5月15日は沖縄返還の記念日でした。
沖縄が実際に日本へと返還された1972年5月15日、ベトナムでは激しい戦闘が繰り広げられていました。米軍はもう地上戦闘部隊こそ引き揚げていましたが、空からとか、海からの南ベトナム軍への支援は続けていました。
その支援の一つが南ベトナム北端のクアンチ省での米海兵隊ヘリによる南軍将兵の空輸でした。
しかし沖縄を返された日本ではこの米軍が南ベトナム軍を支援する作業を正面から阻止しようとする動きも起きていました。
こうした歴史は日米同盟や沖縄を歴史的な俯瞰から考える材料となるでしょう。当時、ベトナムの現地にいた記者としての報告です。
■【安保改定から半世紀 体験的日米同盟考】(11)ベトナム戦争と日本の拠点
■南軍用戦車の輸送阻止
ベトナム戦争への日本のかかわりは間接的とはいえ、深く密だった。
沖縄は米軍のベトナムでの軍事作戦の後方の大拠点だったが、1972年5月15日に米国の統治から日本に返された。
北ベトナム軍が大部隊を南下させ、72年春季大攻勢と呼ばれた大規模攻撃を繰り広げる最中だった。
私が南ベトナムに特派員として赴任してほんの3週間ほどでもあった。
沖縄は日本領としてなおベトナム戦争への関与を続けることとなる。
しかし米国は事前に決めていたこととはいえ、熾烈(しれつ)をきわめるベトナムでの戦闘でなお超重要な後方拠点のままの沖縄の主権をよく手放したものである。
沖縄から発進してきた米軍のヘリコプター空母「オキナワ」は沖縄返還の2日前から南ベトナム北端のクアンチ省での軍事作戦に加わった。
北ベトナム軍に制圧された同省の奪回を図る南ベトナム軍部隊を20機ほどの米軍ヘリで空輸したのだ。
そのヘリを操縦するのは沖縄駐留の海兵第3師団の将兵だった。
まさにいま論議を呼ぶ普天間飛行場の海兵隊ヘリ部隊の先人である。
だが日本にとって歴史的な出来事である沖縄返還もベトナムではふしぎなほど話題にならなかった。
日ごろの戦況報告会見で顔を合わせる米軍将校たちもまず言及することがなかった。
拍子抜けするほどだった。
激しい戦闘に直面すれば、後方拠点の行政変更を気にするゆとりはないということだろう。
だが日本が話題になるのはその年の夏、神奈川県で起きた米軍戦車阻止という出来事だった。
ベトナム戦争での「ゲリラが米軍を撃破する」という話はもはや神話だった。
72年春の北ベトナム軍の大攻勢は大砲や戦車を多数、繰り出しての師団規模の正規戦だった。
とくに戦車の活躍がめざましかった。
北部のクアンチ、中部のコンツム、そして首都サイゴン(現ホーチミン市)北方のアンロクなどという戦場では北ベトナム軍はソ連製のT54戦車をふんだんに登場させてきた。
「クアンチ省南部での戦闘でこちらはM41戦車4台で布陣していたところ、北ベトナム軍はT54戦車9台でどっと攻撃をかけてきました。もともとこちらは1台同士でもまったく圧倒されるので、すぐに空爆支援を要請しながら退却しました」
当時、南ベトナム軍の中尉からこんな苦情を聞いたことがある。
T54はソ連が1950年代に本格開発し、主力の戦車としたのに対し、M41は米軍が1940年代に開発した旧式だった。
だから相手にならないのだ。
72年春季大攻勢当初、南軍にはM41が約400台あったが、T54にあいついで撃破されていた。
南軍は1ランク上のM48戦車も10台ほど米軍から供与されていて、急速にもっと多くが必要となった。
そこで日本からC5Aという超大型の輸送機でM48が緊急に運ばれた。
同時に戦場で壊れたM48が修理のために日本へ送られるようになった。
このM48戦車を受け入れたのが神奈川県の相模原市にあった米軍相模補給廠(しょう)だった。
日本の当時の社会党や労組などの反日米同盟勢力は、この米軍相模補給廠からベトナムへ空路、海路で運ばれるM48戦車の動きを阻もうとした。
当時の横浜市長の飛鳥田一雄氏までが参加しての戦車輸送阻止運動だった。
実際に戦車の前に身を投げ出して逮捕された「べ平連」のメンバーたちはヒーロー扱いもされた。
だが現実にはこの阻止運動は日本の同盟国の米国やその米国が支援する南ベトナムを傷つける行動だった。
さすがに日本には友好的だった南ベトナムの官民とも、このときは日本に険しい視線を向けた。
しかし、ふだんは南ベトナムの人たちは日本や日本人に対してふしぎなほど好感をみせていた。
これまた、信じられないほどだった。
当初は理解もできなかった。
だが、やがて知己を得たチャン・バン・ド元外相から「ベトナムに駐留した日本軍は規律が厳しく、ベトナム人に悪いことをせず、しかもフランス植民地軍を打倒したからです」という説明を聞いて、うなずけるようになった。
いま思えば、この現実も日本のベトナム反戦派には「都合の悪い真実」のひとつだったといえよう。
(ワシントン駐在編集特別委員 古森義久)
ソ連製T54戦車はサイゴン制圧でも先頭に立ち、南ベトナム大統領官邸に突入した。サイゴン陥落の日の光景(古森義久撮影)