2008年12月

拉致問題の「救う会」の島田洋一副会長がご自身のブログで以下のような報告をされていました。

 

古森のブログでも前に取り上げたことのある秋田の国際教養大学のグレゴリー・クラーク副学長が日本の国民や政府が北朝鮮に拉致された日本人男女を救出しようとする運動をインチキ扱いして、誹謗するのです。

 

最近、また同じ誹謗を述べたとのことです。

 

重大な日本糾弾発言だと思います。

 

島田氏の記載を以下に引用させていただきます。

 

        =====

 

公立・国際教養大学(秋田県)の副学長グレゴリー・クラークが、有力な日米の知的交流サイトNBR Japan Forumに、性懲りもなく、拉致問題で北朝鮮に同情を寄せ、日本を不誠実と批判する文章を投稿していると、ある人に教えられた。

 

 見てみると、サイト管理者に一部を削除されたらしく、自身のホームページで全文を見てほしいと書いている(下記、英文1)。

 

 クラークは、日本人は常識がなく遅れていると見下ろしたがる、常識がなく遅れたオーストラリア人だが、これまでも、拉致問題に関し、「北朝鮮側の主張の正当性がなぜ日本人には分からないのか」と叱責する文章をたびたび公にしてきた。

 

 相手が譲歩すればするほどつけ込むのが日本の欠陥であり、小泉第一次訪朝で金正日から「拉致問題での大きな譲歩」を得ながら、すぐに新たな要求を出したのがその例だなどと、今回も書いている(英文2)。

 

 譲歩するほどつけ込むのは北朝鮮側だろう。

 

 クラークは本質的に頭が悪いのか、日本人が自己主張するのが悔しくて頭に血が上ったのか、今や中学生でも分かる程度の北の謀略体質がまったく見えないようだ。

 

 哀れな男である。

 

 なお、クラークについては下記エントリも参照。

 

憐れむべきグレゴリー・クラークの迷妄2007/06/12

 

(英文1

Date:  11/28/2008 8:00:00 AM 

From:  Gregory Clark 

Subject:  NBR'S JAPAN FORUM (POL) Abductees

In my previous post of the abductee thread, some reflections on the way Japan handles foreign policy were either garbled or deleted. The full text will be available on my website gregoryclark.net/Forum.

Gregory Clark

Vice-president, Akita International University

 

(英文2

The other flaw is the Japanese tactic of demanding a concession, getting that concession, and then using the fact that it got the concession as reason for demanding further concessions. Having gained a major abductee concession from Kim Jong Il in 2002, it seemed to feel it had every right to turn round and immediately begin to demand further concessions.

 

△△エントリー記事△△▽▽エントリーフッター▽▽

 

△△エントリーフッター△△

日米両国間のきずなというのは、政治とはまた無関係になかなかのものです。
 
こんな話がありました。
 
 
【外信コラム】ポトマック通信 柔道交流が結んだ恋
2008年12月04日 産経新聞 東京朝刊 国際面


 

 東海大学卒の女子柔道の江口啓さんといえば、全日本選手権や種々の国際大会で上位入賞を重ねた一流選手だが、日米柔道交流を契機に生まれた恋が実を結び、米国人のジョナサン・ブラウンリーさんと結婚にゴールインした。
 
 江口さんは2005年春から2年数カ月、米国のアイダホ州立大学に留学し、勉学の一方、柔道の指導にもあたった。
 
 この間、わがワシントン柔道クラブも2度ほど訪れ、米側の男女選手たちと稽古(けいこ)をしてくれた。

 その江口さんがアイダホ州立大学での柔道練習で知り合ったブラウンリーさんと日本に帰国後のこのほど結婚し、まもなくまた米国に戻るのだという。
 
 二人は江口さんが日本に帰る昨年夏にはもう将来を語り合うようになり、彼が今年はじめに日本を訪れ、江口さんの家族にも会って結婚を決めた。

 二人はすでに入籍し、現在は彼は大学を休学してアイダホの運送会社に勤務し、彼女は埼玉で家業を手伝いながら、米国人の配偶者用のビザ発給を待つという「遠距離結婚」の状態にある。
 
 江口さんが来年はじめにも渡米すれば、二人はまずアイダホに居を定める予定だが、ワシントンやニューヨークの米側柔道指導者たちは江口さんに米国女子柔道の強化をも託したいと期待している。

 いま江口さんは28歳、ブラウンリーさんは26歳、彼女は彼の「すごく優しいところ」にまず魅せられたのだという。(古森義久)

 

オバマ次期アメリカ大統領について書いた雑誌論文の紹介を続けます。

 

なお先日のエントリーで提起した中国の国家ファンドの問題点についは以下のサイトに書きました。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/89/

 

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とにかくオバマ氏は大統領選挙にみごとな勝利を飾った。

 

民主主義における選挙という国民の審判の結果は尊重されねばならない。

 

アメリカ国民の多数派は明らかにオバマ新大統領の下での「変革」や「希望」という政治路線を選び、信を託したのである。

 

しかしなおオバマ氏をあえて支持はしなかった層には、オバマ新政権の統治に対し、「不安だ」「怖い」「心配だ」という否定的な反応も広範に存在する。

 

マケイン氏に票を投じた約五千七百万人のアメリカ国民の間に広がるそうした不安や懸念を無視することはできない。

 

そのような不安の原因はオバマ氏が政治家としてあまりに未知であるという部分と、オバマ氏が過去に示してきた特異な軌跡という部分の両方に帰せられるようだ。

 

そもそもバラク・フセイン・オバマとはどんな人物なのか。

 

政治リーダーとしてはどんな思想を信奉し、どのような政策を実践しようというのか。

 

このへんの部分を真剣に考えると、オバマという人物には思わず身のすくむほど未知の領域が多いことにすぐ気がつく。

 

影の部分が多いことをも認識させられる。

 

アメリカの主要報道機関である大手の新聞やテレビが今回の大統領選挙では極端なほど民主党に有利な報道を展開し、とくにオバマ候補への支持を一貫して基調としてきた。

 

たとえば、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ロスアンジェルス・タイムズという大手新聞、そしてCBS,NBC,ABCの三大テレビネットワーク、さらにはCNNテレビは、単に社説や評論のコメントでオバマ候補に有利な点を強調し、マケイン候補には不利な材料を大きく伝えてきた。

 

それだけでなく、本来なら中立で客観的なはずのニュース報道でも民主党側への傾斜を顕著にみせた。

 

その傾斜は明らかに「偏向」と呼べる次元だった。

 

だからオバマ氏に関する否定的な情報は大手メディアではなかなか報じられなかった。

 

報道されても、ごく小さな扱いが多かった。

 

大きく、詳しく報じられなければ、一般国民は知らないままとなる。

 

結果としてオバマ氏に関する報道では同氏のプラスで前向きの側面だけがことさら拡大されることが多かった。

 

大統領選挙のキャンペーンでマイナスとなりうるオバマ氏の側面はわきに押しのけられるという場合が多かった。

 

つまり影の領域に埋められ、隠されるというケースである。

 

暗渠という表現も適切だろう。禁忌とかタブーと呼んでもよい。

 

たとえば、オバマ氏「フセイン」というミドルネームはイスラム教やイラクの独裁者のサダム・フセインを連想させるから、表に出してはならない、という過剰なまでの自粛がその実例だったといえる。

(つづく)

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日本政府は最近、ベトナムとの関係を強化する政策を次々にとってきました。

 

ベトナムへのODAの額を急増させたことがその象徴でしょう。

 

ベトナムをはっきりと「戦略的パートナー」と呼びました。

 

ベトナムの首相や大統領を招き、国会で演説をしてもらったりもしています。

 

ベトナムから招く留学生の数も増えました。

 

この動きはきわめて実利的で、賢明な外交判断だといえます。

 

では相手側のベトナムはこの対日接近をどうみているのか。

 

ベトナムは本来、政府も国民も日本には好意的な姿勢を保ってきた国だといえます。

 

しかし日本側として、数々の友好政策をとれば、相手も同じように友好姿勢を発展させるだろう、と断定することには危険があります。

 

そんな基本を実感させられる機会がワシントンでありました。

 

あるセミナーでの体験です。

 

そのことについて書いた記事を以下に紹介します。

 

なおこのベトナム・日本関係でも大きな存在を広げる中国の対外行動について、金融面での新たな脅威について以下のサイトにレポートを書きました。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/89/

 

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【外信コラム】ポトマック通信 ベトナムから見た日本
2008年11月07日 産経新聞 東京朝刊 国際面


 

 ワシントンでの国際問題のセミナーは数え切れないほどあるが、ベトナムからの訪問者が主役という例は珍しいので出かけてみた。
 
 10月下旬、「ワシントン東西センター」での「中国と米国とのはざまのベトナム」と題する集いだった。
 
 意見を述べたのはベトナム外交学院の研究員グエン・ナム・ズン氏である。

 ズン氏はベトナムが中国と米国との戦略関係をそれぞれどう保ち、どう動かすのかを実例をあげて明確に語っていった。
 
 30代にみえる同氏は流暢(りゅうちょう)な英語で、スライドを駆使しながら、米中両大国との間合いの取り方や、一国だけに接近した場合の一長一短を説明した。

 報告後の質疑応答で米国人学者から「ベトナムにとって米中両国が超重要とはいえ、日本との関係も考慮すべきではないか」という質問が出た。
 
 するとズン氏はごくあっさりと「いや、日本はこの種の戦略構図に含める必要はないと思う」と答えた。

 そこで私もつい手をあげ、日本は米中両国のような軍事的重みこそないが、経済や外交で対ベトナム関係に力を入れ、ベトナム側も日本の「戦略パートナー」として呼応しているという現状を語った。
 
 すると、ズン氏はやや気まずそうに「まったくの私個人の見解であり、政府の政策を代表していない」と、早口で述べた。
 
 だがベトナム政府の本音も、そんなところかなと、つい感じさせられたのだった

 

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 オバマ氏に関する雑誌論文の紹介を続けます。

 

インドでの激烈なテロは世界中に金融危機とはまるで異なる重大な課題が切迫していることを印象づけ、超大国のアメリカのオバマ次期政権の責務の広範さをも実感させたといえるでしょう。

 

しかし肝心の金融危機にはオバマ氏自身はどれほどの対処能力をこれまで実証してきたのでしょうか。

 

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オバマ氏は全米で大統領の選出を左右する選挙人の獲得ではマケイン氏に対し三百六十四対百六十二という大差で勝利をおさめた。

 

大統領選挙では合計五十の州と首都のワシントンDCに人口に合わせて、それぞれ選挙人を選ぶ権利が付され、その選挙人が最終的には大統領を選出する仕組みとなっている。

 

大部分の州では一票でも得票の多い候補がその州の選挙人全員を獲得する。

 

両候補の実際に獲得した投票の総数では、それほどの大差はつかなかった。

 

オバマ氏が六千四百五十三万票で、投票総数の五二%、マケイン氏が五千六百八十万票で、四六%という差だった。

 

しかしオバマ氏は投票全体の半数以上の票を得ており、疑問の余地のない圧勝だといえる。

 

アメリカ国民の多数派はオバマ氏に信託を与えたということだ。

 

オバマ氏は四十七歳よりもさらに若くみえる容貌や身のこなしもあって、若者たちをとくに燃えたたせた。

 

全米各地の大学新聞のマケイン氏との支持表明の比がなんと六三対一だったという。

 

選挙の戦法も若い世代の支持を反映して、インターネットへの依存がかつてなく高かった。

 

公的資金の受け取りを一切、辞退するほど巨額に集まった選挙寄付も大部分がインターネット経由だったという。

 

しかしそんなオバマ氏も経験の不足を批判され、とくに対テロ戦争やイラク民主化ではマケイン氏に押されて、守勢にまわった時期もあった。

 

九月なかばまでは、アラスカ州の女性知事サラ・ペイリン氏を副大統領候補に得たマケイン氏と支持率ではまったくの横並びで、一時期、リードされたこともあった。

 

しかしオバマ氏は九月なかばからの津波のような金融危機によりアメリカ国民の支持を一気に高めてしまった。

 

オバマ氏は金融危機に対し共和党ブッシュ政権の政策ミスの結果だと非難し、同じ共和党のマケイン氏の政策や思考をブッシュ政権のそれと重ねあわせて、一般国民に向かい、「原因」だと訴えたのだった。

 

この作戦はマケイン氏が経済や金融が苦手ということもあり、大きく功を奏した。

 

オバマ氏にとってさらに幸運なことに、アメリカ自体が政治や経済で一つの時代の区切りを迎え、国民の多くが陰に陽に新しい幕開けを期待していたという背景があった。

 

 政治面では一九八〇年代からの保守主義支配の大きなうねりが一つの曲がり角にぶつかっていた。

 

 レーガン保守主義の区切りだった。

 

 経済面でも、これまた一九八〇年代からの長期繁栄の継続が終わりに近づく様相だった。

 

 さらにアメリカ国民の各世代でも、戦後のベビーブーマがいっせいに現役を退く時期となっていた。

 

 個人差の激しい政治の世界では七十二歳のマケイン上院議員がなお大統領選挙に立つような現象もあるが、その一方、ブッシュ現大統領も、クリントン前大統領もベビーブーム世代であり、オバマ氏は彼らよりもずっと若い新世代だという利点があった

(つづく)

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