2010年02月

 朝日新聞の最近の中国報道について、産経新聞中国総局長の伊藤正記者がおもしろい記事を書いています。

 

 周知のように伊藤記者は共同通信時代と合わせて、日本人の記者、学者、外交官などを通じ、中国とのかかわりが最も深く、最も長い最高水準の「中国通」の一人です。

 

 その伊藤記者が最近の朝日新聞の記事を「信じがたい」と断じています。

 

 朝日新聞は私自身がかかわった「ライシャワー発言」について、虚偽の報道をしたままです。私が正面から「虚偽」と断じても、反論ひとつできないままです。

 

 「虚偽」と「信じがたい」とは、ひょっとすると同じ事実を指しているのかもしれません。

 

 このエントリーの見出しに使った「インチキ」という言葉は普通、私の報道や言論の活動での語彙にはありません。粗雑で下品な表現です。そんな言葉をあえて、天下の朝日新聞に対して使うのは、「虚偽報道」と抗議しても、だんまりを決めたままの相手への注意の喚起とでも申しましょうか。

 

 伊藤記者の記事は以下のようです。

 

                      =======

 

 

【緯度経度】北京・伊藤正 信用しがたい朝日報道


 

 1989年4月、北京の民主化要求デモが反共産党へ転じたのは、同月26日付の人民日報社説が、デモを「動乱」と攻撃してからだった。
 これに学生、市民が強く反発、数十万規模のデモになったが、社説は撤回されないまま、6月の天安門事件へ向かっていく。

 社説は、トウ小平氏の講話に基づいていた。

 

 当時、北朝鮮訪問中だった趙紫陽総書記は帰国後、事態収拾のため社説撤回に動くが、トウ氏は拒絶、辞任に追い込まれる。

 

 趙氏が訪朝していなければ、社説は出ず、情勢は違っていたとは後知恵にすぎない。

 

 李鵬首相らの延期要請をけっての訪朝だった。

 

 趙氏は中朝間での合意の実行としか述べていないが、趙氏に近い筋は後に、訪朝の必要性を説明した。

 

 88年のソウル五輪への中国参加で悪化した中朝関係の修復を急いだというのだ。

 

 87年秋、北朝鮮の李根模首相が訪中、総書記就任直後の趙紫陽氏と会談した。

 

 趙氏は五輪参加は対外開放の一環とし、改革・開放の成果と方向を説明した。

 

 これを北側は改革・開放を押しつける「内政干渉」と曲解し、反論しなかった李首相は帰国後更迭される。

 

 趙氏の訪朝は、北朝鮮側の誤解を解き、内政不干渉の原則を再確認する目的だった。

 

 92年の中韓国交樹立は、五輪問題以上に北側の反発を買ったが、中国側は対外開放という中国の内政との立場をとった。

 

 中国が、北朝鮮も改革・開放にならうよう望んでいるのは疑いない。

 

 中朝首脳会談で、中国側は改革・開放に言及してきたが、「押しつけ」と取られないよう細心の注意が払われる。

 

 歴史的背景もあって北側は内政干渉に敏感だからだ。

 

 そんなわけで、中国が昨年5月、北朝鮮に「改革開放の推進、世襲反対、核放棄を要請した」との朝日新聞の大報道(23日付朝刊)には驚いた。

 

 記事は「内政干渉につながる要求は異例」で、「北の核保有や悪化する経済への中国の危機感を示す」としている。

 

 もし事実とすれば、中朝関係の常識を覆すニュースだ。

 

  この3点のうち、他国の安全を脅かす核の放棄要求は内政干渉とはいえず、従来の主張でもある。問題は他の2点だ。

 

 どちらも内政干渉そのものではないか。

 

 特に世襲反対は、金正日総書記の後継者に三男の金ジョンウン氏を「指名」したことへの批判だが、やはり権力を世襲した金正日氏を批判するに等しい。

 

 中国側に世襲を批判する人は多いが、あくまで内輪の話であって、党の公式ルートで伝えたとは思えない。

 

 早速、中国外務省の秦剛報道官は質問に答え、「報道は全く事実ではない。中国は内政不干渉の原則を順守しており、他国の内政事に干渉することはあり得ない」と述べた。

 

 同じ記事で、昨年6月に同紙が報じたジョンウン氏の秘密訪中を再報道したことについても、改めて否定した。

 

 ジョンウン氏訪中説については、英フィナンシャル・タイムズなども報じたが、中国当局だけでなく北朝鮮の金永南最高人民会議常任委員長も昨年9月、共同通信代表団に「事実無根」と否定している。

 

 朝日新聞の一連の報道には、コリア・レポートの辺真一編集長が昨年来、ブログ「ぴょんの秘話」で再三、厳しく批判、今回の報道には「思わず噴き出した」と書いている。

 

 しかし報道を信じている人は少なくない。

 

 某大学教授は講演で、朝日報道に基づき中朝関係を論じたと聞く。

 

 朝日は今回も中国外務省の否定を報じていない。

 

 よほどの自信だ。

 

 それなら昨年と今回の記事に多々ある矛盾点の説明くらいはしてほしいものだ。

 

 「金正日総書記の名代として訪中」が「軍事代表団に同行」に変わり、「胡錦濤国家主席と会見」も「長男金正男氏が会見に同席」も消えてしまった。

 

 辺真一氏は、昨年の記事の情報源は「全く信用できないということになる」と述べている。(肩書は当時)

                                                ========

アメリカ議会下院公聴会でトヨタの豊田章男社長が2月24日、証言をしました。午後2時すぎから午後5時ごろまで、3時間たっぷり、でした。

 

豊田社長は冒頭の声明を英語で読み上げた後、日本人の女性通訳を通して、日本語で議員たちからの質問や批判に答えました。        

 

 

豊田社長の横に座った北米トヨタ社長の稲葉良見氏は英語で議員たちの質問に応じていました。

 

豊田、稲葉両氏の証言の総括評価をすれば、私の感想は「みじめだった」ということになりましょうか。

 

日本人として、残念だった、という実感です。

 

なぜそうなのかは、山のような報道が日本の各種メディアを通じて流れるので、まあそちらをみてください。

 

ここでは豊田証言の持つ意味について、他の記者が指摘していないことを書いた私の記事を紹介します。

 

                        ========

  

   豊田証言の潜在的危機 日米安保への影響はらむ


 

 【ワシントン=古森義久】トヨタ自動車の豊田章男社長の米国議会での証言は自動車問題が日米関係を揺さぶり、対立を生む一方、逆に両国のきずなを強めるという屈折した歴史のハイライトとなる。
 だが今回の展開は「米国民の生命への危険」が前面に押し出されただけでなく、米国政治の複雑な要因もからみ、豊田証言への米国民の反響いかんでは、日米関係の安全保障など他の領域にも影響を及ぼしかねない潜在危機をもはらんでいるといえる。

 ◆犠牲者家族も証人

 

 一連のトヨタ公聴会の開催を求めた議会側は、トヨタ車に「突然の加速」を生む欠陥があるとの疑惑を追及するという技術的な取り組みに焦点をしぼる姿勢をみせた。

 

 そのために欠陥のため事故の犠牲になったと主張する家族らをも証人とし、米国民の生命への危険をトヨタの責任とする前提が23日の下院公聴会をすでに激しい攻撃基調にした。

 

 しかも米側の議会やメディアでは、トヨタ自動車の当初の対応を「くさいものにフタ」とか「トップが責任逃れ」とまで非難する声が多かった。

 

 日本の企業体質や法律制度までをも米国と批判的に比較して、文化論、社会論の形で日本全体にネガティブな光を当てる議論も少なくない。

 

 トヨタは豊田社長が証言でも強調するように米国で自社製品の販売を50年、生産を25年続けてきた。

 

 その製品は一般米国民に愛好され、米国内十数カ所の工場は20万人近くの雇用を生み、巨大な販売網が全土に確立された。

 

 乗用車の販売台数で全米1位という実績はトヨタがどれほど米国社会に同化したかを明示していた。

 

 ◆数カ月で悪役に

 

 しかしこんな実績のトヨタのイメージもほんの数カ月の出来事でがらりと変わり、悪役として議会の追及の的とされてしまった。

 

 その理由はやはり、実際に起きたトヨタ車の事故の特異な状況とトヨタ側の当初の反応の鈍さとみるのが適切だろう。

 

 その非難が豊田社長自身の証言への強い要求という形をとったのは、米国社会でのトヨタの存在の巨大さのためでもあろう。

 

 自分たちの生活にこれほど入り込んだ企業の最高指導者に直接、問いたいという次元の要求だといえる。

 

 だがトヨタ非難の広がりの速度や規模には他の要因がからむことも否定できない。

 

 現にオバマ政権非難の急先鋒(せんぽう)となる全米トップのラジオ政治評論家、ラッシュ・リムボウ氏は「オバマ政権は自己の政策不振の糊塗(こと)や事実上、国有化したGM(ゼネラル・モーターズ)の支援のためにトヨタたたきをあおったのだ」と連日のように述べている。

 

 米国の自動車企業を抱え、労働組合と密接な中西部、北部の民主党議員たちがトヨタ糾弾の主力となり、トヨタの工場を抱える南部などの共和党議員たちがトヨタ擁護に回るという構図も、今回の事態の政治側面を示している。

 

 だが米側にこうした歩調の乱れがあっても、豊田証言が象徴する日米間の自動車問題が内蔵するマグマは強大である。

 

 日本車問題が米国の経済だけでなく政治や安保にまで大きな余波をぶつけた実例は過去の日米関係でも顕著だった。

 

 日米間の従来のきずなにほころびがみられる現在、このトヨタ問題がどのような展開をみせるか、予断はできないのである。

                      =======

 トヨタ自動車の豊田章男社長がアメリカ議会でいよいよ証言します。

 

 2月23日午後の現在、アメリカ議会ではすでにトヨタ車問題公聴会が始まっています。

 

 トヨタ側からはアメリカのトヨタ車販売の責任者のアメリカ人が証人として出て、議員たちからの鋭い質問に必死で答えています。

 

 豊田社長自身の証言はいまから20時間ほど後の24日午前の別の公聴会で、となります。

 

 この豊田氏の議会証言は日本の自動車企業の日本人代表としては初めてであるかのように日本側では報じられていますが、実は前例がありました。

 

 その当時の状況は現在と似ている部分も多々あります。

 

 まずの「日本の自動車企業の日本人代表によるアメリカ議会公聴会での証言」の実例を紹介する記事を書きました。

                        

                    =======

 

 

トヨタ公聴会 30年前にも米国日産・鈴木副社長が証人に


 

 ■英語の壁とスピード質疑にたじたじ

 

 【ワシントン=古森義久】トヨタ自動車の豊田章男社長の米国議会公聴会での証言が注視されているが、日本の自動車メーカーの日本人代表の同公聴会での証言は過去に一度だけ前例があった。

 

 そのときの証人の苦労も参考ともなりそうだ。

 

 米国議会で日本車問題は本格審議の対象に何度もなってきたが、日本側自動車企業を正式に代表する日本人が初めて公聴会証言をしたのは1980年3月19日、上下両院合同経済委員会(委員長・ロイド・ベンツェン上院議員)が開いた日本車問題公聴会だった。

 

 日本車が米国に大量に輸入され、よく売れて、米側自動車産業の衰退を招いたとして、議会は日本車の対米輸出規制や米国内での生産、部品現地調達を求めるようになった。

 

 同公聴会にはトヨタ、日産、ホンダの三社の代表が証人として招かれた。

 

 トヨタとホンダはいずれも米国法人代表の米国人が証言したが、日産だけは米国日産自動車の鈴木康彦副社長が証人となった。

 

 鈴木氏は当時在米10年以上の米国通で英語も得意とされていた。

 

 公聴会では米側の証人に全米自動車労組の会長や鉄鋼業界の代表が並び、日本企業への種々の非難が浴びせられた。

 

 委員長のベンツェン議員も日本の「米製品締め出し」や「防衛責任不履行」まで持ち出し、語調を険しくした。

 

 日本側3証人の最後に登場した鈴木氏はすべて英語で証言することにし、当初に準備した冒頭声明で輸入規制や部品現地調達への反対を言明したところまでは円滑だった。

 

 ところが、議員側との質疑応答でベンツェン議員に「現地調達に反対というが、日本は自国内の航空機の組み立てやコンピューター製造に高い現地調達率を課しているではないか」と突っ込まれると、鈴木氏は口ごもり、公聴会の流れの速度をすっかり変える結果となった。

 

 ブラウン議員の「米国メーカーが小型車生産を3年後に始めたら、日産車の米国でのセールスはどうなると思うか」という質問にも、しばらく沈黙し、「意味がよくわからない」と答え、傍聴席にも白けた空気が流れた。

 

 その後も鈴木氏は、日本企業側に同情的な議員からの質問にもうまく答えられず、「時間をかけないと回答できない」という答弁までして、日本人にとっての“英語の壁”の厚さとともに、米側議員たちのスピード質疑にたじたじの様子が明白だった。

 

 この公聴会からちょうど30年、日本自動車メーカー代表の日本人の議会証言としては二度目となる。

 

 豊田社長も英語が流暢(りゆうちよう)とされながらも通訳を使うという対応は賢明とはいえ、米側議員たちの攻撃的な追及は前回の実例が教訓ともなりうるだろう。

 

                      =======

朝日新聞が虚偽を報じる「ライシャワー核持ち込み」発言について、その最初の報道にあたった当事者側として、新たな記事を紹介します。

 

私はちょうどいま産経新聞で「体験的日米同盟考」という連載を始めており、2月22日掲載のその第2回もライシャワー氏の例の発言を取り上げました。そこではライシャワー氏にインタビューした当事者として、まず毎日新聞が発言の全容を詳しく報道し、

朝日新聞を含む他のメディアはその報道を知って、ライシャワー氏に取材し、同氏が共同の記者会見を開いて、当初の発言を繰り返し、確認したという「真実」の経緯を改めて述べています。

 

                ========

 

      【安保改定から半世紀 体験的日米同盟考】(2)「ライシャワー発言」への反応


photo start

ライシャワー発言による核持ち込み問題をめぐり野党の追及を受けてむっつり顔の鈴木善幸首相(左)と園田直外相=参院連合審査

photo endphoto start

「日米間に了解はあった」と記者会見で認めるライシャワー元駐日米大使(UPIサン)

photo end

 ■日本は「外交フィクション」にした

 エドウィン・ライシャワー元駐日米国大使が日本政府の非核三原則の虚構を明かす発言を報じた後の私はカーネギー国際平和財団の研究員の立場に戻った。毎日新聞の同僚や先輩たちが「ライシャワー発言」報道を続けるのをニューヨークやワシントンからみつめることとなった。

 

 ライシャワー氏はその後、日本のメディアとの会見で私に述べたこととまったく同じ内容の「虚構のメカニズム」を明らかにしていた。

 

 だから同氏の発言は単なるスクープ報道という域を超えて、「元大使による暴露」として定着し、国会での論議の対象ともなった。

 

 おなじみの陰謀説もすぐ登場した。

 

 米側でのこの種の劇的な事態の展開に対して日本側で必ず出てくる「真相はこうなのだ」という即席の断定である。

 

 京都の竹林の豪邸に座した日本の文化人が「ブッシュがフセイン政権を攻撃したのはひとえにイラクの石油を狙ったからです」と水晶玉のご託宣を告げるような症候群は1981年初夏にももう存在した。

 

 最初に出たのは「ライシャワー氏はレーガン政権と共謀し、日本の核アレルギーをなくし、米国主導の軍拡に同調させるためにこの発言をしたのだ」という説だった。

 

 この説に従えば、私は米国の策謀にうまく利用された無知な記者となる。

 

 しかし現実にはレーガン政権はライシャワー氏にも私たちの報道にも怒っていた。

 

 それまでの接触では笑顔を絶やさなかった国防総省の日本担当の係官はたじろがされるほど険しい語気で私に告げたものだった。

 

 「この報道で私たちがどれほど損害をこうむったことか。せっかく軌道に乗りかけた日米防衛協力が大幅に後退です。できることなら、あなたをペンタゴン出入り禁止にしたいところです」

 

 時の国務長官アレグザンダー・ヘイグ氏がライシャワー氏を守秘義務違反で刑事訴追することを検討しているという米側の報道も流れた。

 

 そもそも民主党リベラルのライシャワー氏と共和党保守のレーガン政権との共謀ということは考えられなかった。

 

 そのうえに同氏自身、インタビューで私がなにを質問するか、なにも知らなかったのだ。

 

 米国政府は公式にはライシャワー発言の真偽については「ノーコメント」を通した。

 

 日本政府の立場や日米安保関係の保持を考えれば、ほかに対応の方法はなかったのだろう。

 

 ライシャワー氏の身近にいた元の弟子や部下たちには私を非難する向きもあった。

 

 ハーバード大学での弟子のエズラ・ボーゲル同大教授や大使時代の補佐官だったジョージ・パッカード氏(後に国際大学学長)は引退したばかりで、くつろいだライシャワー氏を私が巧妙に誘導し、問題発言をさせたとして批判を表明しているという話を聞いた。

 

 だが当のライシャワー氏が一貫して「古森記者のインタビューは公正だった」と述べてくれたことが救いだった。

 

 しかし日本の政府はライシャワー発言をみごとに否定した。

 

 時の鈴木善幸首相や園田直外相は「米軍の核兵器搭載艦の寄港や領海通過は日米の事前協議の対象となるが、米側からの協議の申し入れはないから、核の『持ち込み』(寄港・通過)はない」という趣旨を繰り返した。

 

 官房長官だった宮沢喜一氏にいたっては「ライシャワー氏は一市民であり、もう高齢だから」とまで語っていた。

 

 だが米国のメディアは一様にライシャワー発言が真実を明かしたという立場で報道していた。

 

 主要新聞は私たちの報道を事実として扱い、日本政府の対応を「外交上のフィクション」と断じていた。

 

 なかでも印象に残ったのは『アジア・ウィーク』というニュース週刊誌の特集記事の冒頭だった。

 

 日本側の態度を『戦艦大和ノ最期』の著者の吉田満氏が別の自書『戦中派の死生観』で述べた次のような言葉の引用で批判していたのだ。

 

 「第二次大戦に近づく日本に最も欠けていたのは、現実を直視し、自国をもっと幅広い視野でみる能力、そしてそうした方法で政策を作るという勇気だった」

 戦後の日本も同じだというのだ。

 

 この言葉は29年後のいま日米同盟を考えるにあたっても、なおずしりと重く迫ってくるようである。(ワシントン 古森義久)

 

[etoki]ライシャワー発言による核持ち込み問題をめぐり野党の追及を受けてむっつり顔の鈴木善幸首相(左)と園田直外相=参院連合審査[etoki]

 

[etoki]「日米間に了解はあった」と記者会見で認めるライシャワー元駐日米大使(UPIサン)[etoki]

 

                     =======

 

 いやはや、朝日新聞がこれほど露骨なゴマカシをするとは、驚きでした。

 

 日本の非核三原則の虚構を暴いたエドウィン・ライシャワー元駐日アメリカ大使の発言について、いまになって実に悪質で、手のこんだ虚偽の報道をしているのです。

 

 この「ライシャワー発言」報道の当事者として抗議をしたいと思います。

 

 朝日新聞2月17日朝刊に「インタビュー 日米同盟の見方」という長い記事が載りました。ニューヨーク駐在の朝日新聞の山中季広記者がライシャワー大使の補佐官だったジョージ・パッカード氏にインタビューした記事です。パッカード氏の近著『ライシャワー氏の昭和史』の内容に沿った記事でもあります。

 

 パッカード氏は最近、『ライシャワーの昭和史』という書を刊行しました。ちなみに私もパッカード氏とは長年、知己があり、今回の書の執筆の最終段階で同氏にランチに招かれて、「ライシャワー発言」の取材などについていろいろ質問されました。

 

 パッカード氏の著書にも明記されているように、ライシャワー氏は1981年5月9日、当時、毎日新聞記者だった私のインタビューでの質疑応答で、私の質問に答えて、「日本政府の『核持ち込ませず』という宣言にもかかわらず、米軍艦艇は核兵器搭載のまま日本の領海を通過し、日本の港に寄港してきた」と明かし、「日米政府間には『持ち込み(イントロダクション)』という言葉の解釈の違いをそのままにする秘密の合意があった」と述べました。

 

 日米密約の暴露であり、非核三原則の虚構の公表でした。毎日新聞はこの「ライシャワー核持ち込み発言」を81年5月18日朝刊で大々的に報道しました。この報道はスクープとなり、その年の日本新聞協会のニュース部門賞を受けました。

 

 当時、毎日新聞のこの報道を受けた日本の他のメディアはさっそくライシャワー氏にその件での取材を申し込み、同氏はそれを受けてアメリカでの5月18日にハーバード大学で記者会見を開きました。そしてその会見の場で、私に語ったこと、つまり毎日新聞の当初の報道と同じことを繰り返しました。つまり核持ち込みの虚構を確認したのです。

 

 ところが今回の朝日新聞の報道はこのライシャワー氏が古森とのインタビューで虚構を暴露した事実や、毎日新聞がその暴露を大々的に報道した事実、さらにはその毎日の報道を受けてこそライシャワー氏が記者会見を開いた事実など、すべて無視しているのです。無視というより、故意の隠蔽というほうが正確です。

 

 そしてこの朝日新聞の報道はライシャワー氏が日本の各メディアとの共同記者会見の場で、初めて核持ち込みの虚構を暴露した、と報じているのです。これはどうみても虚偽、虚構の報道です。

 

 朝日新聞のこの記事には手のこんだデザインの年表まで付いていますが、そのなかで「81年 ライシャワー氏『核密約』を暴露する記者会見」と記しています。同氏はこの会見では「暴露」はしていません。毎日新聞報道の「確認」をしただけなのです。

 

 朝日の今回の記事は本文ではパッカード氏への記者の質問として「81年に(ライシャワー氏は)会見で密約を公表した。なぜでしょう」とはっきり書いています。共同の記者会見で初めてライシャワー氏が密約を公表したとする「歴史の書き変え」、つまり虚偽記述です。

 

 同じ記事によると、この質問に対し、パッカード氏は「会見は私が設定しました」と答えています。明らかに毎日新聞報道を受けての共同記者会見のことを指しています。ちなみに私のライシャワー氏のインタビューの設定はすべて二人の間だけの連絡ですませ、他の誰も介入はしていませんでした。

 

 今回の朝日新聞の報道はライシャワー氏が毎日新聞記者だった私とのインタビューで暴露をした事実を抹殺し、その事実が共同記者会見で初めて明かされたとしているのです。虚報、捏造、デマなどと呼ばれても仕方ないでしょう。

 

 朝日新聞はまずライシャワー発言がどうなされたか、歴史的な事実関係を勝手に削除しています。日本新聞協会賞というのがその歴史的な事実関係の証拠の一つです。だから朝日新聞として毎日新聞の報道の実績を無視どころか抹殺したことになります。

 

 そのうえの今回の朝日報道の悪質さは、この記事の主題であるパッカード氏の著書『ライシャワーの昭和史』の記述自体をも歪曲、改竄していることにもあります。この書はライシャワー発言が当時、毎日新聞の記者だった古森義久によって引き出されたことを具体的、かつ詳しく書いているのです。

 

 同書に以下のような記述があります。

 

「ライシャワー自身の信義が広く問題視されることになる事件がもう一つあった。1981年5月初め、毎日新聞記者の古森義久が、米日同盟についての一連の報道のために、ハーバードでライシャワーにインタビューした(以下略)」

 

「古森が、核兵器の日本への『イントロダクション』(日本語でいう『持ち込み』)に関連して、ライシャワーの安保条約についての理解をあらためて質問すると、ライシャワーは、核兵器を積載した艦艇の日本の港への寄港は『イントロダクション』に当たらない、とはっきり答えた。さらに、この点については1960年に日本政府と口頭での了解があった、63年4月、大平外相とこの了解事項を再確認した、と述べた」

 

「古森が引き出したライシャワー発言(1981年5月18日の毎日新聞記事)は東京でセンセーションを巻き起こした」

 

「そのとき私(パッカード氏)はライシャワーと行動をともにしており、5月18日、ハーバード・イェンチン研究所でこの件について日本の記者に対する記者会見を手伝っていた」

 

 

 パッカード氏の著書は上記以上に詳しく古森記者と毎日新聞によるライシャワー発言報道の経緯を説明しています。

 

 同書の記述から5月18日の記者会見が毎日新聞の報道があったからこそ開かれ、その会見ではライシャワー氏は私に語ったことを繰り返したという事実も明白にされています。

 

 ですから朝日新聞の山中季広記者は同書での古森によるインタビューの詳しい事実関係を知りながら、そのすべてを抹殺して、ライシャワー氏が共同記者会見で初めて暴露をしたとする捏造を書いたことになります。

 

 朝日新聞はそもそもライシャワー氏の発言を支持し、日本政府の虚構やウソを非難しています。虚偽はよくない、というわけです。ところがその当事者自身が平然と、こんな虚偽の報道をするとは、責任者のコメントをいただきたいところです。

 

 それほどまでに古森がこのライシャワー発言を引き出したことを認めたくないのでしょうか。

 

                 

↑このページのトップヘ