2007年11月

中国を正確に理解することは日本にとって、ますます重要になってきました。
日中友好とか一衣帯水とか同文同種という決まり文句にまどわされず、中国の政治や経済、そして社会の実態をきちんと知ることは、中国とかかわるうえで欠かせません。

そうした中国の実像を迫真の実証的報告で伝える新著が出ました。
何清漣著の『中国の闇』(扶桑社刊)です。
著者の何女史は中国の経済学者・ジャーナリストとして活躍し、1998年に政治経済学の視点から中国社会の構造的な病弊と腐敗の根源を衝く『現代化的陥穽』(日本語訳の題は『中国現代化の落とし穴』を出版して、全中国に波紋を広げました。しかしその著作のために当局から弾圧され、2001年には中国を脱出して、アメリカに亡命しました。
何女史は2004年には『中国の嘘』(扶桑社)という書を出し、中国の官営メディアがいかに当局にコントロールされているかを実証的に報告しました。


さて、その気鋭の何女史が書き下ろしの形で日本で出版した新著『中国の闇』は
いまの中国の政治権力の暗渠を迫力ある筆致と実証とで明るみに出しています。

黒社会とは簡単にいえば、マフィア的犯罪組織のことです。
以下はその『中国の闇』のカバーの写真です。

中国の闇―マフィア化する政治

本のカバーや帯に書かれた記述を紹介しましょう。

「マフィア化する政治」
「中国人がルールを守れない本当の理由」

「名ばかりの法律とやりたい放題の無法政治。こんな社会環境がまかり通る国家に、順法精神を求めること自体、無理がある」

「政治の行動の黒社会化を特徴とする統治手段の無法化という現状を理解してこそ、道義と正義を欠いた制度の圧迫のもとで、中国民衆の人権がいかに絶望的な状態に置かれているかが理解できるだろう」
しつ
「中国の一般庶民は政治的には徹底した無権利状態に置かれ、度重なる役人の迫害に抗う術をもたない。日々の暮らしのなかにあって、政府行為の黒社会化によって法律が空文と化し、民衆は黒社会の荒れ狂う暴力をただ耐え忍ぶしかないのである」

内容は要するにいまの中国では本来、暴力的な無法集団である黒社会が共産党政権と結びつき、癒着し、一体化し、統治のなかに無法を組み込んでいる、という現実の暴露なのです。
マフィアが政治権力となり、政治権力がマフィアとなる。
なんとも恐ろしい現象が省や都市のレベルから国家の中枢にまで浸食しつつある、というのです。
その実態が山のような実例を基礎に提示されています。

守屋武昌前防衛事務次官の国会での証言が波紋を広げています。
守屋氏は11月15日、参議院の外交防衛委員会で以下のような趣旨の証言をしました。

「ジェームズ・アワー元米国防総省日本部長が日本に来て、何人か東京・神田の料亭に集まって時、私(守屋氏)が行ったら、そこに宮崎(元伸・山田洋行元専務)さんが来て、それから額賀(福志郎・財務相)先生が来て、額賀先生が最初に帰っていった。一昨年だと思う」

周知のように、守屋氏はすでに逮捕された宮崎容疑者らからさんざんに接待や供応を受けていたことを自ら認めています。その守屋、宮崎両氏との宴席に国会議員の額賀氏が出席していたとなると、別にそれだけで罪になるわけではありませんが、疑惑を生みかねません。民主党は必死で追及しています。

しかし額賀氏自身は「そんな同席の事実は記憶にない」と否定しています。
そこで焦点となるのは、ジェームズ・アワー氏の対応です。そもそもこの会食がアワー氏のために開かれていたというのです。

その後の調査などで、この会食は2005年12月4日に財団法人「国際研修交流協会」が東京・日本橋人形町の料亭「濱田家」で開いたことが判明しました。その直前の同12月1日に同交流協会が主催したセミナーでアワー氏が講師として講演をしたことに同協会側が感謝しての御礼の会食だったそうです。会食の主催は同協会の理事長の幕田圭一氏でした。幕田氏は東北電力の取締役会長です。同協会も11月26日、「この会食には額賀氏は出席していない」という声明を発表しました。

アワー氏も同協会よりは先に「私は記憶する限り、額賀氏といっしょに食事をしたことはこれまで一度もない」と言明しました。守屋氏や宮崎氏と会食をしたことは覚えているが、自分はこれまで日米防衛関係の政策面にいろいろな形で関与はしてきたものの、
企業を代弁したり、企業に雇われたことは、まったくない、とのことでした。アワー氏も守屋証言とは反対の趣旨を証言するわけです。

さてこのアワー氏は私の旧知でもあります。こちらは日本の新聞記者、アワー氏はアメリカ国防総省の日本担当官でした。当初はあくまで取材対象としての知己でしたが、その後の長い期間のうちに個人的な交流もあるようになりました。しかしそのことと、今回の事態とは関係がありません。私はその会食についても、アワー氏の日本での活動についても、まったく知りません。ただしアワー氏本人が額賀氏と一緒に食事はしたことがない、と述べ、軍事関連などの企業を代理することも、これまで皆無だった、と強調していることだけは、その言葉どおりに報告しておきたいと思います。

さて、アワー氏とはどんな人物なのでしょうか。
下が彼の写真です。

sakura


アワー氏のプロフィールは以下のとおりです。
 
1963年、アメリカのマーケット大学を卒業後、米海軍将校に任官、以後、1983年まで海軍勤務、その間、海上自衛隊幹部学校に留学、米海軍大学に学び、タフツ大学のフレッチャー法律外交大学院で博士号を取得する。横須賀を母港とする米海軍フリゲート艦の副艦長も務める。1979年から国防総省の日本部長となり、カーター、レーガン両政権下で同ポストに就いて、日米安全保障関係を担当する。1988年秋からテネシー州ナッシュビルのバンダービルト大学の教授となり、同時に同大学の「日米公共政策研究協力センター」所長となって、現在にいたる。著書には「よみがえる日本海軍」(時事通信)などがある。

そのアワー氏と私がたまたま雑誌SAPIOの最近号で対談をしています。
今回の守屋発言とは直接の関係はありませんが、アワー氏がふだんはどんな活動をしてきたかが、明らかになると思います。
日米安保関係の現状や展望についての対談でした。
以下、その内容を紹介します。


古森義久 私がアワーさんを最初に知ったのはカーター政権の終わりの時期、一九七九年でした。あなたは当時、海軍士官のまま国防総省の日本部長として赴任してきた。それからもう二十八年もが過ぎたわけです。この長い年月、日米安全保障の米側専門家としてのあなたと、日本人ジャーナリストとしての私が論じあってきたテーマは常に日米関係であり、日米同盟でした。いま個人レベルでの回顧をも含めて、そうした過去の両国関係の変遷を振り返ると、日米間の安全保障関係が一つの大きな曲がり角にきたと感じてしまいます。

簡単にいうと、今や日米同盟は揺らぐようになったと感じます。堅いきずなが緩んできた。同盟に暗い影がさしてきた。そういう印象を受けるのです。その理由の一つは、日本が対米安保協力の意味をもこめて実施してきたインド洋での海上自衛隊による給油活動が唐突な形で終わったことです。第二には、ブッシュ政権が北朝鮮の核問題の進展のために、日本の反対を無視する形で、北朝鮮を「テロ支援国家」から外す方向に動いていることです。そしてその背景には、今年夏のアメリカ議会下院による日本非難の慰安婦決議案の採択があります。この決議は日本側で年来、日米同盟を最も強く支持してきた陣営を最も失望させる結果となった。こうした諸要因が日米安保関係を冷めた状態にして、将来の展望にも影を投げていると思います。もっともこういう状態は日本が安全保障でこれまでよりも自立を目指さねばならない、ということかもしれません。

ジェームズ・アワー 日米関係は二〇〇一年から二〇〇五年ごろまではとくに「蜜月」といえる堅固で緊密な状態でした。いま思えば、その期間は古森さんと意見を交換してきた三十年近い年月の間でも、日米関係の最高の状態だったかもしれない。現在は確かにそれより低い水準にあるでしょう。しかし私はなお希望的です。インド洋からの自衛隊撤退にしても、日本の政府が自ら撤退を決めたわけではない。政府は継続を強く望んでいるのに、野党の民主党が反対したからです。しかしなお政府が努力して、新たな立法措置をとり、また給油活動を再開できることに私は希望を抱いています。

北朝鮮を「テロ支援国家」の指定から解除するという話も決まったわけではない。ブッシュ大統領は小泉、安倍両首相とは非常に緊密なきずなを保ち、その状態を福田首相との間でも続けたいと願っていることは間違いない。だから日本の苦しい立場に追い込むような決定は下さないのではないでしょうか。ヒル国務次官補は確かに指定を解除することを示唆はしている。だが最終の権限は大統領にあります。ブッシュ大統領は日本に不利となる形でその種の解除はしないことを私は期待しています。

古森 こうした日米間の問題が起きた際、日本側では慰安婦決議が影を広げ、日米同盟を支える努力への意欲をそぐ形の作用を果たします。

アワー 日本側の同盟支持者たちが慰安婦決議に失望したことは当然であり、よく理解できます。私もまた失望しました。しかし慰安婦決議と日米同盟の間には直接のリンケージはありません。慰安婦決議案は民主党が多数を占める下院で採択されました。民主党は政権を握っているわけではない。現政権を困らせるためという政治的理由でこの決議案を通したといえましょう。そんな決議が日米関係に影響を及ぼすことはないだろうし、あってはならないのです。ただし大統領はこの慰安婦問題での日本側の懸念を十分に意識する必要があります。

古森 日米双方が二国間の同盟を当然視しすぎてきた、という側面もあると思います。

同盟は長い年月、うまく機能し、着実に維持されてきた。最近のアメリカ議会ではアルメニアの虐殺を糾弾する決議案を審議する下院外交委員会では、委員長のラントス議員がおもしろい発言をしました。アルメニア決議案を通すと、トルコが反発し、アメリカの安全保障に重大な悪影響を及ぼすという向きがあるが、日本の慰安婦決議案の例をみるがよい。なにも悪影響は出なかったではないか。だからトルコについても心配することはない。こんな発言をしたのです。

民主党長老のイノウエ上院議員らは『こんな日本糾弾の決議案を通すと、日本が反発して、日米同盟に悪影響が起きる』と主張し、慰安婦決議案に反対していたのです。現実には確かに日本側では表面に出る悪影響はなかった。しかし目にみえない侵食が大きいのです。ラントス議員はその深層での悪影響を無視している。日米同盟の不変な継続を当然視しすぎているということだと思います。

一方、日本側にもアメリカが日本との同盟をいつも重視し、日本側の安保がらみの要請には必ず応じてくれるという当然視の傾向、甘えの傾向があるでしょう。拉致問題でブッシュ政権は必ず、いつまでも日本の立場を支持してくれると思いこむのも、その種の甘えからも知れません。

アワー その点では日米両国がいつも慎重に対応せねばなりません。日米同盟は日本にとっても、アメリカにとっても非常に重要なのです。だから両国ともそれを当然視してはなりません。古森さん、国防次官補などを務めたジョセフ・ナイ氏の言葉を覚えていますか。『日米関係は酸素のようだ。なくならない限り、だれもその価値を意識しない』という意味の言葉です。それに対してラントス議員の発言ですが、彼はすでにトルコの対応については間違っていたことが証明されました。(以下は省略)


イラクの治安の回復が顕著になってきました。

えっ? と思う方も多いでしょう。
イラクといえば、あまりに多くの人たちの頭に「内戦」「泥沼」「殺戮」「破壊」そして「アメリカの挫折」というような言葉がインプットされてきたからです。

しかしイラクではここ数ヶ月、テロ攻撃が減り、宗派間の戦闘も、米軍やイラク国軍への攻撃も、減ったことは、どうにも否定のできない事実となってきたようです。

この事実は日本の大手マスコミではほとんど報道されていません。産経新聞には出ていますが、あと日本経済新聞が
同趣旨の傾向を伝える記事を一回、載せただけぐらいで、私のみる限り、残りは皆無です。

アメリカでもブッシュ政権のイラク政策に激しく反対してきた主要メディアは新聞もテレビも、このイラク情勢好転の動きを長い間、無視、あるいは軽視してきました。この態度はブッシュ政権を支持する勢力からは「リベラル・メディアのまたまたの偏向」と批判されてきました。

しかしイラクの治安回復がどうにも無視できない状況になって、ここ数日、あいついでそうした大手メディアも情勢好転を認める報道や論評を載せるようになってきました。ブッシュ政権のイラク政策には当初からすべて反対してきたニューヨーク・タイムズがイラクの治安の回復を大々的に報じたのです。ワシントン・ポストも社説でイラク情勢の軍事面の好転を認めました。

もちろんいまのイラク情勢の改善がどこまで続くのかは疑問です。また血なまぐさいテロ攻撃や戦闘が激しくなるかもしれません。でもまだその兆候はありません。

もしイラクの治安がこのままさらに回復し、その状態が定着し、民主化が進んだらどうでしょうか。ブッシュ政権に反対して、「イラク戦略は破滅」と断じていた勢力にとっては、政治的な悪夢となりかねません。万が一にもイラクの民主化が民族や宗派の和解とともに、成功してしまったら、困る人たちは日本にも多いでしょう。

しかし客観的にみて、イラクが安定した民主主義国家となることは中東情勢にとっても、国際社会にとっても、さらには日本にとってさえ、より好ましいことは明白です。
こんな想像をついしてしまうほど、イラク情勢のいまの変化は大きいといえます。

このイラク情勢の好転がアメリカではどのように受け止められているかを報告します。産経新聞11月23日朝刊に掲載された私の記事を基とします。

同時にイラク現地の写真を紹介します。
下は首都バグダッド市内で長い期間、閉鎖されていたカトリック教会が再開されるに際し、教会の屋根に十字架を再びつける作業の写真です。

この教会はアルカーイダらの攻撃の標的となり、2004年に閉鎖されました。イラク人の信徒たちも、大多数がその地域から避難してしまったそうです。しかし最近の治安の回復でその多くがまたもどってきたわけです。

この写真を撮影したのはアメリカ人のフリー・ジャーナリストのマイケル・ヨン記者です。







さて、イラク情勢の好転に対するワシントンでの反応について報告します。


イラクでのテロ攻撃がなお減り続け、米軍の増派による治安回復の効果がアメリカ国内でも認められるようになるにつれ、ブッシュ政権の政策に反対する民主党側の非難の議論にも複雑な変化がみられるようになりました。

  

イラク駐留の米軍司令部は18日の発表で①イラク全体での米軍、イラク政府軍へのテロ・軍事攻撃の総数は今年2月から55%減り、2005年夏以来の最少数となった②イラク民間人の死傷者は今年6月以来、全国で60%、首都バグダッドで75%減った③米軍の死者は今年6月の101人から10月には39人に減った―ことなどを明らかにしました。

イラクでのアルカーイダなどのテロ組織による自動車爆弾、道路爆弾、地雷、迫撃砲、ロケット砲、小火器での攻撃などの総計は10月には昨年2月以来の最低を記録し、11月に入ってもさらに減少が続いているとのことです。

 現地を視察して帰った米陸軍のロバート・スケールス少将は11月21日のウォールストリート・ジャーナルへの寄稿で、イラク駐留のデービッド・ペトレイアス司令官が今年冒頭から増派米軍3万を主体にアルカーイダの本部組織をバグダッド郊外のバクバ地区に誘導し、撃滅作戦を展開して、7月までには掃討に成功した、と報告しました。

スケール少将はさらに「純軍事的にはイラクでの戦闘は分岐点を越えた」として平定がほぼ成功したと述べ、政治的な成功を可能にする土壌が生まれてきた、とも書いています。

ブッシュ政権は情勢好転にはきわめて慎重な姿勢をとり、「成功」とか「勝利」という言葉の使用を差し控えていますが、同政権のイラク政策に一貫して反対し、イラクでの軍事情勢の悪化を常に大々的に報道してきたニューヨーク・タイムズは11月20日付一面トップで写真数枚つきの「バグダッドが治安の改善とともに息を吹き返す」という見出しの長文記事を掲載しました。

この記事はバグダッドのルポが主体でした。そして、、テロ攻撃が激しい時期、避難していた市民のうち約2万人がこの2カ月ほどのうちに帰還し、市内の商店や学校の再開数も増え、結婚式まで頻繁に催されるようになった、と報じました。

ニューヨーク・タイムズの同記事は首都の治安については「今年2月には44件も起きた自動車爆弾テロがいまはゼロに近く、市内で発見される死体も1日35体から5体ほどに減った」と伝えました。
 
反ブッシュ陣営もイラクの少なくとも軍事情勢は改善されたことを認めるようになったといえます。

ブッシュ政権には同様に批判的なワシントン・ポストも18日の社説で「米軍のイラク増派が純軍事的な意味では注目すべき成功だという証拠は圧倒的となった」と認めました。

この社説は、今年1月にくらべると、イラクの治安は米軍やイラク人の死者数、自殺爆弾攻撃の回数など、どの基準でみても「莫大な改善」だとして、とくにバグダッドについて「マーケットの再開、夜間外出禁止令の緩和、膨大な数の避難民の逆流」などを強調しました。

 
しかし同社説は「増派の真の目的はイラクの民族和解に基づく連邦国家の円滑な出発という政治目標」のはずだとして、その政治面での好転はまだまだみられない、と警告していました。

 
ブッシュ政権を非難する民主党側もこれまではイラクの血なまぐさいテロや戦闘の状況を指摘して、政策や戦略の失敗を強調してきましたが、最近では議論の重点を微妙に変えるようになりました。イラク情勢が明らかによくなってしまったからです。

民主党の反戦派の代表ジョン・マーサ下院議員は20日、イラクの軍事情勢好転に対して「イラクの経済、雇用、社会の破綻、そして政治的和解の不在をみれば、軍事情勢の改善はイラク民主化の成功を意味しない」と言明しました。批判の重点をイラクの軍事情勢から政治情勢へと変えたということです。

なお私はこのイラク情勢の好転については別の場所でも書いています。そのリンクは下記のとおりです。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/61/

 

 
なおイラク情勢のこうした変化はアメリカ側でも大手メディアよりは、フリーのジャーナリストなどによって現地から詳しく報じられています。

その代表の一人が前述のマイケル・ヨン記者です。元米軍のスペシャル・フォース所属の軍人で、いまはフリーのジャーナリストのヨン記者は米軍部隊と緊密にかかわりながら、報道活動を続けています。

ヨン記者は最近、イラクの首都バグダッド市内で再開されたカトリック教会の再開の模様を取材しました。なぜその教会が閉鎖され、信者たちがどうしたのか、そして3年後のいまなぜ再開にいたったのか、などを説明し、イラク人の信者のために催された礼拝の儀式の様子も写真に撮りました。

ヨン記者のウェブサイトは以下の通りです。
迫真のルポや写真が満載されています。

http://www.michaelyon-online.com/

ヨン記者はこの教会再開に関する一連の写真は各国の報道機関などで自由に使ってもよいと言明しています。イラクに関する珍しい朗報なので、できるだけ広い範囲の人たちに知ってもらいたいということでしょう。下は教会の内部の風景です。




朝日新聞が民主党の小沢一郎代表とのインタビューを11月16日付朝刊に掲載しました。朝日新聞はいまの小沢氏にとって、一番のお好みメディア、ということでしょうか。

さてその記事での小沢氏の発言はいろいろありますが、私が日ごろ報道対象としてみているアメリカとか日米関係に限って論評したいと思います。

小沢氏は日本がインド洋での対テロ国際活動への参加を止めることに関連して、朝日新聞側の「日米関係を心配する向きがある」という質問に答え、次のように述べたそうです。

「何の心配もない。ブッシュ大統領なんて米国民に支持されていないんだから、何で気兼ねするんだ。いま米国内でもブッシュ大統領の政策は批判の的だ」

以上が小沢氏の言です。
この言葉は非常に粗雑なアメリカ認識を示しています。誤認でもあります。
二重の意味で間違っている、ともいえます。

まず第一は、日本が参加していたインド洋での国際安保活動、そしてそれと一体となったアフガニスタンでの対テロ闘争はアメリカ国内で超党派の支持を得ている、ということです。

小沢氏はあくまで日本の自衛隊がインド洋から撤退することの日米関係への影響を問われて、答えています。そのインド洋に関するブッシュ大統領の政策は米国民の大多数、とくに国政の場では民主党も含めて、コンセンサスに近い支持があるのです。民主党のバラク・オバマ上院議員やトム・ラントス下院議員がいまのブッシュ政策の承認を大前提に日本の参加に謝意を表明していました。

ブッシュ大統領のイラクなどその他の課題に対する政策がいろいろ批判されていることは周知の事実です。しかしアフガニスタンの対テロ闘争とそれを支えるインド洋での欧州各国などと組んでの海上活動は大方の支持を得ているのです。

現に小沢一郎氏が主導した自衛隊のインド洋撤退はアメリカ側の共和党、民主党の両方の識者から非難されています。小沢氏を名指しで批判する人も珍しくありません。その一例が朝日新聞に出たマイケル・グリーン、カート・キャンベルの両氏による超党派の小沢批判論文でした。

第二には、外国の元首、しかも民主的な選挙で選ばれた元首に、かりにも日本の首相になりうる野党の代表が「国民に支持されていないんだから、気兼ねするな」と、ののしりに近い言葉をぶつける非礼です。

ブッシュ大統領を支持する米国民は多数、存在します。世論調査の支持率が下がっても、30%であれば、立派な支持でしょう。しかもその種の支持、不支持はあくまでアメリカ内部の身内の問題であって、外国から非難され、攻撃された場合の自国の大統領への態度となると、アメリカ国民は伝統的にがっちり団結して、支持します。

だいたい小沢氏の言葉の表現は他の主権国家の元首を評するのに、ふさわしいでしょうか。これを他の国におきかえてみましょう。
 
 「胡錦涛主席なんて中国国民に支持されていないんだから、何で気兼ねするんだ」
 「盧武鉉大統領なんて韓国国民に支持されていないんだから、何で気兼ねするんだ」

日本の政治家がこんな言葉を述べるでしょうか。
もし自民党側の有力政治家がこんな発言をすれば、野党の民主党は朝日新聞あたりと組んで、大問題とし、辞任を求めるでしょうね。ところが相手がアメリカだと、ブッシュ大統領だと、なんでもあり、総合格闘技の世界に一気に突入だから不思議です。

今回の小沢発言の標的は日本と同盟関係を結び、価値観を共有するはずのアメリカです。
普通の人間個人の場合でも、相互依存の関係にある相手なら、正常の思考では、競合や敵対の関係にある相手よりも丁重に接するでしょう。しかもアメリカの大統領は最も透明な民主的手続きで選ばれています。元首としての正当性を証する公的人物のはずです。

アメリカの一般国民からすれば、外国から飛んでくる、自国の元首の正当性を否定するような言は、アメリカという国家そのものへの誹謗につながりかねません。

アメリカの野党の民主党ナンシー・ペロシ下院議長が次のように述べるでしょうか。もし述べたらどうでしょうか。

 「福田首相なんて日本国民に支持されていないんだから、何で気兼ねするんだ」

こんなことを言われて、よい気持ちのする日本人はいますかね。いるかも知れませんね。でも不快に思う人が多数でしょう。

日本でも、他のどの国でも、公的な政治指導者が外国の指導者をけなすということは、きわめて異例です。慎重な配慮を要するのが普通であり、常識だということでしょう。
中国を対象とした場合を想定すれば、よくわかるはずです。国家と国家の間には少なくとも政治指導者の間での一定の礼節があるはずです。

小沢氏はひょっとして、いまの日本の一部の風潮に便乗して、アメリカの悪口なら、とくにブッシュ大統領の悪口なら、何を言っても構わない、という気持ちがあるのでしょうか。でないとすれば、こんな粗雑で乱暴な物言いは、なにが原因なのでしょうか。

まあアメリカの悪口ならなにを言っても平気だというのは、いま始まった風潮ではないでしょうが。


平沼赳夫議員のワシントンでの毅然とした、そして迫力にあふれる活動には、さわやかな驚きを感じさせられました。脳梗塞から回復したばかりなのに、アメリカ側に対して威儀を正し、断固として、迫力ある抗議や警告の言葉をぶつけていたのです。
この平沼氏の活躍を詳しく報告する前に、全体像を眺めてみましょう。
なおこのテーマは私は日経BPの連載コラムでも取り上げ、報告を書きました。

リンクは、http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/62/  です。

アメリカが「テロ支援国家」リストから北朝鮮を外す、つまり指定を解除する、ことに反対を訴えるためにワシントンを訪問した日本側の合同訪米団は、大きなインパクトを米側に投げかけました。とくに超党派の国会議員団が一つの特定の案件にしぼって、アメリカ側の行政府と立法府に直接、強力な申し入れをするという行動は日米関係の長い歴史でも、まず前例のない珍しい外交活動だといえます。

ワシントンを訪問したのは、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)の飯塚繁雄副代表、増元照明事務局長、「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会)の島田洋一、西岡力両副会長、そして「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」(拉致議連)の平沼赳夫会長、中井洽副会長、西村真悟幹事長、古屋圭司事務局総長、松原仁事務局長代理、馬渡龍治幹事、鷲尾英一郎幹事という合同訪米団でした。

このうち第一陣として11月11日に着いたのは、「家族会」の飯塚、増元両氏と「救う会」の島田、西岡両氏、「拉致議連」の西村氏でした。14日には本隊と呼ぶべき第二陣の「拉致議連」の平沼会長はじめ超党派の計6人がワシントンに到着しました。西村議員は14日に、平沼議員ら残りの6人は16日に、それぞれワシントンを発ち、帰国の途に着きました。

ワシントンでは平沼議員を団長とする6人の無所属、自民党、民主党の議員たちが「家族会」「救う会」の代表とともに、アメリカ側の上下両院議員や、ホワイトハウスの国家安全保障会議、国務省、国防総省、副大統領オフィスなどの担当者多数に面会し、
アメリカ政府が北朝鮮を「テロ支援国家」指定から解除しないよう要望し、もし解除すれば、日本の国民も政府も国会も激しく反発して、日米同盟の根幹に悪影響を及ぼすと、警告しました。

この合同訪米団の活動の成果は大きかったといえます。

第一には、超党派の日本の国会議員たちがきわめて激しい言葉で「指定解除」への反対を米側に直接、伝えたのは初めてだからです。これまで日本側の政府も国会もこの反対を正面からは米側に伝えていなかったのです。それだけに米側の当局者も日本からの珍しい「反対」にとまどい、大きなインパクトを認めていました。

第二には、この「指定解除」が米側がこんごさらに依存をする日米同盟という安保上のきずなを侵食する危険を大統領、副大統領に確実に伝えることができたからです。国家安全保障会議の代表たちはブッシュ大統領に、副大統領スタッフはチェイニー副大統領に、それぞれ、日本側の激しい警告のメッセージを伝達することを約束したそうです。

第三には、アメリカ議会下院にすでに提出された「日本人拉致が解決されない限り、北朝鮮をテロ支援国家指定から解除してはならない」という趣旨の法案の同調議員たちと懇談して、共同闘争を約すことができたからです。この法案の共同提案者は日本側からの働きかけで増えました。デーナ・ローラバッカー下院議員は平沼氏らとの会談のさなかに、「では私もその共同提案者になります」と言明したほどです。

第四には、アメリカ議会上院でも、北朝鮮のテロ支援国家の指定解除を日本人拉致事件の解決にリンクさせる法案が準備されていたことが判明し、ここでも新たな日米立法府間の連携が約束されたからです。サム・ブラウンバック上院議員がこの法案を準備中で、平沼氏らに対し、できるだけ多くの上院議員に賛同を求めて、本会議に提出すると明言しました。すでに賛同している上院議員たちがいることも明らかになりました。

福田康夫首相がブッシュ大統領に対し、この北朝鮮の「テロ支援国家」指定解除に日本が反対であることを果たして明言したのか。どこまで強く、どこまではっきりと述べたのか。なお不明のようです。
しかし平沼氏らの議員団がアメリカ側の幅広い関係者に反対を伝えたことは明白です。

この合同訪米団の米側への申し入れで一貫して先頭に立ち、言明でも口火を切ったのは平沼氏でした。私も平沼氏がその趣旨の抗議や懸念を伝達し、報告する様子を何回かかいまみて、その熱意と迫力に胸をうたれました。感銘したといえるでしょう。

平沼氏といえば、昨年暮に脳梗塞に襲われ、二ヶ月半の入院を余儀なくされた政治家です。その病からはもうほぼ完全に回復したとはいえ、平沼氏の発声はまだ本格的ではありません。しっかりと耳を傾けないと、聞き取れない場合もある、喉になおひっかかる声なのです。痛々しくひびくときさえあります。しかしいったん、平沼氏が話を始めると、着実に前進します。その言葉の内容はじつにきちんと、明快です。断固として毅然たる、という調子でさえありました。

平沼氏は付き添いに誰もつけず、ただ一人で太平洋を渡る旅に出てきました。身の回りの支度も、すべて自分一人でせねばならないのです。しかもホワイトハウスでも、国務省でも、平沼氏は警備上のチェックを他の一般人ととともに、行列に並んで、順番を待ち、時間をかけて通過していました。本来、自民党の一方の旗頭として経済産業大臣まで務めた経歴からは、特別の扱いを受けてしかるべき大物政治家なのです。

平沼氏は日本人記者を相手の最後の会見でも冒頭で発言し、合同訪米団の活動の総括をきちんとまとめて報告しました。声がよくひびかないことだけが玉にキズの迫力ある発表でした。私は平沼氏のその真摯な姿勢につい平沼氏自身が述べていた言葉を思い出しました。『政治武士道』という新著の「まえがき」で以下のように書いていたのです。

 「政治家は、行動で己の信念を示さねばなりません」
 「行動において信念を貫いてこそ、政治家と呼ぶに値する」   

普通の政治家が述べれば、うわついてしまう、こうした言葉も、平沼氏に限ってはワシントンでの言動の軌跡にしっかりと裏づけられているように感じた次第でした。

下の写真はワシントンでの平沼赳夫議員の姿です。滞在先のホテルでほんの一瞬、くつろいだところでした。
焦点がぽけたのは撮影者の責任です。

 

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