2010年04月

日本の政治もついに何かが大きく変わってきたように感じます。

 

鳩山由紀夫首相のルーピーぶりは相変わらずですが、「終わりの始まり」がついに幕を開けたようです。

 

そんな鳩山首相の動向に関して、彼が5月4日に沖縄県を初めて訪問することになったという話が報じられました。

 

つまり鳩山氏は首相就任以来、初めて沖縄を訪れるというのです。ということは昨年9月に首相になってから沖縄を訪れたことはまったくないままにきているということです。

 

この話を最初に聞いたときは、信じられませんでした。普天間基地の移転問題で日米関係がこれほど揺れ動いているときに、首相がその普天間のある沖縄にはまったく足を向けない、というのです。

 

このへんでも鳩山由紀夫という人物のリーダー失格がよく証されています。沖縄の普天間にある米軍基地を同じ沖縄の辺野古に移すか否かをめぐって、いまや日米安保関係の全体が激しい摩擦を起こしているのです。その舞台となる沖縄を訪れ、現地の実情を見学し、当事者たちに直接、会って話を聞くことは民主主義で選ばれた政府のトップの最低限の責務ではないでしょうか。

 

その責務を鳩山首相は果たしていないのです。

 

重大な問題が起きれば、まずその実態をみる、というのは、人間社会での個人としてはもちろん指導者としての自明の責務であり、まずは本能的な対応でしょう。その責務も対応も鳩山由紀夫氏は9か月の間、まったく果たさないままにきたのです。

 

アメリカの政治家たちはこの数ヶ月の間に沖縄を視察しています。

 

80代の高齢のダニエル・イノウエ上院議員や、アジア問題を専門としているジム・ウェブ上院議員も日本を訪れ、東京にまず入った後は沖縄を訪問しました。しかし鳩山首相が行っていないのです。

世界銀行といえば、日本も第二の出資国として多額の公的資金を毎年、拠出しています。

 

その世界銀行が巨額な資金を中国の国内、国外の多様な活動に援助融資の形で投入しています。

 

その氷山の一角がニュースとなりました。

 

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世銀対中供与を批判 アフリカ戦略に1000万ドル 米専門家 


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 【ワシントン=古森義久】世界銀行は、アフリカのタンザニアに進出する中国国有企業への初めての直接投資1000万ドルの供与を発表した。
 中国はアフリカで戦略的な鉱物資源の獲得に動き、米欧諸国に懸念を生んでいるだけでなく、世界最大級の外貨保有を誇っているため、米国側では日米が出資する世銀資金の対中供与に批判が表明されている。

 世銀機関のひとつ「国際金融公社(IFC)」は23日、タンザニアで活動する中国国有企業の「中国鉄路工程総公司」の子会社に1000万ドルの直接投資を供することを発表した。

 

 この資金は同社がタンザニアの旧首都ダルエスサラーム中心部に建設する20階建てのオフィス・商店ビルに投入されるという。

 

 タンザニアは1960年代から中国との結びつきが強く、中国はタンザニアに鉄道を建設し、かわりに銅やニッケルなどの鉱物資源を獲得してきた。

 

 中国のこの種の資源獲得は軍事、戦略的な要因も大きく、米欧諸国に懸念を生んできた。

 

 米国はIFCへの最大の出資国として全体の25%近くを一国で負担している(第2位は日本で6%)が、中国のアフリカなどでの資源獲得の動きには批判的な目を向けてきた。世銀からのこの種の「投資」は一般の商業的な投資より条件がかなりよく、経済援助の性格が強い。

 

 今回の「投資」は世銀が中国のアフリカでの戦略的な活動に支援を与える結果となった。

 

 米国のクリントン、ブッシュ歴代政権で中国政策を担当してきたボブ・サター・ジョージタウン大学教授は今回の世銀の動きについて「世銀は中国に対しすでに年間15億ドルもの支援を供与している。中国は世界最大級の外貨保有国であり、外部からの『援助』を必要としないはずだ。タンザニアは中国の戦略的な動きを受け入れてきた国で、その国での中国の大手国有企業の活動援助に世銀が資金を出すことには問題が多すぎる」と論評した。

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 日米同盟を自分自身の体験を基に改めて考えるという趣旨の連載記事をいま書いています。

 

「体験的日米同盟考」というタイトルのシリーズです。

 

今回は前回に引き続き、ベトナム戦争報道の体験からアメリカの軍事行動や同盟国とのきずなについて考えるレポートを書きました。

 

日本側に当時あったベトナム戦争への誤解の指摘をも含めています。

 

【朝刊 国際】
【安保改定から半世紀 体験的日米同盟考】(9)北ベトナム爆撃での議論

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1972年4月、ドンハ北のソンミュージアン川にかかる国道1号線の橋は、米軍機の爆撃で炎上した(AP)

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筆者(古森)の乗艦から27年余りの歳月を経た1999年7月、米空母コンステレーションは米軍横須賀基地に入港し、一般に公開された。その4年後、同艦は42年間におよんだ任務を終え退役した

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 ■米軍空母は日本からきた

 眼下の大海原のはるか遠くに白く砕ける航跡がちらつき、その先に小さな黒い板のような艦影がみえた。

 

 米国海軍の最大空母コンステレーションだった。

 

 南ベトナム首都のタンソンニュット空港から米海軍の小型双発機で北へ3時間、熱帯の青空を飛んだ私たちはトンキン湾に出動中の空母の取材を認められたのだった。

 

 ガアーンという衝撃とともに鋼鉄の甲板に着艦した。

 

 8万トン以上の航空母艦は海上の巨大な城だった。

 

 この艦上からA6、A7という艦載攻撃機群が100キロほど離れた北ベトナムへの爆撃へと飛び立っていた。

 

 当時、日本でも非難のわいた米軍の北爆だった。

 

 1972年5月18日だった。

 

 米国のニクソン大統領は北ベトナム軍の南ベトナムへの大規模な攻撃に対抗して北の沿岸を機雷封鎖し、要衝のハノイやハイフォンへの空爆を実行していた。

 

 私はその北爆にあたる空母の取材を申し込み認められたのだ。

 

 米英仏の大手メディアの記者に私を加えた6人が招かれていた。

 

 広大な飛行甲板から何層もの艦内を案内され、最上層の艦橋では艦長のワード大佐から海図を使っての作戦全体の説明を受けた。

 

 目前の無線受信スピーカーからはソ連の情報収集艦が密着していることや、その日の米軍飛行中隊司令官機がベトナム側の対空砲火で撃墜され、海上に脱出したパイロットがヘリで救助されたことが伝えられるのにびっくりした。

 

 やがて遠方の空に黒い粒のような機影が見え、ぐんぐんと接近してきた。

 

 爆撃任務を終えた編隊の帰投だった。

 

 合計20機ほどが甲板を激しくたたくように次々と着艦した。

 

 帰ったばかりのパイロットたちに直接、話を聞けることとなった。

 

 まだ汗ぐっしょりの飛行服のままインタビューに応じた3人のパイロットはみな20代後半にみえる精悍(せいかん)な青年たちだった。

 

 ジャンカー、ガレス、ポール各海軍大尉だと自己紹介した。

 

 ジャンカー大尉がまず笑顔で語った。

 

 「私たちの爆撃が非難の的となっていることはよく知っています。だからこそ世界各国のジャーナリストに自分らの意見を聞いてもらえるのはありがたいです」

 

 当時、北爆には米国内でも、国際的にも反対の声が強かった。

 

 超大国がアジアの小国に大量の爆弾を落とすことの正当化は難しかった。

 

 だが米軍の北爆任務はみな志願制だった。

 

 記者側からは当然、なぜ志願したかという問いが出る。

 

 ジャンカー大尉がすぐに答えた。

 

 「北ベトナムの侵略から南を救うことは道義的にも正しいと信じるからです。北爆をしなければ、南ベトナムの敗北は必至です」

 

 ガレス大尉が言葉を継ぐ。

 

 「北ベトナム軍の攻撃で無残に破壊された南の村落をみて、その攻撃を持続するために南下する北ベトナムの軍隊をみて、この流れを断つために北爆は意義があると感じました」

 

 ポール大尉も語った。

 

「人を殺し、物を破壊するのはいやなことです。だがわれわれの爆撃は軍事関連目標にはっきり限定されています」

 

 記者団の先鋒(せんぽう)はニューヨーク・タイムズのシドニー・シャンバーグ記者だった。

 

 後にカンボジアのポル・ポト派の大虐殺を「キリング・フィールド」として詳しく報じた人物である。

 

 彼が米国のベトナム介入反対の立場から遠慮のない質問を浴びせていった。

 

 南ベトナム政権は米国人が命をかけてまで守る価値があるのか。

 

 そもそも北爆の軍事的効果は確かなのか。

 

 ジャンカー大尉がすぐに反論した。

 

 「米国民の多くはマスコミのためにベトナムの実態を誤解しています。マスコミは反戦運動で40人の学生が大学の建物を占拠しても大きく報じるが、北軍の砲撃で5千人の南ベトナム住民が殺傷されても無視することが多いのです」

 

 私はこのとき米国のシステムの開放ぶりを実感した。

 

 命をかけた任務から帰った米国軍人に同じ米国の民間人が「あなたのしてきたことは間違いだ」と断じ、そこから自由な議論が始まるのである。

 

 米国の軍事行動はこのような民間からの意見に動かされうるという基本だった。

 

 この点はその後、日米同盟を考えるうえでも大きな指針となった。

 

 そしてこの空母コンステレーションは日本の横須賀から5日をかけ、トンキン湾へとやってきたことを知らされた。

 

(ワシントン駐在編集特別委員 古森義久)

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[etoki]1972年4月、ドンハ北のソンミュージアン川にかかる国道1号線の橋は、米軍機の爆撃で炎上した(AP)[etoki]

 

[etoki]筆者(古森)の乗艦から27年余りの歳月を経た1999年7月、米空母コンステレーションは米軍横須賀基地に入港し、一般に公開された。その4年後、同艦は42年間におよんだ任務を終え退役した[etoki]

 

 オバマ大統領が唱える「核なき世界」はすばらしい理想であっても、現実の世界ではきわめて支持が少ないことがワシントンで明らかになっています。

 

 アメリカの核抑止力で国の安全を守られながら、他方で核兵器廃絶に賛成するわが日本にとっても看過できない現実です。

 

 その現実を以下の記事で報じました。

 

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「核なき世界」 米政権でも賛同者は少数 共和党は猛反発/同盟国に不安感


 

 【ワシントン=古森義久】オバマ米大統領は「核なき世界」の大目標の下に核安全保障サミットを終え、核拡散防止条約(NPT)の強化へと進む意図を強調しているが、当の米国ではなお同大統領の大構想の実現への熱い賛同が内外でほとんど表明されていないことが指摘されている。

 19日付のワシントン・ポストは「オバマ氏は核廃絶の野心への支援を得ていない」と題する記事で「オバマ氏の『核なき世界』への動きに従う人たちは存在するのか」という疑問を提起した。

 

 同記事はその答えとして「米国議会は分裂しており、国民は経済など他の問題に関心を奪われている」と報じた。

 

 核安保サミット後の同紙の世論調査では、同サミットがまとめた軍事転用可能なプルトニウムの安全管理の任意の措置について「あまり信用できない」と答えた人が56%に達した。

 

 オバマ大統領の核廃絶政策への反応については民主党系の主要研究機関「カーネギー国際平和財団」が最近、発表した報告で同様に米国内外での積極的な支援が少ないことを指摘した。

 

 同報告は

 

 (1)オバマ大統領の核廃絶の呼びかけは、政権内部の閣僚や議会の与党民主党指導層の明確な関心の表明も得ていない

 

 (2)核保有国のロシア、中国、フランス、イスラエル、インド、北朝鮮などは核廃絶への具体的措置には難色を示している

 

 (3)非核諸国の間でもその種の措置に消極的な抵抗を示す国が多い

 

 (4)欧州やアジアの同盟諸国も今後の核関連の脅威への抑止をどうするかに関しての不安を表明している

 

 (5)核廃絶には国際的に諸国間の政治・安保関係の根本的な改善も並行して行わなければならない

 

 ――という諸点を強調した。

 

 実際にオバマ政権内でもロバート・ゲーツ国防長官やマイク・マレン米軍統合参謀本部議長は核安保サミット前後にも米国の核兵器の重要性を力説する言明を続け、核廃絶に直接にはほとんど言及していない。

 

 政権外となると、共和党側の有力者たちはオバマ大統領の「核なき世界」構想を、核抑止を不安定にする危険な政策として正面から反対する。

 

 共和党のニュート・ギングリッチ元下院議長は今回の核安保サミットを「みせかけだけのショーだ」と断じ、大統領の核廃絶などの一連の演説を「1920年代にジュネーブで実施された無意味な軍縮を想起させる」と酷評した。

 

 保守系のコラムニストのチャールズ・クラウトハマー氏も「オバマ大統領の核廃絶に関する実効措置の対象には、いまの世界が核拡散防止では最優先するべき相手のイランとパキスタンの両国が含まれていない」と述べ、民主党主導の核拡散防止への根本的な不信を表明した。

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私の新著の改めての紹介です。

 

 

内容紹介

日米安保条約は、日本の平和と繁栄を、半世紀にわたって担ってきた。
ところが鳩山新政権が誕生して半年あまり、同盟に大きな疑問符が突きつけられている。
民主党首脳は「日米中関係は正三角形」と述べ、核抑止保持の密約を白日の下にさらし、普天間基地の移転合意を撤回する。
一方、鳩山首相のはじめての日米首脳会談はわずか二十五分、米国メディアの関心は低く、
米議会での扱われ方からも、明らかな日本軽視が見られる。
足並みの乱れが限度を超えたとき、「アメリカが日本を捨てる」という選択肢だけが残される――。

第1章 鳩山政権のアメリカ離れ
第2章 日本を軽視するオバマ政権
第3章 日米同盟の行方
第4章 核抑止と核廃絶
第5章 中国の軍拡と日米同盟
第6章 米中関係のうねり
 

内容(「BOOK」データベースより)

日米安保条約は、日本の平和と繁栄を、半世紀にわたって担ってきた。ところが鳩山新政権が誕生して半年あまり、同盟に大きな疑問符が突きつけられている。民主党首脳は「日米中関係は正三角形」と述べ、核抑止保持の密約を白日の下にさらし、普天間基地の移転合意を撤回する。一方、鳩山首相の初めての日米首脳会談はわずか二十五分、米国メディアの関心は低く、米議会での扱われ方にも明らかな日本軽視が見られる。足並みの乱れが限度を超えたとき、「アメリカが日本を捨てる」という選択肢だけが残される―。

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