2010年09月

 中国の無法な言動に憤慨するのは日本だけではないようです。

 

インドでの論評をみましょう。

 

 

インド 広がる中国脅威論 中国の反応「狂乱に近い」


 

 【ニューデリー=田北真樹子】日本が中国人船長を釈放したことについて、インドでも「日本は中国に屈した」との見方が広がっている。また、中国との間で国境問題を抱えるインドにとり、漁船衝突事件での中国の出方は“中国脅威論”を改めて裏付ける材料の一つと受け止められている。

 25日付のヒンドゥスタン・タイムズ紙は社説で、日本が中国漁船の船長を逮捕したことに対する中国の反応を、「狂乱に近い」と表現。その上で、「将来の大国(中国)の成熟度は、急成長する力とは反比例しているとの感触をさらに強くさせた」とみる。そして、中国があまりにも多くの国と対立していることから、世界の安定に対する中国の姿勢の見極めが必要になると指摘する。

 

 中国が強硬な姿勢を強めていることについて、ジャワハルラル・ネール大のG・V・ナイドゥ教授は、「インドの国益も脅かされかねない」との認識が改めて明確になったと指摘。その上で、「日本やその周辺国と連携して、中国を除いて、個々の地域的な政策を全体の政策に発展させることが、インドにとっても長期的な利益につながる」と主張する。

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米戦略国際問題研究所(CSIS)研究員、ラリー・ニクシュ氏は中国人船長釈放などについて、次のように語った。

 

 日本が中国漁船の船長をこの時点で釈放したことは唐突に過ぎ、いかにも中国の圧力に屈したようにみえる。私が日本側の当事者だったら、明らかに違法行為を働いた中国船長はもう少し拘束を続け、もっと尋問して、厳しく扱っただろう。日本の法律に従っての最大限の拘束をしただろう。

 

 日本の検察はこれまでの尋問で、この船長が日本側への侵犯や海上保安庁の船への衝突をまったく個人の次元で実行したのか、それとも中国当局から指示を受けてそうしたのか、を解明したのだろうか。この点は極めて重要だといえる。その点をあいまいなままに釈放したとすれば、日本の大きな誤りだろう。

 

 今回の船長釈放はアジアの他の諸国からみれば、中国が領土紛争でも一方的に行動し、攻撃的な態度をとって、その行動を通用させてしまうという強硬なイメージを鮮明にした。

 

 日本としてこれからまず注意すべき第1の点は、中国側の「民間活動家」に尖閣諸島への強引な上陸や付近領海への侵入を許さないようにすることである。第2には、中国側の尖閣付近での軍事演習に気をつけ、日本側の領海やそのすぐ外側では軍事活動をさせないよう配慮することだ。中国側の軍事部隊の進出を許すと、尖閣問題は性格を変え、日本側を不利にしてしまう。

 

 日本政府が中国漁船の船長を釈放したのは米国政府の圧力もあったからだという推測もあるようだが、オバマ政権にとって日本と中国が尖閣の問題で対立をエスカレートさせることは好ましくないという認識はやはりあっただろう。オバマ政権でも国務省はこの釈放に内心、ほっとしていると思う。

 

 その一方、国務省は尖閣諸島が日米安保条約の適用を受け、もし軍事攻撃を受けた場合は日米共同防衛の対象になるということをかつてなく明確に言明した。米側のこの点での日本支援誓約は重視してよいだろう。

 

 日本側も米国連帯して中国の領土拡大の動きに反対するならば、最近のクリントン国務長官が表明した、南シナ海での中国の覇権的な姿勢への反対に明確に同調すべきだ。同長官は南シナ海の諸島への中国の領有権を認めず、南シナ海の航行の自由はすべて保障されるべきだと主張したのだが、日本の態度がまだはっきりしない。尖閣でも中国との衝突を機に、この点での対米協調を考えたらどうだろうか。(談)

 

 米戦略国際問題研究所(CSIS)研究員 ラリー・ニクシュ氏 米国議会調査局で30年以上、アジア情勢を分析し、歴代政権の外交政策に関与してきた。朝鮮問題の専門家でもあり、北朝鮮への制裁強化に消極的な中国に対し、「米国、日本、韓国の3カ国が連携し、中国に圧力をかけていくことが必要」などとも語っている。

 

 菅政権がなぜ中国漁船の船長を司法手続きを放棄してまで釈放したのか。

 

 結局は中国の恫喝に屈したからだといえるようです。

 

 しかし菅政権はその屈服の責任を逃れ、もっぱら沖縄地検のせいにしているのです。

 

 その実態が今朝の産経新聞に詳しく報じられています。

 

 

【朝刊 1面】
【敗北 尖閣事件】(下)責任、検察に転嫁

 

 ◆首脳会議一転

 「証拠も十分で事案も悪質。起訴すべきです!」

 24日午前10時すぎ。東京・霞が関の法務・検察合同庁舎19階の最高検会議室。中国漁船衝突事件で逮捕、送検された中国人船長に対し、起訴を主張する幹部の声が響いた。那覇地検が中国人船長の釈放決定を発表する、わずか4時間前の出来事だった。

 集まったのは、大林宏検事総長、最高検の伊藤鉄男次長検事、勝丸充啓(みつひろ)・公安部長と担当検事に加え、那覇地検の上野友慈(ゆうじ)検事正と福岡高検の岩橋義明次席検事。国会議員の逮捕など重要案件を最終決定する際に開かれた「検察首脳会議」ともいえる顔ぶれだ。

 1時間に及んだ会議。出席者の一人の発言をきっかけに、全員一致での釈放決定への流れが強まった。

 「4人の人命はどうなるんですか。(起訴したら)危ないんじゃないですか」

 準大手ゼネコン「フジタ」の邦人社員4人が軍事管理区域で撮影した疑いで中国当局に拘束されたことが前夜に発覚していた。ある幹部は「人命をてんびんにかければ、起訴という判断はできなかった」と悔しさをにじませた。

 ◆潮目変わった日

 船長の10日間の勾留延長が決定した19日の時点で、検察当局は「起訴」に向け意気軒高だった。「異論を唱える人は誰もいなかった」(幹部)という。

 実際、検察当局は公判に備え、石垣海上保安部が衝突時の様子を撮影したビデオ映像の公開に「待った」をかけていた。「手の内を明かすわけにはいかない」(同)からだ。詰めの捜査のため、最高検は公安部の担当検事を那覇地検へ派遣する方向で調整していた。

 潮目が変わったのは21日だった。中国の温家宝首相が「釈放しなければ、中国はさらなる対抗措置を取る用意がある」と揺さぶりをかけた。間もなく、邦人4人が中国で行方不明との情報がもたらされる。

 「すぐに身柄拘束を想像した」とある検察幹部。このころから検察内では「船長にいい弁護士がつき、容疑を認めさせれば略式起訴で済ませられるのに」と弱気な声が漏れ出した。

 しかし、船長は否認を続け、連日、中国の在日大使館員と接見した。「何か吹き込まれたのは間違いない」と海保関係者。否認のままでは略式起訴にできない。検察内に焦燥感が募った。

 ◆官邸に2度も

23日には那覇地検が外務省の担当課長から参考人聴取として状況を聞いた。起訴したら日中関係はどうなるか、影響を中心に説明を受けたとみられる。首相官邸からも法務省側に早期解決を望む意向が非公式に伝えられたという。24日には柳田稔法相が2回も官邸に入り、2回目は慰労会を中座して仙谷由人官房長官と1時間も面会するという異例の行動をとる。そして帰り際、報道陣からの「尖閣は?」との質問には無言のままだった。

 柳田法相が官邸を辞して約1時間後の午後2時半、那覇地検の鈴木亨次席検事は釈放を発表。理由に「日中関係への考慮」を挙げた。検察当局が政治決断を負わされたこともにおわせる、異例の発言だった。

 一方、菅直人首相も仙谷長官も釈放は「検察の判断」と繰り返すのみだ。

 船長釈放から半日後の25日午後、拘束中の邦人4人は北京の日本大使館員と面会できた。検察が憂慮した人命の危機は脱した。

 しかし、検察当局に対し、「中国の圧力に屈した」との国民の失望感は広がっている。折しも大阪地検特捜部の押収資料改竄(かいざん)という前代未聞の事件も発覚。逆風にさらされる中で検察当局が下した今回の判断は、当面の危機を脱する役割は果たしても、さらなる国民の不信という禍根を残す結果となった。(大竹直樹、千葉倫之)

 

 菅政権は中国漁船船長を超法規的な手段で釈放することによって、日本の法治を踏みにじりました。

 

 「冷静対応」という名の「思考停止」なのだそうです。

 

 産経新聞の評論を読んでください。

 

 

【朝刊 1面】
【敗北 尖閣事件】(中)戦略なく“思考停止” 「冷静対応」一辺倒の日本政府

 

 ≪一片の報道官談話≫

 沖縄・尖閣諸島沖での漁船衝突事件で、「白旗」を掲げて中国人船長を釈放した日本に、中国はどう応えたか。和解の握手を交わすどころか、くみしやすしとみて、図に乗ってきた。

 中国外務省が日本に「強烈な抗議」として、謝罪と賠償を要求したのは25日未明。緊張に耐えられず、すぐ「落とし所」を探す日本と違い、中国は弱い相手には、より強く出た。

 日本政府の対応は鈍かった。「尖閣諸島がわが国固有の領土であることは、歴史的にも疑いない。領有権問題は存在しない。謝罪や賠償といった中国側の要求は何ら根拠がなく、全く受け入れられない」

 ようやく一片の外務報道官談話が出たのは、半日過ぎた25日午後。しかも訪米中の前原誠司外相は24日(日本時間25日)、ニューヨークでこれを聞かれると「コメントは差し控えたい」と言及を避けた。

 「政治主導」を掲げる政権で、菅直人首相はじめ政権幹部には、決定的に発信力が欠けている。

 ≪首相は“人ごと”≫

 24日午後(日本時間25日朝)、ニューヨーク市内で記者会見した菅直人首相は建前論を繰り返した。

 「(中国船長の釈放は)検察当局が、事件の性質などを総合的に考慮し、国内法に基づいて粛々と判断した結果だ」

 記者団との懇談で、準大手ゼネコン「フジタ」の社員4人が中国内で拘束されたことを聞かれた際も、人ごとのような反応だった。

 「なんか、そういうことがあるという知らせは、受けている」

 一方、中国はどうか。

 温家宝首相は23日の国連総会での一般演説で、国家主権や領土保全では「屈服も妥協もしない」と強調し、国際社会に明確なメッセージを発信した。国際社会では「沈黙は金」ではない。こんなありさまでは、尖閣諸島の歴史や事情を知らぬ諸外国に中国側が正義だという誤解を生みかねない。

 今回の船長釈放劇で「判断に全然タッチしていない」(幹部)とされる外務省の中堅幹部がぼやく。

 「自民党政権時代なら、中国の次の行動に備え、対処方針を策定するよう政治家から指示があった。ところが今回は、ほとんど現場に話は来なかった」

 ≪政治主導機能不全≫

官邸サイドは否定するが、首相が「超法規的措置はとれないのか」といらだっていたとの報道がある。実際のところ官邸には「ただ、早く沈静化させたいという思いが先行していた」(首相周辺)ようだ。

 政府には、問題解決に向けた見通しも方針もなく、衆知を集める能力もノウハウすらもなかったことになる。これでは「人災」だ。

 「証拠として早く(漁船が衝突した時の)ビデオをみせるべきだった」。鳩山由紀夫前首相も25日、京都市内で記者団に、政府の段取りの悪さを指摘した。

 鳩山氏は続けた。「私が首相当時は、温首相とのホットラインがあった。事件直後に菅首相が腹を割って議論すればよかった」。嫌味を言われる始末だ。

 民主党の岡田克也幹事長は25日、奈良市で記者団に中国の謝罪・賠償要求についてこう語った。「全く納得がいかない。中国にもプラスにならない。中国は冷静に対応した方がいい」

 政府・与党幹部が判で押したように中国に「冷静な対応」を求める。だが中国は日本の慌てぶりを「冷静に」観察し、どこまで押せば、どこまで引き下がるかを見極めながら、強硬姿勢を強めたのではないか。

 25日夜、訪米から帰国した首相を最初に出迎えたのは、首相官邸前に陣取った市民団体の抗議のシュプレヒコールだった。

 そして、仙谷由人官房長官らが公邸に駆け込んだ。尖閣問題の「今後」を協議する中で、メディアが伝える厳しい世論も報告されたという。(阿比留瑠比)

朝刊 国際
【安保改定から半世紀 体験的日米同盟考】(26)1000カイリ防衛案

 

 ■レーガン政権の軍拡

 レーガン政権下で日米間の防衛問題が比重を増すにつれ、国防総省に足を運ぶことが多くなった。同政権の2年目の1982年、私はカーネギー国際平和財団の研究員からまたワシントン駐在の新聞特派員へともどっていた。国防総省では日本担当部長の海軍士官ジェームス・アワー氏と頻繁に接触するようになった。日米同盟の米側の運営にアワー氏ほど長く深くかかわってきた人物はまずいない。

 アワー氏はカーター政権の後半から日本担当だったが、もう一人、ネピア・スミスという同じ海軍の先輩がいたため、私が当時、取材対象にするのはスミス氏が多かった。だがアワー氏も質問をすれば、いつも丁寧に応じてくれた。ジョギングを欠かさないというアワー氏はすらりとした細身のソフトな挙措(きょそ)の人だった。

 日本への好意が言動のはしばしに感じられるので、聞いてみると、掃海艇勤務で佐世保に、駆逐艦勤務で横須賀に、それぞれ数年ずつ駐留した際の実体験で日本がすっかり好きになったのだと、さらりと述べた。

 レーガン政権下でスミス氏が去り、日本部長となったアワー氏は日本に大幅な防衛力増強を求める米側の期待の伝達や調整の役を果たしていた。81年3月に時のキャスパー・ワインバーガー国防長官は伊東正義外相との会談で日本の防衛強化を具体的に要請した。

 「日本が本土から南東と南西に各1000カイリの扇形の海域でソ連軍の海上、航空の通常戦力での大規模攻撃に対し、かなりの期間、独力で対抗できるだけの防衛能力をつける」という求めだった。つまり日本本土からフィリピンの北、グアム島の西を結ぶ三角の海域でソ連側の非核の攻撃を一定期間、日本だけで防御できる能力を、ということだった。

 伊東氏はこの要請に「難しい」と答えた。アワー氏は会談後、国防長官から「日本人が『難しい』という場合、実行する気があるのかどうか」と問われて困った。

 だが2カ月後、鈴木善幸首相が訪米し、ワシントンでの演説で「日本は本土から数百カイリの海域と1000カイリの海上輸送路を防衛していく」と述べた。米側はこの言葉を公約として根拠に使い、日本側への従来の要請を強めていった。だが肝心の鈴木首相が「日米同盟には軍事の要素はないと思う」などと言明して、混乱を起こす。

 そんな錯綜(さくそう)した動きのなかでアワー氏は日本側に対する米国の窓口となり、日本が防衛努力を強め、同盟への寄与をより双務的にすることが日米両国の利にかなうという思考を説いていた。レーガン政権は海軍の一般艦艇を約500隻から610隻へ、空母を13隻から15隻へ、航空機も5年間に1900機増強という大軍拡に着手していた。背景にはソ連の太平洋艦隊や航空戦力が米側を上回るペースで増強に増強を重ねているという実態があった。

 アワー氏はレーガン政権のそうした軍拡への日本の協力をも訴えていた。カーター政権時代にはむしろ軍縮路線を推進するようにみえたので、ある時、問うと、「時の大統領の方針に従うのが自分たちの責務でしたが、実は内心、一方的軍縮はソ連を増長させるだけで心配でしかたなかったのです」と答えた。やはり米国の文民統制の伝統やアワー氏の官僚としての職責ということなのだろう。

 アワー氏は結局、レーガン政権の2期目の終わりまで通算9年も日本担当を務めた。この最長記録はいまだに破られていない。この間、83年には日本人の男の赤ちゃんを養子にし、親しかった自衛隊の元海上幕僚長の名をとって、「テイ」と命名した。現在、テイ・アワー氏は27歳、米人の音楽家として活躍する。

 退官したアワー氏はテネシー州ナッシュビルのヴァンダービルト大学の教授となり、同大学の「日米研究協力センター」の所長となった。以来、日本人の留学生を多数、受け入れ、指導にあたってきた。指導を受けた数百人の日本人のなかには民主党衆議院議員で防衛通とされる長島昭久氏も入っている。

 日米同盟の長い歴史を顧みて、その支えとなった多数の人物を追うとき、ジム・アワー氏の軌跡は特別な重みを感じさせる。(ワシントン駐在編集特別委員)

 

 

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