2008年11月

モラロジー研究所所報11月号に掲載された古森の講演録の紹介を続けます。

 

「国について、平和について」という題の麗澤大学での講演でした。

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平和とは何か

 

 日本では八月になると、「平和とは、世界にとって最も大切なものである」ということがNHKを中心として繰り返し語られます。

 

 私がこの発想が諸外国とは異なることに気づかされたのは、やはりベトナムでの体験でした。

 

 一九七五年四月三十日。南ベトナムの首都サイゴンに北ベトナム軍の戦車隊がなだれ込んで、降り立った将兵たちは大統領官邸の屋上に駆け上がり、革命旗を打ち立てました。

 

 この瞬間、世界を揺るがし続けてきたベトナム戦争は終わったのです。

 

 北ベトナム側にとっては、フランスやアメリカを追い出した末の勝利という、歴史に残る偉業です。

 

 そして、この勝利を祝うための大集会が南ベトナムの旧大統領官邸で開かれました。

 

 旧大統領官邸に掲げられた横断幕には、「独立と自由ほど尊いものはない」と書かれていました。

 

 そのとき、私は「三十年にもわたる戦争が終わってやっと平和が訪れたこのめでたい日に、どうして『平和』という言葉が出てこないのだろう」と思いました。

 

 この言葉は、ベトナム独立闘争の長い歴史の中で、ホー・チ・ミンが一貫して掲げてきた政治スローガンです。

 

 事実、彼らはベトナム民族としての独立と自由のために、平和を犠牲にして苦しい戦いを続けてきたのでした。

 

 「平和は何よりも重要である」とする日本の平和主義とはまったく違った発想が世界にはあるという現実を思い知りました。

 

 

 ここで起きてくる疑問は、「平和」とはいったい何なのか、ということです。

 

 単に戦争がない状態が「平和」であるとして、植民地として他国に支配されていても、国内で公正な統治が行われず、多くの人が幸福になれない状態であってもよいかという疑問を提起すれば、ほかの国からは「平和を一時的に犠牲にしても戦わなければいけない」という答えが返ってくるでしょう。

 

 この点が現在の日本とは大きく違うところでしょう。

 

日本の戦後の平和主義には二つの特徴があります。

 

一つは、「外部からのどのような攻撃、どのような威圧に対しても一切抵抗しなければ、平和が守られる」という消極平和主義であること。

 

もう一つは、社会主義・共産主義を支持する勢力によって、平和運動が政治活動の手段に使われたことです。

 

国内で核兵器を削減せよと叫ぶ声は、不思議なことに、日本を守ってくれるはずのアメリカ側にしかぶつけられません。

 

日本の反核運動は、長年、ソ連に対してはほとんど抗議をしていませんし、今、公然と核兵器を保有する五か国のうち唯一核兵器を増強している中国に対しても何も言わないのです。

 

いわゆる平和運動というものは政治的な意図があって進められてきたという実態は、どう見ても否定できません。

 

(つづく)

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バラク・オバマ氏が長年の喫煙をやめようと、禁煙に必死となっていることはよく知られていますが、禁煙などしなくていいではないですか、という「喫煙の奨め」が著名なジャーナリストから述べられました。

 

アメリカ大統領はタバコを吸わないほうがよいのか。

 

こんな課題につながる記事を書きました。

 

なおオバマ政権の展望については以下のサイトで詳しく書きました。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/88/

 

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“禁煙”オバマ氏に喫煙のススメ 著名リベラル系コラムニスト


 

 ■「冷静さ保つためなら許そう」

 【ワシントン=古森義久】米国のオバマ次期大統領は長年の喫煙者だったが、大統領選にのぞんでからは禁煙の決意を言明してきた。

 

 ところがオバマ氏を支援するリベラル系の著名コラムニストが20日、「彼にたばこを吸わせよう」という題のコラムで、大統領としての冷静さを保つためなら禁煙しなくてもよいではないか、と提案した。

 

 オバマ氏が学生時代から喫煙を続けてきたことは、同氏の自伝「マイ・ドリーム」にも再三、記されている。

 

 「私はタバコに火をつけた」とか「たばこの煙を吐いた」という記述が多いのだ。

 

 2004年に上院選に立候補したときも、報道陣のいないところで喫煙し、「オバマ氏の秘密のスモーキング」と評されていた。

 

 しかし、大統領への出馬を表明した昨年2月にはミシェル夫人に禁煙を約束したと言明し、ニコチン・ガムを服用して喫煙をやめると宣言した。

 

 オバマ氏が果たしてその後、完全に禁煙したかどうかは不明だったが、リベラル派で自分自身も「オバマ氏に陶酔してきた」と認めるタイム誌のベテラン・コラムニスト、マイケル・キンズレー氏が20日のワシントン・ポストへの寄稿で「たぶんオバマ氏は禁煙したとウソをついているようだが、それでも構わない」と書いた。

 

 キンズレー氏はこのコラム記事で、「オバマ氏自身は禁煙したと主張しているが、その証拠はあいまいだ。

 

 今年6月には本人がまだ禁煙に成功していないと認めていた」と書く一方、「オバマ氏との蜜月を保つ報道陣はあえてこの点を追及せず、マケイン候補には彼の顔の黒色腫についてさんざん質問してきた」とも述べた。

 

 キンズレー氏はさらに「オバマ氏がたとえ喫煙を続けていても米国民にそのことを明らかにする限り、私たちは許容すべきだ」と述べ、大統領としては若者の模範となるためたばこはやめる方が好ましいが、「オバマ氏の冷静さは米国の財産であり、氏がその冷静さを保たせるために喫煙が必要だというのなら、われわれはオバマ氏にたばこを提供し、火をつけてあげて、あとは横を向いていよう」と書いた。

 

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続報です。

 

米議会調査報告書 中国への懸念 日米で共有

産経新聞2008年11月21日(金)
 

 ■不透明な軍拡/汚染食品輸出/模造品の横行

 

 

 【ワシントン=古森義久】米国議会の政策諮問機関「米中経済安保調査委員会」が20日に発表した2008年の年次報告書は、日本が中国の軍拡や汚染食品の輸入などに対して米国と同様の懸念を抱いていることを強調した。

 

 

 同報告書は、「中国の東アジアでの関係と行動」と題する章で日本の対中政策などに触れている。

 

 同調査委員会のメンバーは、日本の防衛担当官との会談について「日本側は中国の軍事拡大の最大の問題として中国の透明性の欠如をあげたが、この懸念はしばしば米国によっても提起される」と述べ、日米両国が中国の軍拡への懸念を共有することを指摘した。

 

 

 同報告書はさらに日米両国が中国に対して抱く懸念として中国の

 

 (1)世界貿易機関(WTO)への誓約(知的所有権保護)の失敗としての偽造品・模造品の横行

 

 (2)大気汚染

 

 (3)汚染食品

 

  ――などをあげた。

 

 

 このうち、同報告書は食品については中国から日本に輸入された有毒ギョーザの実例をあげて、この事件が日本側の中国産品全体に対する不信を強め、中国からの輸入全体に悪影響を及ぼしたことを指摘した。

 

 同報告書はさらに、米国も海産品など多様な産物を中国から輸入しており、同様の有害食品による被害者が米国の一般消費者に多数、出たことをあげて、その問題への対処が「日米両国にとって共通の課題」と述べていた。

 

 

 日本の防衛産業における部品などの供給については、日本の防衛装備のなかで中国製部品を使うことによる供給ラインの安全保障に不安が表明されていることを指摘し、米国でもまったく同様の懸念が広がっていることを強調した。

 

 

 同報告書は中国と日本の東シナ海での尖閣諸島の領有権や排他的経済水域EEZ)をめぐる紛争にも触れて、中国政府が近年、海洋法など国際的な条約や協定を自国に都合よく解釈する動きを続けていると指摘した。

 

 中国は海洋法をめぐる判断では自国独自の領海法などの規定を国際的な判断よりも優先させる政策をとり、国際司法裁判所など国際機関の裁定に対しては自国の法律を楯に、受け入れないという態度をもとっているという。

 

 

 中国の経済、政治、軍事などのグローバルな活動にどう対応すべきかは、アメリカにとっても自明といえるほど重大な課題です。

 

 とくに中国の動向が自国の国家安全保障にどんな影響を

与えるかはアメリカ全体にとっての政策課題です。

 

 その現状は金融危機でも変わりはないでしょう。

 

 また政権がブッシュ大統領からオバマ大統領に移っても、中国の占める比重はそれほど変わらないでしょう。

 

 そんな「アメリカにとっての中国という大課題」についてのアメリカ議会の超党派諮問機関からの年次報告書が20日、発表されました。

 

 その報告書を大ざっぱにまとめた記事を紹介します。

 

 なおオバマ政権の展望については以下のサイトで詳しく書きました。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/88/

 

 

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[ワシントン=古森義久]

 

 米国議会の超党派政策諮問機関の「米中経済安保調査委員会」(ラリー・ウォーツェル委員長)は20日、2008年度の年次報告書を発表し、中国が経済、政治、軍事の各面での勢力拡大を国際的規範を破る形で進めているとして米国の議会や政府に対応策をとることを訴えた。(

 

 米中間の経済関係が米国の国家安全保障にどう影響するかを主題とする同調査委員会はこの年次報告書でまず経済面について中国が、

 

 ①人民元の対外貨レートを不当操作により不自然に低く設定し、外貨稼ぎをさらに拡大している

 

 ②エネルギーの過剰消費により環境汚染を起こし合計75万人の死を招き、周辺諸国に汚染を広げているが、適切な対策をとっていない

 

 ③政府直営の「政府系ファンド」による巨額の資金の運用で諸外国との間で本来の商業目的から離れた政治、軍事の目的を達成しようとしている

 

 ④世界貿易機関(WTO)規則に違反して知的所有権侵害の外国製品の偽造品・模造品の製造や流通を黙認し、諸外国の競合企業に巨額の実害を与えている

 

 ―などという批判を表明し、多数の実例を紹介した。

 

 

 同報告書はまた政治・外交面では中国が、

 

 ①国際法を自国に有利に曲げて解釈する行為を「法戦争」として体系的に続け、東シナ海や南シナ海も大陸棚の拡大理論などで自国領扱いしている

 

 ②中国内部で外国メディアの活動を不当に制約し、自国メディアを政治利用して中国共産党の政治目的達成に利用している

 

 ③航空機製造産業を諸外国からの技術の盗用で育成し、米国や欧州に対抗しようとしている

 

 ④アフリカや中南米の諸国に条件をつけない経済援助を与え、自国への接近と米国への反発をあおっている

 

 ⑤国内での政治犯などによる「囚人労働」での製造品を米国などになお輸出しようとしている

 

 ⑥2025年までには確実に米国に次ぐ世界第二の経済大国となる

 

 ―ことを批判的に指摘した。

 

 

 軍事や安保という領域について同報告書は中国が、

 

 ①武器や軍事技術をスーダン、ミャンマー、イランなど人権弾圧などで問題を起こした「無法国家」群に拡散している

 

 ②ホワイトハウス、国防総省、オバマ選対、マケイン選対などのコンピューター・システムに不当に侵入するサイバー攻撃をすでにかけ、こんごもその行動を増強する構えをみせている

 

 ③宇宙の軍事利用を果敢に推進しており、その結果、同じ宇宙依存の強い米軍が大きな脅威に直面する

 

 ④戦闘機、爆撃機、潜水艦などの増強を依然、続けており、航空母艦の建設の動きまで示し、東アジアや対台湾の軍事バランスを崩している

 

 ―という諸点を強調した。

 

 同調査委員会ではこうした調査結果を基礎に、新たな民主党主導の連邦議会上下両院とオバマ政権とに報告し、そのために必要な一連の対応政策を提言していくという。

   

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モラロジー研究所所報11月号掲載の古森義久の講演録を続けます。

 

麗澤大学での講演でした。

 

今回の分は、戦後の日本が世界の他の主権国家と異なり、自国が国家であることを否定している側面がたぶんにあることの説明です。

 

「国家は悪」「国家権力は個人を弾圧する」――いまでも一部のメディアや政治勢力の間でよく叫ばれる扇動言葉です。でもこれがインチキなのです。

 

これは一体なぜなのか。

 

なおオバマ当選の総合的な評価に関心のある方は以下のサイトに詳報を書きました。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/88/

 

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戦後の日本の国家否定

 

 このように、私は日本の外での見聞により初めて、日本の戦後教育には穴があるということを学んできました。

 

 日本では、「国家」ということが悪いイメージで語られます。

 

 例えば「国家権力」と言うと、個人を抑圧し、個人の幸せを踏みにじるものとされます。

 アメリカでは、「国民は国家、社会、国民全体のために自分を犠牲にして戦う」ということが、トレンディドラマなどでも大きなテーマになっています。

 

 ほかの国でも「国家のために」という概念は厳然として存在します。

 

 「国家反逆罪」という罪もあるくらいです。

 

ところが日本では、「日本人は日本の国のために何かをしなければならない」という人間が、危険な存在であるかのごとくに扱われます。

 

テレビドラマや映画でも、ストーリーはまずは肉親のため、次に自分の所属する会社や組織のため、もう少し範疇を広げて皆で共に暮らす社会のためという概念から、国家を飛ばして、一気に「地球のため、世界のため」となってしまうのです。

 

「日本のため」という概念がすっぽり抜けているのです。

だから日本では国民は日本人であるよりも地球市民、地球人であるべきだ、などという主張がなされます。

 

しかし外国で暮らしてみると、やはりこれは現実の概念ではないということを感じざるをえません。

 

地球市民なんて、いないのです。

 

人間なら誰でも、どこかの国に所属しています。

 

国家は決して悪ではないのです。

 

 民主主義国家の主人公は国民です。

 

 つまり国民の意思によって国家のあり方が決められていくというシステムが確立されているのが民主主義国家なのです。

 

 そのシステムで国民が国家のあり方を決めます。

   

ですから「国家権力が個人を抑圧する」と主張する人た

ちに対して、私は「日本が民主主義国家であることを認

めないのですか」と反論します。

 

国家は個人と敵対する位置にあるのではなく、国民が手

を伸ばした先にあります。

 

民主主義ではない国も含めて、どこの国も国民の幸福、

少なくとも国民の多数派の幸福を願って努力すること

を、国家の使命としているはずです。

 

 日本における国家否定の原因の一つには、やはり戦争の悲惨な体験があります。

 

 戦前の日本にはよい点もずいぶんありましたが、「国家の命令に従っていたらひどい目に遭った」という思いから、国家への不信や反発が起きてきたのでしょう。

 

 もう一つ、社会主義・共産主義運動のもとで資本主義国家が否定されたことも、大きな要因であると思います。

 

(つづく)

 

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