2008年04月

所用でワシントンから東京に一時、戻った機会に自民党主体の超党派議員グループ「真・保守政策研究会」の会合に講師として招かれました。4月11日の午前11時から、衆議院議員会館の会議室で、でした。
同研究会は会長が中川昭一氏、最高顧問が平沼赳夫氏で、会員は衆議院57人、参議院20人の議員たちで構成されています。

写真は会長の中川昭一氏です。

中川昭一プロフィール

古森ワシントン駐在編集特別委員が自民議連で講演

2008.4.11 19:56
このニュースのトピックス自民党

 自民党有志の議連「真・保守政策研究会」(会長・中川昭一政調会長)は11日、本紙のワシントン駐在編集特別委員でジャーナリストの古森義久氏を招き、勉強会を開いた。古森氏は中国や米国での特派員経験をもとに、中国の国際的影響力の拡大で、「米国の対中姿勢が対日姿勢に及ぼす影響が大きくなってきている」と指摘。「一部で日米同盟を軽く見始める動きもあるが、最も親中的な人も日米同盟自体を否定する人はいない」と、日米同盟の重要性に変化がないことを強調した。


上記は産経新聞インターネット版で報じられた記事です。
この会合では私は平沼氏、中川氏、さらには事務局長役の衛藤晟一氏から紹介を受ける形で講演を始めました。タイトルは「ワシントンからみた日本、そして中国」でした。
その要旨は以下のようでした。

▽アメリカの政府も議会も、日本側の一部での「米中宥和」という描写とは対照的に、基本では中国を利害を根本から異にする相手として警戒している。中国への懸念は経済、軍事、政治(人権)の各領域にわたる。ただし政府は対テロ闘争、北朝鮮核問題、イラク民主化などで中国の協力を必要とするため、表面でのソフトな言辞を続けている。

▽アメリカ議会では政策的、制度的な中国研究、中国調査を続け、その大部分は中国を潜在敵性を有する対象して位置づけている。議会の多数の委員会が中国の軍拡、不公正貿易、知的所有権侵害、人権弾圧、大量破壊兵器の拡散など具体的なテーマごとに実態をあばき、対策を勧告している。

▽この対中警戒は対日政策にも反映されている。つまり中国の軍拡を警戒することから日米同盟の重要性が再認識されてきた。その一方、ワシントンで日本とか日米同盟が話題になることは確かに少ないが、共和党、民主党、どの勢力をみても、日本との安全保障上のきずなをなくしてしまうとか、大幅に薄めることを主唱する人は皆無だといえる。

▽アメリカの議会の中国への取り組みは日本の国会も参考にする価値がある。中国の軍事や人権に関する動向は日本側でももっと頻繁に、かつ明確に、指摘して、論評していくことが適切だと思える。

ざっと以上のようでした。

しかし私が質疑応答も含めて1時間のこの講演の最終部分でとくに強調したのは、
以下のような点でした。

「真・保守政策研究会のみなさんが目指す政治目標は『保守』と呼ばれるが、国際基準からすれば、保守でもなんでもない、もっと自然で自明なことだといえます。みなさんが強調する日本の国益の推進などというのは、他の諸国ならば、右も左もなく、ごく当然のことだからです」

同研究会は設立趣旨として「国民が自国に誇りを持てる国づくり」「国益をしっかり守る」
「日本の伝統・文化を守る」などと、うたっています。これらの標語は日本では「保守」とみなされます。しかし世界の他の諸国では国益を守り、伝統を守り、国民が自国に誇りを持つ、というのは、あまりに自明なこととされています。保守でもなんでもない、とはそういう意味でした。

質疑も佐藤正久議員から日米安保の核心を衝く質問が出たりして、活発でした。

オリンピックの聖火がいよいよアメリカに上陸しました。
サンフランシスコでは予想どおり、中国当局のチベットでの弾圧に抗議するアメリカ市民、人権団体メンバー、チベット人らがこの聖火のリレーを阻もうとする行動に出ました。この抗議の勢いのために、サンフランシスコでの最初の聖火走者は倉庫の中に走りこんで、姿を消してしまったという報道が伝わっています。一時間後に別の二人の走者がまた聖火を持って市内の他の場所に現れたとかいうミステリーのような話です。

いずれにしてもオリンピックの聖火リレーがこれほどの反発や抗議の動きの対象となったこともないでしょう。

下はサンフランシスコでのその反北京五輪抗議運動の情景です。

さて北京五輪をめぐる動きには、もうひとつの興味ある側面があります。
北京五輪の聖火リレーに抗議するチベット問題の支援団体=8日、米カリフォルニア州サンフランシスコ(AP)


それは北京五輪に巨額の協賛金を払って、「スポンサー」となった各国大企業が新たな悩みに直面するようになったことです。

五輪のスポンサーになることとは、自社自体やその製品の名をオリンピックの舞台に登場させ、全世界からの視線にさらさせる、というPR事業です。オリンピックが投射する明るく健全なイメージに自社のイメージや自社製品のPRを結びつけ、プラスにするというのが企業側の「オリンピック・スポンサー」になることの目的だといえます。オリンピックへの協賛によって、自社の名が全世界に前向きに広まるという企業側の計算でしょう。
五輪主催者側はもちろん企業からの巨額の資金を得ること自体が目的です。そうした資金こそがオリンピックのイベント全体の運営の経費となるわけです。

だから本来は双方が大きな利益を得る、一種のビジネス契約なのです。
ところが北京五輪に関しては、主催者側の中国政府がチベットの弾圧を国際的に糾弾され、そのオリンピック・イベントそのもののイメージが大きく変わってきました。そうなると、スポンサー企業が期待した前向きイメージもあやうくなり、むしろ負のイメージともなりかねません。

そのへんの動きを産経新聞のコラムに書きました。
以下がそのコラム記事です。

【緯度経度】ワシントン・古森義久 北京五輪協賛企業の苦悩
2008年04月05日 産経新聞 東京朝刊 国際面

 「チベット情勢に対し深い懸念を表明する。われわれは、すべての当事者が平和的解決を望むことを知っている」

 こんな文言はいかにもどこかの国の政府が出す政治的な声明のようである。「チベット情勢」といえば、もちろん最近のチベットの住民や僧侶に対する中国当局の弾圧だろう。その弾圧がもたらした情勢の緊迫はだれしも懸念の対象となる。「すべての当事者が平和的解決を望む」というのは、いかにも国連の安保理や主権国家の政府が述べそうな言葉である。

 ところがこの文言は実際にはコカ・コーラ社が3月下旬に発表した声明だった。世界中でおなじみのあの清涼飲料メーカーが政治情勢や国際問題に論評することなど、ふだんは考えられない。だがチベット情勢の悪化で見解の表明を迫られてしまったのだ。理由はただ一つ、コカ・コーラ社が北京五輪のスポンサー企業、つまり賛助企業だからである。

 中国当局によるチベット人弾圧はさまざまな形で北京五輪に影響を及ぼすとみられるが、早くも明白となってきた影響のひとつはこのスポンサー企業への非難や詰問なのだ。その種の圧力が北京五輪の意外な急所を突くような様相をみせてきたのである。

 このスポンサー企業は現在までに公表された分だけでも19社、そのなかではやはりコカ・コーラ社はじめ、コダック、GE、マクドナルド、ビザなど米国大企業が多い。「スポンサー」となれば、五輪主催者側に巨額の資金を提供するかわりに開会式、閉会式、聖火リレーなど、全世界が見つめるなかで自社の名前や製品の名を宣伝できる。本来はだれもが利を得るはずの互恵メカニズムだった。

 ところがこの構図が3月中旬のチベットでの弾圧事件でがらりと変わってきた。

 非武装のチベットの住民や僧侶の抗議活動を武装部隊が攻撃し、死者を多数出すという血なまぐさい「チベット情勢」がまず世界各国の単に人権擁護団体だけでなく、識者や一般市民たちの怒りを呼んだ。

 それでなくても中国政府に対してはダルフールでの大量虐殺を許容、あるいは支援しているという非難がすでにある。米国議会はダルフール虐殺を北京五輪に結びつけた中国批判決議をすでに採択した。民間でも著名な映画監督のスティーブン・スピルバーグ氏が北京政府から開会式演出の「顧問」として雇われていたのを辞任してしまった。そこにチベットの弾圧が起きたのだから国際世論の反発が激しいのも自然だろう。

 だが従来は五輪主催国の中国が人権を弾圧すれば、「では五輪ボイコットか否か」という命題が提起されてきた。ところがいまはスポンサー企業への種々の圧力というからめ手からの要因が大きく浮かびあがってきたのだ。まず人権擁護の各団体がスポンサー企業に公開質問状などを突きつける。コカ・コーラ社が声明を出さねばならなかったのも、チベット人擁護の各種団体計153が連名で同社の会長と社長に協賛をやめることを求め、もしやめない場合はチベット情勢への見解の表明を要求する書簡を送ったからだった。

 これら企業にとって北京五輪への協賛は自社宣伝だけでなく将来の中国市場への参入拡大にも大きく役立つという期待がある。その一方、チベット情勢がここまで険悪になると、「僧侶を射殺する政権のスポンサーになることの企業側へのイメージの悪さは計りしれない」(「人権ウオッチ」アジア部長のソフィー・リチャードソン氏)という負の要因も大きくなるわけだ。

 このため同種企業は改めてPR専門家たちにイメージ再評価を依頼するところが続出してきたという。北京五輪もボイコット論議からイメージ計算へ、再考する基準が変わってきたといえそうだ。その背後には中国政府は人権団体には強いが、協賛企業には弱く、協賛企業は人権団体に弱い、という複雑な構図も存在するわけである。

チベットでの中国当局による住民や僧侶への弾圧が単なる中国の国内問題などではなく、国際社会全体が対応すべき普遍的な人道問題であることは否定できません。

下は「自由チベット運動」(Free Tibet Campaign)という組織が公表した、最近の四川省での抗議運動で中国当局に殺されたチベット人たちの死体の写真だそうです。




さてこのチベット弾圧は政治や外交を除いても、人間レベルでの重大な出来事です。人道主義の観点からすれば全世界の人間にとっての課題となる普遍的な案件でしょう。
そこで、こうした国際的な普遍性のある人間の悲劇や惨劇が起きれば、まず期待されるのは国際連合の関与でしょう。国連はそのために存在するともいえるのですから。

しかし今回のチベット弾圧事件に対しても国連はまったく無力であることをいち早くも証明してしまいました。この現実を読売新聞4月3日朝刊に出たジュネーブの大内佐紀記者の記事が鋭く伝えていました。
私のみる限り、こんどのチベット弾圧と国連との関係を正面から伝えた日本のマスコミの記事はこれが唯一でした。大内氏はワシントン駐在なども歴任した読売気鋭の女性記者です。

以下はその記事の冒頭部分です。見出しは「国連人権理事会 機能せず」「『チベット』でも無力」でした。

「〔ジュネーブ=大内佐紀〕加盟国は国際社会の人権状況の見直し、改善を担うはずだった国連人権理事会が早くも機能不全に陥っている。人権理は、2年前の発足当時、アナン前国連事務総長が『人権分野で国連活動に新時代を開いた』と宣言した、国連改革の目玉だったが、チベット情勢を目の前に全くの無力で、前身の国連人権委員会と同様の運命をたどりつつある。
 ■『役割果たさず』
 3月の人権理第7会期では、終盤を迎えた25日、米国、欧州連合(EU)などが相次いでチベットでの人権侵害を問題提起した。しかし、『内政干渉』と反発した中国に加え、パキスタン、キューバなども事前に議題として取り上げられていないといった手続きを盾に反発。国際社会の関心を集めたチベット情勢は結局、本格討議されないまま、会期を終えた。
 国際的な人権NGO(民間活動団体)「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」のベギー・ヒックス氏は、「人権理が機動的に対処すべき問題だが、期待された役割を果たしていない』と失望感を示した。」

要するに国連がなにをしようとしても中国がノーといえば、それで終わり、国連はなにもできないのです。
インド洋への自衛隊派遣問題でもひたする国連の承認を錦の御旗にした、わが民主党の小沢一郎代表は、この国連の無力をどう考えるのか、改めて問いたいところです。
チベットでの目にみえた弾圧の殺戮に対しても、まったくなにもできない国連が日本の安全などのために、なにかしてくれるのでしょうか。

もっとも国連の無力、とくに人権問題がらみでの無力はすでにいやというほど証明されてきました。

NHKは海外向けの日本の国際放送では、この無力な国連の憲章を最大の指針にしてきた、というのです。

その国連の無力を示す実例の一つを以下に紹介します。
日本の拉致問題に関して、です。
私自身が書いた産経新聞の記事です。


【国連再考】(2)第1部(2)聖なる神殿 拉致事件で知る各国の独善
2003年07月29日 産経新聞 東京朝刊 オピニオン面

 
国連への信奉という点ではわが日本は全世界でも最高位にランクされるだろう。現実主義者とされる小沢一郎氏のような政治家までが「国連警察軍」を常設し、自衛隊を提供する構想を説くことにも、戦後の日本の国連の理想への並はずれた期待があらわである。

 皮肉なことに日本と米国は同盟パートナー同士でありながら、こと国連への態度となると、全世界でも最も離れた両極端のコントラストを描く。国連に対し米国では年来、反発や不信がきわめて強い一方、日本では依存や信頼が異様なまでに強いのだ。

 日本のこの態度は敗戦の苦痛な体験や戦後の特殊な国家観などを原因とするのだろうが、国連を国家エゴのにごりのない澄んだ水のような公正な存在とみるところから出発してきた点では純粋だといえよう。

 国連を重視し、尊重する国はもちろん他にも多い。だがほとんどの場合、国連を自国の利益の追求手段とみなし、その範囲で国連の現実を利用するという姿勢が明白にうかがえる。ところが日本は国連自体を汚れた世俗の世界での聖なる神殿とみなし、理想の推進役とする美化の傾きが強いようなのだ。

 しかしそんな日本の背中をどしんとたたくように、この傾きを正す効果をもたらした最近の実例が拉致事件がらみの国連人権委員会での事態だった。

 国連人権委員会はこの四月、ジュネーブでの会議で北朝鮮の人権弾圧を非難する決議案を審議した。決議案は日本人拉致事件の解決をもうたっていた。欧州連合(EU)の提案だった。北朝鮮の人権弾圧はあまりに明白であり、日本人拉致も北朝鮮首脳が認めている。国連の人権委員会が人権擁護という普遍的な立場からその北朝鮮を非難することは自明にみえた。

 ところが委員会加盟の五十三カ国のうち賛成したのは半分ほどの二十八カ国にすぎなかった。中国、ロシア、ベトナム、キューバ、マレーシアなど十カ国が反対票を投じていた。インド、パキスタン、タイなど十四カ国が棄権し、韓国の代表は投票のためのボタンを押さず、欠席とみなされた。日本国民の胸を刺す自国民の過酷な拉致という非人道行為を非難することにさえ賛成しない国が多数、存在する現実は年来の日本の国連信仰とはあまりにかけ離れていた。

 「人権抑圧を非難する決議類にはとにかくすべて反対する国が多いという国連の現実を改めて知らされ、怒りを感じた。中国やリビア、ベトナム、キューバなど人権抑圧が統治の不可欠要件となっている独裁諸国がこの国連人権委員会を仕切っているわけだ」

 拉致家族を支援して、国連人権委員会へのアピールでも先頭に立った「救う会」の島田洋一副会長(福井県立大学教授)が国連への失望を語る。事実、中国の代表は今回の審議でも「北朝鮮がすでに多数の諸国と対話を始めた」とか「決議の採択は朝鮮半島の緊迫を高める」という理由をあげ、反対の演説をとうとうとぶっていた。

 「救う会」の島田氏らは二年前に国連人権委員会の強制的失踪(しっそう)作業部会に拉致事件の窮状(きゅうじょう)を申し立てたが、拒まれた。北朝鮮がなにも対応を示さないため、という理不尽な理由からだった。同じ人権委員会はその一方で九〇年代には日本の戦争中のいわゆる「慰安婦問題」を再三にわたって取り上げ、スリランカ代表が作成した「報告書」など極端に選別的なアプローチで日本を糾弾し続けているのだ。

 国連でのこの種の関係各国の政治的な駆け引きは日本側のODA(政府開発援助)依存外交をあざ笑うのかと思えるほどみごとに、日本の期待や願望を踏みにじり、裏切っている。

 国連人権委員会のいまの議長国はカダフィ大佐の独裁で悪名高いリビアである。自国内で人権を弾圧する国であればあるほど、この人権委員会に入り込み、内部から国連による自国への非難を阻む、という実態は周知となった。だからこの委員会では中国に関してチベットや新疆での少数民族の弾圧や気功集団「法輪功」、民主活動家の弾圧への非難の動きなど、芽のうちに摘まれてしまう。

 国連では人間の基本権利の擁護という最も普遍的かつ人道的であるはずの領域でも、日本国民の大多数が描く崇高なイメージとは対照的に、加盟各国の独善の政治思惑がぎらぎらと発光する。個々の国家の利益や計算の追求が生むなまぐさい空気が公正であるはずの論議の場をおおい尽くす。

 日本人拉致事件をめぐる国連人権委員会での日本の体験は国連のこんなしたたかな現実をいやというほど明示したのだった。(ワシントン 古森義久) 


なお自己宣伝ですが、国連のこうした実態を多角に報告した私の書を紹介しておきます。産経新聞の連載をまとめた形で2004年に刊行された書です。

国連幻想

この3月末、アメリカのニュージャージー州の病院で、一人のカンボジア系米国人男性が65歳の波乱の人生を終えました。
以下の記事の人物です。  

ディト・プラン氏(映画「キリング・フィールド」のモデルとなったカンボジア出身のジャーナリスト)AP通信によると、30日、膵臓(すいぞう)がんのため米ニュージャージー州の病院で死去、65歳。

 米紙ニューヨーク・タイムズのシドニー・シャンバーグ記者の助手兼通訳として、カンボジア内戦などを取材。75年のポル・ポト
派のプノンペン攻略でシャンバーグ記者が国外に逃れた後、ポル・ポト政権下の圧政を生き延び、79年にタイに脱出し同記者と再会。

 この間の2人の体験を描いた84年の英映画「キリング・フィールド」はアカデミー賞3部門を受賞した。カンボジア脱出後は米国に移住し、同紙のカメラマンとして働いた。


キリング・フィールド、つまり、ポル・ポト政権による自国民の大虐殺については、もうあえて書くまでもないでしょう。なにしろカンボジア国民100数十万人がこの政権の「原始的共産主義」の実験のために、殺された事実はもう公然の史実となっています。

私自身はこの虐殺の起き始めたころ隣国の南ベトナムにいて、ベトナム戦争の最終場面の報道にあたっていました。しかしカンボジアで大迫害、そして大虐殺が起きているらしいことは、かなり早い段階から多方面からの情報で感じていました。そしてその一端を報道しました。
ポル・ポト派が首都プノンペンを制圧したのは1975年4月17日のことです。

ポル・ポト派は75年4月からの数年間、もの凄い大虐殺を続けました。
最初にアメリカの政府がそれを発表し、アメリカのメディアも報道し、日本でも少しずつ情報が流れ始めました。私もその報道を始めた第一陣に入っていたことは、いまではささやかな誇りに思っています。

そんななかで、「ポル・ポト派の革命は虐殺や殺戮はない」と報道していたメディアがおそらく全世界の大手でも唯一つ、存在しました。わが朝日新聞です。
ポル・ポト派の革命は「アジア的な優しさ」があり、「粛清の危険は少ない」というのでした。現実にはカンボジア国民全体の5分の1にもあたる170万という男女が殺されていたのです。

以下の朝日新聞のその歴史的な記事のコピーを貼り付けておきます。
朝日新聞の主張、価値観、そして軌跡を知るうえで、貴重な資料といえましょう。

なおこの写真はポル・ポト派に虐殺された人たちの骨です。ほんのごく一部ですが。


 



MIX






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