2009年01月

オバマ大統領とヒラリー・クリントン上院議員とは周知のように大統領選挙の予備選で激しく争いました。しかしオバマ氏はクリントン女史を国務長官に任命しました。外交政策でもいろいろ衝突することが多かった二人が果たして、これから完全なコンビとして歩調を合わせていけるのか。

 

雑誌SAPIO2009年1月28日号に書いた古森レポートを紹介します。

 

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 アメリカのオバマ次期政権では外交面で複雑な錯綜が起きそうである。

 

 オバマ大統領が民主党内のライバルとして激しく衝突してきたヒラリー・クリントン上院議員を外交の責任者の国務長官に任命したからだ。

 

大統領選挙の予備選ではオバマ、クリントン両候補がまさに外交政策をめぐって険悪で熾烈な戦いを繰り広げた。

 

クリントン候補が流した「ホワイトハウスの電話が午前三時に鳴ったら」という選挙コマーシャルが話題を呼んだが、その趣旨は外交上の危機には未経験のオバマ氏ではとても対応できないという批判だった。

 

そしてオバマ氏の「大統領に就任すれば、すぐにイラン、北朝鮮などの最高指導者と前提条件なしに個別会談をして、問題の解決にあたる」という言明を「あまりに無知な外交姿勢だ」とも酷評した。

   

その一方、オバマ氏も「クリントン氏は大統領夫人として各国を回っただけで、実際には外交の経験はほとんどない」と反撃し、ブッシュ大統領のイラクのフセイン大統領打倒の攻撃に彼女が上院議員として賛成票を投じたことを非難し続けた。

そんな二人がこんどは一転、チームを組んで新政権の外交を推進するというのだから、離合集散は政治の常とはいえ、二人の言葉をまともに受け取っていた側は当惑させられる。

 

オバマ氏がそれでもなお最強のライバルをあえて国務長官に登用したのは、民主党内の団結強化の狙いや、クリントン氏の次回の大統領選での敵対封じの試みなど、したたかな計算あってのことだろう。

外交の姿勢や認識に関してはオバマ氏とクリントン氏の間にはこのように相違や対立が多かった。

 

だから実際のオバマ新政権の外交が整合性や一貫性でどうなるのか。懸念を禁じえない面もある。  

 

しかしその一方、両者の少なくとも公式の言明のなかには、歩調が合う領域も存在する。

その第一は多国間アプローチである。

 

選挙戦中はオバマ、クリントン両氏ともブッシュ政権の対外姿勢を「一国主義」と非難して、差し迫る国際的難題への対応はアメリカ一国、アメリカの国益やイデオロギーだけでなく、他の諸国をも巻き込んで、と主張した。

 

だから当然、国連への依存の拡大を説くことになる。

オバマ氏は外交政策論文では「アジアでの従来の二国間協定やサミット会談、北朝鮮に関する六カ国協議、あるいはその他の随時のアレンジメントを超える効率的な枠組みの形成に努める」と書いていた。

 

この「従来の二国間協定を超える効率的な枠組み」とは明らかに多国間の枠組みだった。

 

一方、クリントン氏も同様の外交政策論文で六カ国協議について「この枠組みを北東アジア安全保障の組織体の確立へと構築していくべきだ」と説いていた。

 

これまた明白な多国間アプローチの奨めだった。

 

多国主義というのはどうしても自国の独自の思想や哲学、さらには利害関係までの対外的な追求が希薄になる要素がある。

 

アメリカでは民主党リベラル派の伝統ともいえる志向の系譜だといえる。

 

多国間の関係を優先し、重視するとなると、どうしても伝統的な二国間の同盟関係への比重も相対的に減ることになりかねない。(つづく)

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オバマ新政権の誕生でアメリカの変化が語られています。

 

アメリカ外交の変化も「一国主義が多国主義になる」とか「ハード・パワーがソフト・パワーに変わる」という指摘が日本の識者やメディアの間でも盛んです。

 

しかし現実はどうなのか。

 

どうもそんな簡単で短絡なことではないようです。

 

そのへんの論評を産経新聞に書きました。

 

なお経済不況の国際的影響に対するアメリカの認識については以下のサイトに詳しい報告を書きました。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/92/

 

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【緯度経度】ワシントン・古森義久 二者択一ではない米外交

1月24日8時4分配信 産経新聞


 オバマ政権のデビューで、米国の基本的な価値観も対外政策もすべて変わったかのような論評が多くなった。
 
 なにからなにまでブッシュ政権とは白と黒ほど異なる価値観や政策が打ち出される構図までが語られる。

 だが現実はかなり異なるようだ。
 
 オバマ大統領はブッシュ政権、さらには、その前の歴代政権が保持した米国伝統の規範の多くを堅固に広げるという姿勢を示した。
 
 就任演説で全世界に対して「個人の権利」や「すべての人間の平等と自由」、つまり民主主義の広がりを期待する意図を強調した。
 
 米国民に「忠誠と愛国心」を「真実の価値観」として強く訴えた。このへんはブッシュ政権と変わりはないようなのだ。

 だが外交の具体的な手法となると、オバマ政権はブッシュ政権とは180度も異なるアプローチをとる展望を描く人たちがなお少なくない。
 
 たとえば「一国主義から多国主義へ」「米国主体から国際協調へ」というような逆転の展望である。

 この点についてオバマ外交を体現していくヒラリー・クリントン国務長官は「世界の主要な問題への対処は米国一国だけでできないにしても、米国抜きでもできはしない」と断言した。
 
 米国の特別な役割や能力への自明の自認だといえよう。
 
 国際協調が大切だから米国主導にはしないという右か左かの選択ではないということなのだ。

 米国外交のこの点での現実をうまく総括したのはブッシュ政権の国家安全保障担当の大統領補佐官だったスティーブ・ハドレー氏の演説だった。
 
 1月7日、ブッシュ外交8年を回顧するワシントンでの演説である。
 
 ハドレー氏はブッシュ前大統領が外交政策面で常に心がけたこととして「間違った人工の選択の回避」をあげた。
 
 「人工の選択」とは本来、二者択一の選択では決してないのに、いかにもどちらかを選ばねばならないかのような提示だという。

 ハドレー氏はその実例の第1として「現実主義の外交か、理想主義の外交か」をあげた。
 
 米国の外交は理念と実益の両方を追求すべきであり、現実と理想はいつも混在し並存している。

 テロの防止と民主主義の拡大は一見、現実と理想にみえるかもしれないが、いずれも米国の外交政策の主目標であり、両者は相互に衝突はしない。
 
 一方を選べば、他方が排されるという選択ではないというのだ。

 第2の「人工の選択」としては「一国主義か、多国主義か」があげられた。
 
 一国主義のレッテルを張られたブッシュ大統領も、米国だけで主要な国際紛争を解決することは難しく、同盟諸国や友好諸国と連携する方が好ましいと考えていた。
 
 だが国際連携はそれ自体が目的ではなく、望ましい結果を生まねばならない。
 
 自国の安全か、国際協調か、となれば、前者を選ぶのは主権国家の責任者としてごく当然だろう。
 
 だが普通は両者が相互に排除しあうわけではない、というのだった。

 第3は「ハード・パワーか、ソフト・パワーか」の選択だという。
 
 「軍事か、外交か」とも言い換えられるが、これまた二者択一する必要がない。
 
 選択は「人工」だというのだ。
 
 軍事、外交、経済などの力はみな総合的国力の一部であり、それぞれが自国の利害を対外的に保護し、拡大する際の道具である。ハード・パワーとソフト・パワーは相互に効果を高める相乗の関係にあるというのだ。

 第4は「人気か、原則か」の選択だという。
 
 超大国の米国大統領の政策決定は米国民だけでなく世界各国の国民から注視される。
 
 米国の自由と正義の原則は他の諸国の見解や野心とぶつかることも多い。
 
 だから米国が自国の原則に従って動けば、他の諸国の反発も強くなりうる。
 
 だが米国は自国の超重要な原則を他国内の人気のために曲げることはできない、というのだった。

 要するに白か黒かにみえる「選択」も、実は灰色を含んでの度合いやバランスの考慮なのだということであろう。
 
(古森義久)

 

 

 中国への日本のODA(政府開発援助)がいかに不毛だったことか。

 このサイトでも何度も取り上げてきました。

 そして日本政府は2008年で対中ODAの本体だった「円借款(有償援助)」を止める方針を発表しました。

 しかし実際には日本の対中ODAは形を変えてなお続いているのです。

 その実態を明らかにする書を出しました。

 『終わらない対中援助』です。副題は「かくて国益は損なわれる」となっています。

 対中援助の現場の実情に詳しい青木直人氏との共著です。

 

 

バラク・フセイン・オバマ氏が1月20日、ついにアメリカの第44代の大統領に正式に就任しました。

 

その就任の式典に私も参加しました。零下7度のワシントンで早朝から議事堂の会場へと出かけていったわけです。

 

その体験を中心にオバマ大統領の誕生の意義などについて産経新聞に解説記事を書きました。

 

その記事を以下に紹介します。

 

なおオバマ大統領が直面する経済や金融の問題については別のサイトに報告を書きました。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/92/

 

 

記事情報開始歴史の象徴が直面する危機 ワシントン駐在編集特別委員・古森義久

 

 ■黒人大統領の重み

 バラク・オバマ米大統領の就任式は黒人の参加が圧倒的な多数を占め、初の黒人大統領登場の歴史的な重みを改めて印象づけた。

 

 選挙戦中はすっかり薄められていた人種がらみの要因がこの式典では力強く前面に出て、米国の民主主義の深まりや国政の変容を証する形となった。

 

 今回の就任式は確かに記録破りだった。

 

 米国で長年みた各種の集いでもこれほど参加者の規模が巨大で、これほど黒人の数が多い光景は目撃したことがなかった。

 

 しかも熱気がすごいのだ。

 

 20日午前11時半からの就任式をみるために当局の事前の指示に沿い、午前8時前に連邦議会議事堂前の会場に入ると、限定区域の座席はもう大方が埋まっていた。

 

 後方のモールと呼ばれる広い散策路に延びる自由区域にも、大観衆が集まっていた。

 

 零下7度の切るような寒気の中、未明からみなオバマ大統領の誕生を待ち受けたのだ。

 

 そうした熱心な参加者たちはどの方向をみても、アフリカ系米人とも呼ばれる黒人の老若男女が多数派を占めていた。

 

 議事堂のバルコニーからそう遠くない記者(古森)の席も、周囲はみな黒人だった。

 

ミシガン州からきたという中年の夫婦は、多数の親類や友人たちに興奮した口調で就任式会場にいることを告げる電話をかけ続ける合間に、身を乗り出して語った。

 

 「自分たちの生涯で黒人大統領をみる機会はないと思っていたのに夢が実現しました。その就任の光景を絶対にみたいと思い、なにがなんでもと、やってきました」

 

 すぐ後ろはニューヨーク州在住の黒人一家だといい、車イスの高齢女性を含む7人ほどが、これまた興奮した様子でオバマ夫妻を礼賛していた。

 

 式の終了後、パレードの沿道を3時間以上も歩いたが、観衆は黒人が明らかに半数以上を占めているようにみえた。

 

 しかもだれもが喜ばしげ、誇らしげなのである。

 

 ■民主主義の前進

 

 だがこの人種要因はオバマ陣営自身、選挙期間中はことさら薄めていた。

 

 当選後もとくに光を当てることは少なかった。大方の関心はオバマ氏の出自や理念の特殊性、政策の不透明性に引き寄せられていた。

 

 しかし、就任式での黒人パワーの爆発するような発露が、いやでもオバマ大統領の人種的特徴の歴史的意義を明示したと感じさせられた。

 

 米国社会で奴隷とされ、参政権を奪われて差別された被迫害の歴史を持つ黒人が、ついに国家元首に選ばれたという事実が証する民主主義や人種融和の前進の意義である。

 

 オバマ大統領自身は就任演説で「60年前には地域社会のレストランでサービスを受けられなかったかもしれない人間を父に持つ男が、いまや(大統領就任の)神聖な宣誓をする」ことの歴史的意義を強調した。

 

 この点について米国史研究家のジョン・ゴードン氏は、米国のオバマ氏以前の43人の大統領がみな人種的背景は植民地を抱えた欧州諸国だったことを指摘して、米国社会の開放や平等の立証という面で「今回の就任式は米国の歴史の分岐点」と評した。

 

 ■期待引き下げ

 

 しかしオバマ大統領が米国民全体の12%しか占めない黒人の地位向上の象徴だけに甘んじることができないのも自明である。

 

 金融や経済の危機と国際テロの脅威とに同時に対応せねばならない米国をどう導くのか。

 

 オバマ氏の大統領就任は未踏の荒れた大海への船出ともなる。

 

 だがその進路について新大統領は多数の「挑戦」や「危機」を列記して、もっぱら対応の難しさを強調することで一般の期待のレベルを引き下げようとするかにみえた。

 

 解決策については「責任の新時代」とか「平和の新時代」という標語での抽象的な構えをみせるにとどめ、具体策は示さない。

 

 就任演説は個々の政策よりも基本の姿勢の表明が主旨とはいえ、オバマ氏のこれまでの主要演説にくらべてずっと平板であり、聞く側を刺激し、鼓舞する内容のようには響かなかった。

 

 米国が内外で直面する現状はそれほどに厳しく、その米国を動かすオバマ大統領の立脚点も、もはや「変革」と「希望」を語ることだけではまったく対処できない真剣の実務の世界に入ったということであろう。(ワシントン駐在編集特別委員 古森義久)

 

 
 

 バラク・フセイン・オバマ氏のアメリカ大統領就任も秒読みとなりました。

 

 ワシントン市街も就任式の準備のために、異様な熱気に包まれています。

 

 アメリカ国民の多数派が信を託した初の黒人大統領の船出を祝う行事が多々、予定されています。

 

 その一方、オバマ新大統領がどんな政治信条や理念、イデオロギーに基づいて、新しい統治を進めるのか。なお光と影が交錯しています。

 

 そのへんの状況についての報告を続けます。

 雑誌『正論』2009年2月号に掲載された古森論文の紹介の最終部分です。

 

 なおオバマ新大統領が直面する経済、金融の諸課題についてのレポートを他のサイトに書きました。以下のサイトです。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/92/

 

 

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オバマ氏の国政レベルでのこれまでの政治体験は連邦議会の上院での三年余りの議員歴に尽きる。

 

この三年の活動の軌跡としてオバマ氏は「上院議員百人のうち最もリベラルの議員」と判定された。

 

安全保障面ではイラクからの米軍全面撤退を求め、戦費を削る法案に賛成した。

 

オバマ上院議員は軍事力増強につながる措置にはいつも反対し、核兵器の廃絶というようなことまで唱えたリベラルの軌跡を有する。

 

ミサイル防衛に対しても懐疑的な見解を述べることが多かった。

 

一般に軍事力増強には反対、というよりも軍事自体を軽視し、遠ざける傾向があった。

 

抑止や防衛よりも対話や協議を優先、というふうだともいえる。

 

だから軍事力に基づく相互防衛である同盟には熱心ではない。

 

なにか物騒な問題が起きれば、二国間の同盟による抑止力ではなく、多国間の協議や交渉でまず解決を試みよう、という態度である。

 

だからオバマ氏は日本に関しても外交論文では同盟関係には言及せず、中国などを含めての多国間協議の重要性を説いていた。

 

大統領候補となってからはイランや北朝鮮の核武装問題に対して、「私自身がアメリカ大統領としてそれぞれの相手国の首脳にいっさいの前提条件をつけずに個別に会談し、問題の解決を図る」と言明して論議を呼んだ。

 

なんの前提条件なしに「無法国家」の北朝鮮の金正日書記らと首脳会談をする、というのである。

 

これまたリベラル融和外交といえよう。

 

リベラルの国内政策は「大きな政府」である。

 

経済や社会の諸課題に対し政府ができるだけ多く介入し、規制する。

 

自由競争や自助努力よりも平等、富の再配分を重視し、高所得層への税金やキャピタル・ゲイン税、大企業への法人税を高くする。

 

オバマ氏も選挙中に一般国民には減税の措置をとると言明しながらも、年収二十五万㌦以上の高所得層への税金は大幅に税率をあげることを宣言した。

 

「小さな政府」や「自由競争」を支持する保守派からすれば、自由な競争を制限し、全員を平等にしようと抑えつけるのは社会主義だということになる。

 

自由な競争で先頭に立ち、平均より多くの報酬を得た人間も懲罰的な高税率の課税をされ、富を再配分されてしまうことになるからだ。

 

リベラル派は労働組合の支持に依存するため、アメリカ人労働者の雇用を守ることを優先させ、貿易にも制限をつける。

 

国内の労働者や産業界を守るために、外国製品の輸入を規制する保護貿易主義を推進する。

 

オバマ氏自身も上院議員時代には北米自由貿易協定や米韓自由貿易協定に反対していた。

 

上院では外国に生産施設を一定以上、移したアメリカ企業には特別の課税をするという法案にも共同提案者となっていた。

 

環境問題でもリベラル派は経済の開発や成長よりも環境保護を優先させる場合が多い。

 

だから原子力発電所の建設には反対、アメリカ大陸の沿岸での石油開発にも反対、ということになる。

 

オバマ氏は現実に上院議員時代、そういう趣旨の法案を支持してきたのだ。

 

だが選挙キャンペーンではそういう左傾過激リベラルの志向をみごとに薄め、隠し、中道や保守の方向に向いた路線を打ち出してみせた。

 

ここでもアメリカの大手メディアはオバマ上院議員のそうしたリベラル傾斜の政治軌跡をあまり明確には提示しないのである。

 

要するにオバマ上院議員は保護貿易主義へ明白に傾斜し、労働組合への配慮から外国投資まで抑制するという過激リベラル志向をいやというほど、みせてきたのだ。

 

だが今回の大統領選挙では、大手メディアはオバマ氏を過激リベラルの志向と重ねてみることはほとんどしなかった。

 

というよりオバマ氏の超リベラル志向にはほとんど正面からの光を当てなかったということだろう。

 

オバマ氏はこんご大統領として、自分本来のリベラル思想をどう打ち出していくのか。まだまだ未知の領域は多いようである。

 

(終わり)

 

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