2009年11月

 子ども手当をめぐる本格的な論戦が始まるようです。

 

 この巨額の出費が0歳から15歳までの子どもがいる日本国民と、そうではない日本国民との間にミゾをつくり、対立をもたらすことはすでに書いてきました。

 

 鳩山政権内部でもまず子ども手当の支給に際し、所得に高い親たちへの手当は制限をすべきだという主張が起きています。

 

 その一端をまず再確認しておきましょう。

 11月19日の新聞記事です。

 


子ども手当 所得制限を検討 財務相が示唆


 

 鳩山政権のマニフェスト(政権公約)の最大の目玉である子ども手当をめぐり、藤井裕久財務相は18日の会見で、所得制限や地方自治体による財源負担について、「論点になりうる」と述べ、高額所得層を支給対象から外すなど制度の見直しの検討を示唆した。
 ただ、鳩山由紀夫首相は同日夕、藤井発言の“火消し”に努めており、重要政策をめぐる政権内の混乱が再び露見している。

 子ども手当をめぐっては、社民党などが「お金持ちには必要ない」として、所得制限で浮いた財源を保育園の整備などに充てるべきだと主張している。

 

 逆に藤井財務相は子ども手当の所得制限の導入に消極的だが、この日の会見では「3党連立の中で所得制限を求める意見があることは承知している」と他党への配慮を示した。

 

 平成22年度予算の概算要求で、子ども手当の要求額は約2兆3千億円となっており、他の重要政策と比べても規模が格段に大きい。

 

 また、地方負担が浮上すれば、総務省や自治体との調整が難航するのは必至だ。

 

 政府は18日、国家戦略室に重要政策の優先順位を整理する作業チームを発足させ、予算圧縮につなげる構え。

 

 藤井財務相も「(重要政策の)金額はこれから考えなければいけない」として、マニフェストも聖域視せずに切り込む考えだ。

 

 菅直人副総理・国家戦略担当相も同日、「所得制限という問題も出てくるかもしれない。地方負担も絡んでくる」と発言した。

 

 ただ、サラリーマン世帯などの支持を集めて衆院選での民主党の圧勝と政権交代につながったのが子供手当で、支給対象や金額を見直せば、国民からの反発は必至だ。

 

  鳩山政権は公約の実現と財政運営の双方をにらみながら、綱渡りの予算編成に直面している。

                  ◇

【用語解説】子ども手当

 民主党が政権公約に掲げた子育て支援策で、中学生までの子供1人当たり月額2万6千円を支給する。平成22年度は半額支給で、23年度から全額支給を見込む。子ども手当の導入に伴い、政府は現行の児童手当や扶養控除は原則廃止する方針。

 

えっと、驚かせるタイトルの新刊書です。

 

筆者は自衛隊空将として言論の世界でも活躍してきた佐藤守氏、本来はパイロットです。

 

しかし佐藤氏の一貫した日本を愛する言論、評論活動には定評があります。

 

まあ、こういう書は実物を読んでいただいて、という勧めがベストでしょう。

 

 

 

 鳩山政権の日米同盟に対する混迷ぶりは、なおますますその混乱の度合いを高めています。
 
 ことは日本の国と国民の安全保障です。
 
 主権国家の政府を代表する人間たちが、言葉の遊びを続けているのは、きわめて危険です。
 
 なぜ危険なのか。
 
 その理由や背景をとてもわかりやすく解説した論文を読みました。
 
 拓殖大学の渡辺利夫学長の一文です。
 
 ぜひとも読んでください。
 
 
【正論】拓殖大学学長・渡辺利夫 外交に「主義」を持ち込む危うさ
2009年11月18日 産経新聞 東京朝刊 オピニオン面


 

 ≪首脳会談に肝心なものなし≫

13日夕刻、鳩山首相はオバマ米大統領との首脳会談に臨んだが、成果は乏しかった。
 
 2050年までに日米の温室効果ガス排出量80%削減をめざす共同文書を発表し、さらに「“核兵器のない世界”に向けた日米共同ステートメント」を出しただけであった。
 
 2つが今世紀世界の最重要課題であることは否定さるべくもないが、いずれもまっとうに過ぎてコメントのしようもない。
 そもそもこれが2国間の首脳会談で論じられるべきテーマなのだろうか。
 
核を保有しない日本が“核のない世界を”と叫んだところで「紙つぶて」である。
 
 2050年における温室効果ガスの削減目標など総論は大いに結構だが、工程表を示すことなく40年先の目標を示されても信じる気にはなれない。
 
 いかにも安直な合意ではないか。
 
 せめてオバマ大統領の“顔をつぶさない”ための外交的儀礼だったのにちがいない。

差し迫った問題をなぜ提起しないのか。
 
 肝心な日本の国家安全保障への取り組みはどこへいってしまったのか。
 
 日米間の緊急課題は、米海兵隊普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブ沿岸部への移設に関する、2006年5月の日米両政府合意の実現の可否である。
 
 合意の実現なくして米海兵隊のグアム移転、沖縄本島南部に立地する6施設の全面返還はない。

≪基地合意の見え透いた擬装≫

極東の軍事力抑止と沖縄の負担軽減をバランスさせ、この2つを同時に実現する方途は、目下のところ2006年の合意実現以外にはない。
 
 今回の首脳会談では日米閣僚級作業グループを設置して早期解決をめざすことが確認されたようだが、見え透いた「擬装」である。

アジア太平洋を舞台に展開される米軍再編は、兵器体系の進歩とこの地域の地政学の双方をにらんで長期をかけて練り上げられた計画である。 
 
 これに齟齬(そご)をきたす条件を米国がのむとは考えにくい。
 
 このことを鳩山首相や岡田外相が知らないはずもないのだが、国外・県外移転をうたったマニフェストを重視しなければ「民主」党の身が立たないということなのであろう。
 
 政党であるからにはみずからの「主義」を貫くことが悪いはずはない。

しかし、国家安全保障についてだけは「主義」は危うい。
 
 刻々と変化する国際政治環境には柔軟で自在な対応を欠かすことはできない。
 
 北朝鮮が核ミサイルの保有を宣言する時期がいずれやってこよう。
 
 中国が国産空母を完成して東シナ海の制海権を掌握する日もそう遠くはあるまい。

その時点で日米同盟が機能不全であれば、日本の外交的敗北は明らかである。
 
 外交は本来が変幻自在のものである。
 
 不変でなければならないのは、「外交とは国民の生命と財産を守護することだ」という原則のみである。
 
 この一点にさえ揺らぎがないのであれば、軟弱といわれようが強硬と難じられようが、変節漢だの卑怯(ひきょう)だの罵(ののし)られようとも動じない姿勢が外交には必要である。

国益を守るには他に選択肢なしとして劣勢の日本を日清戦争に向かわしめたのも、他日を期して三国干渉という屈辱に潔く甘んじたのも、陸奥宗光という同一の人物であった。
 
 「戦争外交」の全局を精細に描いた希代の名著が『蹇蹇録(けんけんろく)』であるが、全編を通じて情緒の陰りや「主義」など微塵(みじん)もない。
 
 国益を守るためにはいかなる外交戦略が必要か。
 
 それだけを徹底的に考え抜いた指導者が陸奥であった。
 
 陸奥の外交官人生は、外交の「原型」を示して余すところがない。

≪「同盟」を機能させるには≫

友邦をもたず戦われた孤絶の戦いが日清戦争であった。
 
 現在の日本は世界最大の覇権国家米国を同盟国として擁しているではないか。
 
 日本を取り巻く周辺国が挑戦的な外交を繰り返し、彼らが日本に照準を合わせているのは核兵器やミサイルである。
 
 専守防衛の日本が日米同盟を堅固なものとする努力を怠っていいはずがない。

同盟とは2国間のものでなければならない。
 
 日本が第2次大戦での敗北によって亡国の危機におとしめられたその淵源(えんげん)をたどっていけば、日英同盟の廃棄に行き着く。
 
 明治末の10年と大正期を通じて日本の安全保障を確たるものとしたのが日英同盟であった。
 
 第1次大戦後の覇権国家米国はもう1つの覇権国家日本の弱体化を目論(もくろ)み、そのためには日英同盟を廃棄に追い込むよりほかなしとして日英に迫ってこれに成功したのである。
 
 代わりに与えられたのが日英米仏から成る4国同盟であったが、この同盟が機能することは一度たりともなかった。

同盟とは本来が利害を共有する2国間のものである。
 
 日本の安全保障が完璧(かんぺき)に守られたのが、日英同盟と日米同盟の時代であったことがその何よりの証である。
 
 民主党政権は東アジア共同体の提唱にみられるごとく、多国間の安全保障をより優れたものだとみているようだが、日本の近現代史はそれが無効であることを教えている。(わたなべ としお)

子育ては個人の問題ではなく、社会や政府や国家の問題だとする鳩山政権の「子ども手当て」は、最も個人的、私的な人間の生き方の基本である子育ての管理を国家にゆだねようという発想において、国家社会主義的な事業であることは、このブログで何回も書いてきました。

 

しかも16歳未満の子どもの親すべてに毎月2万6000円もの公的資金を与え、その親が年収数千万円でも、同じ額が供与される。年間総額5兆円をはるかに越えるその巨額の公的資金は16歳未満の子どものいない日本国民の犠牲において払われる。

グロテスクなまでのゆがんだ「国家による収奪」です。

 

その日本の子ども手当案に対し、世界の先進諸国の経済的な集まりであるOECDが明確な反対を表明しました。当事国はもちろん日本ですから、国際機構や他の諸国がなにを言おうとも、最終的に決めるのはわが日本であることは言を俟ちません。しかし国際的な視点というのは重要です。

 

そのOECDの子ども手当批判についてのニュース記事を以下に紹介します。

 

 

子ども手当は見直しを OECDの政策提言

 経済協力開発機構(OECD)は18日、日本の経済政策に関する提言を発表した。

 

 鳩山政権が導入を目指している子ども手当について「目的と対象を再検討すべきだ」とし、大幅な見直しが必要だとの見解を明らかにした。

 

 所得格差是正のための税制改革も求めた。

 

 東京都内で講演したOECDのグリア事務総長は「巨額の財政赤字を抱える日本には、少子化対策と女性の社会進出を両立させる一挙両得の対策が必要」と述べ、一律に子ども手当を支給するよりは保育所の待機児童対策などに重点を置くべきだとの考えを示した。

 

 所得制限を設けない子ども手当には、巨額の財源が必要な一方で少子化対策の効果がどれだけあるか疑問視する見方が出ていた。

 

 OECDの提言は制度づくりに影響を与える可能性がある。

 

 民主党は総選挙で、中学生までの子どもを持つ家庭に1人当たり月2万6千円の子ども手当を支給すると公約。

 

 鳩山政権は10年度予算で、半分に当たる月額1万3千円を支給する方向で検討している。

 

 OECDの提言は「教育は将来の経済的繁栄への戦略的投資だ」と指摘。幼児教育と保育サービスの一元化などを促した。

 

 税制改革については、納税額から一定額を差し引く税額控除による減税と、所得が課税最低限に達しない人たちへの給付金による支援を組み合わせた「給付付き税額控除」を導入し、所得格差を是正することを盛り込んだ。

2009/11/18 12:29   【共同通信】
 

なんだ、鳩山外交なるものは、結局、小切手外交ではないか。

 

こんな失望を感じさせられた今回のアフガニスタン支援でした。

 

50億㌦約4500億円という巨額の資金をODAに等しい援助としてアフガニスタンに贈るというのです。民生分野、とくに帰順したタリバン元兵士の職業訓練などへの大型経済援助です。

 

ところが日本のこうした援助はすべてアフガニスタンの治安がかなりの程度、保持されて初めて可能となります。アメリカはじめ他の諸国は、その治安回復のために、生命への危険をおかして、戦闘地域での任務についているのです。

 

しかし日本は非軍事の要員をも送らない。もちろん戦闘要員は送らない、送れない。多国籍軍の後方支援にあたるインド洋での給油活動を実施してきた日本の自衛隊は撤退してしまう。鳩山政権はその分の埋め合わせを50億㌦というカネですまそうというのです。

 

人間は動かさず、資金だけを出す「国際貢献」とは小切手外交以外のなにものでもありません。日本が小切手外交によって、全世界の愚弄の対象となったのは1991年の第一次湾岸戦争の直後でした。このときはイラクのクウェート軍事占領の暴挙に国際社会が団結して対応したとき、主要国のなかでは唯一、日本は人間を送れませんでした。医療や人道の要員さえ派遣できず、130億㌦という資金だけを「戦後」に払ったのです。

 

今回の鳩山政権の対応も発想はまったく同じです。厄介なことは体を使わず、頭も使わず、カネだけですまそうという思考です。

しかも日本全体としては余分な政府支出を極限まで削るというような目標が叫ばれ、「事業仕分け」によって1億円、2億円という単位の公的支出が削られているのです。そんなときにアフガニスタンに4500億円を出すことをあっというまに決めていまう。

鳩山政権の小切手外交は二重三重に驚嘆に値します。

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