2010年05月

 5月15日は沖縄返還の記念日でした。

 

 沖縄が実際に日本へと返還された1972年5月15日、ベトナムでは激しい戦闘が繰り広げられていました。米軍はもう地上戦闘部隊こそ引き揚げていましたが、空からとか、海からの南ベトナム軍への支援は続けていました。

 

 その支援の一つが南ベトナム北端のクアンチ省での米海兵隊ヘリによる南軍将兵の空輸でした。

 

 しかし沖縄を返された日本ではこの米軍が南ベトナム軍を支援する作業を正面から阻止しようとする動きも起きていました。

 

 こうした歴史は日米同盟や沖縄を歴史的な俯瞰から考える材料となるでしょう。当時、ベトナムの現地にいた記者としての報告です。

 

【安保改定から半世紀 体験的日米同盟考】(11)ベトナム戦争と日本の拠点


 

 ■南軍用戦車の輸送阻止

 ベトナム戦争への日本のかかわりは間接的とはいえ、深く密だった。

 

 沖縄は米軍のベトナムでの軍事作戦の後方の大拠点だったが、1972年5月15日に米国の統治から日本に返された。

 

 北ベトナム軍が大部隊を南下させ、72年春季大攻勢と呼ばれた大規模攻撃を繰り広げる最中だった。

 

 私が南ベトナムに特派員として赴任してほんの3週間ほどでもあった。

 

 沖縄は日本領としてなおベトナム戦争への関与を続けることとなる。

 

 しかし米国は事前に決めていたこととはいえ、熾烈(しれつ)をきわめるベトナムでの戦闘でなお超重要な後方拠点のままの沖縄の主権をよく手放したものである。

 

 沖縄から発進してきた米軍のヘリコプター空母「オキナワ」は沖縄返還の2日前から南ベトナム北端のクアンチ省での軍事作戦に加わった。

 

 北ベトナム軍に制圧された同省の奪回を図る南ベトナム軍部隊を20機ほどの米軍ヘリで空輸したのだ。

 

 そのヘリを操縦するのは沖縄駐留の海兵第3師団の将兵だった。

 

 まさにいま論議を呼ぶ普天間飛行場の海兵隊ヘリ部隊の先人である。

 

 だが日本にとって歴史的な出来事である沖縄返還もベトナムではふしぎなほど話題にならなかった。

 

 日ごろの戦況報告会見で顔を合わせる米軍将校たちもまず言及することがなかった。

 

 拍子抜けするほどだった。

 

 激しい戦闘に直面すれば、後方拠点の行政変更を気にするゆとりはないということだろう。

 

 だが日本が話題になるのはその年の夏、神奈川県で起きた米軍戦車阻止という出来事だった。

 

 ベトナム戦争での「ゲリラが米軍を撃破する」という話はもはや神話だった。

 

 72年春の北ベトナム軍の大攻勢は大砲や戦車を多数、繰り出しての師団規模の正規戦だった。

 

 とくに戦車の活躍がめざましかった。

 

 北部のクアンチ、中部のコンツム、そして首都サイゴン(現ホーチミン市)北方のアンロクなどという戦場では北ベトナム軍はソ連製のT54戦車をふんだんに登場させてきた。

 

 「クアンチ省南部での戦闘でこちらはM41戦車4台で布陣していたところ、北ベトナム軍はT54戦車9台でどっと攻撃をかけてきました。もともとこちらは1台同士でもまったく圧倒されるので、すぐに空爆支援を要請しながら退却しました」

 

 当時、南ベトナム軍の中尉からこんな苦情を聞いたことがある。

 

 T54はソ連が1950年代に本格開発し、主力の戦車としたのに対し、M41は米軍が1940年代に開発した旧式だった。

 

 だから相手にならないのだ。

 

 72年春季大攻勢当初、南軍にはM41が約400台あったが、T54にあいついで撃破されていた。

 

 南軍は1ランク上のM48戦車も10台ほど米軍から供与されていて、急速にもっと多くが必要となった。

 

 そこで日本からC5Aという超大型の輸送機でM48が緊急に運ばれた。

 

 同時に戦場で壊れたM48が修理のために日本へ送られるようになった。

 

 このM48戦車を受け入れたのが神奈川県の相模原市にあった米軍相模補給廠(しょう)だった。

 

 日本の当時の社会党や労組などの反日米同盟勢力は、この米軍相模補給廠からベトナムへ空路、海路で運ばれるM48戦車の動きを阻もうとした。

 

 当時の横浜市長の飛鳥田一雄氏までが参加しての戦車輸送阻止運動だった。

 

 実際に戦車の前に身を投げ出して逮捕された「べ平連」のメンバーたちはヒーロー扱いもされた。

 

 だが現実にはこの阻止運動は日本の同盟国の米国やその米国が支援する南ベトナムを傷つける行動だった。

 

 さすがに日本には友好的だった南ベトナムの官民とも、このときは日本に険しい視線を向けた。

 

 しかし、ふだんは南ベトナムの人たちは日本や日本人に対してふしぎなほど好感をみせていた。

 

 これまた、信じられないほどだった。

 

 当初は理解もできなかった。

 

 だが、やがて知己を得たチャン・バン・ド元外相から「ベトナムに駐留した日本軍は規律が厳しく、ベトナム人に悪いことをせず、しかもフランス植民地軍を打倒したからです」という説明を聞いて、うなずけるようになった。

 

 いま思えば、この現実も日本のベトナム反戦派には「都合の悪い真実」のひとつだったといえよう。

 

(ワシントン駐在編集特別委員 古森義久)

ソ連製T54戦車はサイゴン制圧でも先頭に立ち、南ベトナム大統領官邸に突入した。サイゴン陥落の日の光景(古森義久撮影)

 

 

 

 このブログでも何度も取り上げてきたNHKの台湾偏向番組への抗議行動の続報です。

 

 抗議の対象となったのは、現代の台湾の人たちが日本を憎み、嫌っているかのように、ゆがめて描いた番組です。

 

 第一は訴訟に関する動きです。

 以下の産経新聞の報道を紹介します。

 

                         =====

NHK偏向報道訴訟 「納得いく説明と謝罪」訴え パイワン族指導者、来日
2010年05月15日 産経新聞 東京朝刊 社会面


 

 「NHKから納得がいく説明はずっとなかった。きょうの日を待っていた」

 台湾から来日し、14日に東京地裁で意見陳述したパイワン族のバジェルク・タリグさんは、普段は朗らかでどの部族からも慕われている指導者だが、この日の表情は硬かった。

 番組の出演者たちから相談を受けて1年。出演者とともに、「人間動物園」の事実解明を求める書簡をNHKに送ったが、十分な調査報告はなかった。放送法は、出演者の請求に「遅滞なく調査」することを定めている。

 なかでも落胆が大きかったのは、出演者の名の誤りへの対応だ。NHKは出演者の一人、高許月妹さんを「高許月さん」と放送。中国語の妹(メイ)(女性に付ける呼び名)と混同して省略したとみられるが、正しい名を伝えても誤りを認めなかった。

 NHKは第1回口頭弁論の翌日、サイト上の名を修正したが、「取材のときに(高許月と)うかがった」「放送法第4条による訂正放送とは異なる」(NHK広報局)と、今も非はないという立場だ。取材に同席したパラル・ロンシンさんは「人は間違うこともある。でも、間違ったら謝ることが正しい道ではないか」と怒る。

 ロンシンさんは出演していないが、放送では声のみがほかの出演者が話しているように編集された。高許月妹さんも、懐かしい父親の写真を見て涙を流したシーンを、「人間動物園」に父親が連行され泣いているかのように編集されたとしている。

 タリグさんは法廷で「日英博覧会は良い思い出で、そのときに覚えた英語の歌が今も歌い継がれている。屈辱的な仕打ちを受けたらありえない。動物扱いされたら、命を賭けて戦うのがパイワン族の精神です」と述べた。(牛田久美)
 
                         ======
 第二は街頭での抗議活動です。
 これについては「花うさぎ」さんのサイトから転載させていただき  
 ました。
 
                         ======
NHK一万人訴訟公判にあわせて

 

 台湾から華阿財氏参加、街宣四回

 デモも実施、NHK徹底的糾弾!

 

 

 13日と15日、「NHK解体」と書かれた揃いのTシャツを着た市民による街頭宣伝とデモ行進が渋谷で断続的に開かれ、周辺や道ゆく人の注目を集めた。これは昨年話題となった「NHK一万人訴訟」の第二回公判が14日に東京地裁で開かれたタイミングあわせて開催された「頑張れ日本!NHKに抗議する国民大行動」として実施されたもので、デモ行進には約二百人が参加、口々に「NHK解体!」のシュプレヒコールを叫んでNHKや渋谷周辺を行進した(ニュース調ここまで)。

 

 

 こんごの展開を注意深く、みていきたいものです。

 唐突かもしれませんが、脳死についての最新の書を紹介します。この4月に脳死問題の権威の竹内一夫氏が刊行した論文、エッセイ集です。

 

 「不帰の途 脳死をめぐって」 信山社刊です。

 

 竹内氏は竹内委員会の名でも知られたように、この問題の最高の権威とされています。日本では脳死を人間の死とはみなさないという人たちが声高にその主張を叫び続けたために、臓器の移植が悲劇的に遅れました。外国人の提供臓器を求めて、アメリカに、イギリスに高い資金を払って、愛する家族への臓器移植を受けにいく日本人たちの話はマスコミを長年、にぎわしてきました。その際にいつも提起される疑問は「なぜ日本人の臓器移植が日本国内ではできないのか」という疑問でした。こうした悲しい状況を変えた人たちの一人が竹内一夫氏でした。

 

 「不帰の途」のカバーの記述を紹介します。

 

 「『脳死』の心を説く。わが国の脳死判定基準を作成した著者が

『脳死』概念の議論背景から、医学の発展、判定基準に対する社会の反応、そして、我々に求められる”心”を伝える」

 「医療、生命倫理、法律などに関わる方々、必読の書。第一人者による、待望の刊行」 

 

不帰の途―脳死をめぐって

 

 

 著者による「あとがき」には以下の一節があります。

 

 「(前略)もし不幸にして脳死状態になれば、いかなる治療も徒労に終わることを十分に経験した。しかし諸外国にくらべて、其の実績はなおきわめて貧しい。そのため最近、国会で『脳死はヒトの死』とする改正臓器移植法が成立し、近く施行されることになった」

 「いまだに脳死に関する正しい理解が十分とは思えないわが国の脳死問題に直接・間接に関連するもろもろの領域や一般社会に、この本が少しでもお役に立てば、筆者の喜びである(後略」

 

 この記述でもわかるように、筆者の訴えは「脳死は人間の死であり、その時点で臓器移植がなされるべきだ」ということでしょう。

 

 なお私があえて竹内一夫氏の新著を紹介したのは、たまたま竹内氏を古くから存知あげていて、この書を贈られたことが契機です。

鳩山政権は日米同盟を「対等」にすると言明しています。

しかしそのために具体的になにをするかは決して述べません。

その一方、アメリカ側では日本に憲法9条の制約があり、すくなくともその現行の解釈では日米共同の集団的自衛が禁じられている状態では日米同盟は対等ではない、とする見解がさらに広まっています。

 

そのあたりについて記事を書きました。 

 

[ワシントン=古森義久]米国議会調査局が日米関係についての上下両院議員の法案審議資料用の報告で日本の現憲法やその現行解釈に基づく集団的自衛権の行使禁止がこんごの日米防衛関係でのより緊密な協力への障害になるとの見解を明記していることが明らかとなった。

 

日本の憲法上の制約を日米防衛協力の推進のうえでどうみるかは米国側ではこれまで民主、共和両党の間に差があったが、この記述は「日本の憲法が防衛協力への障害」という認識が党派を超えて定着したことを示している。

 

同議会調査局(CRS)がこのほど作成した「日米関係=米国議会にとっての諸問題」と題する報告は現在の日米両国間に存在する安全保障や経済の諸課題を列記し、現状や展望を書いている。

 

同報告はそのなかの「軍事問題」という章で「第9条の制約」と題し、「一般的に米国が起草した日本の憲法は、日本が集団的自衛にかかわることを禁止するという第9条の現行の解釈のために、日米間のより緊密な防衛協力への障害となっている」と明記した。

 

同報告は日本にとっての「集団的自衛」の説明として「第三国に対しての米国との戦闘協力」と述べている。

 

日本側がこの種の協力を禁じている限り、日米防衛協力をより緊密にすることはできないという見解を「一般的」として提示しているわけだ。

 

その見解をさらに他の角度から読めば、日本の現行憲法が日米防衛協力の推進には障害であり、その防衛協力のためには憲法改正が必要だとする意見にもつながっていく。

 

日本の憲法と日米防衛協力の相関関係についてはこれまでは共和党側に「憲法9条とその解釈に基づく集団的自衛権行使の禁止を解消しなければ、好ましい日米防衛協力はできない」とする意見が強かった。

 

ブッシュ前政権でも対日政策の中枢ポストにあったリチャード・アーミテージ氏らが「日本が集団的自衛権の行使をみずからに禁じていると、日米間の円滑で平等な防衛協力はできない」と明言していた。

 

一方、民主党のクリントン政権時代はそうした意見は後退し、むしろ日本はいまの憲法を変えないほうがアジアの安定に寄与するという趣旨の主張がよく語られていた。

 

しかし今回の議会調査局の報告は日本のいまの憲法解釈や集団的自衛権行使の禁止が日米防衛協力の緊密化への障害になるとの見方をすでに民主党、共和党を問わない超党派のコンセンサスの形で提示した点が注視される。

 

同報告はさらに日本の憲法9条が「国権の発動としての戦争を放棄し、交戦権を認めない」と規定していることを紹介しながらも、「日本の世論は過去においては自衛隊に課された制約を強く支持してきたが、近年はかなり軟化してきた」と記していた。

 

              ======

 

 

 

 鳩山政権に対するアメリカ側の認識もここまで落ちたのか、と呆れさせられました。

 

 とにかくオバマ政権の日本担当者たちが同盟国としての日本に不信、不満、心配を深めているというのです。

 

 このままだと日米同盟は空洞化してしまう、と思わされるほどでした。

 

「日本は機能不全」 信頼できるのは韓国 普天間問題、米専門家分析


 

 【ワシントン=古森義久】米国大手研究機関「ヘリテージ財団」のアジア専門家のブルース・クリングナー上級研究員は日本での米軍基地問題を調査した結果として10日、日本政府内部では普天間飛行場移設問題に関して政策決定プロセスが機能しておらず、アジアでは韓国が最も信頼のできる米国の同盟国となった、などと述べた。

 同研究員は4月下旬に訪日し、東京と沖縄でそれぞれ4日を過ごして、普天間飛行場移設問題を主に、日本側の関係者多数と接触した。

 

 その際の考察の総括を10日の日本記者らとの会見で明らかにした。

 

 クリングナー氏は日本の鳩山政権の対応について

 

 (1)首相と外相、防衛相の言明が相互に矛盾しており、正常な政策決定プロセスが機能していない

 

 (2)普天間飛行場移設問題では住民の抗議だけが決定要因とされ、軍事的、戦略的な要因はまったく考慮されていない

 

 (3)5月末までに日本政府が米国も受け入れ可能な解決案を提示するという見通しはもうない

 

 ――などの諸点を報告した。

 

 さらに、鳩山政権の事実上の機能停止によりオバマ政権の当事者たちの間では日米同盟がすでに衰退し、有事に即応できる軍事能力を急速に減らしつつある、とみての懸念や不満が高まっていると、指摘した。

 

 その結果、同研究員は「アジアで米国が最も信頼のできる同盟国はもはや日本ではなく韓国となった」と強調する一方、日米同盟の最近の混乱に対してはベトナム、シンガポール、韓国、タイなどアジアの他の諸国が深刻な懸念を表明している、とも述べて、日本への警告を発した。

 

 同研究員は米海兵隊が沖縄県内に駐留することの理由として

 

 (1)米国の日本防衛への目にみえる誓約となる

 

 (2)潜在脅威に対して米軍の軍事力による現実の抑止となる

 

 (3)尖閣諸島をも含めて日本の統治下にあるすべての領土を守ることに寄与する

 

 (4)北朝鮮の軍事行動に対する韓国軍の対応の有力な支援の一部となる

 

 (5)朝鮮有事では米海兵隊が北朝鮮内部の核兵器排除など実際の行動をとれる

 

 (6)自然災害での人道的救援作業の拠点となる

 

 ――などの諸点をあげた。

 

                  =======

 

↑このページのトップヘ