2007年10月

慰安婦問題で日本を糾弾する「国際会議」が10月4日から6日までの予定でロスアンジェルスで開かれています。
主催者側の中核はマイク・ホンダ議員が下院での慰安婦決議案の推進で指導を受けてきた在アメリカ中国系組織の「世界抗日戦争史実維護連合会」(抗日連合会と略)です。
会議開催の前日の3日、現地の日本総領事館前に抗日連合会の代表ら約50人が押しかけ、日本が慰安婦問題その他、戦争中の残虐行為に対し謝罪もせず、賠償もしていないのはけしからんと主張して、気勢をあげたそうです。日本人の参加者もあって、自国政府を非難した、とのことです。

この抗議デモの様子はロスアンジェルス・タイムズ10月4日付の記事で報道されています。その記事の主要部分を以下、紹介します。

「日本軍による女性や少女の性的奴隷化についてのロスアンジェルスでの歴史的な世界会議に備えて、世界各地からの元性的奴隷を含む人権活動家たちは、日本が戦時中の日本の残虐行為の犠牲者たちに公式な謝罪を表明し、賠償を提供することを4日、要求した」

「『日本はなぜドイツのように正しいことをしないのか?』と、世界抗日戦争史実維護連合会の元ロスアンジェルス支部長のロバート・ツァン(曹)氏が述べた。ドイツによるホロコーストへの賠償を指しているのだ。ツァン氏は『1日1日が過ぎるごとに、犠牲者たちは死んでいる』とも述べた」

「参加者たちは最近、連邦議会の下院が日本に日本軍の維持した売春宿に女性や少女たちを強制徴用したことに公式に謝罪することを求めた決議を最近、採択したことに元気づけられた、と語っていた」

「東京に拠点をおく元性的奴隷支援の組織の役員であるケン・アリミツ氏は、日本国民として、自国がアジアの隣人たちにしたことに対し、謝罪したい、と語った。アリミツ氏の言によれば、日本の政府は元慰安婦の女性たちを支援し、過ちを正そうとする日本国民の多くとは歩調をともにしていないという」

「日本軍の性的奴隷化に関するこのグローバルな会議は10月4日に始まり、カリフォルニア大学ロスアンジェルス分校で6日まで続く。全世界からの学者、法律家、活動家が集まり、日本政府に対して法的な賠償を求める法的な根拠についての研究などを行う」

さあ、この記事が伝える抗議集会と「国際会議」の開催は私たち日本人にとって、
いくつかの重要な教訓を投げかけています。
いわゆる「慰安婦問題」jは下院の決議採択で終わってはいないこと、慰安婦問題で日本を糾弾する主力はやはり中国系団体であること、日本を攻撃する側は日本側による謝罪だけでなく、賠償をも求めていること、日本攻撃側の大前提は「日本軍が組織的に女性を強制徴用した」という断定であること、などです。

日本側が沈黙していれば、この種の攻撃とデマはどんどん広がっていく、ということでしょう。

日本の中国に対するODA(政府開発援助)はまだ年間1000億円ほどの規模で続いています。2008年にはODAの主体部分の有償援助(円借款)は終わるとされていますが、なお無償援助は続きます。またアジア開発銀行や世界銀行を通じての日本の公的資金が中国に援助として膨大な額、供与されています。

しかし奇妙なことに中国はこれだけの巨額の援助を日本から受けながら、自国は他の諸国に援助を与えているのです。
その中国の対外援助の実態を明らかにする調査報告書がアメリカの研究機関から公表されました。
中国はいまやなんと、年間2300億円相当の資金を諸外国に援助として供与している、というのです。その中国に日本は毎年1000億円ほどの援助を与えているのです。おなしな話ですね。

ではその調査報告書について以下、伝えましょう。

 アメリカの対外経済援助研究機関の「グローバル開発センター」が、日本のODA(政府開発援助)にも大きな意味を有する中国の対外援助システムについての調査報告書をこのほど発表しました。

 同報告書は中国の対外援助が年間約20億ドルと、日本のODA総額の3分の1にも達し、ODAのように一般的な条件をつけず、台湾との外交的きずなを断つことや日本の国連安保理常任理事国入りに反対することなど、自国の外交・戦略目的をあらわにすることが特徴だと述べていまる。

 同報告書は「中国の援助システム」と題され、まず中国政府が近年、アジア、中南米、アフリカなどの諸国への経済援助を増大し始めたことを指摘しています。同報告書は中国側の資料のほか官僚、学者その他の専門家からの聞き取り結果を基に、中国の対外経済援助の年間総額が、15億ドルから20億ドルだと推算しています。

 20億ドル(約2300億円)は日本の平成19年度のODA総額の約3分の1に相当します。日本はいまも中国に年間1000億円程度の援助を供与しており、中国はその倍以上の額を他国に供与するという奇妙な現象が続いているわけなのです。

 中国の援助の目的について同報告書は「信じ難いほどの経済高度成長を支えるのに必要な石油、鉱山資源、木材などを得ることのほか、自国の外交的、戦略的な利益を追求する手段にすること」だとして、その自国の利益の実例として、援助受け取り国が台湾との外交的きずなを断つこと、あるいは日本の国連安保理常任理事国入りに反対することをあげています。

 同報告書はさらに中国の援助が欧米諸国や日本のODAのように、受け入れ国に政治的透明性、人権尊重、腐敗防止、環境保護、経済管理の円滑さなどの条件をつけていないことが特徴だとして、その分、自国側の政治、戦略の狙いをあらわにして追求できる、と述べています。

 同報告書は対外経済援助が中国の対外戦略の道具として近年ますます重要となり、2007年秋の中国共産党第17回全国代表大会に今の援助システムをより有効に改革する案が提出される、と指摘する一方、現在の状況では援助システムの実態が国家秘密とされ、実態の把握が難しいことを強調しています。

 同報告書は中国の援助が「秘密」とされる理由として
(1)中国は開発途上国として貧困を理由に外国からの援助を受け入れてきたため、対外援助の供与を自国民に知らせたくない
(2)先進諸国からなお援助を受け取っているため自国が援助を供与している事実をあまり宣伝したくない
(3)多数の省庁が複雑に錯綜(さくそう)してかかわるため、中国政府の関係官僚自身も全体像をつかんでいない-などを指摘しています。

 同報告書は中国の援助システムのその他の特徴として
(1)援助の政策立案は国務院常務会議が主体となり、実施は商務省が主体だが、外務省、財政省、主要国有企業なども参加する
(2)援助受け入れ国からの要請を基礎とする要請主義や自国企業を利用する「ひもつき」など、日本の従来の方式を模倣する部分も多い
(3)援助の効果を測定する評価制度がまだ存在しない-などの諸点をあげています。 

福田康夫首相の登場をアメリカ側はどうみるのでしょうか。
アメリカと一言でいっても、もちろん一枚岩ではありません。
ではアメリカ側のアジアや日本に詳しい識者たちは、福田康夫氏とその政権をどうみるのか。まずこのへんから光をあてていきましょう。

産経新聞に載った私の記事を土台に報告します。


 さあ、アメリカ側の日本やアジアの研究者たちは福田康夫新首相の下でスタートした政権をどうみているのでしょうか――
 福田政権が日米関係を重視してこれまで歴代の自民党政権の安保政策や対外政策の基本を続けるという展望には一致した見方があっても、対米関係にかける比重の減少や中国への傾斜の増大には程度の異なる予測が表明されています。

 日本の政治や日米安全保障を専門とするボストン大学のトーマス・バーガー教授は
 「福田氏の選出は自民党としてとにかく当面の安定を求めるという思考の結果であり、派閥ファクターの復活もその党内政治の基盤としてはやむをえないのだろう」と語り、
 「国内政策では種々の格差を減らすことなどを目標に選挙区奉仕の旧態アプローチが復活するだろう」
 と予測しました。

 福田政権の対外政策についてバーガー教授は
 「この政権は明らかに長期ではないから、従来の路線の基本が継承されるだろうが、それでも小泉政権から安倍政権へと勢いを増してきた日米同盟の強化はスローダウンすると思う。『米国にとって日本はアジアのイギリスになる』というブッシュ政権周辺の期待ははずれるだろう。具体例としては日米共同のミサイル防衛の前進などが遅くなる」
 という予測をも明らかにしています。

 福田政権下で民主党の反対によってインド洋での自衛隊給油活動が停止された場合についてバーガー教授は
 「軍事的な意味はそれほど大きくないにしても、象徴的には日本の日米同盟からの後退として米側を激しく失望させ、長期には米国がアジアの安全保障案件で中国に接触する度合いを高めると思う」
 と語りました。

 日本の政治に詳しいワシントンの戦略国際研究センター(CSIA)のニコラス・セーチェーニ研究員は
 「福田政権はまず経済政策面で予算を中心に財政赤字の削減や格差問題への取り組みを最優先するだろう。外交面では少なくとも短期には歴代政権のそれと大きく異なる点はないと思う」
 と述べました。

 セーチェーニ研究員は福田政権の対外政策についてさらに
「福田氏は安倍氏の『美しい国』のような明確な価値観を示さないとはいえ、一般にいわれるよりずっと日米同盟を重視しており、対米関係を大切に扱うと思う」
 と述べ、福田氏が2001年の米中枢同時テロに際して官房長官として日米間の安保協力を円滑に推進した実績を指摘しました。

 ワシントンのヘリテージ財団の中国専門研究員で、日本の政治動向にも日中関係の視点から注意を向けているジョン・タシック氏は
 「福田政権は今後の4、5カ月を乗り切ることを使命としているため、長期の政策課題を真剣に考えてはいないと思う」と前置きしたうえで、「なおそれでも福田政権の中国への宥和(ゆうわ)や妥協が過剰になる傾向を懸念している」
 と述べました。

 タシック氏はその懸念の理由として
(1)福田氏自身が過去の日中関係や日台・中台関係でとにかく中国の主張に逆らうのを避けるという志向を再三、示してきた
(2)福田氏は中国の大規模な軍拡によるアジアでの覇権追求に対し戦略的思考で対応するという気配がなく、中国の拡張は追認するようにみえる
(3)新内閣の外相になった高村正彦氏が日中友好議員連盟の会長であることも象徴的には対中宥和の方向を指している
 ――などという諸点をあげました。

さて上記の3人の専門家たちの言葉から感じられるのは、なんとない懸念、不安だといえましょうか。
福田康夫氏の過去の言動から判断すれば、中国傾斜は明白です。中国の苦情や要求に逆らわず、たとえ台湾の李登輝総統が日本を訪れたいと願っても、中国政府がそれに反対という理由だけで、この「日本の友」の願いを冷たく退ける。こんな福田氏の過去の行動は象徴的です。
その中国傾斜と表裏一体になった志向として、日米同盟の軽視が懸念されます。
安全保障や軍事という案件にはとにかく背を向けがち、というのも、福田康夫氏の年来の志向だといえましょう。
福田氏の政治指導者としてのそのへんの特徴をアメリカ側の専門家たちも感じ取って、それぞれの表現で懸念をそれとなく述べた。
というのが、以上の報告の骨子だといえましょう。

民主党代表の小沢一郎氏の主張は、日本が対外的な安全保障関連の行動にかかわる際には、まず国連の判断や規範に従えということでしょう。
小沢氏のこの思考の土台には、アメリカよりも、NATOよりも、有志連合よりも、多国籍連合よりも、国連自体こそ、その判断や行動が正しいのだ、という思いこみがあるようです。
ではその国連は戦争や紛争の阻止、虐殺や弾圧の防止にどれほどの実績をあげてきたでしょうか。その軌跡は信じられないほどの無力、その結果としての虐殺や弾圧の側への加担という事例ばかりなのです。ビルマでの軍事政権による殺戮と流血の弾圧に対し、中国の反対で「非難」さえもできなかったことは、その実例の一つです。

そうした国連の無力さの事例、そして無力であることで、結果として邪悪を放置し、座視し、黙認してきた事例を紹介しましょう。

小沢さん、これでも国連信奉ですか、というところです。

まずは国連の部隊が駐留しながら、大虐殺を座視する結果となったボスニア紛争のケースです。ここにはわが日本の明石康氏が関与しています。



 「ヤスシ・アカシという人物は災禍だった。国連の歴史にも特筆される大災禍だった。アカシのためにボスニアでの平和維持活動(PKO)は歴史上でも最も効率の悪い軍事行動となってしまったのだ」

 ジーン・カークパトリック氏は「アカシ」という名を口にするとき、とくに力をこめ、表情を険しくしました。カークパトリック氏は1980年代にレーガン政権の女性国連大使として活躍し、現在のブッシュ政権からも国連人権委員会のアメリカ首席代表に任じられた高名な国際政治学者です。

 カークパトリック氏はワシントンの大手シンクタンクのAEIが2003年6月中旬に催した集いで国連の平和維持活動について講演し、過去の失敗の最大例としてボスニア紛争への1994年からの国連の介入をあげ、その介入の責任者の明石康氏を糾弾したのです。私(古森)はその糾弾の一部始終に耳を傾ける機会を得ました。

 明石氏といえば、日本ではまさにミスター国連として名声の高い人物です。1992年のカンボジア和平での国連代表としての実績は国際的にも広く認められました。1994年には旧ユーゴスラビア国連特別代表としてボスニア・ヘルツェゴビナに送られました。ボスニアでは文官ながら国連防護軍の最高権限を与えられました。

 ボスニア地域では軍事的に優位なセルビア人勢力がイスラム系のボスニア人住民に攻撃を続けていました。1995年7月には国連が安全だとみなしたスレブレニツァ地区に集まったイスラム系住民のうち成人、少年あわせて男性8千人もがセルビア側に虐殺されました。悪名高い「民族浄化」でした。

 カークパトリック氏はこのときの国連の責任を8年が過ぎた2003年の時点でも、ピンで刺すようにはっきりと明石氏に帰するのでした。

私自身は明石氏は古くから面識もあり、氏の国連での業績の数々には大いなる敬意を感じてきました。だからアメリカ側のかつての国連大使から明石氏への糾弾を聞くというのは、ショックでした。

しかしカークパトリック女史は次のように語ったのです。

 「国連の指揮下に入った北大西洋条約機構(NATO)軍がイスラム系住民の虐殺を図るセルビア勢力軍を空爆しようとしても、アカシの許可を得なければならなかった。だが彼は許可を出さないか、出しても5、6時間の空白を設けた末だったため、虐殺を阻めないことがほとんどだった。アカシは軍事作戦に関してはまったく未経験かつ無能力だった。スレブレニツァの大虐殺も近くにいたオランダ軍がその阻止のために必死でNATOの空爆を要請したのに、認められなかったのだ」

 明石氏としては国連平和維持活動の中立性や対話を重視しての判断だったのでしょう。しかも個人ではなく国連としての組織の対応だったはずです。しかしアメリカだけでなく欧州諸国のほとんどの関係者も、ボスニア紛争では明石氏を頂点とした国連組織の不適切な対応が「民族浄化」を広げ、平和維持には完全に失敗した、と総括するようなのです。

 とくにセルビア側の虐殺責任者が戦争犯罪裁判にかけられて当時の実情がわかればわかるほど、国連の「未必の故意」に近い無力ぶりが浮かんできました。
 明石氏に対してもカークパトリック氏とは政治的立場を異にする民主党リベラル派の国際政治学者ルース・ウェッジウッド氏までが「明石氏はカンボジアでは難民救済や民主的選挙実施にすばらしい成果をあげたが、セルビア軍のどのタンクを空爆して進撃を止めるべきか、というような軍事的判断にはまったく不向きだった」とミスキャストを強調するようになったのです。

 明石氏個人の言動を含めてのボスニアでの国連組織の軌跡、とくにスレブレニツァの大虐殺との因果関係はアメリカ人ジャーナリストのデービッド・ローデ氏が1997年に出した『エンドゲーム』という書にも実は詳しく記録されています。この本は、この大虐殺はもし明石氏や国連防護軍のフランス人のベルナール・ジャンビエール軍事司令官がNATOによる空爆をすぐ認めていれば、防げた、と断じているのです。

 いずれにしてもボスニア紛争での国連の平和維持活動はスレブレニツァの大虐殺により完全な失敗とみなされるにいたりました。欧米諸国全体でもこの種の戦争や紛争はやはり国連を主役にしては和平を実現できない、という悲しい総括を生むことともなったのです。

 とくにアメリカはこの大虐殺を冷戦後の国連平和維持活動での歴史的な失態とみて、ときのクリントン政権も国連への新たな姿勢を打ち出すようになりました。その後のボスニア紛争にはアメリカが主権国家として調停に乗り出し、和平協定を成立させ、米軍部隊2万人を独自に現地へ投入することとなったのです。

 こうした国連の歴史的な曲がり角で実は日本の代表が主役となっていたという事実はきわめて多様な示唆に富むといえましょう。 

日本軍の兵士と朝鮮出身の慰安婦女性との交流を描いた小説『水の琴』の紹介を続けます。
作者は直木賞受賞作家の伊藤桂一氏です。作品が発表されたのは1962年(昭和37年)でした。作品の舞台は中国戦線、伊藤氏自身が従軍していた地域です。
作品はフィクションですが、当時の日本軍将兵が慰安所、慰安婦をどうみていたのか、きわめてリアルに描かれています。

作品中、「私」は日本軍兵士、「あなた」は朝鮮半島出身の源氏名をチドリとされた若い女性です。

「私はあなたのそばにいて、これで私は、私のすべてをそそぎつくして行ける、ひとつの偶像を得た、と思った。私はかぼそい燈芯だけが明るみを漂わせている、小さな部屋の中で生き甲斐をかんじた。私もそうだし、あなたもまた、長い流離の極みで、こうして私にめぐり合ったのだと思った。この世であなたと私だけを照らしている燈芯の淡い焔が、じじじじと音をたてて燃えつきようとし、また新しい焔を生んで燃えあがって行く夜更けに、私はあなたの肌のぬくみを、どれほどかけがえのもない愛憐の情をこめてさぐったことだろう」

「よく私はあなたと一緒に映画を観にいった。(中略) あなたと私が人目を避けた裏通りを縫って観にいった、映画の筋がどのようなものであったかは、じきに戦務の怱忙のなかに私は忘れて行ったけれど、あなたと連れ立って歩いた道の記憶は、ふしぎな懐かしさで私の脳裡に刻まれていったようだ」

「あなたと私は、単純な話をくり返した。言葉は単純なほど、そのなかにたのしい韻律をもっていた。難しい言葉でなければ、表現できないようなことは何もなかった。ふたりの間を、或いは永遠に隔てるかもしれない朝鮮海峡も、私の胸の中の地図では、指でかくれるほども小さく狭かった。(中略) 片言の朝鮮語を、ひとつずつ、噛んでふくめるように、あなたは私に教えた。『トブタ』『チョブタ』『スタングル』などと私は練習したが、そのくせ少しも覚えなかった。そのことをかえって興がるほども、元気になってきたあなたと別れ、そんな日は、私も充ち足りた心で石だたみの道を踏んで歩いた」

この兵士は慰安婦の女性に対し「肌のぬくみをかけがえもない愛憐の情をこめて、さぐった」というのです。
しかしマイク・ホンダ議員らに言わせると、こうした交流もすべて、「レイプ」だったということになるわけです。


 

↑このページのトップヘ