2011年03月

 アメリカの官民の日本側への支援や激励のレポートの続きです。

 

 日本ビジネスプレスの私の連載「国際激流と日本」からの転載です。

 

 なお原文へのリンクは以下です。

 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5754

 

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その上、米国側の要人による日本への弔意や激励の表明も、どっとあふれるようだった。ワシントンの日本大使館が開いた弔問所には、3月18日にオバマ大統領が訪れて弔問の記帳をした。

http://www.defense.gov/DODCMSShare/NewsStoryPhoto/2011-03/hrs_hero_japan-book_PS-0475.jpg

 

 

 その他、バイデン副大統領のほか、クリントン国務長官、ガイトナー財務長官など現職の閣僚でも8人ほどが弔意の表明に日本大使館を訪れた。議会でも民主党のイノウエ上院議員など有力議員たちが相次いで日本大使館に来て、記帳をした。

 

 こういう政治指導者たちの個人レベルでの慰問や激励は、日本人として見ていると、かなり胸を締めつけられる感じを受ける。日本の大惨禍を見て、なおさらこういう事態の際に支援し合うのが同盟パートナーの証左だと実感させられたのだった。

真剣に日本の震災を心配してくれる米国人

 民間の反応も、ものすごい勢いである。まず米国赤十字が先頭に立って募金活動を始め、大震災から4日目の3月15日には、すでに全米から集まった1000万ドルの寄付を第1弾として日本赤十字社に送ることを発表した。

 

 その他、「サマリタン・パース・インターナショナル」「ワールド・ビジョン」など全米規模の人道支援などの非政府機関(NGO)が40団体近くが、すでに日本支援の活動を開始している。

 

 民間企業は義援金を一斉に提供し始めた。コカ・コーラ、ゴールドマン・サックス、プルデンシャルなどの計4社がそれぞれ600万ドル以上の寄付をした。合計41社が27日までに総額2億ドル(約160億円相当)近くの寄付を発表した。これまたすごい勢いである。

 

 だが、米国在住の日本人である私が最も強く胸を打たれたのは、文字どおり数え切れないほどの米国人の友人、知人から、慰めや心配の言葉を直接伝えられたことだった。

 

 もう何十年も前の米国留学時代の同級生やルームメートから電話がかかってきて、「家族や友人は無事か」と問われた。ワシントンでの取材で知り合った政府や議会の関係者が、私人としてねぎらいや悔やみの言葉を送ってきた。

 

 その他、近所に住む人たちや、時々行くレストランや商店の人たちまでが、真剣な表情と語調で家族や親類の安否を尋ねてくるのだった。

 

 アメリカ人の本来持つ人道主義的な傾向だとして済ませることもできよう。だが、その背景にはやはり日本だから、日本への日頃の善意や好感があってのことだと実感させられた。

 

 米国の今回の日本支援は、素直に感謝を述べて、受け入れるべきだとも思うのだった。

(終わり)

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 日本の歴史でも稀有な天災が日本の国のあり方を変えることになるのか――

 

 これからの私たちが熱気をこめて論じていくことになる大命題です。

 

 まず田久保忠衛氏が今朝の産経新聞への寄稿でこの命題を正面から論じていました。

 

【正論】杏林大学名誉教授・田久保忠衛 戦後体制から脱皮し国家再興を


 

 

 

 国家存亡の危機に際して物を言うのは、軍事力を中心とした「ハードパワー」であって、文化、芸術など国の魅力を売り物にした「ソフトパワー」などではない。東日本大震災はこの冷厳な事実を改めて突きつけたが、菅直人首相にどれだけわかっているか、甚だ疑問である。

 首相は3月20日の防衛大学校卒業式での訓示で「孤立した人々を救い出し、支援物資を運び、原子力発電所に命がけで放水をする。危険を顧みず、死力を尽 くして活動を続ける自衛隊諸君を誇りに思う」と明言した。では尋ねる。震災の2日後に節電啓発担当相に蓮舫行政刷新担当相を、災害ボランティア調整担当の 首相補佐官に辻元清美氏を充て、そのあと仙谷由人・民主党代表代行を官房副長官に任命したのは何故か。

 

 

 ≪首相の防大訓示と人事の矛盾≫

 

 自衛隊への理解が薄いか、誹謗(ひぼう)中傷し白眼視した人たちではないのか。閣僚の中には、ボランティア精神で消防活動に当たった人々に暴言を吐いた 人物もいる。首相は人事を撤回するか、防大訓示を訂正しないと言動は整合しない。ハードパワーの重要性を認めながら、選挙人に下卑た笑いを示すパフォーマ ンス政治から足を抜けられないでいるのかもしれない。

 

 菅首相と民主党を目の敵にするつもりはない。自民党も含めて戦後の政治家は自衛隊の存在に対してどのような態度を取ってきただろうか。以前にも本欄で引 用したので気が引けるが、20世紀初頭に8年間大統領を務めた米国のセオドア・ルーズベルトが好んで口にし、カリブ海外交で実施した原則、「でっかい棍棒 (こんぼう)片手に猫なで声で」を持ち出そう。彼は、単なる砲艦外交ではなく、軍事力を背景に実に巧妙な外交を展開している。歴代の内閣はこの「棍棒」に 軍の地位を与えようとせず、なるべく小さな存在とし、専守防衛その他使用しにくいいくつもの縛りを加えてきた。

 

 「軍」と正面から向き合うのが嫌だから逃げる。ジョセフ・ナイ米ハーバード大教授が2004年に「フォーリン・アフェアーズ」で「米国のソフトパワーの 衰退」を書くと、「日本こそソフトパワー外交が必要だ」との意見が盛んになる。誤解を受けたと悟ったのか、教授はソフトパワーとハードパワーを案配した 「スマートパワー」論に改めた。何のことはない。ルーズベルトの「棍棒外交」と同じことではないか。世界でも飛び抜けた軍事力を有する米国だからこそソフ トパワーが有効になるのであって、軍事力なしのソフトパワーに意味はない。

 

 ≪感激した天皇陛下のお言葉≫

 

 震災5日後の3月16日に天皇陛下は「被害地の悲惨な状況に深く心を痛めております」とのお言葉を発表された。テレビで拝聴し私はいたく感激した。「自 衛隊、警察、消防、海上保安庁をはじめとする国や地方自治体の人々、国内のさまざまな救援組織に属する人々が余震の続く危険な状況の中で、日夜救援活動を 進めている努力に感謝し、その労を深くねぎらいたく思います」と述べられたのである。33年前に、自衛隊は超法規的に動かないと有事には役に立たぬとの正 論を吐いて、栗栖弘臣統合幕僚会議議長は自民党政権の金丸信防衛庁長官に解任された。その栗栖氏は自衛隊を国防軍にすべしが持論で、いくつかの条件を挙げ ていたが、そのトップは「天皇との距離を縮める」であった。

 

 皇室と自衛隊を隔離してきた原因の根底に、憲法前文の「平和を愛する諸国民」の認識が存在するし、第9条の「戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認」が連動 している。だが、ユーラシア大陸で強大な軍事力を背景に外交力を行使してくる諸国の前に、「日本だけ平和なら、あとは知ったことではない」の御伽噺(おと ぎはなし)を信じてきた「君側の奸」は立場を失ったはずだ。陛下のお言葉こそは、寝食を忘れて戦っている自衛隊員にとってどれだけの励ましになったこと か。

 

 ≪一国平和主義から決別の好機≫

 

 首相訓示でささやかながら勇気づけられた箇所(かしょ)は、「自分の国だけが安全なら良いという一国平和主義は成り立ちません」と「歴史の分水嶺(ぶん すいれい)に立ち、同時に戦後最大ともいえる試練のまっただ中での卒業を迎えた諸君にはたいへん大きな期待と責任が課せられています」の二つだ。他人が書 いた文章の代読ならロボットで十分だが、首相にこれだけの見識が本当にあれば、戦後体制は転換できる。

 

 東日本大震災は、自然の猛威が加えた人的、物的など被害の凄(すさ)まじさを思い知らせた。同時に外交・防衛分野でどれだけこの国が目に見えぬ譲歩を強 いられてきたかも感知させたのではないか。多数の国からの物心両面の支援には感謝以外の言葉もないが、国際政治の尺度では、魂胆あっての援助かどうかの仕 分けも必要だろう。

 

 戦後初めての大衝撃の前に、祖国再建への国民の思いは一致している。首相が、一党一派のケチ臭い動きを無視して戦後体制からの脱皮を叫べば、自民党は存在理由を失う。日本の国そのものを再興させる絶好の機会ではないか。(たくぼ ただえ)

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いきなりあなたの携帯電話に「菅直人です」と名乗る電話がかかってきたらどうするか。受けたあなたは菅首相とは面識はありません。

 

でもどうも本当にそんな出来事が起きたようなのです。しかも一度ではなく。

 

菅首相のずさんを示す一例です。

 

週刊文春3月31日号に出ていた記事の紹介です。

 

まず見出しは以下でした。

「防災相への電話も間違い」 菅首相“メルトダウン”

 以下は本文の主要部分です。

 

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 前日に福島第一原発三号機が水素爆発し、日本中が固唾を呑んで事態の推移を見守っていた。15日午後3時のことである。鹿児島県内に住む、ある男性の携帯電話が鳴った。

 「菅ですが・・・」

 そう名乗った相手に、電話を受けた男性はこう告げた。

 「総理、また電話をお間違えですよ。今、地震でお国が大変なときだ。日本のために頑張ってくださいよ」

 

 この男性本人が語る。

 「私がそう言うと『分かりました』といって、電話は切れました。私は菅さんとは面識はない。間違い電話を貰うのは、実はこれで三度目なんです」

 

 最初は昨年9月のこと。男性の留守電に「菅直人です。また明日電話します」というメッセージが入っており、翌日本当に電話が掛かってきたのだという。

 

 「『総理大臣ですか?』と聞いたら、間違いと気付いたようで、『間違えました』と言って切れた。一応、その番号は『菅総理大臣』として登録しました」

 

 男性が登録した番号を小誌で調べたところ、確かに菅首相本人の携帯電話であることが判明した。

 

 同じ昨年9月、菅改造内閣の組閣当日の朝7時に、ふたたび、「菅総理大臣」からの電話がかかってくる。

 

 「もしもしリュウさん? 菅ですけど」

 

 男性が語る。

 

 「あのとき、環境大臣で入閣した松本龍さんにかけているつもりだったんでしょう。私が『頑張ってください』と言ったら、菅さんが『いやー、失礼しました』と言って切れました」

 

 そして三回目の電話が冒頭のやりとりだったのである。件の男性が呆れる。

 

 「驚いたのは、三回目の電話があった日の夕方にまた掛かってきたこと、さすがに、私が出た瞬間に切れたけど、よっぽどパニックになってたんでしょう。普通は一回で変更しますよね。このレベルの人が総理じゃ、マズいよ・・・・・・」

 

 菅首相が連絡をとったつもりの相手が防災担当相に任命された松本龍氏だったとすれば、この非常時に、両者はどうやって連絡をとっていたのか――

(以下、略)

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 いやはや、携帯電話の扱い方も知らず、機密保持の基礎も知らず、こんな人物が国家危機に襲われたわが日本国の総理大臣なのでしょうか。

 

    (松本龍氏)

 

 

 アメリカの官民の日本支援の実態紹介を続けます。

 

米軍の支援の規模の巨大さはすでに報じてきましたが、沖縄に駐留する米軍海兵隊の活動も目立ちます。

http://www.c7f.navy.mil/imagery/galleries/monthly/2011/03-March/thumbs/110322-N-5538K-087.jpg

 

 沖縄駐留海兵隊だけで3月22日一日に毛布2300枚を含む さまざまな資材を被災地に送りこんだと発表されましたが、中国が国全体として毛布合計2000枚ほどを寄贈したという報道をみました。毛布だけでいうならアメリカは2万5000枚という数字が出ていました。

 

中国全体からよりも多い数の毛布を沖縄海兵隊だけで、しかも一日分として2300枚が贈られてというのは、なんだか象徴的です。小さな点の揚げ足をとるようでもありますが、米中両国のコントラストでもあります。

http://msnbcmedia1.msn.com/j/MSNBC/Components/Slideshows/_production/ss-Japan-Quake-tabbed/ss-110325-japanquake-week3/ss-110225-japan-week3-13.grid-8x2.jpg

 

さて以下は日本ビジネスプレスの私の連載コラム「国際激流と日本」のレポートの続きです。

 

なお原文へのリンクは以下です。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5754

 

 

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フェアファックス郡捜索救助隊の本来の任務である、埋もれた被災者の捜索と救助という作業は、現地ではもう緊急必要度が低くなったため、帰ってきたのだという。

 

 午前4時近くという時間にもかかわらず、この帰還式には藤崎一郎駐米日本大使が来ていて、救助隊員全員に「あなた方の尽力は、米国が日本の真の友人であることを証明した。日本国民はその貢献を決して忘れない」と挨拶した。

 

 隊員たちは全員が起立して、大使への感謝と激励の拍手を送った。

被災地の支援のために大々的に米軍を動員

 こうした支援は、米国の巨大規模の日本への緊急援助のほんの一端だった。米国での官民を挙げた日本支援の広がりは実に驚嘆させられるほどである。

 

 ワシントンで次々と明らかにされる支援の拡大は、日本人として感激させられた。まず最大の物理的な援助は、米軍の陸海空での活動だった。合計二万数千人もの将兵が「トモダチ作戦」と呼ばれる日本救援活動に投入されたのだ。

 

 米海軍では、原子力空母の「ロナルド・レーガン」と揚陸艦「エセックス」を主体に合計20隻以上が三陸沖などに出動し、ヘリコプターや水陸両用車両を動員して、日本側の避難所合計90カ所近くに人道支援物資300トン以上を送りこんだ。

 

 海兵隊では、沖縄駐留の第31海兵隊機動展開部隊がヘリ約20機、水陸両用車両約150台を投入し、22日だけで医薬品約8000箱、毛布2300枚を送りこんだ。

 

 空軍では輸送機を動員し、被災地に必要な発電機、ポンプなどの大型機材をピストン輸送した。22日だけで200トン以上の貨物を運んだ。

 

 陸軍では約500人が支援活動に参加し、日本の被災者たちに毛布を数千枚単位で提供している。

 

 米国は、最も懸念する福島原発の放射能漏れに対して、原子力専門家50人ほどを日本側に送りこんだ。オバマ政権の原子力規制委員会から10人ほど、エネルギー省からは40人ほどだという。

 

 米国の軍や政府のこうした大規模で敏速な支援活動は、やはり日米同盟の堅固な機能を感じさせる。同盟相手だからこその軍隊を自由に動員しての支援活動だと言えよう。

(つづく)

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 日本の大災害救済へのアメリカの支援を改めてまとめてみました。

 

 日本ビジネスプレスの私の連載コラム「国際激流と日本」のレポートの転載です。

 

 第一回分はアメリカでも最高水準の捜索救助隊が被害も最も激しかった地区のひとつ、大船渡市で活動して、帰ってきたときの模様です。

http://farm6.static.flickr.com/5054/5531710013_6995312b43.jpg

 

 

 なお原文へのリンクは以下です。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5754

 

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 深夜の午前3時だというのに、数百人もの家族が広大なホールをぎっしりと埋めつくしていた。ホールは熱気にあふれ、こんな時間なのに子供たちがにぎやかに声をあげ、駆け回っている。

 

 ワシントン近郊のバージニア州フェアファックス郡の救急センターである。みんなが、日本の大船渡市での捜索活動を終えて戻ってくる捜索救助隊の帰りを待ち受けていた。3月20日の未明である。

 

 全米でも有名な「フェアファックス郡捜索救助隊」74人は、東日本大震災に襲われて大被害を受けた岩手県大船渡市に送られていた。日本政府から米国政府への要請を受けて、地震と津波の発生から3日後の3月14日には、もう現地入りしていた。

 

 フェアファックス郡捜索救助隊は、瓦礫や土砂の下に埋もれた被災者を探知するエキスパートたちである。瓦礫を除去する強力なクレーンから、特殊なハイテクの各種センサー、捜索犬までを装備し、救助の専門家に、医師や科学者までを含めた一隊だった。

http://media.gazettextra.com/img/photos/2011/03/15/Japan_Earthquake__dvonfalkensteingazetteextra.com_10_t500.jpg?21bf6915bb019ee8470ac50ab6ce308e04d7a184

 

ミッションは埋もれた被災者の捜索と救助

 

 三沢米軍基地から特別軍用機で近くのダレス空港まで飛んできた救助隊の一行は、まもなくバス2台で救急センターに到着した。作業服にブーツのままの、たくましい男女たちだが、みなやはり疲れて見える。

 

 待ち受けた家族からは、大きな歓迎の声が起きた。しかし、一行は家族との再会も後回しにして会議室に入り、総括の報告会に臨んだ。

 

 ロバート・ゾルドス隊長が、「今回は行方不明の被災者を発見することはできなかったが、生存者の確認や被災者への物資供与で成果があった。みなよくやってくれた」と結んだ。

 

 後で同隊長に個別に話を聞くと、もう少し詳しく説明してくれた。

 

 「大船渡では津波で人間がみな流されてしまったため、市街地に埋もれた人間を見つけるという、本隊が最も得意とする作業は、残念ながら成功しなかった。

 だが現地には4日間滞在し、被災地をいくつもの区画に分けて、各区画にもう人間が絶対にいないことを確認していく作業で貢献ができた。今回の津波の惨禍は、これまでの多くの任務と比べ、対処が最も難しかった」

(つづく)

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