北朝鮮が国際社会をあざ笑うかのように、二度目の核兵器爆発実験を断行しました。
5月25日の月曜日、おりしもアメリカはメモリアルデー(戦没者追悼の日)の休日でした。
北朝鮮は2006年にもアメリカの独立記念日の7月4日に照準を合わせた形で弾道ミサイルの連続発射を断行しています。
核兵器問題では北朝鮮の企図を阻もうとするアメリカに対して、
あえてアメリカ国民が独特の感慨をもってのぞむ特別な休日、祭日を選んで、無謀で無法の軍事行動を取るというパターンがはっきりしてきました。
さて今回の北朝鮮の二度目の核兵器爆発実験はなにを意味するのか。
日本にとってはどうなのか。
そのへんについての解説を書きました。
なおこの北朝鮮問題で重要な役割を演じる中国の対米スパイ活動について別のサイトに報告を書きました。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090526/155380/
【朝刊 1面】
■北はルビコン川を渡った ワシントン駐在編集特別委員 古森義久
北朝鮮が発表した2回目の核兵器爆発実験は、米国を中心とする国際社会がここ15年余、取り組んできた北朝鮮核問題が、二重三重の意味でルビコンを渡ったことを明示したといえよう。
今回の核実験は米国オバマ政権の北朝鮮政策の破綻(はたん)あるいは不在をまず印象づけた。
オバマ政権は北朝鮮の核武装を阻止するための体系的な政策はまだ提示していないが、「圧力よりも対話」「2国間よりも多国間」の基本姿勢を示してきた。
オバマ大統領自身、北朝鮮への非難と警告の声明の最後で「同盟諸国、6カ国協議の諸国、そして国連安保理のメンバー諸国とともに作業を続ける」と述べたことが「北風よりも太陽を」式の従来のアプローチを象徴していた。
ところが、北朝鮮の今回の行動は米側のこの種の対応が全く効果を発揮せず、むしろ北朝鮮をさらに無謀で無法な動きへあおるというパターンをみせつけてしまった。
オバマ政権の背後にあるブッシュ前政権末期の北への一方的譲歩策も、意図した成果とは逆の結果を生んだわけだ。
この意味では米側のソフト路線の限界が露呈されたこととなる。
この路線を支える「北朝鮮は経済や外交での十分な報酬を与えれば核兵器を放棄する」という大前提も崩れ去り、その前提への復帰の道はきわめて険しくなった。
米国はこの点で引き返し不能のルビコン川を期せずして渡らされたともいえよう。
北朝鮮側にしても、この種の前提の誘いには結局は応じないという態度を2度目の核実験断行により示すことで、ルビコンを渡ってみせたことともなる。
今回の北朝鮮の核実験は、国連や6カ国協議に代表される多国間アプローチの無力さをも証してしまった。
国連は当然ながら安保理で拒否権を持つ中国やロシアが少しでも難色を示せば、北朝鮮への強固な措置はなにも取れない。
6カ国協議も北朝鮮に対し決定的といえる影響力を持つ中国がちょっとでも渋れば、骨抜きとなる。
多国間の対処の限界がここでも明白となった。
もちろん多数の諸国が一定の強固な目標の下に団結すれば、枠組みとしての多国間アプローチも効力を発揮しうる。
だが、今回の北朝鮮の動きは、現状では多国間の団結が実現不可能だという実態を提示してしまった。
核拡散防止の国際体制への負の影響も計り知れない。
国際社会が核兵器の危険や恐怖を一定の枠内に留めるために続けてきた営々たる努力も北朝鮮の相次ぐ核兵器実験でコケにされたわけである。
2度の核爆発は北朝鮮を事実上の核兵器保有国として位置づけ、国際的な核拡散防止の秩序は大きくほころびた。
この展開をオバマ大統領が最近、唱えた核兵器廃絶のレトリックと比べると、北朝鮮の今回の行動がいかに強力な負のインパクトを持つかがわかる。
日本にとっての意味はさらに深刻である。
日本列島の方角への弾道ミサイルの連続の発射実験、そしてその弾頭となりうる核爆弾の度重なる爆発実験を北朝鮮当局の日ごろの日本敵視の言動と組み合わせるとき、そこに浮かぶ脅威はあまりに重大である。
まして日本には北朝鮮当局に拉致された同胞たちの救出という悲願がある。
日本としては拉致された自国民を救うため、そして自らの国家や国民の安全保障を強化するため、いまや従来の発想や政策の根本的な再考が必要である。
そのなかには北朝鮮の核をどう抑えるかの核抑止力のあり方の再論議も当然、含まれるべきだろう。
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【注】シーザーが賽(さい)は投げられたと言ってルビコン川を渡り、後戻り不能の行動に出る意味に転じた。