2010年01月

 オバマ大統領の就任からちょうど1周年、アメリカでも日本でもオバマ大統領の通信簿ふうの論評が盛んです。
 
 これまでの支持率の低下の幅だけをみても、オバマ氏はどうやらアメリカ政治史でも最低の大統領の一人となってしまいました。
 
 一体なぜなのか。
 
 その分析を書きました。
 
 
米国の「父」になれぬオバマ氏
2010年01月21日 産経新聞 東京朝刊 国際面


 

 ちょうど1年前の1月20日、大統領に就任したバラク・オバマ氏は白馬にさっそうとまたがる無敵の王子のようだった。
 
 だがいまや険しい道を徒歩であえぐ労苦の政治家となった。
 
 やはり政治の世界はすぐ先も闇だということだろう。
 
 オバマ大統領への支持はなぜそれほど大幅に降下したのか。(ワシントン 古森義久)

                   ◇

 ≪ほとんど実績なし≫

 就任式の日、前夜から首都ワシントンに集まった数十万の米国民の熱気はものすごかった。
 
 「希望」や「変革」をスローガンに掲げて登場した若き黒人大統領への期待が満ち満ちていた。
 
 新リーダーは実際に経済不況や対テロ戦争での米国社会の停滞を吹き飛ばすかにもみえた。
 
 だがその後1年、いまや「変革」も「希望」も色あせた看板にみえてきた。
 
 内政でも外交でも明確な実績はほとんどないからだ。

 だが個別の分野での採点を越えてオバマ大統領への米国民一般の認識に不安や反発を広げた主要因が少なくとも2つ、指摘できるようだ。

 第1はバラク・フセイン・オバマという政治指導者が一体、個人としてどんな人間なのかという認識の究極部分での疑念である。
 
 この疑念はオバマ氏がホワイトハウス入りするまでの人生で歴代大統領とは異なり、特筆できる業績や経験をまったく残してこなかったことにも帰される。
 
 外交や軍務の体験ゼロであっても外交官や軍人に訓示を与える。
 
 ビジネス界に接したことがなくても大企業の幹部に経営方針を教示する。
 
 疑念はこうした矛盾に総括できるだろう。

 この種の懐疑は元来、オバマ氏を支持してきた民主党系の識者からも公然と表明されるようになった。
 
 「オバマ氏はこれまでの人生で成し遂げたことのために敬愛される大統領ではないことが弱点であり、自分がどんな人間かわかっているか否かも疑問だ」(リベラル派のコラムニスト、リチャード・コーエン氏)という辛辣な評さえあった。
 
 「オバマ大統領は自分自身の中枢の信念がなにかという国民の疑念にまだ答えていない」(長老政治評論家のデービッド・ブローダー氏)という批判も話題となった。

 米国では国民が大統領を父親的な存在とみる伝統もあるが、オバマ大統領はまさにその対極に立つ存在なのだともいえよう。

 ≪「過大な政府」反発≫

 第2は、オバマ氏とその最側近がこの1年、最大の精力を注いだ政策全体が米国民多数からは超リベラルの「過大な政府」として反発されたことである。

 オバマ大統領は個人としての資質が不明のままでも、その政策が示すイデオロギーの特徴は明確だとする認識は保守派の間でとくに強い。
 
 保守重鎮の政治評論家チャールズ・クラウトハマー氏はオバマ氏が医療保険、教育、エネルギー政策で示した姿勢は「ソ連スタイルともいえる巨大な政府による管理で、社会民主主義志向」だと定義づけた。
 
 欧州的な社会民主主義の思潮を米国にも導入しようとしている、というのである。

 クラウトハマー氏はオバマ大統領のこの試みを「歴史的に個人主義が強い米国への挑戦であり、米国民の多数派からは拒否された」と分析し、その結果が支持率の急低下だとして、「結局は左に寄り過ぎたのだ」と総括する。

 同じ保守派の女性評論家ペギー・ヌーナン氏は現在の政治潮流を「オバマ氏の政策と米国民多数派との断絶が連邦政府と米国民多数派との断絶をも生み始めた」と評する。
 
 この断絶がオバマ氏と政策面で歩調を合わせる民主党リベラル派への反発となり、リベラル勢力の牙城マサチューセッツ州での上院補選で無名に近い保守派候補が圧勝するという結果までを生んだともいえよう。
 
 だからオバマ大統領の2年目の統治はさらに厳しい試練にさらされることは確実なのである。

 

もっとも私はオバマ氏のこうした超リベラル志向がアメリカ国民の多数派とは整合しないという点を1年前の自書のなかで再三、指摘しました。

 

当時から明白だった彼の特徴ですが、そのころ日本のマスコミや学者の間ではその点を指摘する向きはほとんどいなかったのです。

       

 

 

 

 

私がこの場の前回のエントリーで紹介した台湾映画『海角七号』について産経新聞ソウル支局長の黒田勝弘記者が産経新聞の1月21日のコラムでおもしろいエッセイを書いています。

 

 

『海角七号』が描いた台湾と日本との愛のきずなは韓国と日本の間ではどうなのだろうか、という一文です。

 

結論がすぐにわかってしまうような問題提起ですが、そこやさすが黒田記者、意外な事実や感想を知らせてくれます。

 

以下、そのエッセイを紹介します。

 

ヘッダー情報終了【朝刊 1面】
記事情報開始【から(韓)くに便り】ソウル支局長・黒田勝弘 君想う、国境の北?

 

 正月に一時帰国したおり、東京で台湾映画『海角七号 君想う、国境の南』(8日付の本紙文化欄で紹介)を見た。
 台湾にいる知り合いが「台湾で大ヒットした映画なので、ぜひ見てほしい。台湾も韓国も日本の支配、統治を受けた歴史を持っているが、韓国でもあんな映画はあるのだろうか?」といってきたからだ。

 映画を見た感想は「実際にはあのような話は韓国の方がもっとあったはずだが、韓国ではこれまで映画やドラマとしてはなかったなあ…」というものだった。

 

 タイトル「海角七号」とは「岬町七番地」といった意味だ。

 

 1945年日本の敗戦で台湾を去った若い日本人教師が、引き揚げの船上で台湾に残した教え子の恋人にあてて書いた手紙が、数十年後に年老いた彼女のもとに届くという実話を素材にしている。

 

 「…恥辱と悔恨に耐え、僕が向かっているのは故郷なのか、それとも故郷を後にしているのか。僕は友子(台湾の教え子)を捨てたのではなく、泣く泣く手放したんだ。友子、無能な僕を許しておくれ。君は一生、僕の心の中にいるよ…」

 

 手紙はナレーションで語られるが、映画そのものはそうした“過去”はあくまで背景にすぎない。

 

 それよりも、たまたまその手紙を配達することになった郵便アルバイトの青年を主人公に、町おこしで計画された日本のロック歌手招待公演をめぐる日台友情物語という“現代”が中心になっている。

 

 そして、ミュージシャンの卵で地元バンドを結成して日本歌手を迎えるバイト青年と、日本側の女性企画スタッフ「友子」との泣き笑いの熱い恋。

 

 主人公の歌う「国境の南」が結構な主題曲になっていて、さらに日本時代の「野ばら」の歌が“共通言語”として双方の心をつなぐ。

 

 映画は海辺の町を舞台に風景も人びとも明るい。

 

 若者映画(?)なため、1945年の日台の“切ない別れ”に期待した観客は多少、不満かもしれない。

 

 映画には過去への恨みつらみは一切ない。

 

 年老いた「友子」も画面には登場しない。

 

 年寄りたちは「野ばら」で過去への郷愁をかもしている。

 

 若者たちはそうした年寄りにやさしい。

 

 人びとは町を挙げての“老壮青”の混成田舎バンドで日台協力イベントを成功させる。

 

 あくまで現実的で未来志向的なのだ。

 

 さて韓国だが、韓国でもこれまで日韓和解ドラマはあった。

 

 昨年、亡くなられた作家、韓雲史さん(学徒志願兵出身)の8・15記念テレビドラマ『波濤よ語れ』(1978年)など記憶に残る。

 

 在韓日本人残留孤児を素材に、やさしい韓国人たちに育てられた日本人少年が、後に日韓をつなぐ螺鈿(らでん)漆器の名匠になる。

 

 韓国の故郷「忠武」の螺鈿技術と、日本の故郷「輪島」の漆器の融合で和解を象徴させたものだった。

 

 日本側でもNHKのテレビドラマ『離別』(1992年、原作は飯尾憲士『ソウルの位牌』)や『海峡』(2007年)などが記憶に残る。

 

 『海峡』は1945年をはさんだ日韓の男女の別れと再会の話だった。

 

 今年は“日韓併合”から100年だという。

 

 韓国では年初から65年前に終わった「不幸な過去」への振り返りが盛んだ。

 

 台湾ではそんな発想はないだろう。

 

 日本では韓流ドラマの人気が続いているが、韓国で「君想う、国境の北」が描かれるのはいつだろうか。(ソウル支局長)

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台湾映画史上でも最大にヒットをしたという『海角七号』を観ました。日本の若い友人が送ってくれたDVDです。

 

この映画はおもしろい作品を多数、世界に放ってきた台湾映画界でも歴史上、最も大きな興行成績をあげた超人気作です。

 

『海角七号』は恋愛が主題ではありますが、その基底に流れるのは日本と台湾との心温まる愛情、友情のきずなです。

 

台湾を反日として描いたNHKの例のドキュメンタリー番組を作った人たちにみせたい映画です。

 

   

 

主題はまず60余年前の台湾から敗戦を迎えた日本の国民たちが帰ってくる流れのなかで、台湾の少女を愛した日本人の青年教師のドラマです。

 

彼が恋情に揺さぶられながら、別れに直面し、その思いをつづった手紙がいまになって台湾に届けられるのです。

 

しかしその宛先の番地「海角七号」はもう存在しません。その番地に住むはずの台湾の少女の消息もわかりません。

 

その一方、手紙が届けられた台湾の南端の町、恒春では、町おこしのための野外大コンサートが企画され、その中心にある台湾人の歌手志望の青年と、その企画の運営にあたる日本人女性との間に、恋が芽生えます。

 

映画は台湾の南部の風物、人間、社会をふんだんに盛り込み、軽快なペースで進みますが、共通して流れるのは、台湾と日本との強いきずな、とくに台湾の人たちの日本への温かい思いです。

 

この台湾の日本への思いはNHKの例の反日、反台湾の番組とは対照的です。

 

日本ではいま東京の「シネスイッチ銀座」で上映中だそうです。

 

できるだけ多くの日本人に観賞してもらいたい台湾映画だと強く感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

民主党の小沢一郎幹事長をめぐる不正容疑事件は側近の逮捕により急展開をみせました。

 

小沢氏自身、そして鳩山首相のこの刑事事件の展開に対する態度はきわめておもしろいとえいます。

 

小沢氏は記載のミスが法律に違反した可能性を認めながらも、石川知裕衆議院議員ら側近3人の逮捕に対しては、不当だとして「断固、戦う」と述べています。

 

鳩山首相は小沢氏のこの言葉を受けて「戦ってください」と述べました。「小沢氏を信じている」「潔白を説明してください」とも語りました。小沢氏は全面的に無実だという前提です。

 

しかし小沢氏、鳩山氏ともに一体なにと「戦う」というのでしょう。

普通に考えれば、検察当局です。ということは司法当局と戦うというのです。

 

かりにも鳩山首相は行政府の長です。その長が日本の司法と戦うというのです。司法そのものが間違っているという前提でしょう。

 

小沢氏も同様です。司法の任意取調べの要請にも応じず、司法の措置はまったく間違いだと断ずるのです。小沢氏は民主党の幹事長、つまりは立法府の幹部です。

 

こうみてくると、同じ日本国の行政府、立法府の代表が司法当局全体の動きを不当だとか間違いだと断定するという奇妙な構図が浮かびあがります。三権分立のなかでその二つの権力がみずから監視を受けるはずの第三の権力の行動を頭から不当だと非難するのです。

 

こうした鳩山、小沢両氏の態度は日本の司法全体の否定にもつながりかねません。司法の基盤や枠組みの否定とさえ、受け取れます。「法の統治」を踏みにじるに等しいでしょう。

 

司法の措置がすべて正当だとはいえないのは当然でしょう。

しかし司法の措置の枠組みまでを頭から不当だと非難することは三権分立のメカニズムの否定にも等しくなります。

 

検察の措置がはたして不当なのか、否か。法の枠組みの中で真相を追求していくことこそ、自然な対応でしょう。であるのに、小沢・鳩山政権はその法の枠組みに悪口雑言を浴びせることから

対応を開始しているのです。

 東京地検の特捜部が小沢一郎・民主党幹事長がからむ大規模な政治資金規正法違反容疑に対し強制捜査に踏み切りました。

 

 「主犯」の疑いが濃い小沢氏は検察当局の任意の取調べを拒んでいます。しかも捜査自体がおかしいような不遜の発言を繰り返しています。

 

 日本はこれでも法治国家なのでしょうか。

 

 日本の政界を揺るがすこの大事件はこんごもさまざまな波紋を広げるでしょうが、ひとまず産経新聞の1月14日朝刊の「主張」を紹介しましょう。最も常識的な主張と思われるからです。

 

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【主張】陸山会強制捜査 小沢氏の政治責任は明白 土地疑惑の徹底解明求める

 

 民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」による土地購入疑惑で、東京地検特捜部が会計事務担当だった石川知裕衆院議員の事務所や陸山会事務所などの強制捜査に踏み切った。

 直接的には、石川氏が平成16年10月の土地購入資金を政治資金収支報告書に記載していなかった政治資金規正法違反(不記載)容疑によるものだ。

 

 だが、この土地購入は小沢氏が指示し、個人資金も提供した。

 

 その原資は不透明だ。

 

 小沢氏の関与が疑惑の核心といえる。

 

 陸山会に加え、東京都内の小沢氏の個人事務所への家宅捜索も行われた。

 

 土地購入に際して違法行為や脱法行為がなかったかどうか、検察当局には徹底した解明が求められている。

 

 最大の問題は、小沢氏の政治責任である。自らの資金管理団体が強制捜査を受けたことの責任はきわめて重大である。

 

 違法行為の疑いをもたれたことへの監督責任は免れないからだ。

 

 西松建設の違法献金事件でも、公設第1秘書が規正法違反罪で逮捕・起訴された。

 

 資金管理団体でありながら、陸山会が10カ所以上の不動産を購入してきた目的は国会でも疑問視されてきた。

 

 そうした問題を含めて、小沢氏自身の政治資金に対する考え方や取り扱いの是非が問われ、強制捜査に至ったといえる。

 

 与党の最高実力者として、幹事長職にとどまることが許容される状況だろうか。

 

 小沢氏を幹事長に起用した鳩山由紀夫首相には、適切な判断が求められる。

 

 ◆説明欠く「開き直り」

 

 特捜部の捜査の焦点は、「政治家小沢一郎」をめぐる不透明な資金の流れにあり、そこにメスを入れようとしたものだと受け止められる。

 

 土地購入に関連して、陸山会と関連政治団体との間で複雑な資金移動が行われていた。

 

 それが小沢氏の個人資金との関係で「資産隠し」とそのための「偽装工作」が行われていたのではないか、という疑惑さえ招いているからだ。

 

 土地購入をめぐっては、総額10億円以上とみられる資金操作の疑いがあるうえ、石川議員はカネの出どころを隠すために虚偽の説明を行ったとされる。

 

 特捜部はこれまで石川議員に任意の事情聴取を重ねてきたが、事件の徹底解明には強制捜査による家宅捜索が必要と判断したとみられる。

 

 石川議員に対する調べを任意から強制捜査に切り替えることも検討されている。

 

 小沢氏は「捜査中だから」という理由で「政治とカネ」にからむ重大な疑惑に対し、正面から答えようとしていない。

 

 国政に多大な影響を及ぼす政治家としてきわめて無責任な対応であり、疑問を呈さざるを得ない。

 

 それに加えて、小沢氏は特捜部による参考人聴取の要請に対して、「忙しい」との理由で拒んだままだという。

 

 ◆民主は自浄能力発揮を

 

 4億円の個人資金の原資が何なのかなど、小沢氏からの聴取は欠かせない。

 

 ゼネコンからの裏献金疑惑も浮上している。

 

 小沢氏は12日の定例記者会見で、陸山会の土地購入疑惑に関する具体的説明を避けた。

 

 鳩山首相も、巨額の偽装献金事件で「捜査中」との同じ理由で説明を拒み続けた。

 

 政府・与党のトップが2人とも相次いでそうした態度をとることは、政治家自身の倫理にとどまらず、国民の道義心に悪影響を与えないか。

 

 政治全体への信頼が失墜することが危惧(きぐ)される。

 

 小沢氏は12日の会見では「私の政治団体の問題で国民に迷惑、心配をおかけして申し訳ない」と陳謝していた。

 

 しかし、強制捜査を受けた13日夕、訪問先での会合では「法に触れることをしたつもりはない。

 

 国民も理解しているから政権を与えてくれた」などと語った。

 

 政治責任はないと開き直ったように聞こえる発言だ。

 

 自分は「もっともオープンな政治家だ」と日ごろ主張していながら、事が起きると沈黙に徹するギャップは大きすぎる。

 

 やはり説明のつかない点があるのか、という疑問をぬぐえない。

 

 この事態を迎えても、民主党は自浄能力を発揮できないのか。

 

 党のトップが、説明のつかない土地購入や資金管理で検察当局の強制捜査を受けている。

 

 小沢氏からの説明さえ求めないような空気では、政治とカネに関する正常な感覚を党自体が失っているようにみえる。

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