2008年07月

日本でも、アメリカでも、ブッシュ政権の対イラク政策に反対を表明する向きは少なくありません。

その反対論の陰には、とにかくアメリカのイラクでの治安回復、そして民主国家の構築の努力が失敗してほしいという期待がちらほらしています。

しかし、なにやらイラク情勢はその期待とは逆の方向に着々と動いているようです。

もしブッシュ政権の意図どおりに新生イラクが民主主義、親欧米の主権国家として確立されたら、どうなるのでしょうか。

そのへんの疑問や議論に踏み込んでみました。

なおイラク情勢については以下のサイトでも書いています。
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/80/


【緯度経度】ワシントン・古森義久 反ブッシュ陣営の“悪夢”
2008年07月26日 産経新聞 東京朝刊 国際面

 
 他者の行動を「悪」「誤り」そして「失敗」と断じて激しく反対し、その中止を求めたのに、その行動は前進し、意外にも「善」とか「成功」の様相を呈してくる。いまさら「成功」を認めるわけにもいかず、みてみないふりをする-。

 なにやら人間のこんな天然の言動パターンを連想させるのが最近のイラク情勢への一部の反応だった。

 ブッシュ政権の米軍増派がイラクの治安の改善と民主化の進展に顕著な成果をもたらしたことはもうどうにも否定できなくなった。

 その新しい現実は米国の大統領選だけでなく対外戦略全般を変え、中東情勢にも大きな変化をもたらすかにもみえる。

 その現実の前には「みてみないふり」も、もう困難になってきた。

 ブッシュ政権のイラク政策を全面否定してきた側でも、いまの現実を認め、前向きに評価する向きが多くなった。

 7月21日にイラクを訪れた民主党の大統領候補バラク・オバマ上院議員もその一人だといえよう。

 バグダッドでの言明で米軍増派が成果をあげ、治安回復に大きく寄与したことを認めたのだ。

 
 オバマ氏は上院ではフセイン政権攻撃にも、その後の米軍増派にも激しく反対してきた。

 だから増派の成果を認めることには矛盾がある。

 対抗馬の共和党ジョン・マケイン上院議員はすでにその点を突いている。

 米国でのイラク米軍撤退論も、「泥沼の内戦からとにかく離脱」という主張から「すでに回復した治安はイラク国軍に任せる」という理屈にシフトさえしてきた。

 もちろん情勢の逆転はありうる。大方の予測を裏切ることがイラク情勢の特徴でもあった。だがそれでもブッシュ政権の政策に反対する民主党議員も大手マスコミも、「内戦」とか「国家の分裂」「崩壊」という表現はまず使わなくなった。

 ブッシュ政権のイラク政策に一貫して反対してきたニューヨーク・タイムズ紙も、6月下旬に民主党系の軍事専門家マイケル・オハンロン氏らのイラク情勢好転の報告を大きく掲載した。

 同報告での昨年5月と今年5月の比較では、米軍死者が126人から19人、イラク治安部隊の死者は198人から110人、テロ勢力の攻撃が200件から45件、イラク治安部隊の人数が3万4000人から4万8000人、イラク政府が完全統治する地域が全国の70%から95%へと、いずれも治安確立の方向へ大幅に好転した。

 非軍事面でも同報告は、バグダッドの中央政府から各地方へ交付される公的資金が月1億ドルだったのが2億ドルに、石油生産が1日200万バーレルだったのが250万バーレルに、武力衝突で住居を追われたイラク民間人が8万人だったのが1万人にと、それぞれ顕著に改善されたことを伝えた。

 イラクの治安が回復され、民主主義の主権国家がいよいよ確立されるのではないかと思わせる象徴的な出来事は、イラク政府による6月の石油開発の国際入札だった。

 外国企業を石油開発に招くのはフセイン政権時代以前から初めてだった。開発を仕切るのは新生イラク政府だから、「ブッシュはイラクの石油欲しさにフセイン政権を倒した」という陰謀説もさらに色あせる。

 激動の危険を秘める中東のイラクという枢要地域に親米の民主主義国家が生まれるという可能性も、米国にとってはいまや非現実的ではなくなってきた。

 もしそうなれば、米国も中東政策から国際テロ対策、対外戦略全般までを前向きに大幅修正することとなる。核武装へと向かうイランに対しても新生イラクは頼りになる防波堤となる。

 こうした展望はブッシュ政権寄りの米国の対外戦略立案者の間では、すでに現実の政策論として語られるようになった。

 ブッシュ政権に反対する側でもオバマ氏の例に代表されるように、イラクへの取り組みは微妙ながら根幹部分で変ってきた。

 そしてこのまま現状が続けば、ブッシュ大統領のイラク政策の成功という見通しも強まってくる。

 そんな事態は皮肉な意味で反ブッシュ陣営にとっての悪夢なのかもしれない。

       

日本のODA(政府開発援助)についてコラム記事を書きました。
ODAでは中国の事例で懲りたはずの日本政府がまた形を変えて、ODA増額を試み始めたようです。
金額を増やす前に日本のODA制度には大規模な改革が必要なのです。
そんな趣旨を書きました。
7月29日の産経新聞朝刊掲載です。



【あめりかノート】ワシントン駐在編集特別委員・古森義久

 

 ■ODAに必要な「法の統治」

 アフリカ南部ジンバブエのロバート・ムガベ大統領といえば、いまの世界では悪評の最も高い独裁者の一人だろう。

 そのムガベ大統領にひどい目に遭った日本の政治家がいる。

 1997年7月、橋本龍太郎首相の下で厚生大臣だった小泉純一郎氏である。

 
 厚相としてジンバブエの首都ハラレを公式訪問した小泉氏は7月18日午前、ムガベ大統領と会見する約束だった。
 
 橋本首相の親書も携えていた。だがこの日本政府代表と公式会談の予定を決めていたムガベ大統領は約束の場に約束の時間が過ぎても、現れなかった。

 小泉氏が待てど暮らせど、相手はまったく姿をみせなかった。

 遠路はるばるにもかかわらず、完全にすっぽかされたのだ。

 小泉氏は当然ながら怒りをあらわにして「援助されて当然という考えは改めるべきだ」などと語った。

 その背景には日本政府がジンバブエに対しその年までに合計800億円ものODA(政府開発援助)を与えてきた経緯があった。
 
 アフリカ南部でも重点援助国としてのジンバブエは、当時の自国のGDP(国内総生産)の6%もの援助を日本から得ていたのだ。

だから日本側にはこれだけ恩恵を得た相手なら当然、日本の重要閣僚を鳴り物入りで歓迎するだろうという期待があった。 

 だが日本のODAというのはそんなふうには機能しないのである。

 3兆円にのぼった中国へのODAも日本政府が公式の目的とした「友好」や「民主主義」の促進にはなんの寄与もしなかったことは、手痛い教訓だといえよう。

 
 福田康夫首相はそれでもアフリカ向け「ODA倍増」計画を発表し、実行に移し始めた。現在は年間1000億円ほどの対アフリカODAを2012年に2000億円にまで増やすというのだ。

 「倍増」という言葉は国民の所得など入ってくる資金の目標に使うのが自然であり、国民の貴重な資金の消費を2倍にする案は、一体なんのために、と問わざるをえない。 

 町村信孝官房長官はこの倍増の理由として「日本の国連安保理常任理事国入りへの連携」と「資源の獲得」をあげた。

 05年から翌年にかけ日本の外務省が総力を投入した常任理事国入りの運動がアフリカ諸国の反対でとどめを刺された事実を踏まえての主張かもしれないが、当時でもアフリカの重点諸国には日本のODAは豊富に供されていた。

 そもそもODAを与えれば、相手は日本の要求に応じてくれるという発想が幻想である。

 そのへんの冷徹な現実はムガベ大統領がいみじくも身をもって実証してくれたといえよう。

 
 経済効用でもアフリカ向けODAは疑問が多い。

 米国の複数のシンクタンクの調査では、アフリカにはODAを大幅増額しても経済が逆に後退し、国民1人当たりの所得が減ったという国が多い。

 日本が1990年代にアフリカ援助の最重点としたケニアはまさにその実例だった。

 政府から政府への援助に限られる日本のODAは独裁政権への支援に終わり、市場経済拡大を阻む危険さえ高いのだ。

 いまの日本のODA政策に必要なのは支出額の倍増よりも、対外援助の構造の根本からの再編である。

 現行の欠陥や矛盾はあまりに多く、これだけの巨大な国家事業の施行を規制する法律一つさえ存在しない。

 まず求められるのは支出額さえ増やせば効果があがるとする虚構を捨てて、国民の財の巨額な使用には不可欠の「法の統治」を導入し、「ODA基本法」の制定を考えることだろう。(こもり よしひさ)

 

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イラクの治安の大幅改善と民主化の進展は、ブッシュ政権のイラク政策に反対する側もついに認めるようになりました。

民主党の大統領候補バラク・オバマ上院議員がその一人です。

さらには日本ではこれまたアメリカのイラク政策を「内戦」とか「重大なミス」として否定し、非難し続けてきた朝日新聞も、一般ニュースでは素直にイラク情勢好転を報じるようになりました。

その実例は朝日新聞7月18日朝刊の記事です。
以下の記述があります。

「マケイン陣営は07年にブッシュ政権が打ち出したイラク増派戦略を、国民に不人気だったにもかかわらず、一貫して支持してきたことを指摘。ぶれない判断力が発揮されたと自賛する。前提には、『増派』が功を奏し、劇的に改善した治安状況がある」

以上の記述ではイラクの治安については、この記事を書いた朝日新聞記者が地の文章でイラクの「劇的に改善した治安状況」を既成の事実として報じているのです。

しかもブッシュ政権が実行し、マケイン上院議員が支持した「米軍増派」が成功したことも、あっさりと「前提」として、これまた客観的な事実として報じているわけです。

朝日新聞は社説で確かイラクへの米軍増派には反対していた記憶があるのですが、その増派が「功を奏した」ことをいまニュース報道で認めているわけです。

さあ、これからイラクが新しい民主主義、複数政党、しかも欧米諸国と緊密な関係を保つ主権国家として安定してくると、どうなるのか。

アメリカの対イラク政策は正しかった、ということにならないでしょうか。

こんごのイラクでの治安状況の行方をみることに、一段と興味がわきます。

 雑誌VOICE最新号の古森論文の紹介を続けます。

 今回の分は新彊ウイグル自治区に住むウイグル人たちがかねての中国政府への不満を北京五輪という好機を得て、どのように表明し、訴えていくのか、です。

 ウイグル人たちによる北京政府への抗議活動は筋金入りとされています。

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中国政府に対しチベット人と似た立場にあるのは、ウイグル人たちだといえる。
 
 中国領内の新彊ウイグル自治区では従来から自治の拡大から独立への要求まで中国政府への反発の動きが強かった。

 ウイグル人たちはチベット人とは異なり、イスラム教徒であり、戦闘的な傾向が強い。

 中国の外にいるウイグル人たちとの連帯も堅固である。

この在外の全世界のウイグル人たちをまとめる組織として「世界ウイグル会議」(WUC)というのがある。

 その活動の主目的は中国政府に統治されたウイグル人たちに対する強制的同化政策に反対し、その人権を擁護することだとされる。

 だが実際にはウイグル民族の独立志向はきわめて強い。

 WUCは本部をドイツにおくが、アメリカでも活動は盛んで、いま会長を務めるラビア・カディール女史はワシントン地区に在住する。

 WUCも北京オリンピックに対し強い関心を向けている。

 昨年12月にはカディール会長の名で「2008年北京オリンピックに関する公開状」を発表し、中国の人権問題と北京オリンピック開催とを関連づけて、非難や警告に近い言明を出した。


「中国政府が人権の改善などを条件に北京オリンピックの開催を引き受けてからもう7年近くが過ぎたが、中国の人権状況は少しも改善されていない。ウイグル人への弾圧は逆に強まり、『反テロ闘争』の口実の下につい最近もウイグル人6人を逮捕して、死刑や終身刑の極刑に処した。この行為自体がオリンピックの原則や国際法の違反となる。全世界の各国に中国政府糾弾を訴えたい」

「世界ウイグル議会」はカディール会長のこうした声明と同時に、中国政府のオリンピック主催自体を非難し、各国指導者が開会式に出ないよう広範に訴えている。

なにしろウイグル民族と中国政府との対立の根は深い。

 ウイグル側では最近は中国政府が若いウイグル女性合計40万人を海岸部の大都市に強制移住させ、工場労働や漢族男性との結婚をさせていると非難する。

 ちなみにカディール女史も中国では6年以上も投獄された経歴がある。

 だからウイグル側が北京オリンピックを年来の抗議に最大限、利用しようと意図するのは、いわば自然なのだ。

(つづく)
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VOICEの古森論文の紹介の継続です。
チベット人擁護の国際組織は「北京五輪を人権改善の触媒に」と主張しています。
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「チベット国際キャンペーン」(ICT)理事会は「国際オリンピック委員会が人権蹂躙の共産主義国家にオリンピック開催の許可を与えたことは不適切だが、もうここまできた以上、逆に北京オリンピックを人権状況改善の触媒に使いたい」とも言明している。

 チベット民族の人権のために活動するもう一つの国際組織は「自由チベット」(FT)である。

 1987年に旗揚げしたFTは本部こそロンドンにおくものの、アメリカでの動きも活発である。

 アメリカの政府、議会、マスコミへも恒常的に訴えをぶつけている。

 このFTはその活動目的として「チベット民族の自決権を推進する」とうたい、チベットの現状を「中国による不法な占領」と断じているように、言動もときにはかなり過激となる。

 メンバーもICTとくらべてチベット人がずっと多い。

 正規の会員として約1万9千人という数字が公表されている。

 チベット人の会員ではもちろん在外チベット人が主体ではあるが、チベット亡命政権やダライ・ラマ周辺とも明らかに密接な連携をとっているようにみえる。

 そのFTはこの3月から4月にかけての中国当局によるチベットでの僧侶や住民の殺戮に対しても、もっとも敏速に、もっとも激烈に反応した。

 明らかに中国内部のチベット人居住地域から直接に入手した写真や情報をいちはやく全世界に流し、抗議の声明をあいついで出したのはFTだった。

 FTは北京オリンピックに対しても一貫して厳しい姿勢をとってきた。

 まず中国が主催国となることに「人権弾圧の国家にその資格はない」として反対を表明し続けた。

 2001年7月に北京開催が決まると、国際オリンピック委員会に対し、開催条件である中国の「人権の改善」を履行させることを要請し続けた。

現在ではFTは「各国スポーツ選手の北京オリンピック参加を阻むことはしない」として、北京オリンピック全体のボイコットなどは呼びかけていないものの、イギリスのブラウン首相やチャールズ皇太子など重要人物が開会式に出席しないことを要求している。

 そしてFTは中国政府が開催の条件として誓約した「人権の改善」をまったく履行していないとして中国批判を強めている。実際のオリンピック開催のときには、北京の現地でなんらかの抗議運動を断行するような構えもちらほらと感じさせる。

(つづく)
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