2010年04月

 ベトナム戦争といえば、すっかり昔の話となりましたが、日米同盟を考えるうえでは、なおその教訓は生きています。

 

 日本からみたアメリカ観、世界観、さらには中国観が現地の実情とは大きく異なっている場合があることの例証となります。

 

 ベトナム戦争の本質や現実に関して、当時の日本のおおかたのマスコミやいわゆる知識人たちの認識には大きなミスや欠陥があったからです。

 

 この種のミスや欠陥は現在の日本での安全保障をめぐる考察や主張にも通じてきます。

 

 そのへんに焦点をしぼりながら、私自身のベトナム戦争報道の体験を書き始めました。

 

 日米同盟を考えるための連載の一部です。

 

 

【安保改定から半世紀 体験的日米同盟考】(8)ベトナム戦争と米国


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国道1号線をクアンチ奪回を目指して進む南ベトナム軍の兵士=1972年(AP)

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1972年5月、北ベトナムの港に機雷を敷設し封鎖するよう命じるニクソン大統領(AP)

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 ■古都の住民は米側へ逃げた

 「なにかが大きく間違っている?」

 

 ベトナム戦争の本質について初めてはっきりと疑問を感じたのは、古都フエでの住民のなだれのような脱出を目前にみたときだった。

 

 あらゆる車に家財道具を満載した老若男女が南へ、南へと逃げていく。自分自身の日本での理解と現地での実態との断層を突きつけられた初体験だった。

 

 なにしろ「解放勢力」と呼ばれる側の軍隊が、米国に支援された腐敗と弾圧の政権から住民を解き放つために進撃してくるというのに、当の住民たちは必死で米国の側へと逃げるのである。

 

 1972年5月冒頭、私がベトナム戦争の報道を開始してまだ10日ほどだった。

 

 この戦争についての理解は日米同盟への認識にも通じていた。

 

 東京で「ベトナム反戦」や「日米安保粉砕」を叫ぶ一連のデモを報道し、羽田空港で「佐藤訪米阻止」行動の結末をみた私は2年半後、ベトナムに住むようになった。

 

 ベトナム共和国という国名の当時の南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン市)に駐在する特派員となったのだった。

 

 ベトナム戦争はちょうどそのころまた激しく燃え上がっていた。

 

 72年3月末、北ベトナム(当時のベトナム民主共和国)の大部隊が南北を分ける非武装地帯の北緯17度線を越え、怒濤(どとう)のように南ベトナム領内への進撃を開始した。

 

 南領内の中部高原のコンツム市にも、サイゴン北方カンボジア国境沿いのアンロク市にも、南ベトナム民族解放戦線軍をも含む北軍の激しい攻撃がかけられた。

 

 72年春季大攻勢だった。

 

 米軍が直接、公式に介入を始めた65年以来、最大規模の北ベトナムによる攻撃である。

 

 ベトナムの血みどろの戦闘光景を初めてアメリカの居間に持ち込んだとされた68年のテト攻勢のスケールをはるかに上回っていた。

 

 ただし米国はニクソン大統領がすでに米軍撤退の基本を決めていた。

 

 最大50万にも達した南ベトナム駐留の米軍は約10万にまで減っていた。

 

 地上戦闘部隊はもうゼロに近かった。

 

 ただし米軍機はタイ領内の空軍基地や南シナ海の第7艦隊から連日、南ベトナム軍支援の爆撃を続けていた。

 

 私のベトナム戦争認識は浅薄だった。

 

 日本での新聞報道をなんとなく事実として受け入れていた。

 

 「ベトナムで戦争が続くのは米国の軍事介入とその手先の政権のためであり、南ベトナム国民はみな米軍を敵視し、『解放勢力』を支持している」というのが日本での大多数の認識だった。

 

 日米同盟への姿勢もこのベトナム戦争観に支えられる部分が大きかった。

 

 「米軍はベトナムを侵略している。日本は日米安保条約に基づき、その米軍に後方基地を提供し、ベトナム侵略を支援している。そんな悪への加担を生み出す日米安保、日米同盟は排すべきだ」

 

 ベトナム反戦から日米同盟反対へとつながる理屈の回路はこんなふうだった。

 

 だがまず北ベトナム軍が南ベトナム領内に攻め込むという現地の実態が「米軍対ベトナム人民」という日本での戦争構図を崩していた。

 

 北ベトナム軍は南ベトナム北端のクアンチ省都を攻め、南ベトナム軍を撃破した。

 

 王朝が居を長く置いたフエはそのすぐ南東にある。

 

 北軍は南下の動きをみせ、南ベトナム第2の都市でもあるフエに危機が迫っていた。

 

 新任特派員の私が早速現地に飛ぶことになった。

 

 人口30万ほどとされたフエでは明らかにもう住民の半分以上が南に向けて避難していた。

 

 市内はからっぽの商店や住宅が目立ち、周辺の主要道路はパニックに陥ったようにオートバイから自転車まで動員して逃げ出す住民たちに満ちていた。

 

 サイゴンから同行してくれた女性通訳を通じて、多くの人たちに話を聞いた。

 

 北ベトナム軍を恐れ、憎む言葉が多いことに驚いた。

 

 美しい風景のフオン川のほとりに座っていた高齢の女性に話しかけると、避難をあきらめたという彼女はぽつりと語った。

 

 「ベトナム人がフランス人と戦った戦争はまだ理解できましたが、ベトナム人同士が戦うことはなんとも悲しいです」

 

 こんな言葉も私の内部の戦争の構図を激しく揺さぶったのだった。

 

(ワシントン駐在編集特別委員 古森義久)

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 アメリカ議会の日米関係についての公聴会が催されました。

 

 民主、共和両党側からの意見が出ました。

 

 やはり鳩山政権の普天間問題での優柔不断への不満や懸念がさまざまな形で表明されました。

 

 その公聴会について報じた記事を紹介します。

 

 

普天間めぐり不満噴出 米公聴会「安保に政治侵入」


 

 【ワシントン=古森義久】米国上院外交委員会の東アジア太平洋問題小委員会(ジム・ウェブ小委員長)が15日、開いた日米関係の公聴会で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の移設問題が日米関係全体に悪影響を及ぼすという懸念が表明され、鳩山政権への不満もぶつけられた。

 議長役の民主党ウェブ議員は冒頭、米国の東アジア安全保障政策全体にとって日本との同盟が決定的に重要だと強調し、普天間飛行場移設とそれに伴う在沖縄海兵隊のグアム移転が「東アジア地域全体の安定を保つことに必要」と述べ、日米合意の実行への期待を明らかにした。

 

 共和党側筆頭委員のジム・インホフ議員は公聴会には出なかったが、声明を発表し、日本の民主党の対応は「日米安保条約上の誓約の不履行であり、政策ではなく選挙目当ての政治上の便宜に動かされた『安全保障への政治の侵入』だ」と批判的なスタンスを明確にした。

 

 証人として登場した米日財団理事長のジョージ・パッカード氏は「日米安保関係はいま決定的な曲がり角にきており、同盟の包括的な再検討が必要だ」とし、普天間問題もその背景で考慮されるべきだと述べた。

 

 日本経済専門のジャーナリストのリチャード・キャッツ氏は「普天間問題で日米間の摩擦が続くと、経済その他の分野に悪影響が及ぶことを懸念する」と証言し、早期解決を訴えた。

 

 日本政治研究学者のマイケル・オースリン氏は「東アジアでは中国が関与する領土紛争や北朝鮮の動きなど不安定要因が多く、日米同盟はそれに対応するアジア全体の安定要因となり、普天間問題もその一環として考えねばならない」と証言し、普天間移設が日米合意どおりに解決されることへの期待をにじませた。

 

オバマ政権の高官たちが鳩山由紀夫首相に対し、心からの軽蔑を感じている、という話をホワイトハウス周辺の人たちから聞いていましたが、その種の批判が4月14日付のワシントン・ポストに

掲載されました。

 

この記事は「オバマ政権の高官たちの意見では、ハトヤマはますますバカな」というのです。「バカな」に相当する原文の英語はloopy  です。

 

loopy とは英和辞典によると、「狂気の」「ばかな」「湾曲した」などという日本語に訳されています。一国の首相、しかも同盟国の政府のトップを指して使うにはまったく前例のない、どぎつい言葉です。

 

この記事で重要な点は、鳩山首相を「バカ」と評するのは記事の筆者ではなく、オバマ政権の高官たちだとされていることです。

記事はオバマ政権の鳩山評を報じたということなのです。

 

しかもこの記事では今回の核安全保障サミットでワシントンを訪れた各国の首脳、政府代表のなかで、わが鳩山首相が「最大の敗者」だったとされています。ちなみに「最大の勝者」は中国の胡錦濤国家主席だそうです。

 

鳩山首相はこの記事ではオバマ政権高官たちから「信用できない」と断じられたとも書かれています。

 

この記事は一般の基準からすれば、日本の首相へのののしりだといえます。その意味では藤崎一郎駐米大使が15日の日本人記者との会見で、「一国の首相に対して失礼な表現」と述べたことも、自然ではあります。

 

しかし問題は鳩山首相が日本の唯一の同盟国の政権当事者たちに、ここまでひどい印象を植え付けたという現実です。日本の側でも鳩山首相の言動に対しオバマ政権の高官の「バカな」という描写よりもずっと激しい形容語を使って批判する向きは多々あります。

 

以下にまずワシントン・ポストの同記事の鳩山首相に関する部分の訳を載せましょう。なお記事はアル・キャメン記者によって書かれました。

 

記事全体は核安全保障サミットに出席した各国リーダーについて書かれた長文のコラムです。そのなかで鳩山首相は「最大の敗者」とされ、以下の記述を与えられました。

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「この壮大な行事(核サミット)での群を抜いての最大の敗者は、あわれなほど不運で、オバマ政権の高官たちの意見によると、ますますバカな日本の首相、鳩山由紀夫だった。

 

 鳩山はオバマ大統領との一対一の会談を求めたそうだが、その機会を与えられなかった。

 

 唯一のなぐさめとなるご褒美は、12日の夜の実務夕食会の最中に得た(オバマ氏との)『非公式な』会談だった。たぶんメインコースとデザートの間の話し合いだったのだろう。

 

 大金持ちの息子の鳩山は沖縄の米海兵隊飛行基地の将来という日米両国をいま離反させている重要問題に関して、オバマ政権の高官たちに、信用できないという印象をすっかり与えてしまった。

 

 鳩山はオバマに対しこの問題を解決することを二度も約束した。日米間の長年の合意によれば、普天間基地は沖縄のより孤立した地域に移転することになっている(現在は人口8万以上の都市の真ん中に位置している)。

 

 しかし鳩山の政党である日本の民主党はこの日米合意を再検討し、合意とは異なる計画を提示したいと言明した。五月までにはそうするというのだが、これまでのところ、こちらにはなにも伝わってこない。

 

 おい、ユキオ、キミたちはアメリカの同盟国のはずだということを覚えているかね? 高価なアメリカの核のカサでキミたちの巨額の経費を節約してあげたこと、そしてアメリカ側はなおトヨタの自動車などを買っているということを、わかっているのか?

 

 ところでこの核サミットで誰が鳩山にいくらかの愛想を示しただろうか。胡錦濤だったのだ。そうだ、胡は12日に日本の鳩山首相と非公式に会談してあげたのだ」

 

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以上が訳です。

 

以下はワシントン・ポストのそのコラム記事の原文です。

コラムの冒頭から鳩山首相への言及部分の終わりまでを転載しました。

 

 

Among leaders at summit, Hu's first

By Al Kamen
Wednesday, April 14, 2010; A17

 

After all the chatter about nukes, loose and otherwise, 36 heads of state are heading home from Washington to tout their world leadership chops and their influence with the Obama administration.

The winners at this week's nuclear summit were easily identified: They were the ones who got bilats with President Obama -- not a bodybuilding term, it stands for bilateral, or one-on-one, chat -- showing their prestige and importance. Chinese President Hu Jintao obviously heads the list, having chatted with Obama for 90 minutes. (And what is with this bowing business? [See photo below.] Okay, so Obama's a natural bower. And Hu owns the U.S. economy. But really.)

The other winners include King Abdullah II of Jordan, Prime Minister Najib Razak of Malaysia, President Viktor Yanukovich of Ukraine and President Serzh Sargsian of Armenia, all of whom got a private meet, as did acting Nigerian President Goodluck Jonathan, here because the elected president is gravely ill, who got a meeting with Obama on Sunday.

Included in the winner group is Ahmed Aboul Gheit of Egypt, who is not really a world leader but only a foreign minister.

 

(ここからが鳩山首相についての記述です)

By far the biggest loser of the extravaganza was the hapless and (in the opinion of some Obama administration officials) increasingly loopy Japanese Prime Minister Yukio Hatoyama. He reportedly requested but got no bilat. The only consolation prize was that he got an "unofficial" meeting during Monday night's working dinner. Maybe somewhere between the main course and dessert?

 

A rich man's son, Hatoyama has impressed Obama administration officials with his unreliability on a major issue dividing Japan and the United States: the future of a Marine Corps air station in Okinawa. Hatoyama promised Obama twice that he'd solve the issue. According to a long-standing agreement with Japan, the Futenma air base is supposed to be moved to an isolated part of Okinawa. (It now sits in the middle of a city of more than 80,000.)

But Hatoyama's party, the Democratic Party of Japan, said it wanted to reexamine the agreement and to propose a different plan. It is supposed to do that by May. So far, nothing has come in over the transom. Uh, Yukio, you're supposed to be an ally, remember? Saved you countless billions with that expensive U.S. nuclear umbrella? Still buy Toyotas and such?

Meanwhile, who did give Hatoyama some love at the nuclear summit? Hu did. Yes, China's president met privately with the Japanese prime minister on Monday.

 

(以下、略)

 

Research editor Alice Crites contributed to this column.

 

私の以下の新刊書のタイトルがなにやら示唆的なので、載せました。

 

アメリカが日本を捨てるとき

 

 

 ワシントンでの核安全保障サミットが終わりました。

 

 核兵器をテロリストに取得させてはならないというのが主題でした。

 

 これまでもブッシュ前政権がさんざん注意を喚起し、実際の具体的な措置をとってきたテーマです。

 

 ただしこんどの会議を主催したオバマ大統領は「核兵器の廃絶」という壮大な目的を打ち上げたうえでの核兵器拡散防止を強調しています。

                       

 

 

 このオバマ大統領の姿勢は重大な欠陥や危険をはらんでいます。矛盾もあります。

 

 そうした現実に光を当てる記事を書きました。

            

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核サミット声明 不拡散へ拘束力なし 北・イラン開発に無力 課題も露呈


 

 核安保サミットはテロ勢力の核兵器取得を防ぐ諸措置の国際的推進を打ち出して閉幕したが、なおそれら措置の実効や基盤となる核拡散防止条約(NPT)体制の機能に関しては未解決の難関が多々、そびえていることをも印象づけた。
 オバマ大統領の総括記者会見での一連の質問が、期せずして今回の野心的な会議の欠陥や未解決の課題に光を当てた。
 最初の質問は今回の合意はすべて任意であり、拘束力がない点を指摘したが、大統領も率直に「すべての国際合意は署名者の善意に依存するほかない」と同意した。
 この大統領の態度は米国政府高官が背景説明で「核物質の安全管理は基本的に個々の主権国家の責任だ」と述べた認識と合致する。

 テロ勢力への核拡散防止では米国は、米中枢同時テロ(9・11)以来、ブッシュ前政権下ですでに具体的な国際措置の数々を推進してきた。

 

 疑惑の船舶を半強制的に点検する「大量破壊兵器拡散防止構想」(PSI)や、テロ組織への核流出を阻む国連安保理決議1540号がその実例だが、オバマ大統領が今サミットを開いたのは、従前の措置を不十分だとする認識からだろう。

 

 どの措置にも共通するのは拘束力不足による実効の不確実性である。

 

 第2には、サミットは北朝鮮やイランという無法性の強い国家の核武装阻止の難しさを印象づけた。

 

 現在の世界で最も切迫した課題といえる北朝鮮とイランの動きに対し、サミットは多様な角度から言及したが、総括として無力さが浮き上がった。

 

 両国の核開発は核テロへの対応という主題からは少し離れた課題ではあったが、核拡散防止の核心である。

 

 第3には、サミットはオバマ大統領が最大に依拠するNPT体制固有のジレンマを照らし出した。

 

 NPTは核兵器の保有国と非保有国との天と地ほどの差を恒久化することが基幹だが、最初からNPTに背を向け核武装を達成したインドやパキスタンが正式の「核保有国」として優遇され、新たな核軍拡をも黙認されてしまうという矛盾が露呈した。

 

 ニューヨーク・タイムズは今回のサミットが「パキスタンとインドの核武装競争の激化という新しい脅威を議題から外している」と批判的に報道した。

 

 第4は、オバマ大統領の主唱する「核なき世界」への他の核保有国の実効ある同調がみられない点である。

 

 大統領はサミットでも究極の目標が全世界での核兵器廃絶であることを何度も指摘した。

 

 同時にどこかの国や組織が核兵器を保有する限り、米国も核を放棄しないと宣言してきた。

 

 だから他の保有国の動きが決定的となるが、中国、イギリス、フランス、ロシアは単なる言辞を超えて実行への意図を証する核廃絶への動きはみせず、むしろ自国の最終防衛のためには核抑止力をあくまで保持するという姿勢を変えていない。

 

 この点、米国民主党系のシンクタンク「カーネギー国際平和財団」が最近の報告書で、オバマ大統領の核廃絶への動きを「激戦で敵の抵抗線をやっと突破したら後に続く味方が誰もいなかった司令官になりかねない」と評したのが象徴的だった。

 

 要は理想と現実の落差ということだろう。

 

(ワシントン 古森義久)

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 胡錦濤国家主席がオバマ大統領に対し、イラン制裁に関して協調的な言明をしたのは、なぜなのか。

 

 そのへんの「中国の譲歩」の背景や理由について記事を書きました。

 

 もっとも中国側はイランへの追加制裁についても、協調の姿勢をみせながら、いざ具体的になにをするかとなると、うまく逃げています。つまり実際にはなにもしない可能性もあるのです。

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米中首脳会談 中国譲歩、対米協調へ転換 全面対決避け「実利」


 

 【ワシントン=古森義久】12日の米中首脳会談はこのところ対立をあらわにしていた両国の歩み寄りを強く印象づけた。
 この米中再協調の背景には両国のそれぞれの実利を踏まえての柔軟な動きがあるが、中国側の譲歩がより大きいといえるようだ。

                   ◇

 中国の胡錦濤国家主席は同会談でイランへの追加制裁への協力を明示した。

 

 米国が、核兵器開発のためとみられるイランのウラン濃縮作業を阻もうと国際的追加制裁を国連主体に進めてきたのに対し、中国は一貫して消極姿勢をみせ、とくに米国が台湾への武器売却を発表した1月末以降ははっきり拒否の態度をとってきた。

 

 国連で拒否権を持つ安保理常任理事国の中国の拒否は絶対の重みを発揮した。

 

                   ◇

 ■台湾・チベット問題 メンツ失わず

 

 中国側では米国の台湾への武器売却に対し、両国の軍首脳交流をただちに打ち切るほか、台湾に武器を売る米国企業に制裁を科すことや、中国が保有する米国債を大量に売ることが「報復」として語られた。

 

                   ◇

 その後、中国が「分裂主義者」と断ずるチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世がワシントンに招かれ、オバマ米大統領と会談し、さらに米国のインターネット大手のグーグル社が中国当局の検閲に抗議して中国本土撤退へと動くにつれ、中国側の対米姿勢はさらに硬化した。

 

 胡主席が今回の核安全保障サミットには出席しないという見通しまでが中国側では非公式に述べられた。

 

 しかし米国側は、台湾への武器売却は中国の軍拡に対する台湾の防衛能力向上という「台湾関係法」での責務であり、ダライ・ラマ受け入れも宗教の自由や人権の尊重という米側の基本的価値観の順守の範疇(はんちゅう)だとする基本線をゆるがせにしなかった。

 

 とはいえ中国との全面的な対立は、イランや北朝鮮の核問題など目前の課題の解決を難しくするという判断から、オバマ政権は3月はじめスタインバーグ国務副長官らを中国に送り、同政権が「一つの中国」や「台湾、チベットの独立への反対」という基本政策を不変とする立場を再言明するなど、オリーブの枝を差し出した。

 

 中国はこれに応じる形で、イランへの追加制裁の許容や胡主席の核安保サミット参加という方針を米側に伝えるようになった。

 

 オバマ政権はさらにそうした譲歩を助長するように、4月15日に予定していた「為替操作国の発表」を延期することを決めた。

 

                   ◇

 こうした微妙なやりとりについて、戦略国際研究センター(CSIS)の中国研究学者、ボニー・グレーザー氏は「米国政府側は中国がメンツを失わないで対米協調態勢を再び組みたいと望んでいることを察知して、巧みに動き、中国側もそれに応じ、より大きな譲歩をする結果となった」と論評した。

 

 米中関係の動向に詳しいワシントン・ポストのジョン・ポンフレット記者も、最近の両国間の再接近を追った長文の記事で「中国がより多くの譲歩をした」と報じた。

 

 だがこの米中再協調の構図も両国の当面の利害関係の産物であり、米側では中国の一党独裁や大軍拡への反発は水面下でゆるがせにしていない。

 

 そんな米国に対し中国がより多くの譲歩をしたという今回の展開は、中国側がまだまだ米国との全面的対決を避けたいとする基本姿勢をまた露呈させたのだといえよう。

 

                   ◇

 ■米中関係をめぐる最近の動き

2009年 1月 オバマ大統領就任

      4月 オバマ大統領と胡錦濤国家主席がロンドンで初会談

     11月 オバマ大統領が初訪中、米中共同声明を発表

2010年 1月12日 米グーグルが中国からの撤退検討を表明

1月29日 米政府が台湾への武器輸出方針を発表

1月30日 中国が米中両国の軍の相互訪問一時停止を表明

2月18日 オバマ大統領がダライ・ラマ14世と会談

3月22日 グーグルが検索事業で中国本土から撤退

4月 1日 オバマ大統領と胡主席が電話会談

4月12日 ワシントンで米中首脳会談を実施

                   ◇

【用語解説】イラン核問題

 2002年8月、イランが国際原子力機関(IAEA)に申告せず核開発を進めている実態を反体制派が暴露。国際社会の圧力を受け、いったんはウラン濃縮活動を停止したが、アフマディネジャド大統領が濃縮活動を06年2月に再開した。国連安全保障理事会は原発建設支援などを提案し活動停止を促したがイラン側は拒否。その後、安保理は3度にわたり制裁決議を採択した。イランは今年2月、濃度約20%のウラン製造を開始するなど核開発を拡大。安保理常任理事国などが追加制裁を協議している。

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なお中国の実態については以下の拙著を改めて紹介します。

    アメリカでさえ恐れる中国の脅威! ―「米議会調査機関」の核心レポート           

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