条二項の最初の部分を修正した時、もし日本側がそういう第九条の内容にほかにも賢明ではないという点があったならば、なぜその他の修正を求めなかったのか、私には理解できません。たとえば、「攻撃目的のための陸海空軍は、これを保持しない」というふうに変えるよう求めることもできたはずです

古森 その修正の求めをあなたは受け入れましたか。

ケイディス はい、受けいれました。けれども現実には、日本側はひとつ(芦田修正)以外には、なんの提案もしなかったのです。

古森 第九条に関してはひとつだけだったのですね。

ケイディス はい。日本側に対し第九条について提案をしなくてはいけない、などと私は一度も言いませんでした。さらに芦田氏に対しても、私は修正を認めるのにホイットニー将軍の許可を得なくてよいのだということを告げたから、日本側は自由に修正を求められることはよく知っていたはずです。

古森 日本側は十分、承知していたのですね。

ケイディス 私がはっきりそう告げましたから。でも日本側は憲法案の修正を自由にいろいろ始めたら、きっとあまりにその数が多くなって国会での審議その他も困難になってくる、というような政治的理由から、差しひかえでもしたのでしょうか。

古森 もしかするとホイットニー准将が日本側との会談で言ったあの発言が、日本の指導者たちを畏縮させたのではないでしょうか。

ケイディス 国民投票にかけるという発言ですか。
(つづく) 



 毎年、この時期になると、「平和」について考えさせられます。
 原爆投下の追悼の日から終戦記念日まで、戦争と平和について、日本中が真剣に語り、思う、というふうになるからでしょう。

 では平和とは一体なんなのか。

  毎年、この時期に高まる「8月の平和論」は、いつも内向きの悔悟にまず彩られるようです。戦争の惨状への自責や自戒が主体となるようです。自責はときには自虐にまで走ります。。個人でいえば、全身の力を抜き、目を閉じ、ひたすら自己の内部に向かって平和を祈る、というようなのです。

 こうした反応も自然であり、貴重です。
8月の平和の祈念は戦争犠牲者の霊への祈りと一体となっているからです。戦争の悲惨と平和の恩恵をとにかく理屈ぬきに訴えることは、それなりに意義は深いでしょう。

 しかしこの内省に徹する平和への考え方を日本の安全保障の観点からみると、重大な欠落が浮かびあがります。平和の質が論じられない点がそれなのです。

 「8月の平和論」では平和を単に「戦争あるいは類似の軍事衝突がない状態」となんとなく定義づけられます。そしてその平和の保持の絶対性を叫ぶ以上には、それにプラスしての守るべき平和の内容がまったく語られない点だともいえます。

 私の永年の記者活動では、サイゴン陥落の報道が最も強烈な体験でした。1975年4月30日、南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン市)は北ベトナム軍大部隊に攻略されました。北ベトナム軍の精鋭は南ベトナム大統領官邸の鉄門をソ連製タンクで打ち破り、内部に疾風のように駆けこんで、革命旗を高々と掲げました。世界を揺るがせたベトナム戦争の終結の瞬間だったのです。

 そんな歴史の舞台を憑かれたように走り回っていた私は間もなく、北ベトナム軍将兵が旧大統領官邸の正面バルコニーに巨大なスローガンを掲げるのをみました。黄色の地の横断幕にはベトナム語で「独立と自由ほど貴いものはない」と大書されていました。ベトナム共産党(旧労働党)を率いたホー・チ・ミン主席が民族独立と共産主義革命の長く険しい闘争の過程で一貫して掲げた聖なる政治標語でした。

 30年もの戦争が終わり、やっと平和が訪れた歴史の区切りに、平和という言葉がうたわれないことを一瞬、けげんに感じたものでした。

 ベトナム民族独立闘争で至上とされたホー・チ・ミン主席のこの言葉は、国の独立や民族の自由を得るためには平和を犠牲にしても戦うという決意の表明でした。単に戦争がないというだけの平和よりは、独立や自由の方が重要だということだったのです。

 フランスの植民地支配下でも平和ではありました。だが独立と自由のない平和は許容できない、とホー・チ・ミンは宣言したのです。求めるべき平和は独立と自由をともなった平和しかない、という信念の宣言だったのです。

 このベトナムでの体験から10年ほどあとに欧州でまたホー・チ・ミン主席の言葉を偶然、思い出させられました。ソ連の軍事脅威に揺れ動く当時の西ドイツで、国防省高官からみせられた防衛白書に「わが国の平和政策は単なる平和の維持では十分とせず、自由、独立、人権尊重の維持を目標とする」という記述があったからでした。ベトナムとはおよそ異質な国のドイツでも、人権尊重という要因が加わるだけで、平和には独立や自由がともなわねば不十分、と宣言していたわけです。

 二つのケースに共通するのは、平和の内容に条件をつける姿勢でした。戦争がなくても奴隷の平和、抑圧の平和、腐敗の平和では意味がないとする思考です。特定の価値や体制を守るには平和を犠牲にしもて戦う場合もある、という宣言だともいえましょう。

 一方、日本の平和論は戦後知識人の「平和問題談話会」による「なににも増して戦争を憎み、なににも増して平和を愛しつつ」との言明のように、戦争と平和を両極で絶対視するだけで、平和の質や内容を問うことはまず、ありません。国民を守るという発想がうかがわれません。「8月の平和論」にはさらにその傾向が強いといえそうです。

 繰り返しますが、戦争の悲惨と平和の恩恵とは永遠に語られるべきです。だが条件をまったくつけない平和の保持だけを唯一至上の目標とすれば、外部からのいかなる武力の侵略や威嚇にも抵抗してはならないことになります。いかなる形の軍事衝突をも避けるためには、侵略者の求めにはすべて屈する以外にないからです。たとえオウム真理教が外国の傭兵数千人の部隊で日本に攻撃をかけた場合でも、一切の抵抗はできないことになります。

 日本もベトナムやドイツと同じ思考を、とまでは私は主張はしません。
 しかし国際社会が一定の価値を守るためには実力行使もやむなし、と考える国々により構成されている現実だけは認識せねばならないでしょう。
 なぜなら日本の平和というのは日本と外部世界との関係だからです。戦後62年、平和を考えるにも、みずからの姿勢をきりりとし、目を開き、外部に視線をすえながら国際社会に向かって平和を求める、という時期がきたのではないでしょうか。

 以上は私が以前に産経新聞に書いた記事の書き換えです。以前にここで書いたことは現在もそのまま提示できると思いました。

62年前の8月9日には長崎に原爆が投下されました。
アメリカ側の公式の主張、と同時に多数派の主張は、広島、長崎両方への原爆投下こそが日米間の激しい戦争を早く終結させた、という趣旨です。だから原爆投下は必要だった、というわけです。これに対する反論や否定ももちろんアメリカ側内部に存在します。

しかし広島の原爆の碑文をみると、日本側でも実はあの原爆投下をアメリカ側の非とは必ずしもみていない向きがたぶんにあるように思われます。碑文にある「過ち」は誰が冒した過ちなのか。普通に読めば、「私たち」、つまり「日本側」の過ちという解釈になります。ということは、日本側が過ちを冒したからこそ、原爆を投下された、ということになり、米側の非をつく認識はそこには(少なくとも碑文を文字通り読んだ解釈だけからでは)表明されていません。

そんなことを思いながら、長崎の原爆投下についても考えました。この二発目の投下が「戦争を早く終わらせる」という目的に合致するのか否か。広島への投下にくらべてはずっとその「目的」の論拠は薄弱となります。

こうした諸点について最近、書いた私の記事を以下に紹介します。


【緯度経度】ワシントン・古森義久 米国での原爆投下論議
2007年07月28日 産経新聞 東京朝刊 国際面

 防衛相だった久間章生氏が原爆投下について「しようがない」と述べたことを責められて辞任してから1カ月近く。広島や長崎の被爆記念日もすぐだから、原爆に関する論議がまた聞かれることだろう。

 原爆論議といえば、CNNテレビの「クロスファイア」という討論番組に招かれ、ずばり「広島、長崎への原爆投下は必要だったのか」を論じたことがある。「十字砲火」というタイトルが示すように、この番組では時の話題への賛否を激しく自由に討論する。1994年12月だったが、テーマの今日性は不変だろう。

 番組のホストは先代ブッシュ大統領の首席補佐官だったジョン・スヌヌ氏と政治評論家のマイク・キンズレー氏、ゲストは広島と長崎の原爆投下の両ミッションに出撃したチャールズ・スウィーニー退役少将、「原爆外交」という書を出した歴史学者ガー・アルペロビッツ氏、それに私だった。

 スヌヌ氏が「原爆投下は日本の戦意をくじき、戦争を早く終わらせたから、必要だった」と述べ、日本軍の太平洋の諸島での「不屈の戦闘ぶりによる犠牲者の多さ」を強調した。スウィーニー氏も「翌年はじめに予定された日本本土上陸作戦での死者の多さの予測を考えれば、当時のトルーマン大統領の原爆使用の決断は正当化される」と述べた。

 米国側からみての「しようがない」という議論である。私もこの米側の思考はよく知っていた。原爆を開発した米国原子力委員会の「ロスアラモス科学研究所」を70年代に訪れ、広島、長崎に投下された爆弾2個のレプリカ展示の記念碑文を読んで衝撃を受けたものだった。

 「これらの使用は戦争に終止符を打ち、戦争が続けばさらに失われた何千、何万もの生命を救うという大きな貢献を果たした」

 米側の公式の原爆投下肯定論に初めて直面して、ショックを受けたわけである。

 その後もそうした見解を何度も聞き、このCNN討論番組に出る数カ月前にも先代ブッシュ大統領のバーバラ夫人が出した回顧録でも、もっと人間レベルでの受け止め方を読んでいた。

 「日本への原爆投下の報を聞き、うれしく思った。これで太平洋戦線に海軍パイロットとして出撃していた婚約者のジョージが無事で帰ってこられると考えたからだ」

 一国の惨禍が他国の喜びとなるのが戦争の過酷な現実だろう。最年少の19歳で海軍士官に志願したブッシュ氏は44年に父島を爆撃中、日本軍の対空砲火に撃墜され、米海軍の潜水艦に救出されて、文字どおり九死に一生を得ていた。同時に撃墜された他の米軍パイロットたちが日本軍の一部による人肉事件の犠牲になったのも米側の戦史では有名だった。

 私は米側の実態をその辺までは知っていたが、テレビの討論ではためらうことなく原爆投下を非難した。

 「原爆投下の時点では米側はもう日本の降伏を確実視していた。ソ連の参戦もあり、とくに2発目の長崎への投下は戦争の早期終結が目的ならば不必要だった。もし日本側に原爆の威力を示すことが目的ならば、無人島にでも過疎地にでも投下すれば、十分だっただろう。合計20万以上の民間人の犠牲は戦争継続の場合の戦死者の予測数では正当化はできない」

 思ったことをそのまま口にした。するとアルペロビッツ氏が歴史学者の立場から米国は日本の全面屈服が間近なことを知っていたし、原爆使用には当時の米軍最高部にも反対があり、日本側の民間人の少ない海軍基地に示威投下をするという計画もあった、と述べた。米国側の主流の意見ではないが、私の主張には支えとなった。

 だがスヌヌ氏やキンズレー氏は日本軍のパールハーバー奇襲や中国などアジア各地での殺戮(さつりく)を持ち出してきた。もし日本軍が原爆を保有していれば、間違いなく使っただろう、とも断言した。だから原爆投下はやむを得ず、正当でさえあった、というのである。

 私は持論は変えなかったものの、スヌヌ氏らの意見も、米側に立てば、それはそうだろうと、内心、思った。異なる国同士が総力で戦い、殺しあう戦争では、一方にとってのプラスは他方にはそのままマイナスとなる。黒白フィルムのポジとネガである。

 直接の戦争でなくても、伊藤博文を殺した安重根は暗殺者か、英雄か。ゾルゲは邪悪なスパイか、救国の革命家か。現代のテロでも一方にとってのテロリストは他方にとっての殉教者となる。原爆投下の適否も考える側が自らを日本側におくか否かがキーなのだろう。 


日本では広島、長崎への原爆投下の追悼記念日が間近となり、その犠牲となった方々へのねぎらいが厳粛に表されるとともに、核廃絶、反核という課題が改めて真剣に語られるでしょう。

そうしたなかでも最も注視される行事の一つは8月6日の広島での追悼式典でしょう。この場での広島市長の言明は世界的にも認知されています。ことしも秋葉忠利市長が被爆者への慰めを述べ、核兵器を絶対悪とみなすという大前提からの核廃絶や反核のアピールを強調することでしょう。

この反核の訴えでは、ぜひともいま日本国民を憂鬱にさせている北朝鮮の核兵器開発、そしてイランの核兵器開発、さらには着実に核戦力を増強し、しかも年来の「核先制不使用」の方針を崩すようにもみえる軍事大国の中国に対しても核廃絶を求めてほしいものです。

秋葉市長のこれまでの核廃絶の求めは米国に対して、という部分がほとんどでした。米国が世界最大の核大国である事実をみれば、ある程度、納得できる対応ではあるでしょう。日本の防衛には米国の核抑止力が取り込まれているという現実も、この際は棚にあげましょう。そして「核兵器は絶対悪」という日本の反核運動の基本をこの際、最大限に尊重するならば、なおさらのこと、新たに核兵器を開発し、増強している諸国に対しても、その「反核」の矛先は向けられるべきでしょう。

広島市長、明日の式典ではぜひとも、北朝鮮、中国、イランなどの核廃絶をも訴えてください。


以下のこのテーマについて産経新聞に以前に書いた私の記事の抜粋を掲載します。



【緯度経度】「北」には触れぬ“反核運動” /ワシントン 古森義久

2002年12月29日 産経新聞 東京朝刊 国際面

                (略)

 日本でも反核派はなぜいま静かなのだろう。すぐ隣の北朝鮮の政権が核兵器の開発をすでに始めたぞと宣言しているのに「核の廃絶を!」というかつて聞き慣れた声はまったく聞こえてこない。ここでまた日本の反核運動について改めて考えさせられる。

 日本はいうまでもなく核兵器の攻撃を正面から受けた唯一の国である。広島や長崎の人間的悲劇はないがしろにされてはならない。その体験が核兵器の絶対的な忌避につながるのも自然である。

 だがその一方、日本の反核運動の一部がきわめて政治的動機で展開されてきた歴史も否定できない。冷戦時代、ソ連の共産主義体制との連帯を求める勢力が西側陣営の核だけを非難し、ソ連や中国の核は平和維持のためだからよいとして許容してきたのだ。

 原水爆を禁じようとする日本での運動が共産党系、社会党系に分かれて激しく対立してきたのも、その例証である。

 冷戦中にはソ連当局がひそかに西側自由陣営の反核運動をあおっていた事実もいまでは明らかとなった。一九八〇年代には北朝鮮が日本の元赤軍派を使ってヨーロッパでの反核運動に加わり、日本向けの反核宣伝文書を作っていたことも関係者により暴露されている。そもそも一般市民による反核運動というのはソ連とか中国、さらには北朝鮮という全体主義国家では起きえない。起きても瞬時に弾圧される。日本や米国のような自由の国でしか展開されないのだ。全体主義国にはそもそも世論が政府を動かすメカニズムもない。だから反核のほこ先は自由主義国政府の核兵器に対してのみ効果を発揮してきた。

 東西冷戦中、反核運動には構造的にこういう偏りがあった。だが冷戦がとっくに終わったいまも日本の反核運動は同盟国の米国の核には抗議しても、脅威たりうる北朝鮮や中国の核には奇妙なほどの沈黙を保つ。運動の歴史的偏りのせいだとは思いたくない。
                 (略)

↑このページのトップヘ