2007年09月

9月末にブラジルのリオデジャネイロで開かれた世界柔道選手権大会では、日本の期待の星の井上康生、鈴木桂治両選手がともに奇妙な判定で敗北を喫しました。
同時にその際に開かれた国際柔道連盟の総会で山下泰裕氏が教育・コーチング担当の理事の座から引きずり下ろされました。これまで同理事だったのを再選を求めたのですが、投票でアルジェリアの候補に大敗したのです。世界に知られた不敗のチャンピオンの山下氏が無名に等しい人物にあっさり破れてしまったのです。

これは一体どういうことなのでしょうか。
山下氏はなぜ選挙で大敗したのか。
井上選手らはなぜ試合の不可解な判定で負けたのか。
先に山下氏の書簡をこのブログで全文、紹介したので、今回はその続報のつもりで二つの記事を掲げます。
   
        柔道にみる日本の主張ーー産経新聞9月22日 緯度経度
                                    古森義久

リオデジャネイロでの世界柔道選手権で日本選手への判定が論議を呼んだことを知って、日本にとって柔道も外交も同じだなと感じながら、かつて自分がワシントンからリオに飛び、柔道取材をした体験をつい想起した。1978年11月、たまたま今回と同じリオでの第5回世界学生柔道選手権だった。当時、毎日新聞のワシントン特派員だった私は学生時代に自分も柔道に励んだことから、とくにこの取材を志願した。

 それまで政治や事件ばかりを担当してきたので、初めての柔道試合報道だった。
 この大会にのぞんだ日本代表たちはすでに全日本チャンピオンだった山下泰裕選手を軸に無敵の大学生チームにみえた。だが団体戦では初の敗北を喫してしまった。対ソ連戦の一試合での審判の奇妙な判定が全体の勝敗を分けたのだった。日本の道場選手対ソ連のカボウリアニ選手の試合だった。

 カボウリアニは立ったままの姿勢から強引な腕ひしぎ十字固めで道場のヒジを攻め、場外へともつれ出て、審判が「待て」を宣しても攻撃をやめなかった。その結果、道場はヒジを負傷して、試合を続けられなくなった。審判は道場の負けと判定した。だがカボウリアニは「待て」を無視して攻撃を続けたのだ。日本側は当然、カボウリアニの反則負け、最大限、譲っても引き分けだと主張した。日本柔道はもうこのころから不可解な判定に悩まされていたのである。

 このときの日本の監督がかの有名な神永昭夫氏だった。神永監督は正面からこの判定に抗議し、撤回を求めた。運営側はその抗議を英文の書面ですぐ提出することを要求した。すると、神永監督はすたすたと記者席の私のところに歩いてきて、「いまから私の抗議の口述を英訳してください」と告げた。私の大学柔道歴や米国駐在を知っていての注文だった。柔道を経験していて神永氏の要請を断れる人間はいなかった。私は報道業務を一時中止して、必死で和文英訳に取り組んだ。

 文書で出された日本の抗議も結局はいれられなかった。だが抗議の事実と内容ははっきりと記録に残った。曲がりなりにも日本の対外発信はここで公式に認知されたのである。

 さてそれから29年、またも奇妙な判定が日本の柔道を激しく揺さぶった。井上康生鈴木桂治両選手がそれぞれ相手を投げたのに、倒れた相手に引きずられ、振り回されて倒れ、負けを宣せられたようにみえた試合の判定である。

 まず判定の適否をそれら試合を目前にみた専門家たちに国際電話で聞いてみた。全ブラジル柔道有段者会の関根隆範副会長(六段)は「両試合とも日本選手が勝っていた」とためらいなく答えた。日本の大学柔道出身とはいえ、ブラジルで長年、柔道を指導した関根氏は国際規則にも詳しいが、「審判員の能力に問題があり、技を最初に仕かけた側が相手を投げた動きと、相手の投げられた後の動きとをきちんと識別できなかったのだと思う」と述べる。

 日本からリオに出かけた全日本学生柔道連盟の植村健次郎副会長(六段)も「井上、鈴木両選手とも最初に技をかけ、相手を倒したのに、畳に最後に背をつけた側が負けという判定だから、いくら返し技重視の国際傾向といっても、審判技術の稚拙さというほかない」と語り、日本側の勝ちだとの判断を強調した。

 だがそれでも日本選手の敗北という判定結果は揺らがない。試合場では審判団はビデオまでみて、選手たちの動きを確認したという結論だった。

 しかし井上、鈴木両選手とも判定は絶対に間違いだとして、試合場を去らずに抗議のジェスチャーをかなりの時間、続けた。日本選手の行動としては異例だった。それほど判定は認め難かったのだろう。だが日本選手団がコーチらを通じて正式に抗議をしたという形跡はない。この点、前述の関根氏は「日本として徹底的に正式の抗議をすべきだった」と述べる。植村氏も「抗議だけでなく審判員の質や能力、そして審判規則のあり方まで日本が日ごろ発言し、主張をぶつけておく必要がある」と訴える。

 要するに日本の対外発信だろう。柔道が日本から世界へと広がる過程で日本は長い期間、指導的役割を果たしてきた。というよりも自然と模範になり、柔道のあり方自体についてなにかを求めたり、訴えたりする必要は少なくてすんできた。ところが近年は柔道本来のあり方が他の諸国によって侵食され始めた。黙々と正道を歩めば、他者もわかってついてくるという態度では通用しなくなったのだ。

 だから個々の具体的部分だけでなく、全体の構造的な国際ルールづくりにまで発信や関与が欠かせなくなった、ということだろう。日本の柔道が抱えるこうした対外発信の課題は、日本の外交から国際社会へのかかわり方全体にまで共通している、と感じた次第だった。
(ワシントン・古森義久
 
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    湯浅博 世界はニッポン柔道に憧れる
                
                  
2007年09月28日 産経新聞 東京朝刊 総合・内政面

 わが輩にも小学生のころがあって、けなげに少年柔道を学んだ。近くの警察署の道場に通い、掃除から正座、受け身、立ち技と進んだ。正月は鏡開きの汁粉が楽しみで、震えながら寒稽古(けいこ)に耐えたものだ。

 あのとき、先生が教えてくれたのは「柔道は礼に始まり礼に終わる。正々堂々と戦え」ということである。少年たちが目指すは富田常雄原作の「姿三四郎」だった。

 あのころ、柔道少年の憧(あこが)れは、総本山の講道館で三四郎の必殺技「山嵐」で試合をすることだった。右手で相手の襟をつかみ、左手は袖をつかむ。そこから技を繰り出す。背負い投げ、体落とし、内またの華麗な立ち技もある。

 それが、最近の世界選手権やオリンピックで見る外国人選手の柔道はどうだ。奥襟をつかみ、腰を後ろに引いて技をかけさせない。テレビに向かって「正々堂々と戦え」と叫んでいる自分に気づく。

 追い打ちをかけたのは、リオデジャネイロで開かれた国際柔道連盟の総会で、再選を目指した山下泰裕さん(50)が理事選挙でアルジェリアの候補に大敗したことだ。マリアス・ビゼール新会長(48)を中心とする欧州勢が対抗馬のメリジャ氏支持に回ったためだ。

 「やっぱり柔道とジュードーは違う。柔道に政治を持ち込んだビゼール会長とは何者だ」

 実は彼についてルーマニアの新聞英訳を繰ってみたが、過去に捜査当局が動いているなどと芳しくない話ばかりだった。

 オーストリア在住のビゼール会長は、もともとはルーマニアの貧しい家庭に育った。軍学校に進んだものの、何らかの理由で除籍されている。柔道を8年間学び、やがてコーチになる。人生の転機は、彼がカジノ・ビジネスで成功を遂げたことだ。浮かんでくるのは、国際オリンピック委員会(IOC)の会長ポストまでも視野にいれた強烈な野心だった。教育文化としての柔道の普及に努めた山下さんに対して、腹心で固める露骨な多数派工作が渦巻いていた。

 心にもやもやを抱いたまま、山下さんが帰国するのを待った。そして直撃インタビューを敢行する。背筋をしゃんと伸ばした体に、いつものチャーミングな顔がほころんでいた。

 彼から聞いた柔道ポリティックスは懐柔、中傷、取引など多くの欺瞞(ぎまん)に満ちていた。山下さんは「しかし」といって、「彼らは全面的に排除はできなかった」と全日本柔道連盟の上村春樹専務理事が会長による指名理事になったことの重要性を強調した。

 それにしても、「外国人選手の見苦しい試合はなんですか」と批判してみた。

 「いや、彼らは日本人選手と試合するときだけ腰を引く。つかまれると投げられることを知っているからです。でも、受ける我々はそれを負けた言い訳にはしたくない」

 柔道を目指す世界の人々には、やはり日本への憧れと尊敬があるという。海外で山下さんがサインをすると、大半が日本語で「お願いします」「ありがとうございます」と答える。できることなら、日本人選手のように立ち技で勝ちたいとの思いがあるらしい。

 山下さんは外国人選手の変則的な構えにも寛容である。グルジアには柔道とよく似たチタオバという格闘技があるように、民族的な特徴があっていいという。

 たとえばフランスの柔道人口は、登録ベースで55万人といわれる。その多くが柔道の魅力について、友情をはぐくみ、勇気を培うという教育的な側面に注目している。数字はあまり当てにならないようだが、日本は登録人口がわずか20万人にとどまる。

 国際柔道連盟にビゼール新体制が誕生した以上、かつての青のカラー柔道着の導入のように性急な改革が起こるかもしれない。

 だが山下さんは、日本柔道が大事にしなければならない3つの原則さえ、堅持していればびくともしないと語る。(1)あくまでも一本を取りに行く(2)柔道の祖国であるとの誇り(3)教育的な価値のあるスポーツである-。

 別れ際に彼が語った一言が元柔道少年をうれしがらせた。

 「あの姿三四郎が海外で翻訳され、彼に憧れて柔道を目指す子供が増えているんです」

 ビゼールなにするものぞ。きっと「正々堂々と戦え」が最後には勝つのだと知った。(ゆあさ ひろし) 

民主党代表の小沢一郎氏は日本の国際安全保障の活動を国連の承認の有無にすべてゆだねるという方針や、日本の部隊(必ずしも自衛隊ではない)を国連待機軍に送り込むという提案を唱えています。国連を全面的に信奉し、国連に依存するという思考だといえましょう。

しかし現実の世界では国連がいかに無力であるか、いまやまたまた、いやというほど証明されています。実際に力を持ち、安全保障について効力を発揮できる国連が存在するかのように説いて、その主張の上に日本の安全保障を置こうといのでは、まさに砂上の楼閣になります。危険な国連幻想だともいえましょう。

いま日本でも関心が高まっているミャンマー情勢への国連の対応をみても、この国連の無力さは証明されています。ところでこのミャンマーという国名ですが、欧米のマスコミも政府も、これを使わずに従来の国名の「ビルマ」を一貫して使っています。ミャンマーというのは独裁弾圧の軍事政権が勝手に最近、自国につけた呼称だというのです。

さてミャンマー問題に対する国連のあり方についてイギリスのフィナンシャル・タイムズ米国版9月28日付に「国連総会は無能力の意識を高める」という見出しの記事が載りました。その本文の冒頭は以下のような記述でした。
 「ビルマでの大規模な抗議集会と、それに対する軍部の激烈な弾圧は全世界に衝撃波を送り広げた。しかしニューヨークでの年次国連総会に出た世界各国のリーダーたちは呆然とした見物人以上のなにものでないほどに矮小化されていた」

この記事はそしてアメリカも欧州もそれぞれの国家主権や国家連合の権限でビルマの軍事政権への抗議をこめた経済制裁などをとりつつあるが、国連としてはなにもできない、というい現実を報じています。
国連が今回、思い切った措置をとれないことの主要理由の一つは中国の難色です。国連安保理がミャンマー政府に対して、強い措置、強い言明をしようとすると、拒否権を持つ中国がその拒否権のパワーをちらつかせて、みな阻止してしまうのです。阻止をしない場合は、抗議の内容を薄めてしまいます。安保理常任理事国としての中国の「縛り」が効いているのです。

この中国に動きについては朝日新聞9月28日朝刊の記事をみてください。

 「すでに独自の制裁を科している米国などは、今回の騒動を機に国連憲章第7章に基づく決議を採択し、制裁を国連の全加盟国に義務づけることを狙っている。そのためには、ミャンマー問題が国際的な脅威であることを安保理が認定することが前提となる。
 だが26日に開かれた安保理の緊急会合でも隣国・中国は、『地域の脅威ですらない』との考えを改めて示した。安保理の行動としては最も軽いとされてきた『報道声明』よりもさらに弱い非公式な声明にしか同意せず、『非難』を盛り込むことも許さなかった」

国連はミャンマーの軍事政権の弾圧行為を非難することもできないのです。
中国が反対するからです。この際は、中国の主張が正しいか否か、あるいはアメリカの態度が正しいかどうか、議論はおきましょう。要は国連がなにもできない、という実態です。
日本人カメラマンを射殺した軍事弾圧を非難さえもできない国際連合とはいったいなんなのでしょうか。
国連信奉者の小沢一郎氏に問いたいところです。

いよいよ発足した福田康夫政権にとって、当面の最大課題はテロ特措法の延長問題でしょう。
インド洋に派遣した自衛隊の艦艇はアフガニスタン領内やインド洋上でのテロ活動など阻止の国際的活動を支援して、アメリカやパキスタンの艦艇に給油を続けています。
アメリカ側でのその日本の活動への評価は非常に高く、超党派の謝意が表明されています。
このへんの実態は他のサイトでも報告したので、関心のある方はみてください。
下記のサイトです。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/58/


この自衛隊の給油活動を打ち切ろうというのが、わが民主党代表の小沢一郎氏です。
その小沢氏の言動に対して、大手紙のワシントン・ポストが社説で厳しく非難しました。小沢氏の発言は「反米感情の悪用」だと断じ、「危険な策略」だと叱責しました。
民主党寄り、リベラル志向のワシントン・ポストにしては、安全保障問題での日本側の対米協力への反対をここまで激しく批判するというのは珍しいケースです。

その小沢批判の内容を紹介しましょう。
9月13日付の「日本の後退?」と題した社説でした。

小沢氏に関する部分を引用します。


同社説の副題には「首相の辞任がアフガニスタンでの同盟諸国への日本の誓約に疑問を呈している」と記されていました。

本文には以下のような記述があります。

 
「普通ならば、私たちは日本が新たな出発をする機会を歓迎する。しかし安倍首相の転落の状況は懸念の材料を生んでいる。最近、安倍氏はアフガニスタンでのアメリカ主導の戦争を支援するためにインド洋に自衛隊艦艇を派遣したことに対し、民主党とその指導者の小沢一郎氏から攻撃を受けた。日本の任務は同盟諸国の艦艇に給油をすることに限られている」

「小沢氏はアフガニスタンでの各国の作戦自体の正当性をも否定し、不条理にも、『アメリカは国際社会でのコンセンサスが築かれるのを待たずに、この戦争を一方的に始めた』と言明することによって、まじめな議論の域を踏み越えてしまった。小沢氏は日本の艦艇がタリバンとアルカーイダに対する闘争を支援することを可能にしている特別立法の延長を防ぐために、国会での民主党の影響力を行使することを誓約した」

「安倍首相の辞任は、小沢氏らに対し、反米感情を悪用することが日本の政治において勝利を得るための策略になりうるという危険な信号を送ることになる」

「(インド洋への自衛艦派遣によって)小泉純一郎首相は日本がその経済力にみあった国際安全保障上のの責任を請け負った。これはいまも正しい政策である。まも正しい。その政策を目前の党派政治の利益のために逆転させることはアメリカに対し、さらには日本の信頼性への国際的認識に対し、長く続く損害を与えることになる」 



以上のように、この社説は小沢氏のテロ特措法反対が「まじめな議論の域を踏み越える不条理な」動きだと批判するです。「反米感情を利用する策略だ」とも断じるのです。
ワシントン・ポストがこれほど非難するのならば、対テロ闘争をもっと強く推進するブッシュ政権、共和党、保守勢力などは、さらに激しい怒りを感じていることは確実です。
小沢氏自身はアメリカ側のこのへんまでの反発を覚悟のうえで、
自衛艦のインド洋派遣には反対している、ということなのでしょうか。

日本軍のための慰安婦と兵士の交流を描いた小説に「水の琴」という作品があります。作者は直木賞受賞作家の伊藤桂一氏です。伊藤氏自身、戦時中は日本軍人として中国各地に駐屯し、慰安婦や慰安所も実際に目撃し、体験しています。その経験に基づく作品「水の琴」はまさに恋愛小説です。兵士が慰安婦と交流し、恋愛をするという物語です。『オール読物』昭和37年4月号に掲載されました。

軍隊のための売春というのは、今日の倫理規範からすれば、もちろん糾弾され、排撃されるべき事象でしょう。あってはならなかった悲しい事象ともいえましょう。
しかし日本軍の慰安婦たちは、アメリカ議会の決議が表現するような「性的奴隷」だったのか。日本軍将兵は慰安婦の女性たちを奴隷のように扱っていたのか。
この小説「水の琴」ではまったく異なる実態が描かれます。

この作品には以下のような記述が出てきます。「私」というのは日本軍兵士、「あなた」というのは朝鮮出身の慰安婦の女性です。舞台は中国北部の揚子江ほとりの慰安所です。


「私たちはあのとき、水の豊かな国でめぐりあった。
そのときあなたは、ひとりの、まずしい朝鮮の遊女にすぎなかった」

「私には、だれよりもあなたが美しくみえたのだ。肉とともに、意志や情操をもひさぎつくしたあとの放心のなかに、あなたがよろめきながら生きていたのであったとしても、なお私にはそのあなたのなかに、掬むべき限りない馥郁(ふくいく)を発見できていたのだから」

「あなたとめぐりあったとき、だから私は、一本の藁をも掴むような想いで、あなたに縋って行きたかったのだろう。私は、生きては故山の土を踏めまいと覚悟していた。ただ、なんの彩りもない自分の青春を抱いて、異郷の片隅で死を迎えたくはなかった。少しでも深く、あなたの谷間に溺れ込んで行き、自身の寂しさをいたわってやりたかった。私はひとつの渦に巻き込まれたように、あなたとふたりで、ひとときの人生の薄明のなかを生きたのだ」

「私の手を引いて、その部屋へ案内してきたとき、あなたはひとりで夜の町に出て行って、露店で、一椀の家鴨(あひる)の肉を買ってきた。
 『食べなさい。おいしいのよ。食べなさい』
 何度もすすめ、その一ひらを箸でさしはさんでくれたものだった。その動作は無垢な心情に満ちていて、深い夜のムードのなかで、私を快く酔わしてきた。私は素直に家鴨の肉をわけ合って食べ、長い流離を経てきているくせに、意外と純真なあなたの人となりにおどろいた。どのような境遇に陥ちていても、それ以上は汚れることのない、無心に湛えられているものを、あなたが失わずにいるような気がしたのだ」

以上はほんの一部の引用です。
この「水の琴」では慰安婦の女性に恋してしまう兵士と、その兵士に優しさをみせる女性との悲しい交流がなおふんだんに描かれています。
その描写からは「性的奴隷」というイメージではなく、哀れでむごくはあるけれども、ふつうの男女の恋愛にさえ思える純粋な交情が浮かび上がってきます。

この作品はもちろんフィクションです。しかし往時の戦争という背景のなか、だれもが明日をも知れぬ日夜を過ごしていた特殊な環境の下での、男女のやりとりが現代の規範といかにかけ離れていたかは、よくわかるでしょう。
そうした点を考えると、私は現代の規範で当時の現象の一部だけを取り出して、断罪することに対し、犯罪に近いような独善性をどうしても感じてしまうのです。

さてまた慰安婦問題です。
こんどは朗報といえるかも知れません。
オーストラリア議会の上院本会議が9月19日、慰安婦問題に関して現在の日本政府を非難し、公式の謝罪を求めるという内容の決議案を否決しました。
反対34票賛成32票の僅差でした。

この日本非難決議案を出したのは野党の労働党です。その先頭には中国系のペニー・ウォン上院議員が立って、活発に動いてきたそうです。
この労働党提案の決議案の核心は「日本の新しい首相に慰安婦問題を認めさせ、元慰安婦たちへの謝罪決議案を国会に出すことで、公式に謝罪を表明することを促す」という部分でした。
要するにいまの日本の首相に公式に謝れ、ということです。
この決議案にはオーストラリアの与党の自由党議員らが反対しました。
そして翌9月20日、上院は同じ慰安婦問題でも、日本がこれまで過去の戦争行動に関して実行してきた償いの措置への礼賛を表明する内容の決議案を採択したのです。

つまりオーストラリアの上院はアメリカ議会の下院本会議が採択した日本糾弾の慰安婦決議案と同趣旨の決議案をしりぞけたわけです。
オーストラリア議会には存在する良識や常識がアメリカ議会にはないということでしょうか。あるいは日本に対する評価が違うということでしょうか。
いずれにしても、オーストラリアの与党は自国と日本との現在の関係や、戦後の日本の民主主義や人道主義の促進への努力などを重視して、慰安婦問題でいまの日本の首相に謝罪を求めるという案は断固として排したということです。


産経新聞でもこの動きを報じています。

豪上院 「慰安婦」謝罪要求 対日決議案を否決
2007年09月26日 産経新聞 東京朝刊 国際面


 オーストラリアの上院で、慰安婦問題について日本に公式謝罪を求める決議案が否決される一方、同問題などで日本政府の取り組みを評価する決議案が採択された。7月末に対日非難決議を採択した米国下院とは対照的な結果となった。

 上院本会議で19日採決された決議案は野党、労働党議員が提出したもので、元慰安婦への公正な補償や、日本の国会での謝罪決議の採択、学校で慰安婦の歴史を正確に教えることを日本政府に促す内容だった。上院は与党の保守連合(自由党、国民党)が過半数を占めており、同案は賛成34、反対35で否決された。

 一方、20日に賛成多数で採択された、自由党提出の決議案は「日本は戦後、過去の行為に対する償いを行い、世界の平和と安定に寄与してきた」と指摘、「(慰安婦問題でおわびを表明した)河野談話を歴代の内閣も継承してきた」と日本の取り組みを評価する内容となっている。(シンガポール 藤本欣也) 

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