今井博氏(いまい・ひろし=元産経新聞モスクワ、ボン支局長)26日、胃がんのため死去、71歳。葬儀・告別式は3月2日午後1時半、東京都杉並区上荻2の1の3、光明院で。喪主は妻、絢子(あやこ)さん。
産経新聞退社後は学習院女子大学や東邦大学で非常勤講師を務めた。著書に「レールモントフ・彗星の軌跡」「モスクワ特派員報告」などがある。
以下は今井記者が産経新聞に書いた多数の記事のひとつです。
九一年十二月のソ連崩壊から三年目に入っているが、新生ロシアの産みの苦しみはまだ終わりそうにない。七十四年間の共産党支配の過去を清算し、民主的な 国家としてロシアが再生するためには多くの障害が立ちふさがっている。かつての共産主義に代わって民族主義・大国主義がロシアの国家イデオロギーになる危 険もあり、「清算されない過去」を引きずっている。この二年間、モスクワで暮らした印象をまとめた。 (前モスクワ支局長 今井博)
モスクワを去る数日前、友人たちがレストランで送別会を催してくれた。食事もそろそろ終わりかけたころ、かなり酔っ払ったロシア人が私たちのテーブルにやってきた。一見してマフィア風だ。
「あんたらはいい日本人のようだが、成田では頭にきたぞ。警察官が空港でオレを逮捕した。クソくらえだ」
聞くに堪えぬ粗暴な表現をたっぷり交えた悪口雑言がとめどもなく続く。しかもこの男はレストランの関係者らしく、ウエートレスは「やめなさいよ」とお座なりに言うだけだ。
一緒にいた二人のロシア人女性は顔を真っ赤にしている。ロシア人男性は視線を伏せてしまった。
仕方なく私が「私たちを放っといてくれないか。あんたの逮捕とは無関係なのだから…」と口をはさんだ。そのとたん、男のツバが私の左ほおに飛んだ。席を けった私を家内とロシア人女性が必死で押しとどめた。私は大声で「警察を呼べ」と怒鳴ったが、ウエートレスは取り合わない。ヘラヘラ笑っていたその男は、 調理場に姿を消した。
ここはグルジア・マフィアとつながりのある店といわれる。
外国人がいまモスクワでさまざまな被害に遭うのは日常茶飯事で、私の不愉快な体験は決して特殊なものではない。強盗、窃盗、空き巣と限りがなく、路上でハイエナのようなジプシーの子供の集団に外国人が襲われても、ロシア人は知らんぷりをして通り過ぎて行くだけだ。
ロシア人の友人に「警察に訴えてほしい」と伝えたが、友人たちが相談して出した私の“事件”の結論はロシアの世相を如実に示していた。
地元の警察はマフィアに買収されているから絶対に動かない。それどころか、マフィアにこの訴えを教えるだろうから、私が車で出かけるたびに尾行され、いろ いろな嫌がらせをされるだろう。警察本部に行っても、書類作りが果てしなく続くだけで、帰国を延期しなければならなくなる。
つまり、い まのロシアではレストランで他人にツバを吐きかけても、法律によって罰せられることはない。それどころか、刃物で傷を負わされても、殺されても、警察が機 敏に乗り出すことを期待するロシア市民は少ない。警察の腐敗は、ロシアでだれひとり知らぬ者のいない周知の事実なのだ。
交通警察(ガイ)の係官が通りで車を止めては、ささいな違反を口実に金を巻き上げることは有名だが、私がある日、モスクワ市内の白ロシア駅で目撃したオモン(内務省の特務部隊)の隊員の乱暴には驚いた。
ベラルーシの首都ミンスクからモスクワに着いたばかりの列車に、一人の若いオモン隊員が乗り込んできた。乗客のほとんどは乳製品をモスクワ市内の街頭で売るために来た人たちだ。
オモン隊員はその中の一人に近づくと、「オイ、販売許可証はあるか」と言う。もちろん、そんなものは持っていない。「許可証の代金をオレに払え」と言った オモン隊員の要求に首を振ったとたん、ベラルーシの若者が大きなリュックサックに入れてきた牛乳、ヨーグルトなどのビンの上に、警棒がめった打ちに振り下 ろされた。
オモン隊員はわずか一人、出稼ぎの仲間は数十人。だれもこの無法な行為を非難しようとはしない。権力にあくまでも従順で、もの言わぬ民の姿がそこにあった。
スターリン時代、一千万人近い同胞が死刑台あるいは収容所に送られるのを、見て見ぬふりをしてきた過去の悲しい習性はまだ消えてはいない。
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