2008年09月

私の新著の『主張せよ、日本』が内容をみられる形で紹介されました。アマゾンでの紹介です。

 

この書についてはさきにこのブログで取り上げましたが、自己宣伝への批判をあえて覚悟の上で再度、紹介しました。動機はもちろん、自分の著作、つまり報告、意見、主張などをできるだけ多くの方に読んでいただきたいことにあります。

 

主張せよ、日本

 以下のような記事を書きました。
 
ライシャワー核持ち込み発言というのも、日本異質論者というのも、古い話ではありますが、今の日米関係の現実になおしっかりとからみ合っています。
 
【あめりかノート】古森義久 異質論正すライシャワー伝記
2008年09月27日 産経新聞 東京朝刊 1面


 

 日本についての心強い見解を米側の識者から久しぶりに聞いた。

 「日本は当然ながら民主主義の価値観をアメリカと固く共有する頼りになる同盟国であり、米側はいまもきわめて重視しています」

 日米関係で長年、活躍してきたジョージ・パッカード氏の言葉だった。同氏は元駐日大使エドウィン・ライシャワー氏門下の古い日本研究者で、ジョンズホプキンス国際問題研究大学院(SAIS)や国際大学の学長を務め、いまは米日財団の理事長である。

 パッカード氏に昼食に招かれ、久しぶりに会うと、ライシャワー氏の伝記の執筆のために、私がかかわった「ライシャワー核持ち込み発言」について尋ねたいとのことだった。

 古い話ではあるが、1981年5月、毎日新聞記者だった私はハーバード大学を辞めたばかりのライシャワー氏にインタビューした。
 
 日米安保関係についてのその会見で同氏は日本の非核三原則の虚構を指摘する形で、米国の海軍艦艇は長年、核兵器を搭載したまま日本の領海や港に入ってきているのだと語った。
 
 この発言は日米両国政府の公式の主張にも反するとあって、大きな波紋を呼んだ。

 60年代にライシャワー駐日大使の特別補佐官を2年間、務めたパッカード氏は、私のインタビューの当日にボストン郊外のライシャワー宅にたまたま滞在していて、その後の「核持ち込み」をめぐる長い騒ぎでもライシャワー氏を支援した。

 パッカード氏は同じライシャワー氏門下で「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の著者のエズラ・ボーゲル氏らとともに、当初は私が寛容なライシャワー氏をずる賢く誘導して本来、語ってはならないことをうまく語らせたと思っている気配があった。
 
 だがその後にライシャワー氏自身が「古森記者の取材も報道も正確だった」と述べたため、周辺の私へのとげとげしい視線も和らいだ。

 パッカード氏はそんな経緯を改めて問いながら、自著が「月の裏側=エドウィン・ライシャワーとアメリカによる日本の発見」という題になることを教えてくれた。

 「単なる伝記ではなく、ライシャワー氏の正当性を示すための強い主張をも打ち出すつもりです」

 パッカード氏は意味ありげな笑いを浮かべながらこんな言葉をも口にしたので、どんな主張なのかと尋ねると「ライシャワー氏の日本論を否定し、ののしった修正主義者たちへの反論です」という。

 修正主義者とは日本異質論者とも呼ばれ、80年代から90年代にかけて、「日本は資本主義や民主主義とは本来、異質の官民一体の体制で世界の経済制覇を意図している」と主張した米欧の論客たちである。
 
 米国の有力雑誌編集長のジェームズ・ファロウズ氏やオランダのジャーナリストのK・V・ウォルフレン氏ら4人がとくに有名な日本異質論者だった。

 彼らは日本が基本的には米国と同質、均質だと説くライシャワー氏を辛辣(しんらつ)にたたき、「日本に買収された」とか「米国帝国主義の手先だ」と非難していたという。
 
 しかし現実には日本は民主主義と市場経済の道を歩み、米国のよき同盟相手ともなり、なおかつバブル経済は破綻(はたん)した。対テロ闘争などの安全保障面でも、米国の日本への依存や期待は大きい。

 だからライシャワー氏の年来の日本論はその正しさを証し、その伝記は期せずして日本異質論を改めて論破することになるとパッカード氏は熱っぽく語るのだった。(ワシントン駐在編集特別委員)

 雑誌『諸君!』掲載の古森論文の最終部分です。

 

北京五輪もなんだかずいぶん前の出来事のように思えてきましたが、なおその決算の検討は中国のこんごを考える上で超重要だといえましょう。

 

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北京五輪が当面は強めることになった中国人一般のナショナリズム、愛国意識、そして共産党政権への畏怖の念などは、それほど長く保たれることはないだろう。

 

北京五輪がその一方で期せずして招き入れた諸外国の自由な空気や普遍的な価値観が中国人の間にもじわじわと浸透する展望も軽視はできない。

 

共産党政権にとっては、一般市民の間に芽生えつつあるモヤモヤとした違和感、自国と外部世界とのギャップへの生理的な感知――それを民主化への希求と呼ぶのは早計であり、短絡だとしても――をいかに抑え込むか、という課題が、こんごますます拡大されて迫ってくるだろう。

 

  北京五輪によって存在がクローズアップされたチベットやウイグルの問題も、共産党政権にとってはさらに悩みの種となるだろう。

 

 少数民族にからむ課題は中国内部の従来の宗教組織や民主化運動組織への対策とも複雑にからみあっている。

 

 中国政府はそれらの勢力に対し五輪前にも弾圧は続けていたが、一定の自制の限度を設けていたといえる。

 

 五輪開催のためには、こうした勢力があまり活発に動いてはならないと判断する一方、その抑圧をあまりひどく断行すれば、こんどは国際世論が激しく反発して、五輪開催自体へのリスクを生みかねない。

 

 中国当局にはそうした計算が確実にあっただろう。

 

 だがいまや北京五輪が終わった以上、少数民族などの弾圧は苛烈をきわめてくるかもしれない。

 

 そうした弾圧は中国当局にとっては常に両刃の剣である。

 

  そのうえに中国政府は従来からの「自由な経済、統制された政治」という矛盾した国是の保持という基本的な難作業に迫られている。

 

 経済発展を維持するため、経済面でのかなりの程度の自由化は継続しなければならない。

 

 その一方、政治面では一党独裁の態勢を守り続けねばならない。

 

 だが経済面での自由化を進めれば、価値観の多様化がどうしても進む。

 

 その多様化はどうしても政治の領域にまで及んでいく。多様化は自由化につながりやすい。

 

 一党独裁は多様化とも自由化とも両立はしない。

 

 この壮大な矛盾にどう対処するのか。

 

 その点こそが中国共産党にとっての最大の切迫した課題だといえよう。

 

 北京五輪はまさにこの基本的課題への取り組みをより複雑に、より難儀にしたともいえる。

 

全世界をにぎわせた北京オリンピックはこうして中国当局に対し、さらにまた国際社会に対し、多くの課題や疑問やチャレンジをも提示したまま、幕を閉じた。

 

これらの新たな課題やチャレンジに中国共産党はどう応じていくのか。

 

北京五輪は中国にとっての歴史の岐路となるといえよう。

(終わり) 

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 アメリカ大統領選挙はますます白熱していますが、この選挙ではイラク問題がどう位置づけられているのか。
 
 日本側では識者もマスコミもイラクの平定と民主化の成功の気配を認めたがらない向きが多いことは、すでにこのブログでも何度も書いてきました。
 
 そんな流れのなかでこのイラクの治安回復を正面から認める評論が出たので、紹介します。
 
 産経新聞の9月23日朝刊に掲載された「正論」コラム、杏林大学の田久保忠衛教授の主張です。
 
 このコラムで田久保氏はイラクは将来、「ブッシュ大統領の歴史的偉業とみなされるかも知れない」と大胆な予測を述べています。
 
 さあ、アメリカのイラク介入を「悪」「失敗」「挫折」「内乱」「間違い」などと否定してきた側はどうするのか。
 
 もっともまだまだ結果はわからない、という議論も成り立つでしょうね。
 
 なおアメリカの金融危機が大統領選挙にどう影響しているか、
私が別の舞台で報告を書いたので、ご参照ください。以下のサイトです。
 
 
 
【正論】本番・米大統領選 杏林大学客員教授・田久保忠衛
2008年09月23日 産経新聞 東京朝刊 オピニオン面


 

 ■両陣営「ブッシュ否定」の意味

 次から次へと発生する火山の噴火を目のあたりにしているような興奮を覚えた。
 
 先ず米国のバラク・オバマ民主党大統領候補の出自から上院議員になるまでのドラマだ。
 
 4月から5月にかけてオバマ候補の恩人であるジェラマイア・ライト牧師が人種問題の禁忌に触れる発言を繰り返し、「米政府は黒人虐殺のためにエイズ菌を開発した」と述べたときには、これで民主党に勝ち目はないと思った。

 だが、オバマ候補は政治的困難を克服し、大統領候補指名受諾演説で満場をうならせた。
 
 1年前にこの結果を予想した専門家は多くなかろう。

 ジョン・マケイン共和党大統領候補がいかに数奇な人生を歩んできたかは紹介するまでもない。
 
 その彼が無名だったサラ・ペイリン・アラスカ州知事をいきなり副大統領候補に選んだ。
 
 44歳の女性で5人の子持ち、19歳の長男は陸軍の兵士としてイラクに出征した。
 
 5番目の子は胎内にいるときにダウン症とわかったが、あえて産んだ。
 
 イエローペーパー発祥の国柄のせいか、一部の新聞が「ペイリンはダウン症の赤子の母親か祖母か」という下品な記事を書いたが、ひるまない。

 ペイリン候補は妊娠中の17歳の長女と結婚する相手を含む全員を連れて壇上に上り、堂々たる受諾演説をぶった。
 
 これが支持率を大きく引き上げた。
 
 私は率直に言って感動し、同時にじめじめした活力のない日本の政界と政治家の誰彼を思い浮かべた。

 ≪1期・2期で評価分かれる≫

 オバマ、マケイン両候補はともに変革を強調した。
 
 「変革」の裏のキーワードは「ブッシュ否定」だ。
 
 しかし、両者ともブッシュの何を否定しようというのであろうか。
 
 ブッシュ政権の8年間は1期と2期では外交、防衛政策に顕著な差が認められる。

 9・11同時多発テロに見舞われた当時の米国の緊張感をもう一度正確に思い起こす必要がある。
 
 ブッシュ大統領をはじめチェイニー副大統領、ウォルフォウィッツ国防副長官、ファイス国防次官、ボルトン国務次官らがいっせいに強硬姿勢に転じた事実そのものを誤りであった、と時間がたったあとで指摘することは容易だ。

 2期目のブッシュ政権からはチェイニー副大統領を除いた役者たちは退陣し、代わってライス国務長官を頂点とする国務省色が濃くなった。
 
 北朝鮮、インド、リビアなどとの懸案を早く処理し、中国との間では事なかれ主義でいこうとの空気が濃厚になってきたのではないか。
 
 だが、その中でブッシュ大統領は指導力を発揮した。ベーカー元国務長官ら超党派の独立委員会「イラク研究グループ」が勧告した段階的撤退案を無視し、昨年1月イラクへの増派に踏み切った。

 結果は成功だった。
 
 イラクの治安は回復され、中東には民意が政治に反映される国、イラクが出現したではないか。
 
 去る9月1日に米軍はアンバル県の指揮権をイラク軍に移籍した。
 
 イラクの管理下にある18県の中で11番目の例だが、シーア派が圧倒的に多数を占めるイラク軍がスンニ派の人々の住むアンバル県の安全を担当する意義は小さくない。

 ブッシュ大統領は歴史的偉業をなしたと評価される時がくるかもしれぬ。
 
 ウォーターゲート事件で断罪されたニクソン元大統領の評価も棺を蓋(おお)うたあとで定まった。

 ≪「イラク」批判弱めるオバマ≫

 オバマ候補はイラク戦争そのものと、ブッシュ大統領の増派を激しく攻撃してきた。
 
 イラクの安定度が増すにつれて彼のブッシュ批判の声は弱まり、撤兵の時期と方法を説く、はなはだ締まりのない意見になっている。
 
 演説は貧弱な内容を覆い隠すかのようなパフォーマンス、独特な低音、前後左右への目配りを特徴としている。
 
 米国民はこの点を見逃し、一時のムードに流されるかどうか。

 マケイン候補はイラクに関するかぎり、概してブッシュ大統領と同じ見解と言っていい。
 
 「ブッシュ否定」の意味は、第2期の軟弱化したブッシュ政権の外交、防衛を第1期のそれに戻すと解してよかろう。
 
 両者が尊敬するのはセオドア・ルーズベルト、ロナルド・レーガン両元大統領である点も似ている。

 オバマかマケインか、いずれがホワイトハウス入りするにしても国際秩序は変わる。
 
 世界中に薄く、広く米軍を展開する愚をもう米国は繰り返さないと思う。
 
 秩序維持の責任は同盟国や友好国に分配される方向が示されるのは覚悟しておかねばならない。
 
 インド洋での給油活動にすら及び腰の日本が全く対応できない国際環境に入る。(たくぼ ただえ)


 

雑誌『諸君!』の論文の紹介の続きです。

この後、もう一回分で完結します。

 

なおアメリカ大統領選の最新状況については別なサイトに書きました。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/84/

 

                =====

 

「五輪疲れ」が「異質性への疑問」に転化する

 

   第三の「五輪開催による経済浮揚効果」は、現時点では結論を下しかねる。

 

 だが、北京五輪が中国のマクロ経済に大きく寄与するという見方は疑わしい。

 

 開催に間に合わせるために無理を重ねた都市開発は、むしろ国力を殺いだ可能性もある。

 

 「株式市場は正しく民意を反映する」という格言がここ中国でも通用するならば、上海総合指数は五輪開催中も下降トレンドのままだった。

 

 少なくとも株式市場からみる中国経済は五輪開催を歓迎していないと推測できる。

 

また、五輪開催前のチベット弾圧事件や汚染食品のせいで外国人観光客の出足が予想を大きく下回ったことも大きい。

 

さらに五輪協賛の各国大企業がチベットでの弾圧などにより、人権擁護団体から激しい抗議を受けたことも、ミクロ経済の次元では大きなマイナス要因だろう。

 

北京五輪にかかわることがそれら協賛大企業のイメージの汚染となってしまうのだ。

 

この事態は中国への諸外国からの投資の動向にも、負の要因となるであろう。

 

北京五輪の開催にからんで中国当局が断行した抑圧の数々は中国が投資先としても好ましい環境や条件を有していないという現実をも改めて照らし出すこととなった。

 

たとえその効果がイメージの領域だけに限定されたとしても、外国投資に高度経済成長を頼ってきた中国としては深刻な事態だといえよう。

 

しかしさらに深刻なのは、中国人民に蔓延する「五輪疲れ」ともいうべき倦怠ムードであろう。

 

  五輪招致決定後、中国政府は競技関連施設の建設などインフラ整備のため、内陸の貧しい農村地帯から「民工」と呼ばれる肉体労働者を数百万人規模で北京に呼び寄せ、急ピッチで建設作業に従事させた。

 

 中国共産党は「農業戸籍」と「非農業戸籍」を区別して人口移動を厳しく制限してきたため、民工の人々は国民としての基本の権利の保証も社会福祉恩恵もなく、最低の労働条件と賃金で働かされてきた。

 

 そして、いざ五輪が始まる直前になると、粗末なボロ小屋から強制的に追い出され、北京市外へ追い立てられてしまったのである。

 

 民工たちが抱える苦しみや悲しみ、そして怒りは、深刻なものがあるだろう。

 

  民工ほど悲惨ではなくても、北京五輪によって不利益や不便を蒙った人々は数多い。

 

 前述のような車のナンバーの偶奇による交通規制に耐えてきた北京市民、その規制のために農作物や畜産物を腐らせてしまった生産者、商売あがったりの流通業者、わずかな外国人観光客しかいないのに全市一律に駆り出される「ボランティア」……。

 

一般の人々は、開会式前の時点で、すでに疲れきってしまったようにみえた。

 

そのせいか、庶民的な食堂や商店をのぞいても、TVの五輪中継の観戦に興じているシーンを見かけることはあまりない。

 

たまにあっても、見ているのは外国人ばかりだった。

 

  北京でのそうした一般市民たちの動向は、今後の中国の行方を占う上で、大きなカギとなるだろう。

 

 現在、中国国内における情報は厳しく統制されている。

 

 しかし、北京五輪の開催が諸外国の情報をより多く中国の一般市民に触れさせる触媒となった可能性は高い。

 

一般市民が外国人の選手や観光客の所作を直接に目にして、自分たちが国際社会の普遍的価値観からいかにズレているかを肌で感じた機会も多かっただろう。

 

 そうなると、いかに一枚岩の共産党の教育だけで育てられてきた中国人とはいえ、「自分たちの国の政府は少し異質ではないか?」という疑義を抱くことも十分に考えられる。

 

  そのような兆候はすでに実際にちらついてみえる。

 

 ネット掲示板に寄せられる反政府的な書き込みが世論の動向を左右し、地方で発生する暴動やデモの大きなファクターになっている。

 

 現在はネット検閲によって当局は政府批判を必死で削除しているが、そうしたモグラ叩きのような作業にはいつか限界がやってくる。

 

(つづく)

           =====   

 

 

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