2010年10月

 ここ数日、アメリカのテレビや新聞では「イスラム教徒発言」が大きな論議を呼んでいます。

 

 イスラム教徒について自分の気持ちをテレビ番組で述べた記者がその内容が不適切だとして即時、クビを切られたことが発端です。

 

 ただしクビを切った側はそのテレビ局ではなく、その記者が本来、所属する公共ラジオ放送局でした。

 

 その経緯を記事にしました。

 

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〔ワシントン=古森義久〕

米国政府の資金を得て運営される全米公共ラジオ(NPR)が自局のベテラン記者をそのイスラム教徒に関する発言が編集基準に反するとして解雇したことが22日、波紋を広げ、米国議会でその公的資金の打ち切りを求める法案が出された。

 

NPRは20日、在勤10年以上で主要ニュース番組の記者や論評者となってきたフアン・ウィリアムズ氏を解雇すると発表した。

 

理由は同記者がFOXニュース・テレビの討論番組でイスラム教徒について述べた言葉が「NPRの編集の基準や慣行に反し、彼自身の信頼を侵害した」ことだとされた。

 

ウィリアムズ氏はFOXテレビにもNPRの了解を得てコメンテーターとして定期出演しており、18日の番組でテロに関連して「飛行機に乗ったとき、イスラム教徒の服装をし、自らをイスラムだと明確に認めている人たちをみると、私は心配になり、緊張する」と述べた。

 

NPRはこの発言を問題視したわけだが、同氏自身は「自分の正直な意見、正直な気持ちを述べたことで解雇というのは不当だ」と抗議した。

 

NPRは運営資金の15%ほどを連邦政府からの補助金などとして受け取っている公的な報道機関だが、政治的には全体にリベラル傾向、民主党寄りの姿勢が顕著で、共和党側からは批判が絶えない。

 

今回の出来事についての共和党側のニュート・ギングリッチ元下院議長は「この解雇は言論や表現の自由の抑圧で、議会の共和党側はその解雇自体の不当性を追及し、NPRへの公的資金の供与停止を求めるだろう」と語った。

 

22日には上院のジム・デミント議員(共和党)がこの公的資金の停止を求める法案を提出した。

 

 各メディアもいっせいにこの動きを「言論の自由」や「表現の自由」とからめて大きく報道している。

 

 全体の論評ではワシントン・ポストが社説で「NPRの解雇決定は正直な会話を妨げる」と非難したように解雇を批判する主張が多い。

 

ウィリアムズ氏の解雇についてNPR側は日ごろ保守系のFOXテレビに頻繁に出演する同氏の言動に不満であり、今回の発言を好機として同氏を切ったという見方も流れている。

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             ウィリアムズ氏

 

  雑誌SAPIOの最新号にクリストファー・ヒル氏に私がインタビューした記事が載りました。一問一答の詳しい内容です。

 

    

 

 

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 北朝鮮核問題解決のための「6カ国協議」の米国首席代表だったクリストファー・ヒル氏。彼は交渉の主役として、北朝鮮に核放棄させるどころか、譲歩を重ね、米国の「テロ支援国家」指定国から除外し、エネルギー支援まで約束して批判を浴びた人物である。

 

 そのヒル氏が2009年4月から就任していた駐イラク大使を最後に今年8月、外交官から退いた。北朝鮮外交にかかわった4年間、拉致問題解決を優先課題とする日本でも、核問題ばかりを追及するヒル氏の姿勢に批判の眼が集中した。

 

 そのヒル氏が退官後初めてメディアに登場。10月はじめ本誌の独占取材に応じた。6カ国協議とは何だったのか。自身と拉致問題、そして北朝鮮交渉秘話をあますところなく語った。

 

 

 

 

 

    クリストファー・ヒル氏インタビュー

 

 

 古森義久「イラク駐在のアメリカ大使の職務を無事にこの八月に終えたこと、おめでとうございます。コロラド州デンバー大学の国際関係学部の学部長となられたわけですね」

 

 クリストファー・ヒル「はい、ありがとうございます。アメリカに戻った気分はやはりすばらしいです。私の学部は正式にはジョセフ・コーベル国際研究学部という名称です。コーベル氏はチェコ出身の外交官でマデレーン・オルブライト元米国務長官の父上です。アメリカでの彼の功績を記念した名称です。彼の教えた学生にはコンドリーザ・ライス前国務長官もいます」

 

 古森「三十三年に及ぶ外交官生活から引退し、アカデミズムの世界に入ると、勝手が異なるでしょうね」

 

 ヒル「はい、ずいぶんと違う世界ですが、アカデミアでも外交官のような機能がときには必要ですね」

 

 古森「さて北朝鮮問題について質問させてください。ヒルさんが北朝鮮の核兵器開発を防ぐための六カ国協議のアメリカ首席代表を務めた期間は私も取材のために、よく後を追いかけ、ときには嫌がられましたね(笑い)」

 

 ヒル「ええ、まあ、そうでしたね(笑い)」

 

 <1989年、核開発が発覚して以来、北朝鮮に核を放棄させることが米国にとって重要な課題となった。米朝枠組み調印(94年)、日本と韓国が中心となった朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)の発足(95年)など、さまざまな国際的取り組みが試みられたが、北朝鮮の核開発は続いた。2003年には米中朝の3カ国協議で北朝鮮代表が「核兵器保有」を明言する。同年8月、米中朝に周辺国の日本、ロシア、韓国を加えた6カ国協議が北朝鮮の核問題解決などのために開催されるようになった。当初の米国側代表はジェームズ・ケリー国務次官補、そして2005年7月の第4回協議からヒル氏が米国首席代表として交渉を担っていた>

(つづく)

 

 

 

 日本の憲法のあり方を突きつめていくと、どうしてもアメリカにぶつかります。

 

 まず今の日本の憲法を作ったのは、疑いもなくアメリカでした。

 

 そして主権国家の自らを守る権利をも縛る憲法第9条は日米同盟を通じてのアメリカの日本防衛誓約とワンセットになっています。

 

 しかしアメリカといえば、日本の憲法改正には反対の傾向が長年、強かったのですが、もういまではすっかり変わりました。改憲をむしろ促す感じになってきたのです。そんな「改憲の勧め」と、現職の大統領が日本の憲法問題について語ったというエピソードを紹介します。

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【安保改定から半世紀 体験的日米同盟考】(30)大統領「日本の憲法」発言 

 

1989年11月、訪米した宮沢喜一氏とホワイトハウスで会談するブッシュ大統領(右)(AP)

 

ワシントンにあるシンクタンク、ヘリテージ財団(同財団の公式ホームページより)

 

 ■「改憲の勧め」を受けて

 米国大統領の公式会見で日本人記者が質問するのは容易ではない。とくに近年はホワイトハウス側のメディア管理が進み、いまのオバマ大統領のように質問を許す相手は米国主要メディア優先で、事前に決めてある場合が多いため、なおさらである。

 

 私自身はまだそんな管理が厳しくなる前に何度か現職大統領への質問の機会を得たことがある。そのなかの一度は1992年7月、当時のジョージ・H・ブッ シュ大統領に対してだった。テーマは日本の憲法改正についてだった。日本の憲法について米国の現職大統領に公式の場で質問した記者はほかにはいないのでは ないかと、実はいまもひそかに自負している。

 

 この質問の契機はそのころ米国側で強烈な日本の改憲の勧めが発表されたことだった。ワシントンの大手シンクタンクのヘリテージ財団が「日本の民族精神の 再形成=米国は責任ある日本の創造にどう寄与できるか」という題の提言書で、ブッシュ政権に日本に対し独自の憲法の起草を求めることを勧告したのである。

 

 前回も書いたように米側での日本の憲法への態度は多様だったが、90年代に入ると、改憲への反対が着実に減ってきた。米側が日本の防衛努力の拡大を求めるたびに、日本側から「憲法上の制約」を理由に断られることに、嫌気がさした向きもあったのだろう。

 

 ヘリテージ財団はワシントンの主要研究所のなかでは歴史は新しかったが、レーガン政権誕生による保守潮流の拡大に沿って大きくなり、そのころは同じ共和 党の先代ブッシュ政権にも隠然たる影響力を持つ保守本流だった。そんな研究機関が日米関係が貿易摩擦や冷戦終結でほころぶのを防ぐために日本の改憲を提案 したというのだ。当時の宮沢喜一首相の訪米にも発表のタイミングを合わせていた。

 

 提言は以下の趣旨だった。

 

 「マッカーサー元帥の労作である日本の憲法は第9条であらゆる力の行使や戦争を否定する点で日本を全世界での例外としてしまった。日本国民は自分たちが 世界の例外だという意識を持ち、力の行使をともなう外部世界の出来事に責任ある関与はできないため考えもしないことになる」

 

 「憲法第9条は正義や自己防衛のための戦争も悪だとする消極平和主義の幻想である。第9条がなくなると日本は軍国主義になるという主張には意味がない。 第二次大戦の悲劇を繰り返すはずがないし、軍国主義復活を防ぐのは無言のウソに基づく憲法の条項ではなく、開かれた政治システムである」

 

 「ブッシュ政権あるいは次の新政権は日本の例外意識を除くためにも第9条の改正を非公式に求めるべきだ。日本国民が押しつけ憲法ではなく自主的な憲法の 作成を考えることで、多元的で自由な政治土壌が広がる。官僚や大企業ではなく国民一般が国の基本方向を決めるだろう。米国は日本が改憲により穏健な国家意 識と成熟した民主主義の国になることを促すべきだ」

 

 要するに日本は「例外」をやめて、「普通」の国に、と奨励する改憲の勧めだった。改憲が日米同盟の強化にもつながるというわけだ。

 

 私は会見でブッシュ大統領に対し、このヘリテージ財団の提言の概略を述べ、日本の改憲への見解を質問した。大統領は何度かうなずいた後に答えた。

 

 「日本の憲法はあくまで日本自身が決めるべきで干渉はしたくありません。だが日本の国会がPKO(国連平和維持活動)法案を可決したことは歓迎します。 この可決はその財団が主張する(改憲の)立場に一歩、近づいたといえる。憲法論議が日本でなぜ起きるかもよく分かります」

 

 ブッシュ大統領はほっと一息ついて、さらに述べた。

 

 「日本には憲法問題が確かに存在します。日本には鋭い歴史感覚があり、変化のペースはあくまで日本自身に任せたい。日本の自主的な判断を私は必ず支持します」

 

 日本の意思を尊重し、たとえ改憲でも反対はしない、ということだろう。日本の憲法のあり方をめぐっては現職の米国大統領のこんな公式発言も存在するのである。

 (ワシントン駐在編集特別委員 古森義久)

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 オバマ政権の内部で中国にどう対応するかをめぐり、激しい意見の対立が起きていることが報じられました。

 

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〔ワシントン=古森義久〕

 

米国のオバマ政権の内部が対中国政策をめぐって二分し、激しいやりとりが交わされていることが21日、有力紙ワシントン・タイムズの報道で伝えられた。

 

 

この情報は安全保障や中国関連の取材では定評のあるビル・ガーツ記者が報じた。

 

同報道によると、オバマ大統領の11月4日からのアジア訪問で中国には立ち寄らないことが中国政府をさらに硬化させ、オバマ政権内部の従来からの意見の対立をまた激しくした。

 

同政権内で一貫して中国への和解や譲歩を説くグループは周辺から「叩頭派」と呼ばれ、スタインバーグ国務副長官、ベーダー国家安全保障会議アジア部長、CIA(中央情報局)の実務者たちが主体だという。

 

同報道ではこれに対し中国の対米態度に反発し、現実的でより強固な対中政策を求めるグループは「失望派」と呼ばれ、クリントン国務長官、パネタCIA長官、キャンベル国務次官補、グレグソン国防次官補らだという。

 

オバマ大統領とバイデン副大統領はこの対中政策論議には加わっていないが、ゲーツ国防長官は「失望派」に傾いているとされる。

 

同報道はさらに「叩頭派」主体のオバマ政権のこれまでの対中政策ではイランの核開発、北朝鮮の核開発、人民元の交換レート、貿易政策、気候変化、韓国の哨戒艦沈没など一連の重要案件で中国の協力を得られなかったことが失敗だとしている。

 

スタインバーグ国務副長官は中国に現在の勢力拡大があくまで平和的であることを「戦略的再確認」させることを求めたが、断われ、和解や譲歩によるアプローチの失敗を印象づけたという。

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 アメリカの司法省が注視すべき中国スパイ事件を発表しました。

 

 中国に関心を持ち、中国の大学に留学したアメリカ人学生に中国女性がアプローチして、米中友好をささやき、結局は中国のためにアメリカの国防関連の秘密情報を取ってこいと指示するのです。そのための報酬はもちろんふんだんに提供されます。

 

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    〔ワシントン=古森義久〕

 

中国留学中に中国の情報機関から「友好」を説かれ、スパイ活動を求められて応じた米国の青年が22日、バージニア州地裁で有罪を認めた。

 

 グレン・シュライバー被告(28)は「国家防衛情報を中国情報機関に流そうと意図した」という罪状を認めた。

 

 司法省の同日の発表によると、同被告は米国ミシガン州の州立大学を卒業後の2004年に上海に留学し、中国語などの勉強をしながら英語を使っての職を求めた。英字新聞の「英語での政治論文を書く仕事」という広告に応じたところ、「アマンダ」と名乗る中国女性らに接近され、実際に論文を書いて120㌦の報酬を得たという。

 

 同発表によると、その後、シュライバー被告はアマンダらに個人同士の友好や中国への友好を説かれ、将来、米国政府の国家防衛に関する秘密情報を入手して中国側に流すことを求められた。同被告はアマンダらが中国情報機関の工作員であることを知りながらも、その要求に応じ、06年から07年にかけ、米国政府の国務省や中央情報局(CIA)の職員に応募したという。

 

 同被告は09年12月にCIAへの採用決定を告げられた後、また上海に飛び、アマンダらとの打ち合わせを重ねた。それまでの過程で数回にわたり、合計7万㌦の協力資金を中国情報機関から受け取っていたという。

 

 中国は米国に対するスパイ活動を多様な形で強めており、今回のケースもその一端だとされる。

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