モラロジー研究所所報11月号に掲載された古森の講演録の紹介を続けます。
「国について、平和について」という題の麗澤大学での講演でした。
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平和とは何か
日本では八月になると、「平和とは、世界にとって最も大切なものである」ということがNHKを中心として繰り返し語られます。
私がこの発想が諸外国とは異なることに気づかされたのは、やはりベトナムでの体験でした。
一九七五年四月三十日。南ベトナムの首都サイゴンに北ベトナム軍の戦車隊がなだれ込んで、降り立った将兵たちは大統領官邸の屋上に駆け上がり、革命旗を打ち立てました。
この瞬間、世界を揺るがし続けてきたベトナム戦争は終わったのです。
北ベトナム側にとっては、フランスやアメリカを追い出した末の勝利という、歴史に残る偉業です。
そして、この勝利を祝うための大集会が南ベトナムの旧大統領官邸で開かれました。
旧大統領官邸に掲げられた横断幕には、「独立と自由ほど尊いものはない」と書かれていました。
そのとき、私は「三十年にもわたる戦争が終わってやっと平和が訪れたこのめでたい日に、どうして『平和』という言葉が出てこないのだろう」と思いました。
この言葉は、ベトナム独立闘争の長い歴史の中で、ホー・チ・ミンが一貫して掲げてきた政治スローガンです。
事実、彼らはベトナム民族としての独立と自由のために、平和を犠牲にして苦しい戦いを続けてきたのでした。
「平和は何よりも重要である」とする日本の平和主義とはまったく違った発想が世界にはあるという現実を思い知りました。
ここで起きてくる疑問は、「平和」とはいったい何なのか、ということです。
単に戦争がない状態が「平和」であるとして、植民地として他国に支配されていても、国内で公正な統治が行われず、多くの人が幸福になれない状態であってもよいかという疑問を提起すれば、ほかの国からは「平和を一時的に犠牲にしても戦わなければいけない」という答えが返ってくるでしょう。
この点が現在の日本とは大きく違うところでしょう。
日本の戦後の平和主義には二つの特徴があります。
一つは、「外部からのどのような攻撃、どのような威圧に対しても一切抵抗しなければ、平和が守られる」という消極平和主義であること。
もう一つは、社会主義・共産主義を支持する勢力によって、平和運動が政治活動の手段に使われたことです。
国内で核兵器を削減せよと叫ぶ声は、不思議なことに、日本を守ってくれるはずのアメリカ側にしかぶつけられません。
日本の反核運動は、長年、ソ連に対してはほとんど抗議をしていませんし、今、公然と核兵器を保有する五か国のうち唯一核兵器を増強している中国に対しても何も言わないのです。
いわゆる平和運動というものは政治的な意図があって進められてきたという実態は、どう見ても否定できません。
(つづく)
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