2008年11月

 バラク・オバマ米国次期大統領について書いた『WILL』2009年1月号の私の記事の紹介を続けます。

 

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 オバマ氏は今回の大統領選挙では二度の戦いに勝利したといえる。

 

 第一回は民主党の指名を争うクリントン上院議員との対決だった。

 

 この対決は事実上、二〇〇七年一月ごろから始まった。

 

 オバマ氏が大統領選挙への立候補を正式に宣言し、民主党の指名争いの予備選にのぞんだのが同年二月だったのだ。

 

 このころクリントン候補は圧倒的に優位に立っていた。

 

 資金の豊かさでも、世論調査の支持率でも民主、共和両党のすべての候補者のなかで突出していた。

 

 共和党側でもニュート・ギングリッチ元下院議長が「次のアメリカ大統領はまず確実にヒラリー・クリントン女史となるだろう」と公言し、あきらめを認めていたほどだった。

 

 新人かつ黒人のオバマ氏はその本命中の本命のクリントン女史に正面から挑戦し、少しずつ、一州ずつ、支持を広げていったのだった。

 

 オバマ氏にとっての第二の戦いは、いうまでもなく戦争ヒーローの共和党マケイン候補との対決だった。

 

 民主、共和両党がそれぞれ党全国大会で正式の指名候補を決めてからの本番選挙戦は九月はじめにスタートした。

 

 その期間は投票日の十一月四日まで二カ月ほどと、予備選の時期にくらべずっと短かったが、ずっと大規模の激しいキャンペーンとなった。

 

 オバマ氏にとってはクリントン候補と対決した予備選や党員大会での戦いがその都度、特定の一、二州に限られていたのにくらべ、全米が同時に舞台となったのだ。

 

 オバマ氏にとっても、マケイン氏にとっても、この大統領選での戦いは実に二年近くも続いてきたのである。

 

 この選挙戦は各候補者にとっては、はたからみても気の遠くなるほど長い試練と闘争のプロセスとして映る。

 

 とくに一年半以上にわたる各州での党員大会や予備選段階では両党とも複数の候補たちが激しくせめぎあう。

 

 これでもか、これでもか、と戦いあい、叩きあうのだ。

 

 候補者だけでなく有権者までがその戦闘に深く加わる。

 

 その過酷さは「ボクシングをしながらマラソンをする」ようだとも表現される。

 

 あまりに長く険しい道程は自虐的にさえみえる。

 

 だが当事者たちからすれば、これぞ世界に冠たるアメリカ民主義の誇示ということになるのだろう。

 

その長く険しい道程ではオバマ氏は単に弁舌、議論の才能だけでなく、どんな場合でも冷静さやバランスを失わないようにみえるリーダーとしての挙措を保ってみせた。

 

激しい攻撃を受けても、激高することなく、第三者のような態度をみせて、明快な口調で応じるのだ。

 

こうした態度を政治評論家のチャールズ・クラウトハマー氏は「オバマ氏はたとえ自分のすぐ背後で手投げ弾が破裂してもあわてないようだ」と評したほどだった。

 

ちなみにクラウトハマー氏は保守系であり、今回の選挙では終盤で自分のコラムにマケイン候補支持を明記した。

 

オバマ候補はつまり敵側も驚嘆するほどの冷静さを討論や演説で保てる天性の才を持つ政治家なのだ。

 

その才の発揮はパフォーマンスと呼べる域を超えて、天賦のカリスマという言葉を自然に連想させるほどの冴えだった。

 

後述するように、今回の選挙ではアメリカの大手メディアはこぞってオバマ氏支援へと傾いたが、記者たちが「陶酔」と皮肉られるほどのオバマびいき報道をした一因も、彼のこのへんの特徴にあったようだ。

 

(つづく)

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 アメリカのバラク・オバマ次期大統領についてかなり長い記事を月刊誌『WILL』2009年1月号に書きました。

 

 タイトルは「バラク・フセイン・オバマの光と影」「米メディアが報じなかったオバマ最大のタブー」となっています。

 

 その内容を何回かに分けて、紹介します。

 

 なおオバマ氏については以下の別サイトにも記事を書きました。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/88/

 

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 アメリカの第四十四代大統領に民主党のバラク・フセイン・オバマ氏が当選した。

 

 十一月四日の投票で共和党のジョン・マケイン候補を破っての勝利だった。

 

「地すべり」ではないまでも、圧勝と呼べる票差だった。

 

 オバマ氏はアメリカの歴史でも初めての黒人大統領となる。

 

 アメリカ国内でかつて奴隷だった黒人がついにその国全体の元首たる大統領の座に就くのである。

 

 アメリカの社会や国民の開かれた意識を反映し、その民主主義の健全性を明示する文字どおり歴史的な出来事だといえよう。

 

 ちなみにアメリカ社会では黒人を指す場合、アフリカ系という呼称が「政治的に正当」ともされる。

 

「アフリカ系アメリカ人」という表現である。

 

 だがその一方、「黒人」という表現も客観的な用語として使われる。

 

 黒人というのはいまのアメリカの国勢調査などで正式に使われる公認の用語でもあるのだ。

 

連邦議会の上院議員をわずか三年ほど務めたという公務だけが国政レベルでの経験としてはすべて、という四十七歳のオバマ氏が初の黒人として一気に大統領に当選したことは、文字どおり驚異的な偉業だった。

 

オバマ氏の政治デビューは彗星のようだったのだ。

 

そもそも全米の次元でオバマという名前が初めてごく一部でも認知されたのは二〇〇四年夏の民主党全国大会だった。

 

この大会で民主党の大統領候補にはジョン・ケリー上院議員が指名されたが、その指名の演説をした一人が当時、イリノイ州の州会議員にすぎなかったオバマ氏だった。

 

だが当時から民主党筋では注視されていた。

 

カリスマ性などという表現がすでにちらほら述べられていた。

 

オバマ氏はその年の連邦上院議員選挙にイリノイ州から立って、みごとに当選した。

 

しかし、その時点で彼がわずか四年後にホワイトハウスの主になるとは、予測する人はいなかった。

 

 オバマ氏の選挙での戦いぶり、そして勝ちぶりは異例の才の劇的な成果としてアメリカの政治や選挙の歴史に特筆されるだろう。

 

 特徴としてはまず天賦の弁舌の才である。

 

 よく「黄金の舌」と激賞されるほど演説が上手なのだ。

 

 語調に静かな低音の抑制を効かせ、明確で穏健に響くメッセージで聞く側の心を和らげる。

 

 わかりやすい表現での直截の訴えは理と情の両方を同時に実感させる。

 

 私自身も初めてオバマ氏の演説にじっくりと耳を傾けたときは、びっくりするほど好印象を受けた。

 

「アメリカには保守も、リベラルもありません。白人のアメリカも、黒人のアメリカもない。ただ一つのアメリカ合衆国があるだけなのです」 

 

 こんな言葉もよく考えれば、当たり前のことなのだが、オバマ氏の口から出ると、ふしぎなほど説得力がある。

 

 癒しの効果がある。

 

 なるほど、この人物の言に従っておけば、アメリカという国も社会も一つに穏やかにまとまるのではないか、という気持ちがなんとなくわいてくるほどなのだ。

 

融和や団結を唱えるオバマ氏の演説は、初期の最大ライバルのヒラリー・クリントン上院議員が対決調の言動を特徴としていたために、ことさらアピールを発揮したといえる。

 

いつもピリピリと張りつめたような緊張や対決を感じさせるクリントン候補の言動とはちょうどコントラストを描いたのである。

 

オバマ氏は現実の政策面では具体的な主張が少なかったが、基本方向を思わせる表現として「変革」と「希望」という言葉を繰り返し、スローガンとして唱えた。

 

とにかくいまのブッシュ政権の政治環境からの「変革」を主張し、現状を閉塞としてとらえ、それを打破する「希望」をアピールするのだった。

 (つづく)

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 モラロジー研究所所報11月号に掲載された古森義久の講演録の最終部分を紹介します。

 

 麗澤大学での講演でした。

 

 今回の部分は平和を守る方法としての「抑止と均衡」の「均衡」という概念の効用についてが主体です。

 

 そして最後に世界における日本とか日本人についての自分なりの考察を述べています。

 

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 一方、「均衡」とはバランスを取っておくことです。

 

 長く続いた冷戦において、ソ連とアメリカはおそらく相手を何度も滅ぼせるぐらいの核兵器を持って対決してきました。

 

 しかし米ソ間の直接の軍事力の衝突はただの一回も起きませんでした。

 

 これは「こちらが攻撃を仕掛ければ自分もやられてしまう」という、軍事力の均衡が保たれていたためです。

 

 ですから、対立する一方がこの均衡を破って一方的に軍事力を大幅に減らす、あるいはなくしてしまうようなことがあると、平和が崩れ、戦争が起きやすい状態になります。

 

 戦争は単に特定国家が兵器を大量に保有することで起きるよりも、対立する国家の間の軍事力のバランスが大きく崩れた際に起きやすい、というのが理性に基づいて機能する国家間の国際安全保障の実態です

 私はベトナムとワシントンでの国際報道を経て日本に帰ってきたとき、こうしたことを「平和を守る方法」として毎日新聞で記事を書きました。

 

 当時の毎日新聞としては私のような意見は超少数派でした。

 

 米軍とはいっさい関わりを持たないほうがよいとか、平和は絶対的であるという論調が強かったのです。

 

 しかし毎日新聞の読者からは私の意見に賛成する投書がたくさん届きました

 

 

 日本人は日本について論じるとき、どこかうつむいて恥ずかしげにしてきました。

 

 戦後の呪縛とでもいうのでしょうか。

 

 日本独自の価値観や思考は国際社会では相手にされないかのように自動的に自己否定をするような傾向だといえます。

 

 安全保障についても自国を特別な悪者のように描く向きが日本側の内部で大手を振っていました。

 

 例えば、自衛隊が海外へ行くと言えば、平和維持のためでも、こういう向きは「日本はまたやがて外国を侵略することになる」と主張し、自衛隊のいかなる海外での活動にも反対してきました。

 

 自衛隊が海外での日本の国民の生命や財産を守るためであっても、日本列島から外には一切、出てはいけないのだ、というのでした。

 

 しかしこの種の主張が空疎であることは、すでに判明しています。

 

 日本の自衛隊がいまどの国を侵略する、というのでしょうか。

 

 世界の現実をみれば、よくわかります。

 

 その世界の現実のなかで日本がおかれた立場をみても、わかります。

 

 安全保障が抑止と均衡を基盤とする現実をよくみつめたいものです。

 

 日本としてもその世界の現実、国際的な規範に合わせて、安全保障の面でも、もう少し現実的な対応を取るべきです。

 

 普通の安全保障の政策と思考を持つ、普通の民主主義国家になることが必要なのです。

 

 日本には、外国と比べれば明らかにすばらしいものがたくさんあります。

 

 つい先日も、アメリカのある大手雑誌に世界各国の主要なホテルの支配人に「どこの国の旅行客がいちばんよいですか」という調査をしたという記事が出ていました。

 

 その調査の結果では、日本人が圧倒的にマナーがよいとされていることが判明しました。

 

 また、日本人はみずからをきちんと律して、相手を思いやるということも、国際的に広く知れわたるようになってきています。

 

 私自身も本来の日本人が持っている資質、日本の国、日本の社会が保ってきた伝統は、現代の国際基準からしても誇れる特徴なのだということを、外国で時間を過ごすほどに感じる今日このごろです。

(完)

(本稿は、七月二十六日に廣池千九郎記念講堂で行われた公開教養講話の要旨に加筆されたものです)

 

 

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 中国の国家ファンドの暗躍をアメリカが警戒しているという話を産経新聞のコラムで書きました。

 

 

【あめりかノート】古森義久 中国ファンド 新たな脅威

 

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 米国での中国研究は官民とも日本より広く深く、鋭利にみえる。

 

 米中両国間の経済関係が米国の国家安全保障に与える影響を調査し、議会と政府に政策勧告をすることを任務とする同委員会が2008年度の年次報告をつい数日前に公表した。

 

 そのなかでとくに強い警告を発したのが中国の主権国家資産(ソブリン・ウェルス)ファンド(SWF)だった。

 

 「中国の国家機構そのものが一般の金融機関を装い、米国の国家安全保障を侵す動きに出ることに重大な懸念を抱いています」

 

 同調査委員会のラリー・ウォーツェル委員長は強調していた。

 

 中国のSWFというのは、米国からみれば国際金融の場に新たに登場してきた危険なモンスターのような存在である。

 

 日本にも当然ながらその手は伸びている。

 

 金融の危機が国家や国民のあり方を根幹から動かす現実をだれもが皮膚で感じる今日このごろだから、国際金融の規範を破る中国の策動には米国の専門家でなくても、警戒を覚えさせられるだろう。

 

 SWFというのは、政府の資金を使う国営の投資ファンドやその機関のことである。

 

 実は中国が初めてではなく、クウェートやノルウェー、ブルネイ、ロシアなど20ほどの国家が以前から機能させてきた。

 

 どの国も石油のような特定産品の輸出で得た政府資金を投資に回すだけだった。

 

 だから日本では、SWFは「政府系ファンド」というのがほぼ定訳となった。

 

 だが、昨年9月に発足した中国投資有限責任公司(CIC)はSWFのなかでも特殊だった。

 

 米国の同調査委員会の報告によると、CICは、中国共産党と一体の国家最高権力機関である国務院に直結する。

 

 2兆ドルを超える世界最大の保有外貨を投資に自由に使い、純粋な金融上の目的よりも政治や安保など中国の国家対外戦略を促進するのだという。

 

 となると、「政府系ファンド」という表現も核心を突かなくなる。

 

 同報告は、中国のもう一つの陰のSWFとして、国家外為管理局(SAFE)の存在を指摘した。

 

 この組織は外貨を管理する国家機関そのもので、CICを動かし、ときには競合しながら巨額の対外投資を実行する。

 

 同報告は、この組織が利益を目指す金融の原理ではなく、政治や外交上の目的で資金を出した実例としてコスタリカをあげていた。

 

 中国のSAFEは今年1月、コスタリカの政府債合計3億ドルを通常より低い金利で購入する措置をとったが、その代償としてコスタリカ政府が60年以上も保ってきた台湾との外交関係を断絶するという秘密の合意があったという。

 

 つまり中国は国家資金による「金融」を外交目的に使ったのだ。

 

 この種の国家ファンドはそもそも民間資金とはまるで異なる原理で動くから市場機能をゆがめてしまう。

 

 そのうえに金融市場が開かれた米国では金融機関から軍事、ハイテクなどの大企業にまでもこの種の中国の「政治資金」が流れこみ、組織が内部から侵食されかねない。

 

 まさに米国の国家安全保障が脅かされるというわけだ。

 

 日本にとっても、対策を講じるべき新たな金融脅威といえるだろう。

 

(ワシントン駐在編集特別委員)

 

 

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モラロジー研究所所報11月号に掲載された古森義久の講演録の紹介を続けます。あと1回分で完結します。

 

今回の分は平和を守る具体的な方法について、国際的にはどんな概念や政策が確立されているのか、などを論じました。

 

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「抑止」と「均衡」が

平和を守る

 

 平和を守るために今の国際社会で一般的に採用されている概念は、「抑止」、そして「均衡」ということです。

 戦争が始まるとき、その国はいったい何を考えてこれを決めるのでしょうか。

 

 戦争そのものが好き」という国家はまずありえません。

 

 戦争自体が大好きという人間集団が現代社会に存在しないのは自明だともいえましょう。

 

 ですから、現実に起きる武力衝突は、例えば相手の国との間で領土紛争があってどうしても話し合いがつかず、このまま放っておくと自分たちの領土が奪われてしまうという場合に、最後の手段として戦う、というのが実情でしょう。

 経済的な利害関係についても、話し合いで何とか解決しようというのが今の国際社会の常識ですが、話し合えば話し合うほど対立点が鮮明になって、対立が険しくなっていくということが実際にはあります。

 

 自国にとっての死活的な経済利益を守るためには、もう武力でその利益を死守する以外に方法がない、という場合もあるでしょう。そんなときに戦争という最後の手段に走る国家や政府もあるわけです。

 

 そういう国家や政府、さらには国民は、自国民の血を流しても、国際社会から非難されても、戦争をすることによって守らねばならない対象があると判断することになります。

 

 つまり戦争によって保たれる資産や得られる利益の方が戦争によって失われる資産や損害よりも大きいと判断したときに、軍事力を行使するという決断をしていくのでしょう。

 軍事力は、実際に使わなくても、これを見せることによって相手を威嚇し、屈服させるという効用もあります。

 

 つまり戦争を防ぎ、平和を保つ方法として、今の国際社会では、多くの国は戦争をしかけてくるかも知れない他の国家に対し、戦争をすることによって想定されるマイナスを大きく見せているのです。

 

 もしこちらに軍事攻撃をかければ、そちらも甚大な被害を受けるぞという見通しを確実にしておくのです。

 

 そして実際に攻撃をかけた国に対して深刻な打撃を加えられるだけの能力を保っておきます。

 

「もし攻めてくれば、あなた方が勝つかもしれないけれども、あなた方も非常に大きなマイナスを負いますよ」という意思を示しておくのです。

 

「いやあなた側が敗北するかもしれない」というメッセージをこちらの軍事態勢とともに明示するのです。

 

 そうすれば、戦争を考えた側はその自国側の損失、マイナスが非常に大きいという見通しを得れば、戦争はしない、ということになります。

 

 この効果が「抑止」です。

 

 例えば日米安全保障体制のもとでは、アメリカを相手にして戦う覚悟がなければ日本を攻撃できません。

 

 横須賀や沖縄、佐世保などに米軍がいれば、アメリカは自動的に巻き込まれて日本を守る形で戦うことになりますから、これが抑止になっているのです。

 日米同盟の抑止の効果だということになります。

 

(つづく)

 

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