2010年10月

  北朝鮮の核武装を阻むための6カ国協議でアメリカの首席代表を務めたクリストファー・ヒル氏のインタビュー紹介の完結部分です。

            

 

 

 SAPIO誌最新号掲載の記事の転載です。

              

 

 

 今回分ではヒルは北朝鮮の交渉のずるさなどを反省をも交えながら、率直に語っています。

 

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古森「北朝鮮側と長い期間、交渉をして、彼らの交渉術というのもだいぶよくわかったと思いますが、どうですか」

 

ヒル「北朝鮮側はいつも食後の甘いデザートを食事自体よりも先に食べてしまえる道を探すことを試みますね(笑い)。私たちが北朝鮮側に何度も強調したように、彼らは六カ国協議の目的があくまで非核化に取り組むことだと理解する必要があります。非核化が達成されれば、その他の多くのことが可能になるのです」

 

古森「だが協議はなお中断したままです」

 

ヒル「北朝鮮自らが二年近く前に六カ国協議のプロセスから離脱したからです。協議に戻るか否かは北朝鮮次第です。協議の目的が朝鮮半島の非核化であることを理解し、その理解を実証するか否かです。協議の成功をどう定義づけるかは二〇〇五年九月の共同声明が明記しています。北朝鮮の一切の核兵器と核計画の放棄です。もし協議再開ならば、北朝鮮は非核化への誓約を明示せねばならない。誠実さを示すために北朝鮮が交渉の早い段階で具体的な措置をとることが重要です。協議が単に参加国の主張をまた述べあうという目的のためにのみ再開されても、意味がない。非核化実現が真に期待できることが最初から証されねばなりません」

 

古森「しかし最近では北朝鮮は核兵器放棄と引き換えに、アメリカからの外交承認や経済援助だけでなく、北東アジアの駐留米軍の削減や撤退をも含みうる安全保障の措置までも求めることを示唆していますね」

 

ヒル「もし北朝鮮が非核化実現を決めて、六カ国協議の場に戻ってくれば、非核化の後には多くのことが起きうるでしょう。それらの順番をどうするかは交渉次第ともいえます。だが北朝鮮が非核化を決めずに、自国に有利な実益だけを得ようとして同協議に戻ってくるならば、成功はしないでしょう」

 

古森「北東アジアの駐留米軍は?」

 

ヒル「北朝鮮は北東アジアでの米軍の駐留をなにかの条件にはすべきではない。この駐留米軍はアメリカと日本と韓国との相互合意に基づいているのです。そのプレゼンスは地域の安定をもたらしています。北朝鮮が議論すべき対象ではありません」

 

古森「六カ国協議再開の見通しはどうですか」

 

ヒル「非核化という主題の前進があることをやがて示さなければならないでしょう。とくに議長国の中国はこの協議に特別の正当性と名声を与えたことからも、北京でのこのプロセスがなんらかの成功をもたらしたことを確実にする必要があるでしょう。私は世界でも最大、最強の諸国が加わるこのプロセスがなおよい結果をもたらすことへの希望を捨てていません。その結果とはもちろん北朝鮮が核の野望を捨てることです。北朝鮮は世界の諸国がこの問題を放置し、忘れてしまうという選択肢はないことを理解する必要があります」

 

古森「北朝鮮の権力継承が非核化をめぐる動きに影響を及ぼしていると思いますか」

 

ヒル「二〇〇八年夏から始まった継承のプロセスは六カ国協議の前進を阻んだ要因の一つだったといえます。なぜなら北朝鮮が権力継承のためにそれまでよりも内向きになってしまったからです。だからこの継承がどうなるか観察する必要があります。しかし北朝鮮は自国の抱える諸問題が核兵器によっては解決できないことを理解すべきです」

 

古森「権力継承が北朝鮮の対外政策一般を硬化させるという見方もありますが」

 

ヒル「予測は難しいですね。北の首脳部がまだ最終決定を下さず、内部での議論が続く間は対外的課題への関心はそらされるでしょうね。確かにその間、上層部の外部世界への対応は硬化するかもしれない。だが権力継承自体が北朝鮮の六カ国協議への関与を妨げるとは私は思いません」

 

古森「北朝鮮問題について日本側になにかとくに伝えたいことはありますか」

 

ヒル「六カ国協議では私は日米両国が非常に緊密に協力しながら、きわめて難しい問題に対応できるのだということを改めて実感しました。思い出すと、日本側の(外務省の)斎木昭隆氏や佐々江賢一郎氏と過ごした時間は懐かしいですね。また会いたいものです」

 

古森「どうもありがとうございました」

  (終わり)

 最近、つい引き込まれて読んだ一文がありました。

 平川祐弘氏の論文です。

 そこでは「幻の名画」とも評された映画「氷雪の門」についての紹介と考察が主体ですが、日本人の身の処し方、心の持ち方をも論じています。

 

 以下に紹介します。

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【正論】比較文化史家、東京大学名誉教授・平川祐弘
2010年10月22日 産経新聞 東京朝刊 オピニオン面

 ■まやかし解放史観と北方の悲劇

≪使わずにすんだ青酸カリ≫

「そうだ、あんなものは片付けんといかんな」

と父が言ったのは昭和20年9月、台風一過の晴れた日であった。「あんなもの」とは青酸カリで、親子は照れたように、その用途にふれなかったが、本土決戦 になれば自決せねばならぬ事態もあろうかと思って、父はそんな小壜(びん)を床のコンクリートの下に隠しておいたのである。昭和天皇の終戦の詔勅の放送に よって平和を回復した内地の平川家では、「あんなもの」に手をつけずにすんだ。

8月15日、日本は降伏した。だがソ連軍は戦争をやめな い。ソ連の戦車は今はサハリンと呼ばれる樺太で国境線を突破、南下して日本の将兵のみか婦女子も多数殺戮(さつりく)した。死亡者は、引揚船が撃沈された こともあり、四千数百人にのぼる。ソ連が樺太全域の占領を目指したからで、終戦5日後の8月20日、南の真岡(まおか)にソ連海軍は艦砲射撃を加え上陸し た。そのソ連軍のもとへ停戦交渉に赴いた日本側軍使一行は白旗を掲げていたが、射殺された。次の軍使も射殺された。街には火災が発生する。

真岡の名は日本の辞書にはもうないが、世界地図にはホルムスクと出ている。戦争中は人口2万、全人口が40万の南樺太では大都会だった。その真岡郵便局に 踏みとどまって最後まで勤務した9人の電話交換手の少女たちは、ソ連軍が迫るや、「皆さん、これが最後です、さようなら」の通信を豊原に送って青酸カリで 自決した。当時の私とさして年も違わぬ少女たちである。

≪殉職した9人の乙女≫

宗谷海峡を見おろす北海道稚内の丘の「氷雪の門」のそばに、受話器を耳にした「殉職九人の乙女の碑」が建っている。ソ連が昭和20年8月9日、日本に対して「解放戦争」をしかけた挙げ句の悲劇であった。

そのロシアは本年、事実上の対日戦勝記念日を制定し、そのサハリンで軍事パレードを行い、「勝利を祝うことは戦争の結果の見直しを許さないという警告である」と述べ、北方領土返還拒否の意思表明をした。そして中国とともに共同声明を発表し解放戦争史観を肯定した。

張作霖の爆殺など政府を無視して独走した日本の軍部に大陸の戦争についての重大な責任はある。しかし肝心の点は、だからといってソ連の対日戦を解放戦争と呼んでいいのか、という疑問である。わが国にも敗戦後、ソ連中国の解放戦争史観を尊重する人がいた。今もいる。

そうした人たちが裏で手をまわしたのだろうか、『氷雪の門』と題された樺太真岡で自決した9人の電話交換手を描いた映画は、昭和49年に製作されたにもか かわらず、「反ソ映画である」として上映を差し止め、「幻の名画」になってしまった。なぜ『氷雪の門』は封印されたのか。ソ連大使館と呼応して映画の上映 さえストップできるほど外圧に弱い日本ならば、北方四島も南方の諸島も、力ずくで奪取できると専制国家の軍部や外交部が思いこむのはけだし当然だろう。映 画やビデオはきちんと公開せねばならない。

≪ソ連軍でなくて良かった≫

敗戦後、私の代々木の家は占領軍に接収され た。誰も同情しない。級友の3分の2は空襲で家を焼かれた。米国将校に目をつけられるような邸に住んでいたこと自体が贅沢(ぜいたく)と思われたからであ る。父は秋田に嫁いだ姉を呼び戻し妊婦がいるからと接収の先延ばしに成功した。しかし、甥(おい)が生まれ姉が秋田に帰ると家は接収された。それでも父は 「アメリカに占領されてよかったな。ソ連に占領されたら即刻立ち退きだ」といったが、私も同感した。

東ドイツでは共産党指導者は「ドイ ツをヒトラーから解放したのはソ連軍のおかげだ」と解放戦争史観を宣伝したが、西ドイツの人は「アメリカに占領されてよかった」と思っている。敗戦直後の ソ連軍の略奪やレイプがあまりにすさまじかったからである。「悪人の友をふり捨てて、善人の敵を招け」とは謡曲の詞(ことば)だが、私は日本が自由主義陣 営にとどまったことを良かったと思っている。

戦前戦後の歴史を通観して考える。わが国を暴走させた軍部の責任はまことに重大だ。だが、ヒトラー、スターリン、毛沢東などの独裁専制がなかっただけ、日本はまだしもよかった。私たちの国には強制収容所も粛清も吊し上げもなかった。その史実を率直に認めたい。

私は解放戦争史観に媚(こ)びる人が嫌いだ。真岡の電話交換手は義務感から職場に最後まで踏みとどまった。彼女らは工務の技術官に頼んで薬をもらった由だが、私の父が工面して入手したのと同じだ。万一に備えたのである。

碑文には「日本軍の命ずるままに青酸カリを飲んだ」とあるが、戦後日本にはこんなさかしらを書く人が多い。本当に軍に強制されたのか。こんな書き方は死者への冒涜(ぼうとく)ではないか。人は国を守り、操を守るためには死を覚悟することもある。(ひらかわ すけひろ)

 

 

 

 

 

上 映 予 告

氷雪の門

日本映画幻の名作
樺太1945夏
氷雪の門

 北朝鮮の核開発阻止のための6カ国協議で米国首席代表を務めたクリストファー・ヒル氏のインタビューの内容の紹介を続けます。

 

 雑誌SAPIOの最新号に掲載された記事の転用です。

              

 

 今回はいよいよヒル氏は日本人拉致問題について語りました。

                                                   

 

 

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古森「六カ国協議からちょっと離れますが、あなたが北朝鮮と交渉中に当時のブッシュ政権は北朝鮮の『テロ支援国家』指定を外しました。日本では激しい反対が起きました」

 

ヒル「日本の反対はよくわかっていました。この指定解除の是非は政府の上層部によって決められ、議会もその状況を考察しています。この問題は法的な条件を基礎にして考えるべき案件だといえます」

 

古森「オバマ政権のゲーツ国防長官がこの八月に『北朝鮮はヒズボラやハマスに武器を密輸出している』と言明しました。両組織ともアメリカ当局からテロ組織だと判定されています。となると、北朝鮮のテロ支援も明確だと思うのですが」

 

ヒル「アメリカ政府の高官の特定のコメントに対し論評することはしたくありません」

 

古森「日本が自国民を北朝鮮に拉致された事件を深刻に懸念していることはご存知のとおりです。この日本人拉致事件が六カ国協議での北朝鮮の非核化への歩みを阻害する側面があるというような認識が米側その他にあったとはいえませんか」

 

ヒル「確かに多くの関係者がそういう認識を私にもらしました。しかし私はそれに反対です。なぜなら私たちが六カ国協議で達成しようとしたこと、さらに現在の交渉担当者たちが実現しようと努力していることは、北朝鮮が核武装の野望を捨て、北東アジアに善隣友好の新時代が始まるという新情勢です。この善隣の環境の中では日本国民は拉致された自国民の行方の確定を求めることが容易となるでしょう。自国民の消息を知る権利は日本国民には常にある、ということです。

北朝鮮側は日本側の質問にすでに答え、もうできることはないと感じているかもしれない。しかしこの拉致問題というのは非常に難しい課題なのです。ただ古森さん、この点だけは強調しておきたい。私は日本人拉致問題に関して批判されたことはわかっていたけれども、北朝鮮側にその問題を提起するのをためらったことはありません。北朝鮮にとっても、自国の過去の行動に対し適正な説明をしないままに隣国との正常な関係を持つことはできないからです。だから私は日本人拉致問題の提起に支障を感じたことはありません。一部の人たちがこの問題の提起を北朝鮮の核開発阻止を主眼とする六カ国協議の流れを複雑にするとして難色を示したことも私は知っています。しかし私はあくまで適切な議題だと思っていました。北東アジアの善隣友好の雰囲気づくりのためにも、その提起はよいことだと考えていたのです」

 

古森「同協議の交渉の過程で日本側が拉致問題をこれほど強くは主張しないでほしいと願ったことなど、なかったですか」

 

ヒル「いいえ。この点はとくによく聞いてください。六カ国協議の問題というのは日本が作り出した問題ではないのです。北朝鮮の核武装への野望が作り出した問題なのです。だから日本の拉致問題が核問題に影響を与えているかどうかという議論は過剰なくらいだと私は感じていました。真の問題、真の焦点はあくまで北朝鮮なのです」

(つづく)

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  ぜひとも多くの方に読んでいただきたいノンフィクション大作の紹介です。

 

 最近の日本の出版界では良質のノンフィクションが減っています。その理由は多々あるでしょうが、今回、あっと驚かされるほど奥行きが深く、なおおもしろい力作に出会いました。

 

 『特務機関長 許斐氏利』(ウェッジ刊)、著者は牧久氏です。副題は「風淅瀝(せきれき)として流水寒し」となっています。

 

    本書の紹介文のいくつかを下記にコピーします。

 

「北一輝のボディガードを務め、戦時下の上海・ハノイで百名の特務機関員を率いて地下活動に携わる。戦後は、銀座で一大歓楽郷「東京温泉」を開業、クレー射撃でオリンピックにも出場した、昭和の“怪物”がいま歴史の闇から浮上する」

 

「戦前は特務機関、戦後は実業人として、昭和を駆け抜けた男の軌跡」

 

「博多の暴れん坊――この破天荒な生涯」

 

 

 この書の主人公の許斐氏利氏といえば、知る人ぞ、知る、表の顔はまず日本の射撃のオリンピック代表、日本の射撃連盟の会長でもあった人物です。

 ビジネスマンとしては東京駅の八重洲口前にあった「東京温泉」の開設者です。

 しかし戦前、戦中の許斐氏は日本軍の特務機関のアジア各地での指揮者だったというのです。そのいくつもの顔を持った昭和の怪人物、あるいは快男児の一生を克明に、かつドラマ的に追ったのがこの書です。

 

 この書の取材は広範かつ深遠、文字どおり「地を這うような取材でのノンフィクション」といえましょう。近年ではこれほどの質の高い日本のノンフィクション作品にほとんどお目にかかれません。

 

 筆者は日本経済新聞のベトナム特派員や社会部長を務め、最後は副社長にまでなった牧久氏、私にとってはベトナム戦争の最終段階とその後の苛酷な共産主義革命をともに体験した旧友です。いまでは一兵卒のジャーナリストとなって、活躍しています。ただし友人の作品だからほめるわけでは決してありません。数ページを読んだだけで、引き込まれるおもしろさなのです。

 

 牧氏にはこのブログでも以前に紹介したように下記の書もあります。

 

サイゴンの火焔樹―もうひとつのベトナム戦争

 

 SAPIO誌掲載のクリストファー・ヒル前六カ国協議アメリカ首席代表のインタビューの紹介の続きです。

 

 ヒル氏はここで初めてこの協議の不成功を認めています。

 

 まあ当然とはいえるでしょうが、当事者が改めて認めると、その重みは異なってきます。

 

 

 

 

 

 

古森「六カ国協議は二〇〇三年八月に始まり、あなたが二〇〇五年にアメリカの首席代表となったわけですが、その後、二〇〇八年十二月以来、中断の状態にあります。この協議はこれまで一体、どんな成果をあげたといえますか」

 

 ヒル「最も正直に答えるなら、まだそれを述べるのは尚早だということです。しかしいくつかの点を指摘したいです。まず第一には同協議が始まったときには北朝鮮はプルトニウムを生産していました。しかし同協議によってその生産を停止させ、そのために使われていた原子炉をも無力化することができたのは喜ばしことでした。しかしそれが真の目標ではない。目標はプルトニウムの生産を止めるだけでなく、すでに生産されたプルトニウムを回収することです。残念なことに、その目標は達成できていません。でもそれは六カ国協議の非ではない。北朝鮮と交渉することはそもそも難しいのに、二〇〇八年夏に金正日総書記が重い病気になったことがそれをさらに困難にしたのです。彼の病気が同協議の進展を阻む役割を明らかに果たしました」

 

 古森「そうですか」

 

 ヒル「第二には六カ国協議のプロセスが北東アジアに共同体の意識を強めたことが成果といえるかもしれません。こんご長期にわたる展開となるでしょうが、同協議によって二国間での懸案のいくつかに触れることができたのです。韓国と日本は同協議を通じて二国間の関係を改善することができました。日本は中国に対して同協議を通じて、二国間ではできないような話しあいをすることができたという事例もあります。だから同協議のプロセスは北東アジア地域の安定や強化に通じる諸課題に対応できたともいえます」

 

 古森「日中関係や日韓関係がこの協議のために改善されたというのですか」

 

ヒル「はい、日本と中国との間に対立案件が拡大し、二国間関係を良好に保てないという感じのときでも、ある部分のドアは六カ国協議を通じて開かれていた、ということです。日韓でも盧武鉉大統領時代、困難を抱えた期間、両国代表は同協議で対話を絶やさないでいられました。ただしこれらから同協議が成功だったと総括することはできません。各国間の関係について私たちは同協議を基礎に北東アジアの安全保障メカニズムを組織するというところまでの野心さえ抱いていました。しかしそのためのプロセスは前進しなかった。でも全体的には北東アジア地域は六カ国協議のために同協議の開始前よりは好ましい状態になったといえるでしょう」

 

古森「しかし六カ国協議では北朝鮮の核兵器開発のためのプルトニウムだけを議論し、もう一つの核爆弾の製造原料となる高濃縮ウランを取り上げませんでしたね」

 

ヒル「はい。北朝鮮は六カ国協議の過程ではウランの存在を否定していたのです」

 

古森「でもいまでは公然と認めています」

 

ヒル「北朝鮮は交渉中には否定しながら、最近になってウランの軍事使用を認めるようになりました。ウランに関する疑問は解決していません。新たな問題が浮かんできたわけです。だからこんごの交渉のテーブルにはウランも乗せられるべきです。北朝鮮はいまはウラン利用の核武装の試みも認めたのだから、同協議中に他の五カ国に対し、それを否定していたことを、きちんと釈明する責務があります」

 (つづく)

 

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