2008年10月

雑誌『SAPIO』11月12日号に私の論文が掲載されました。

「日米同盟をどうする」という総合タイトルのなかのいくつかの論文の一つとして、です。

ブッシュ政権が北朝鮮を「テロ支援国家」指定から排したことが日米同盟にどのような影響を与えるのか、について書いています。

その内容を何回かに分けて紹介します。

 

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アメリカ政府は十月十一日、自国の国務省が作成している「テロリズム支援国家」リストからついに北朝鮮を排除する措置を公式に発表した。

 

「ついに」とあえて記すのは、ブッシュ政権が北朝鮮が核兵器開発問題に関して一定の条件さえ示せば、もう日本人拉致事件の解決への前進がなくても、テロ支援国家指定から解除するという方針を正式に示してから四カ月もの時間が経過していたからだ。

 

ブッシュ政権のこの北朝鮮テロ支援国家指定解除というのは、吟味すればするほど奇々怪々な措置であることがわかる。

 

まず本来のブッシュ政権の外交政策や安保政策を支持してきた共和党側、保守陣営側がこぞって反対するのだ。

 

その一方、ブッシュ政権の対外政策を全面的に否定してきた民主党系リベラル勢力が熱をこめて賛成するのである。

 

共和党の大統領候補ジョン・マケイン上院議員が懸念を表明して反対し、議会下院の共和党有力者イリアナ・ロスレイティネン議員が厳しく批判するのとは対照的に、ブッシュ政権の対外戦略を根底から叩いてきた民主党大統領候補のバラク・オバマ上院議員がなんとその「指定解除」に賛意を表明するのだ。

 

「指定解除」はアメリカが北朝鮮との間で成立させたという核施設の検証に関する枠組み合意に基づいている。

 

ブッシュ政権はこの合意を理由に北朝鮮をテロ支援国家の指定から解除することを決めたというのだ。

 

ところがこの「検証合意」が抜け穴だらけである。検証のための査察の対象を決めるに北朝鮮の一方的な申告に依存せねばならず、北朝鮮への「信頼」が大前提となる。

 

そのうえにブッシュ政権は自ら公言した立場をもあっというまに変転させてしまった。

 

北朝鮮に対して、またまた大きな譲歩をしたのだ。

 

つい二、三週間ほど前までは、ブッシュ政権は北朝鮮に対し、核施設の査察に関する「議定書」を作成して提出することを求めていた。

 

その議定書の内容を検討して、一応の満足が得られれば、初めて「テロ支援国家」の指定を解除すると言明していたのだ。

 

ところが今回はその「議定書」の作成も提出もないまま、北朝鮮が「近い将来」その議定書を六カ国協議に提出するという言明だけで米側はテロ支援の指定を解除してしまったのだ。

 

この措置は北朝鮮側の「まず指定解除を」という要求に完全に屈して、大幅な譲歩をした結果だった。

 

しかも将来の核施設の検証、査察は「北朝鮮の申告により相互の合意に基づく」対象や手法だとされている。

 

これまた北側の単なる言葉に頼るという安易な対応である。

 

金正日総書記の言葉に頼ることがいかに虚しく、危険な結果をもたらすかはアメリカも日本も、もうさんざんに身にしみて学習してきたはずだ。

  

(つづく)

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 講道館発行の雑誌『柔道』9月号に掲載された「ワシントン柔道クラブ」についての私の報告の紹介第五回、最終回です。

 

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 こう報告してくると、ワシントン柔道クラブが単にアメリカ柔道の濃縮された一角であるだけでなく、世界各国の多様な柔道の縮図であることが明らかになるだろう。

 

 稽古の場で、打ち込みに、乱取りに、立ち技に寝技に、必死に励む多様な顔ぶれをみていると、日本の柔道はよくもここまで世界に広まったものだと何度も感嘆させられる。

 

 純粋に日本で生まれ、育った事物がこれだけ全世界に広範に普及したというのもまず他に類例がないだろう。

 

 だがその柔道の国際的な普及も、わが日本柔道、講道館柔道の先人たちの各国での鮮やかな実力の発揮や、血のにじむ労苦や献身があってこそだったという経緯は、ワシントン柔道クラブの会員たちと言葉を交わすだけでも、実感をもって胸に迫ってくる。

 

 トルコでも、ギリシャでも、フランス、ペルー、アルジェリア、ブラジルでも、それらの国の出身の選手たちに母国での修行の内容について尋ねると、その答えには必ず「日本人の先生」がちらりとでも出てくるからだ。

 

 ワシントン柔道クラブの土台となるアメリカの柔道にしても、戦前から渡米した日本人柔道家たちの営々たる努力と実績があってこそ、なのである。

 

 筆者自身はワシントンにあって、そうした先人たちの実績の果実を享受していると感じることが多い。

 

 在米の一般日本人として、あるいは日本の新聞記者としても、顔を合わせて、語り合う機会はまずないようなアメリカ人や他の外国人と、柔道のお陰で、親交できるからである。

 

 柔道という共通項が人種や民族、職業、年齢などではまったく異なる相手との交流を可能にするのだ。

 

 柔道にはもはやそれだけの国際的に普遍な魅力があるということだろう。

 

 普通なら成立しないコミュニケーションを可能にするという意味では、柔道は国際的な肉体言語と呼べるのかもしれない。

 

 しかし国際化した柔道はその普遍性の反面、なお間違いなく「日本」が軸となって厳存する。

 

 少なくともワシントン柔道クラブでの状況はそうである。

 

 このクラブに集まる男女は柔道が大好きでも、本来は日本についてよく知っているとか、関心が高い、というわけではない。

 

 だがまず練習での用語は「正座」から「礼」に始まり、「待て」「止め」まで、みな日本語である。

 

 技の名称ももちろんすべて日本語だ。柔道ではまだまだ「日本スタンダード」が健在なのだといえる。

 

外国の普通の選手ならば、それら用語へのなじみからだけでも柔道の背後にある日本の言語や文化、そして価値観らしきものにまで、なんとなく温かい視線を向けるようになる。

 

言葉にしなくても婉曲な敬意を感じるようになる。諸外国出身の柔道家たちをみていると、そんな印象を受けるのである。

 

ワシントン柔道クラブの場合、この日本スタンダードはさらにもっと確固たる形をとっているようだ。

 

なにしろ数の多い諸国で稽古をしてきたメンバーたちだから、柔道のスタイルもサンボふう、レスリングふう、と、いろいろある。

 

普通の投げ技はまったくかけず、タックルや返しを狙うだけ、という非柔道的な柔道も少なくない。

 

そんな相手たちに対しても、日本の大川、阿知波、波多野各選手はみな、日本ふうの正統派柔道であくまで対抗する。

 

両手で相手の道着をしっかりとつかみ、正面から跳びこんで技をかけ、一本取ることを目指す。

 

彼らのそうした稽古や指導が一年、一年半と、続いてみると、いつのまにか、レスリングやサンボふうの攻防方式はすっかり減ってきたといえる。

 

ここでも、「日本柔道、まだまだ健在」と実感させられるのである。(終わり)

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筆者 古森義久(こもり・よしひさ)

講道館五段

産経新聞ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員。

杏林大学客員教授。国際問題評論家。

 

 アメリカの金融危機はそもそもなぜ起きたのか。

 なにが最大の原因だったのか。

 政府が市場をあまりにも自由に放任したからか。

 あるいは逆に政府が介入しすぎ、その介入の方法に欠陥があったからか。

 アメリカ国内での議論の断面を紹介しました。

 産経新聞の10月28日朝刊のコラムです。

 

  なお金融危機のアメリカ大統領選への影響などについては以下のサイトに詳しく書きました。

 http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/84/

 

 

【あめりかノート】ワシントン駐在編集特別委員・古森義久


 

 ■金融危機と「大きな政府」

 米国ではこのところの金融危機で「小さな政府」や「規制緩和」を標榜(ひょうぼう)してきた保守主義への風当たりが激しい。

 

 大企業が破綻(はたん)し、株価が暴落し、個人資産も激減する連鎖の恐怖が広がるなかで政府の介入や保護に頼る傾向が一般に強まった。

 

 一方、現在の危機を招いた原因としてはブッシュ政権主導の経済政策が「自由放任」や「規制撤廃」と特徴づけられ、もっぱら非難の的となってきた。

 

 とくに民主党バラク・オバマ大統領候補に象徴される「大きな政府」リベラル派からのその糾弾が強い。

 

 ブッシュ政権と結びつけられやすい共和党ジョン・マケイン候補がまともにその激風を浴びる。

 

 そうした糾弾は欧州の規制強化論にも勢いを得て、資本が自由に動く資本主義や、需要と供給の自由な動きで機能する市場経済の核心へも矛先を向ける観となってきた。

 

 「私たちはいまやみな中国人になったようだ」。

 

 ワシントン・ポスト紙の国際問題コラムニストのデービッド・イグネシアス氏が自嘲(じちょう)気味に書いていた。

 

 資本主義経済というのは名目だけで、自由な民間市場を信用せず、政府の管理に依存する統制経済の概念にいまの米国が傾く点は中国と同じだろう、というわけだ。

 

 ではいまの金融危機は本当に「小さな政府」の走り過ぎによる自由放任の産物なのだろうか。

 

 2年半前に予測した住宅市場のバブル崩壊が的中して著名になったエコノミストのピーター・シフ氏は、ごく最近の「資本主義を責めるな」という論文で「政府の介入と規制こそが今回の金融危機の主要因だ」という趣旨の見解を発表した。

 

 危機を発火させたサブプライムローン(低所得者向け高金利型住宅ローン)の焦げつきも、借り手側に、債務にともなうリスクを政府の介入で不自然に少なくみせたことが原因なのだという。

 

 シフ氏はその具体例としてローンの利子負担の税控除や不動産売買によるキャピタル・ゲインの課税免除をあげ、「この種の政策が投機的な住宅購入への不自然な需要を創出した」と指摘する。

 

 ファニーメイやフレディマックという政府系住宅金融会社についても同様に「政府の事実上の保証によりリスクが少ないという印象を住宅購入側に与えた」と政府の役割を強調する。

 

 市場原理が自然に機能すれば、無資格の購入者はふるいにかけられ、住宅価格の値上がりが個人所得の伸びをはるかに超えることを防いだだろうという。

 

 要するに政府がここまで大きな役割を演じなければ、破綻はなかっただろうというのだ。

 

 米国の金融史を専門とする経済評論家のジョン・ゴードン氏もファニーメイについて「資本主義が実行されるニューヨークではなく政治首都のワシントンに本部をおくこと自体がその政治性を明示している」と述べ、市場経済の枠を超えた性格を強調した。

 

 そのトップの地位もみなクリントン政権の高官たちが天下りした時期が最も長く、「大きな政府」の民主党歴代政権とむしろ緊密なつながりがあったことをも指摘した。

 

 確かにファニーメイの政治献金は上院のクリス・ドッド銀行委員長やオバマ議員など民主党側に集中していた事実も公開されている。

 

 こういう見解を知ると、政府が介入や保護をせず自由に放任したからいまの金融危機は起きた、という診断もぐらりと揺らいでみえる。

 

 「小さな政府」よりもむしろ「大きな政府」が危機の温床を育(はぐく)んだふうにも思えてくるのである。

 

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 イラクでの米軍の対テロ勢力作戦が成功し、治安が回復され、国内の各県の治安保持の責務は次々にイラク国軍に引き渡されています。

 

 イラクには米欧に顔を向けた新民主主義国家がいよいよ誕生しようとしています。ブッシュ大統領のサダム・フセイン 政権の攻撃に反対した側にとっては、なかなか認めたくない現実でしょう。

 

 しかし内戦というような状態が終わり、新たな国づくりが着実に

進んでいることは民主党の大統領候補のバラク・オバマ氏までが認めています。

 

 こうしたイラクの治安回復をもたらしたのは、明らかにブッシュ大統領が断行した米軍増派作戦であり、その作戦を指揮したデービッド・ペトレイアス将軍の手腕だといえましょう。

 そのペトレイアス将軍がこのほどワシントンで演説をして、イラク平定作戦の内容を詳しく語るのを聞く機会を得ました。

 

 目前にみるペトレイアス将軍は引き締まった体躯ながら、意外なほど小柄の人物でした。その外見、言動、態度などは、軍人というよりも学者とか研究者を思わせました。言語は明晰、ユーモアを交えながらの説得力十分の報告でした。

 以下にその要旨をお伝えします。

 

 

米軍増派による新作戦でイラクの治安の大幅改善を果たした米軍デービッド・ペトレイアス司令官は10月上旬、ワシントン市内で「イラクでの米国の成功」と題して演説し、イラクの治安が大幅好転とされた今年5月よりもさらによくなり、新しい国づくりが進んで、新生イラクの指導者たちは自国を「中東の日本」にすることを目指している、と語りました。

 

ペトレイアス陸軍大将は昨年2月からこの9月末までイラク駐在の多国籍軍(米軍)司令官を務め、今月末までには中東全域を管轄する米中央軍司令官に栄転します。

 

ペトレイアス司令官はイラクではブッシュ大統領が断行した米軍増派による新作戦でアルカーイダに果敢な攻撃をかけて、大きな打撃を与え、全土の治安を大幅に回復した実績があります。

 

同司令官はこの演説でまずイラク情勢が今年5月に議会で証言したときよりもさらに好転したとして「昨年7月には一ヶ月約180件だったイラク全土でのテロ攻撃がこのところ30から20へと減り、さらに減少傾向にある」と述べました。

 

同司令官は増派による新作戦について、

 

①まず一定の人口を画定して安全を守り、米軍もそこにともに住む

 

②その人口の団結を図る一方、敵を徹底して攻撃し、追撃する

 

③敵を撃退した地域を確保し、同化が可能な住民と不可能な分子とを分離する

 

④住民に米側の価値観を示し、同時に住民の自治組織を強化する

 

―などという手順で平定を進めたことを説明しました。

 

ペトレイアス司令官はこうした平定作戦の成果として首都のバグダッドでは住民たちが平和を楽しみ、公園や動物園、ホテルなどの再開を宣言するようになったことを宣言しました。

 

同司令官はその理由として米軍がアルカーイダの部隊や指揮官を多数、選別的に、撃破し、転向させたことだけでなく、スンニ派が国際テロ組織に敵対するようになったことや、シーア派民兵が米軍やイラク政府に協力するようになったことを指摘しました。

 

同司令官はイラクの現在の安定が将来、中東やイスラム世界での模範になるとして「イラク指導層は自国がやがては『中東の日本』のようになることを願っている」と述べました。

 

同司令官は現在のイラク国の平定が民主主義国家の新生を目指すイラクの飛躍の基盤になるとして、世界有数の石油資源がそれを可能にすると強調しました。

 

しかし同司令官は現在の治安改善にはなおひ弱い部分もあり、

 

①アルカーイダの大規模反撃

 

②スンニ派の過激勢力の反撃

 

③イランに指示された支援勢力の戦力の拡大

 

――などによってイラク情勢の逆転もありうる、と述べ、警告をも発しました。

   

 

講道館発行の雑誌『柔道』2008年9月号に掲載された古森の記事の紹介です。

 

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その結果、これほど国際的な人間集団もまず珍しいといえるほどの構成となっているのだ。

 

たとえばロシアの男性とイタリアの女性が乱取り稽古をするのをみて、日本人の宮崎師範が技のかけ方を指導する、というような光景がごく普通に繰り広げられるのだ。

 

しかも舞台はアメリカなのだ。

 

いうまでもなく、この国際的な多彩の人間の集まりを束ねる共通のきずなというのが日本の柔道なのである。

 

柔道に関して「日本の」と、あえて書いたのは、ワシントン柔道クラブは伝統的に日本の柔道を範とする傾向がきわめて強いからだ。

 

 現在のクラブの総代表格のノルス氏は日本をたびたび訪れ、講道館で嘉納行光館長に面会して、指導を仰いだほか、東海大学柔道部とも交流し、佐藤宣践氏、山下泰裕氏らをワシントンに招いて同クラブで大講習会を催している。

 

ただしこのプロセスでは柔道に造詣の深い加藤良三駐米大使(二〇〇八年六月まで六年半在勤)が全面的に支援してくれた。

 

アメリカ柔道の発展支援を日米友好促進の一助と位置づけ、ワシントン柔道クラブを通じての交流を外務省のプロジェクトとしてバックアップしたのだ。

 

加藤氏はいま日本に戻り、全日本学生柔道連盟の特別顧問に任命されたと聞くが、同氏の駐米大使としての日米柔道交流やワシントン柔道クラブへの援助は非常に貴重だった。

 

日本側でも同クラブの比重を認識して、二〇〇五年春には東京学生柔道連盟が各大学から募った約三十人の男女選手から成る訪米団(植村健次郎団長)をワシントンに送り、同クラブのメンバーらと二日にわたり、合同練習をした。

 

同連盟では来年春にもまた選手団をワシントンに送ることを決めている。

 

師範の宮崎剛氏や筆者の母校、慶應義塾大学も二〇〇一年と二〇〇七年の二回、柔道部訪米団をワシントンに送り、同クラブと親しく、そして激しく柔道交流をした。

 

ワシントン柔道クラブではこうした講道館や日本学生柔道組織との接触の結果、日本の大学柔道出身の三人の選手を長期のメンバーかつコーチとして迎えるようになった。

 

この三人の日本柔道の披露が同クラブの実力や評判をさらに高め、より多くの強い選手たちをさらに招き入れる素地となった。

 

一人は東海大学の団体戦全国優勝のメンバーだった大川康隆選手で、二〇〇七年春から日本オリンピック委員会の奨学金を得て、ジョージタウン大学でスポーツ・マネージメントを学びながら同クラブの師範代として柔道指導にあたってきた。

 

大川選手は指導だけでなく二〇〇七年秋のアメリカでの国際大会のUSオープンにも出場して、100㎏超級と無差別級の二階級制覇を果たし、ワシントン柔道クラブの名をも高めた。

 

日本大学柔道部の女子メンバーだった波多野麻衣子選手も二〇〇七年春から同クラブに入り、女子の指導にあたり始めた。

 

その前年には拓殖大学卒の阿知波秀和選手も参加した。

 

 阿知波、波多野両選手とも自主的なアメリカ留学だが、日本の大学柔道で本格的に鍛えられた地力はワシントン柔道クラブへの貴重な寄与となっている。

 

(つづく)

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