2009年11月

鳩山由紀夫首相の犯罪容疑が連日のように新聞各紙をにぎわせています。

 

政治資金規正法違反、虚偽記載の容疑です。

 

朝日新聞11月29日朝刊は一面トップで「首相と母、11億円を拠出」という見出しの大きな記事を載せました。この見出しだけでは犯罪性を感じさせませんが、脇見出しでは「偽装容疑は3・5億円」とうたっています。

 

その他の大手新聞をみな鳩山首相の偽装献金や虚偽申告の容疑を事実扱いして大きく報じています。

 

東京地検特捜部は鳩山首相の元公設第一秘書を政治資金規正法違反で起訴する構えをみせているそうです。

 

もしこの人物が起訴されれば、同じ民主党の幹事長の小沢一郎氏のケースと酷似してきます。小沢氏の元公設第一秘書は今年3月、政治資金規正法違反(虚偽記載)の罪で逮捕され、起訴されました。その結果、小沢氏は当時の民主党代表のポストを辞任しました。責任をとったわけです。

 

さて鳩山氏はどう対応するのか。もし元公設第一秘書が起訴されたら、我関せず、というわけにはいかないでしょう。

チベット問題の実態を知るために非常に貴重な書が出版されました。

 

『約束の庭 中国侵略下のチベット50年』という本です。

 

この本はチベット亡命政府によって2001年に発行された下記の書の翻訳です。

 

    「Tibet Under Communist China: 50 Years」

 

この書の「はしがき」では筆者を代表する形で「中央チベット行政府情報国際関係大臣」が以下の趣旨の説明をしています。

 

 「本書は肥大した中華帝国の隣に位置する民族地域を確実に支配するために、中国政府が従来から行ってきたさまざまな植民地戦略について詳しく、そして総合的に検証しています」

 

 本書は日本ではチベット民族支援組織の努力によって出版されました。その組織の代表の朝野玉美さんから私にも一冊、寄贈されました。

 

 この書の発刊によせて、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所代表のラクバ・ツォコ氏が次のような「解説」を載せていました。

 「チベット亡命政府は、中国からの分裂・独立を求めてはいません。ダライ・ラマ法王ならびにチベット亡命政府とチベット人は『中国が嫌い』でもなければ、『中国人が嫌い』でもありません。ただ、中国の政策を握っている一部の指導者に対して『改善』をしてほしい、中国政府がチベットで行っている政策が間違っているだけである、とチベット亡命政府は主張しています。今のチベットには自由がなく、実質的な権限を握っているのは中国政府です。

『自治区』とは名ばかりであるのが現状です。(以下略)」

 

 なおこの書の書評が産経新聞11月8日朝刊に掲載されました。 

 

 

 

 

 

【書評】『約束の庭 中国侵略下のチベット50年』  

■中国による偽装排した真の姿

 青蔵鉄道開通で漢人の植民が加速するチベットで、中国が強行するチベット人に対する民族浄化、ウランや森林、水といった豊富な天然資源略奪などの実態を生々しく描く。中国軍が1950年に武力侵攻して以来、これまで120万人が犠牲になった弾圧は、軍事攻撃だけでなく、性器への電気ショックなど拷問による死者も数え切れない。核実験も繰り返され、放射能の影響を調べるチベット人を使った人体実験も行われた。

 現在、核ミサイル基地には数万人の中国軍が配備されているという。また、モンゴル帝国が中国を支配した際も“政教分離”で独立を保ったチベットの歴史も簡潔に紹介。中国による偽装を排した、真のチベットがわかる。(チベット亡命政府・編 南野善三郎・訳/1680円、風彩社)

 

 民主党幹事長の小沢一郎氏のキリスト教誹謗発言に対し、キリスト教信者の作家、曽野綾子氏が激しい反論を発表しました。

 

曽野氏はその結びとして、小沢氏は政治家としての決定的な資質に欠けている、とまで述べています。

 

産経新聞11月27日の「小さな親切、大きなお世話」というコラムでの小沢批判でした。

 

その曽野氏のコラムの要点を以下に紹介します。

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 「民主党の小沢一郎氏は『キリスト教は排他的で独善的だ』と述べた。人間の発言には根拠が要る。ことに政治に責任を負う人は、学者と同じくらい厳密な資料が必要だ。感情でものを言う人は指導者ではない」

 

 「新約聖書に凝縮されるキリスト教の本質は以下のようなものだ。

 『悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬も向けなさい』

 『敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい』

 『あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい』

 『人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい』

 『あなたがたも憐れみ深い者となりなさい』

 

 「キリスト教をご存じなくても、国内問題なら(小沢)氏の発言を日本人は見逃す。しかし勉強していない分野には黙っているのが礼儀だろう。また宗教について軽々に発言することは、少なくとも局地紛争以上の重大な対立を招くのが最近の世界的状況だ。それをご存じない政治家は決定的に資質に欠けている」

 

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  要するにキリスト教は、信者に排他的であってはならない、独善的であってはならない、と教えているというのです。

 

 以上の要旨の曽野綾子氏の小沢批判は曽野氏の種々の実績を考えると、非常に真剣な重みがあるといえます。

 

 小沢氏のキリスト教やイスラム教への侮蔑的な言葉は「局地紛争以上の重大な対立を招く」とまで、曽野氏は警告しています。

 

 こうした人物に日本の政治が壟断されているとなると、日本の危機は深刻です。

 

 いま論議を呼ぶ鳩山政権の「事業仕分け」では、国連大学への日本政府資金の支出3億円分がすんなりと決まったそうで

 

日本国民のための貴重な事業への支出がばさばさと削られ、科学技術の開発への予算さえも切られるなかで、なんで国連大学への日本の資金の供与が優先させるのでしょうか。

 

国連大学ほど日本国民一般に縁のない存在もまずありません。

 

その国連大学の実態について、以下の記事を紹介します。

 

こんな国際機関になぜすんなりと日本の資金が供されるのか。

 

鳩山政権の「事業仕分け」の適否に改めて深刻な疑問を感じます。 

 

 

【国連再考】(21)第3部(1)国連大学の怪 不明な存在意義、不備な運営
2003年09月22日 産経新聞 東京朝刊 1面


 

 日本国内で国連を感じさせる存在といえば、東京都渋谷区にそびえる国際連合大学であろう。
 
 青山通りに面したピラミッド型地上十四階の豪華なビルは人目を引くが、内部にある国連大学の実態について知る日本国民は少ない。

 国連大学というのは奇怪な機関である。
 
 大学であって、大学ではない。
 
 一般の意味の大学に不可欠な学生も教授もキャンパスも存在しないからだ。
 
 国連であって、国連でないとさえいえる。
 
 公式には国連総会の付属機関とされるが、国連は設立にも運営にも資金を出しておらず、財政の基盤は日本が独自に負担しているからだ。

 国連大学は「人類の存続、発展、福祉の緊急な世界的問題の研究と知識普及に携わる研究者たちの国際的共同体」と同大学の憲章で定義される。
 
 大学という呼称が連想させる高等教育とは無縁の単なる研究者の集まり、あるいは研究機関、研究発注機関だといえよう。

 だがその活動が実際に国連にどう寄与し、国際社会にどう貢献するのかには疑義が多い。
 
 その点では日本国民が国連大学を国連や国際社会に重ねて、高い期待を寄せるのは切ない誤解のようなのだ。

 国連大学自体の発表では、その活動は「平和と統治」とか「環境と開発」というテーマの研究を各国の学者に委託することや、開発途上国の研究者を招いて短期の研修会を催すことなどであり、目的は「国連と世界の学術社会のかけ橋」になることなのだという。

 だがこの「活動目的」の根本的な欠陥は、その種の研究がらみの活動はすでに国連本体の各機関が直接に、あるいは外部組織への委託の形で、とっくに実施していることである。
 
 あえて「大学」を設け、資金を投入してまで進める必然性が薄いのだ。

 国連大学のこの種の欠陥や問題点は国連自体が明確に認めている。
 
 国連合同監察団が一九九八年に発表した国連大学の調査報告書は次のような骨子を指摘していた。

 ▽国連大学の活動全体が国連社会に十分に利用されておらず、同大学のユニークな創設自体が国連内外の期待に応じていない。

 ▽国連大学は主要テーマとする途上国の「能力育成」研究などで国連開発計画(UNDP)、国連教育科学文化機関(ユネスコ)など国連の他の機関との調整が不足のため、同種の研究活動を重複させている。

 ▽国連大学の理事の人数は多すぎるし、構成が偏っており、全体の運営も人事、管理、予算、財政の各面でより透明で効率を高くし、経費を削減しなければならない。

 国連大学の運営については具体的な不正事件も暴露された。
 
 国連の会計検査委員会は九八年に公表した監査報告で、国連大学の開発途上国からのコンサルタントや専門家の採用に不備があるとして、二件の不正を明らかにした。

 二件とも国連大学から研究を委託され、前払いの代金が払われたのに、研究がなにも出てこなかった、というケースだった。
 
 うちの一件は代金二万五千ドルを受け取りながら六年間なにも提出せず、しかも国連大学側はそれを放置していたという。

 国連大学のこうした側面は米国のマスコミでも「責任に欠け、資金の大部分を組織自体の自己運営の官僚機構のために費やし、研究や研修にあまり残していない」(ワシントン・ポスト紙報道)と批判された。

 国連大学自体の内部監査が不足ということだろう。
 
 このだらしのない実態は青山通りにそびえる立派な高層ビルの「人間の安全保障と発展に学術面で寄与する国際連合大学」(同大学の宣伝パンフレットの記述)というイメージとはかけ離れている。

 だが内部の実態よりもずっと深刻なのは国連大学の存在自体の意義が国連合同監察団の調査によっても問われたことである。
 
 前述の調査報告書はタイトルでも国連大学の「適切さの強化」を求めていた。
 
 「適切さ」とはつまり国連大学の存在が国連にとって、ひいては国際社会にとって、はたして適切なのか、という意味である。
 
 同報告書が適切さの強化を求めることは現状では適切ではないという示唆だろう。

 その適切さはいうまでもなく国連大学の実際の活動の結果で決められる。
 
 だがこの点でも国連大学の人事部門などに七年間も勤務した米国人研究者のレスリー・シェンク氏は大胆な指摘をする。

 「私自身、国連大学が外部世界になにか明確なインパクトを与えたという兆候はなにひとつみたことがない。国連大学の研究発表などはほとんど実体のないはったりに過ぎない」

 国連大学が国連自体にとって本当に必要とされているのかどうか。
 
 この疑問は一九七〇年代にまでさかのぼって国連大学のスタートの経緯をみると、さらに大きくふくれあがる。
 
(ワシントン 古森義久)

 鳩山政権の「事業仕分け」という名の予算削りには論議が集中しています。

 

 その手法の乱暴さへの反対も高まっています。

 

 とくに科学技術関連の予算への大ざっぱな抹殺には深刻な懸念が表明されています。

 

 アメリカで長年、医療関連の研究にかかわってきた日本人学者からもその懸念が述べられました。

 

 私の知人でもある越谷直弘氏です。越谷氏がすでに文科省の中川副大臣らに送った請願文の内容を以下に紹介します。

 

 

                            ======
文部科学省担当副大臣 中川正春様・政務官 後藤斎様

 前略
 米国 B・ロックフェラー脳神経科学研究所で准教授を務めて
 おります越谷直弘と申します。

 

 このたび日本の行政刷新会議の「事業仕分け」作業についてのニュースに心を痛め、以下の意見を寄せさせていただくこととしました。


 科学研究の大幅な抑制は、1年で、その直後に留まらず将来に対して計り知れない悪影響あると考えられます。

 

 土木や福祉など他の公共事業とは全く性質を異にする点であり、是非周知させて頂ければと思います。

 

 先生方には当然なことと思いますので、以下、事情の不明な方々へという文体にさせて頂きます。

 科学は研究室に於ける文化であり、一年一年の重複によるたゆまぬ 継承が必要で、一旦絶えれば復旧は困難です。

 

 しかもそれは、学生や若手が非営利の研究キャリアを諦めただけで途絶えてしまう性質の、非常に脆弱な文化であることを、ここで強調させて頂きます。


 そして1年度、フェローシップなどの募集をやめるだけで、その年 は勿論、それに続いていた後輩たちも、非営利研究キャリアを諦めてしまうでしょう。

 

 本質的な、新分野を拓くような科学は、営利団 体では無理ですが、それこそが日本の科学の裾野を保っているのです。

 

 若手のサポートを断てば、あっというまでしょう。

 また、スーパーコンピュータに代表される先端科学技術は「世界一 でなくていい」といった性質のものではなく、アポロ計画がランド マーク事業として多くの周辺科学の絶大な向上を促したのと同様、全体を引っ張る効果にこそ最も文化的、産業的価値があるのです。


 また日本の現在のレベルは世界に一目置かれていますが、このような事業を取りやめたら、全体の科学レベルも低く、ひいては先進度 も低く見られることになるでしょう。

 

 国際的観点では、例えば日本から財政援助を受け、国連の分担金も3%しか払っていない中国 は、有人宇宙ロケットを飛ばし、現在日本を上回るスーパーコンピュータを誇っています。

こちらアメリカではオバマ大統領が景気刺激策として、科学研究に大幅な予 算を注入したばかりです。

 

 国立保健研究所 NIH は、大学研究 のグラントも出している関係上、近年2兆円強の予算が付いていますが、1500億円の注入がありました。

 

 日本の逆行は甚だしい限 りです。

 

 公共事業として、現在と将来の日本への投資という点が看過されているのではないでしょうか。

 土木や福祉の削減とは異なり、一時の抑制が長期の悪影響、もしかしたら百年単位の坂道を転がるきっかけとなる危険性は、強調してし過ぎることがありません。

 取り急いでの乱文をご容赦ください。


 国民への周知と、科学研究の御支持を何卒お願い申し上げます。

                                草々
                          2009年11月23日

                            越谷直弘拝
 

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